旅立ち


 宿に戻ってからアゼルはレシアと夕食をともにすることにした。

 衣装屋での一件で二人の間には険悪な空気が漂っていたが、時間があるうちに護衛士の基本的な心構えを教えておきたかったのだ。

 体が温まるものをと主菜には山羊の乳を使ったシチューを頼んだのだが、レシアはひとくち食べただけでそれ以降は手を出さない。

 アゼルは意外に思った。たしかに山羊は独特のクセがあるが、アストリアでは肉や乳は羊が主流だ。山羊も羊もたいして変わりがないだろう。

 そう言うと、レシアは軽蔑の眼差しを向けてくる。

「まったくの別物だ。自分が馬鹿舌だからといって他人までそうだと思わないことだな」

 アゼルとしては肩をすくめるしかない。自分が味に無頓着な自覚はあった。

 その土地の人間が旨いといっているものは、馴染みがないものでも平気で食べる。さすがに土地の人間でも敬遠しているものは遠慮したいが、それでも目の前で食べている人間がいるのなら、気にせず口にした。

 これは師匠譲りだ。むしろレイナスのほうがアゼルよりも悪食だったと思う。

 非常時ならともかく嫌だと言っているものを無理に食べさせるつもりはない。

 パンを齧っているレシアを放っておいて、自分だけのものになったシチューを口に運ぶ。

 腹が膨れたところでアゼルは山羊乳酒を、レシアは果実酒を頼んだ。

 酒まで気取っていると思ったが、また喧嘩になりそうなので口には出さない。

 酒がきたところで、護衛士としての心構えや不文律を話し出したのだが、これが最初からつまずくことになった。

 事前に危険を避けることこそが護衛士の役目である。

 最も基本的な考えであるが、レシアはまずこれに噛みついた。

「それでは根本的な解決にならない。たしかに目先の利益だけを考えるならそれでもいい、だがその皺寄せは同じ護衛士の誰かにいくはずだ。それなら余裕のあるものか、もしくは力を合わせてその危険を取り除いた方がいいはずだ」

 なるほど軍人的な思考だとアゼルは思った。だが「それは意味がない」と言下に切り捨てた。 

 レシアの目が据わる。

「説明してもらおう」

「例えば、ある街道を野盗が縄張りにしているとする。護衛士はそれなら違う街道を行く。あんたはそれを狩れと言っているのだろう?」

「そのとおりだ。何も戦力的に劣っている護衛士にそれを求めているんじゃない。大人数の護衛士集団や護衛士同士が組んでそうすればいいと言っている」

「それが無駄なことなんだ。たしかに一時的には安全になるかもしれない。だが少し経てば別の野盗がそこに住みつくようになる」

「そうとは限らないだろう」

「いや、残念だがそうだ。世のことわりといってもいい」

 だがレシアは納得がいかないという表情をしている。うやむやにしないほうがよいとアゼルは感じた。

「あんたの祖国アストリアは軍事大国で職業軍人が多い。そのぶん憲兵も多く治安も良い。だがそれでも悪事を働く人間はいるはずだ、どれだけ取り締まっても後から湧くように出てくる。それは楽をして儲けようとする人間は必ずいて、そういう奴らがいままでそうしてこなかったのは単に機会や場がなかっただけだ。さっきの話でいえば野盗がいなくなれば、その後釜に座ろうとする奴は必ず出てくる。それは多少身を持ち崩していても昨日まではまともに働いていた人間かもしれない。けれどもそういう人間が次の日には野盗になっている。悲しいがそれが人間という生き物だ」

 山羊乳酒をひとくち飲んで喉を湿らせる。

「レシア、あんたは確かに強いが、そのせいで余計な義侠心を発揮して無用な戦いをしないでもらいたい。目の前の悪党を駆逐したところで、どうせすぐに代わりがくるんだ。そういった奴らを相手にするのは護衛士の役目じゃない。やりたいなら国に帰ってからにしてくれ」

