探求者


 アゼルが宿の外へ出ると、すでに終わっているのか剣戟の音は聞こえてこない。

 そして馬屋へと駆けつけたアゼルが見たのは、いささか拍子抜けする光景だった。

 倒れ込んだ馬に寄り添う旅人、その回りを右往左往する馬屋番の少年、それらを苦い表情で見ている宿の主人と傷の男。

 とりあえず差し迫った危険はないらしい。

 アゼルは緊張を解くと、あらためて状況を把握しようとする。

 まず驚いたのは倒れている馬だった。アゼルが騎乗してきたような長毛馬ではなく、平原で一般的な軽種馬だったのだ。

 軽種馬は平地でなら、その速さ、取り回しのよさなどで、長毛馬に圧倒的に勝る。しかし、いくら寒さに強い生き物だとはいえ、極寒の雪の中を進ませるのは無謀だった。

 現に北方の地で繁殖させているのは長毛馬だけであり、軽種馬は夏の間に旅人が乗ってくるのを見かけるだけである。

 冬の初めとはいえ、すでに雪が積もっているなか、軽種馬がここまでやってくるとは、この旅人は愚かだが馬は賞賛に値した。見れば毛並が良く、後肢トモの張りや全体的な均整も申し分ない。ひと目で良い馬だとわかる。庶民の稼ぎ十年分はするだろう。

 だが残念なことに、その馬が酷い状態に陥っていた。

 左前脚を氷で切ったのか、足首の部分が大きく裂けて出血し、それが冷えて固まり、さらに動くことで出血を繰り返す。そんな痕がみえた。

 大量の汗をかいていて体中から湯気が立ち昇っている。おそらく風邪をひいて体温が上昇しているのだろう。

 旅人のほうはフード付きのマントをしているので顔が見えない。ただそのマントが質の良い高級なものであることはわかった。

 馬といいマントといい、ただの旅人には思えない。

 宿の主人がアゼルの隣にきて囁いてくる。

「獣医を呼んでくれだとよ。こんな小さな街にそんなものいるかと言ってやった。だいたい、あの馬の状態ならどうなるかは俺でもわかる」

 それはアゼルも同様だった。少しでも馬に関わっている者が見れば、脚の怪我が致命傷なのは明白だった。

「今夜は馬鍋だな」

 傷の男が呟く。

 それが聞こえたらしく、必死に馬の汗を拭っていた旅人が、いきなり傷の男へと殴りかかってきた。

 素早く鋭い動きだったが、傷の男はそれをかわした。思っていた通り、かなりの場数を踏んでいるようだ。

「ったく、いきなり殴りかかってくるとはよ。旅の途中で乗騎が死んだら食うっていうのは常識だろうが。それが供養にもなるっていうもんだぜ」

「セレーネはまだ死んでいない!」

 旅人は叫ぶと、今度は剣に手をかけた。

 傷の男はそれを見ると素早く後ろに下がり間合いをとる。

「おい、素手のうちは笑ってすませてやるが、剣を抜いたら冗談じゃすまさねえぞ」

 傷の男の目つきが険しくなる。

 面倒なことになったとアゼルは思った。

 傷の男の言ったことは、たしかにそのとおりではある。野営続きで保存食を主食としている時など、死んでしまった乗騎は貴重な栄養源だ。宿に泊まっている時でも肉をふるまえば他の客は喜んでくれるし、余った肉で宿代をタダにしてもらえたりもする。そのまま埋葬するのは、疫病に感染したり、悪い物を食べたりして死んだ場合ぐらいだろう。

 しかし、そのことに嫌悪を抱いている者がいることもまた事実だ。名前を付けて大切にしている乗騎は、家族同然だと考えている人間も多い。

 どちらが正しいとかではなく考え方の違いだった。

「おい、いいかげんにしろ! 俺の宿で客同士が斬り合うなんて許さんぞ!」

 宿の主人が大声を上げた。

 それを聞いた旅人が一瞬躊躇したのを見逃さず、アゼルは背後から気配を消して近づき、柄を握った腕を押さえた。

 細いな――そう思った瞬間、旅人の体がすっと沈むと、アゼルの顎を狙って貫手が繰り出された。

 それを間一髪で躱したが、首から頬にかけて爪のかすった痕がついた。

 どうやらこの旅人もかなり腕が立つようだ。

 アゼルは気を引き締め直して旅人と対峙し――そして目を見張った。

 今の動きでフードが下がり、旅人の顔があらわになっていた。それはまぎれもない女の顔だったのである。

 歳はアゼルと同じぐらいだろう。赤銅色の髪に肌は浅黒く、西方の顔立ちだった。眼つきこそ鋭いが、整った顔をしているし、どことなく育ちの良さを感じさせる。

 マント同様、その下に覗く服も高級そうであり、腰に吊ってある剣は中央平原や北の地ではあまり使われない曲刀の両手剣シャムシールだった。

 ここまで情報が揃えばわかる。十中八九この女は〈探求者〉だ。



 探求者は別名〈持ち帰る者〉とも呼ばれ、西の大国アストリアの、ある慣習を実行している者たちの呼称だった。

 本来はアストリア軍の千騎長以上の者たちが、一時的にその地位を返上し在野で生活をすることで、軍とは違う経験を積むことを目的としていた。

 あくまで慣習であって制度ではなく、探求者とならずに軍務を終える者もいるし、探求者になったからといって昇進できるわけでもなかった。

 期間は定められておらず、半年から三年ほどがだいたいの目安とされている。

 何をするかも自由で、アストリアとは戦争になりそうもない遠い国の傭兵になる者や、農民に混ざって畑を耕す者もいる。変わったところでは一から商売をおこす者もいた。

 しかし圧倒的に多いのは護衛士になる者だった。

 いろいろな土地に行くことで見聞が広まり、常に剣を持ち馬に乗ることで兵士としての感覚が鈍ることもない。そしていざ戦いとなれば培った腕前が役に立つ。まさに探求者のための職業といえた。