 二人の視線が真っ向からぶつかり合う。

 先に目をそらしたのはレシアだった。

「ふん、どうやら護衛士というのはわたしの思っていたものとは違うようだ」

「あんたがどう思っていようが構わないが、それでリンボクを危険な目に合わせるようなことがあったら俺は許さない。それだけは覚えておいてもらおう」

 またレシアが睨んできたが、今度はアゼルのほうが視線を避けた。相手にしていられないというのが正直な気持ちだ。


 その後も万事このような調子だった。

 アゼルとしては自明の理と思っていることに、いちいち突っかかってくる。

 それを説明すれば反論してくる。言い合いになることもしばしばだった。

 それでも聞き流されるよりは、はるかによい。アゼルは根気よく話を続ける。

 するといつの間にか、二人のやりとりを聞いていた宿の主人や客の護衛士たちまでもが会話に加わってきていた。

 多勢に無勢のはずだが、それでもレシアは一歩も引かずに自分の考えを発言している。護衛士たちも己の根幹に関わる問題であるので引き下がらない。

 自然と白熱してきて言葉遣いも荒くなり、酒の運びも早くなった。

 そこでアゼルはレシアの飲んでいるのが果実酒から火酒にかわっていることに気がついた。護衛士の誰かが勧めたのか、そこにあったのを自分から飲んだのかはわからない。

 無茶な飲み方をしなければいいがと思ったが、結果的にはすでに手遅れだった。

 レシアも護衛士たちも酒が入るにつれ、実のある議論はどこかに消え失せ、子供の喧嘩のような様相を呈してきたのである。

「あんたよくそれでいままで生きてこれたな」「腕なら見せてやる表に出ろ!」「ねーちゃんの考えは間違ってる」「酒場の給仕女のように呼ぶな!」「今すぐ国に帰れ」「帰らん!」

 そんな調子だった。

 護衛士たちは本気で言っているのではなく、酒の肴のからかい半分、親睦を深めたいのが半分といったところだろう。それがわかっているのでアゼルも止めはしない。

 ただいくら飲んでも酔わないのでその狂騒についていけず、ひとり蚊帳の外におかれて杯を傾けていた。

 こちらは仕事のため、やはり酔っていない宿の主人がアゼルの傍に来る。

「相変わらずアゼルは酒に強いな」

「金だけ掛かって効率が悪いから困っていますよ」

「こっちとしてはありがたい」

 宿の主人は豪快に笑う。そして盛り上がっている場の中心を見た。

「あの女探求者、レシアといったか。悪い人間ではなさそうだ」

 それにはアゼルも同意する。

「もう少し頭が柔らかければいいんですがね」

「あの若さで探求者になれるほどの階級、ましてや女だ。自己を確立していないとやっていけなかったんだろうよ」

 そうなのかもしれない。アゼルにとっては軍人という職業も、そこにある階級というものも未知の世界だった。

「アゼルたちは明後日につんだったな?」

「そのつもりです」

「他の連中は明日出発だから、そろそろお開きにさせんとな」

 宿の主人も色々と気を遣って大変だと思う。

 アゼルには護衛士以外の自分を想像できなかった。



 翌朝、護衛士たちがそれぞれの雇い主とともに出発するのを、アゼルは宿の主人といっしょに見送った。

 ただその場にレシアは来なかった。

 本人がどう思っているかは知らないが、昨夜あれだけ酒を酌み交わしたのだ。見送りをするぐらい礼儀だろうと、呼んでこようとしたのだが護衛士たちに止められた。

「きっと二日酔いなんだろう。寝かせておいてやれ」

 当人たちがそう言うならと放っておいたのだが、太陽が北嶺山脈の頭上にすっかり顔を出した頃になっても、レシアは顔を見せなかった。

 さすがに心配になったアゼルは二階に上がり、レシアの部屋の扉を叩く。

「起きているか?」

 しばらく待ったが反応がない。

 さらに強めに扉を叩くと、ようやく中からとりを絞め殺したような声が聞こえてきた。

「……うるさい。頭に響く……、叩くな」

「いつまで寝ている。明日には出発するんだ、ちゃんと飯を食って体調を整えておけ」

「……いらん」

 埒が明かない。

「とりあえず開けろ」

 だが反応がない。

 宿の主人に頼んで鍵を開けてもらうかと思い、試しに取っ手を引いてみると扉が開いた。

 なんて不用心な奴だと思ったが、これ幸いと部屋に入る。

 板戸の隙間から漏れる光で見回すと、レシアは昨夜の恰好のまま寝台にうつ伏せになり、枕に顔をうずめるようにして眠っていた。

 愛用の曲刀の両手剣シャムシールはさすがに邪魔だったのだろう、外されて床に転がっている。もちろんすぐに手の届く位置ではない。 

 問答無用で板戸を開けて部屋の中に光を招き入れる。

 それに反応してまた声があがった。

「……眩しい、閉めろ」

 さすがに怒りが湧いてくる。

「いくら差配屋の宿だからといっても不用心にも程があるだろう。俺が襲撃者だったら何回殺されたと思っているんだ?」

 しばらくは何の反応もなかったのだが、いきなりレシアが跳び起きた。

「貴様どうやって入った!?」

「どうやってもなにも鍵が掛かってなかったからな」

「鍵が掛かってないからといって女の部屋に無断で入るのか!」

「どの口がそんなことを言うんだ?」

 冗談ではなく一発殴ってやろうかと思ったが、何か言い返そうとしたレシアが頭を押さえてうめいたので、その気が失せた。

「ちょっと待っていろ、水と食い物を持ってきてやる」

「……いらん」

 アゼルはそれを無視して階下へと向かった。 



 アゼルが戻った時にはひょっとしたら鍵が掛けられているかとも思ったのだが、扉はすんなりと開いた。単にそうする気力がなかっただけかもしれない。

 盆を持って部屋に入ると、レシアは寝台に腰かけて頭を押さえていた。

 まず水飲み椀タンブラーを渡してやると、渇ききった水牛のような勢いで飲み干したので、追加を水差しから注いでやる。それをさらに繰り返したところでやっと喉の渇きは癒えたらしい。

 アゼルは次に椀と木匙を手渡した。

 レシアは椀の中身を胡散臭そうに眺める。

「なんだこれは?」

 椀の中では白い半固形物が湯のなかに浮いている。

かゆだ」

「粥?」

「米を煮たものだ」

「米は野菜や肉といっしょに炒めたり、魚介と合わせて炊くものだろう?」

「東の方の国ではそうやって食べるんだ」

 説明を聞いても不審げにしていたが、仕方なくといった感じで口をつける。

「……味がしない」

「文句ばかり言うな。消化がよくて胃に優しいらしい」

 面倒くさくなって盆ごと渡す。

「そっちのスープは二日酔いに効く薬草入りだそうだ。出汁は鶏でとっているから、あんたでも大丈夫だ。粥もスープも特別に作ってもらったのだからちゃんと食べろ」

 その言葉が効いたのか、いまさらながら腹が減っていたのに気がついたのか、レシアは猛烈な勢いで両方の椀を空にした。

「それだけ食欲があれば大丈夫だな。酒に弱いならあんなに飲むな、結果的には出発を明日にしておいてよかったぞ」

 レシアは苦い顔をする。

「あれは煽ってきたあいつらが悪い。だいたい――」

 そこで何かに気づいたらしい。

「連中は今日発つんじゃなかったか?」

「とっくに出発した」

「なぜ起こさない」

 レシアは怒気を孕んだ目をアゼルへと向ける。

「なんで俺が責められるんだ? 起こそうとしたが止められたんだ、寝かせておいてやれと」

 それを聞くとレシアもさすがに殊勝な表情になる。

「いいか、旅の最中はあんたには二度と酒を飲ませないからな。隠れて飲んだりもするなよ」

「ひとを酒乱扱いするな! 昨日はたまたまだ」

「どうだかな」

 その後は一日中、荷の最終確認をして過ごした。

 レシアも陽が暮れる頃にはなんとかいつもの調子に戻っており、アゼルはやれやれと息をついた。



 翌日は朝冷えこそ厳しかったものの雲は見えず、天気に恵まれた旅立ちの日になった。

 宿の主人に見送られ、アゼルとレシアはリンボクの家へと長毛馬を進ませる。

 遠目に家が見えた時点で、リンボクがすでに出発準備を整えて外で待っているのがわかった。

 その周りには幼い弟妹たちや、幼子を抱いたミツスイの姿も確認できる。家の前に腰かけを持ち出して座っているのは、具合が悪いというリンボクの祖父母だろう。

 家の前に到着して長毛馬から降りたアゼルの傍に、ミツスイが寄って来て頭を下げる。 

「どうかよろしくお願いします」

「はい」

 アゼルはそう一言だけ返事をした。

 多くを語らずともこの母親ならわかってくれるはずだ。

 リンボクの用意した荷物から、いくつかをアゼルとレシアの長毛馬に移す。リンボクの老馬にできるだけ負担をかけないようにするためだ。

 すべての用意が終わるとリンボクが家族のほうを振り返り、つとめて明るい声で告げた。

「じゃあ行ってくるね」

 弟妹たちや祖父母の見送りの声に微笑みながら手を振ると、老馬の元にと駆け寄る。アゼルが手をかして騎乗させた。

 ミツスイは何も言わずにじっと娘のことを見つめていたが、最後にアゼルと視線が合うと再び頭を下げた。

 アゼルは頷き返すと自分も騎乗する。

 順調にいけば目的地ヤイツクの街までは十二日ほどの行程になる。

 早摘みの旅の始まりだった。


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