 だがその評判は大きくふたつにわかれた。

 悪い評判の原因は探求者の態度だった。

 自国では多くの兵士に命令する立場のため、逆に命令されたり、意見されたりすることに慣れていないのである。そのため雇い主や仲間の護衛士と衝突することが多く、一日で解雇されることも珍しくなかった。

 そもそも叩き上げから千騎長以上になった者は少なく、ほとんどは家柄の良い者が世襲でその地位を得たため、市井の生活を知らないことも大きな原因だった。

 それでも探求者が護衛士として一定の評価を得ているのは、戦いの腕がたしかなことと、極まれに吟遊詩人の歌として伝わるほどの傑物が現れるからであった。

 比較的最近も、そんなふうに歌になった人物がいた。



 その探求者はすでに壮年であったにも関わらず、名のある護衛士集団のかしらのもとに、弟子入りしたいと頼んできた。

 頭は探求者に良い印象を持っていなかったが、自分とさほど年齢のかわらない男が弟子入り志願したことに興味を持った。

 よく観察してみれば、自然体でいささかも気負ったところがないのに僅かな隙もない。こいつは只者じゃあないと思い、一番下の見習い扱いという条件で雇うことになった。

 いざ護衛士の生活が始まると壮年の探求者は、乗騎の世話や使い走り、野営時の水汲みや汚物処理まで、十代の見習い連中でも嫌がる仕事を、いっさいの不平を言わずに黙々とこなした。

 頭は徐々に、旅の最中に探求者を自分の傍にいさせるようにした。

 そして護衛士として必要な知識、地域や街道の特徴を話して聞かせた。探求者は特に書きつけていたわけでもないのに、一度説明されたことはすべて覚えていた。

 また陽の出ていない早朝に、探求者がひとりで剣を振るう姿を見かけることもあった。それは鍛錬というよりも、荘厳な舞のようで近寄りがたいものがあった。

 頭はいよいよもって、この男は只者ではないという思いを強くし、見習いを卒業させ対等の護衛士として扱い、さらに積極的に教え、経験させるようにした。

 頭が唯一残念だったのは、探求者の実戦での腕前が見られないことだった。

 この護衛士集団は有名なあまり、その名が野盗にまで知れ渡っていて、襲撃されなかったのだ。獣に名は通じないが、その年は天候が安定していて植物は順調に育ち、それを餌とする草食動物の数も多く、そうなれば肉食獣もわざわざ人を襲ってはこなかった。

 半年も過ぎると、頭の探求者への信頼は揺るぎないものとなっており、重要な役割を任せ、時には意見を聞くこともあった。

 また若い連中のために、剣の稽古をつけてくれるようにも頼んだ。

 護衛士集団の者たちも探求者へ一目置くようになっており、古くからの仲間のようにいっしょに酒を酌み交わしながらも、敬意をもって接した。

 そして壮年の探求者を雇ってから、もうすぐ一年になるという時にその出来事はおこった。

 その時、護衛士集団は大きな隊商を護衛しながら、とある渓谷沿いの道を通っていた。

 そこは野盗の襲撃で有名なところで、移動しているあいだ常に監視されている気配を感じていた。

 頭は目立つように自分の護衛士集団の旗を掲げさせる。

 名があるからこそできる示威行為であり、雇った側もそういうことを含めて高い報酬を払っていた。

 そのまま野盗の襲撃もなく、どうやら無事に渓谷を通り過ぎることができそうだと誰もが安心した時、いきなり崖が崩れ大小さまざまな石が落ちてきた。

 奇跡的に人馬ともに無事で、積み荷にも被害はなかったが、喜んでばかりはいられなかった。

 長い隊列の最後尾が、落石によって取り残されてしまったのである。

 片側はそそり立つ崖、反対側は深い谷底である。落石をどけない限り、取り残された者たちが進むことはできない。

 頭の指示のもとに、護衛士と隊商の人間にも協力してもらって落石をどけようとした時――鬨の声が渓谷に響き渡った。

 取り残された側へ野盗が襲ってきたのだ。

 この崖崩れ自体が野盗の企てたものだったのか、たまたまおこったものを利用したのかはわからないが、最悪の状況だった。

 落石の向こう側に残っているのは、最後尾の馬車を操っていた隊商の人間と、後詰を任せていたあの探求者だけだったのである。

 近づいてくる声に焦りながら、必死に落石をどかそうとするが作業は遅々として進まない。

 いよいよもって声は近づき、野盗がすぐそこまで来ているのがわかったが、道が曲がっているために向こうを見ることすらできなかった。

 積み荷を渡して降伏するようにと、頭は探求者へと呼びかけたが返事はなく、直後に剣戟の音が聞こえてきた。

 間に合わないのは百も承知だったが、とにかく落石をどかす作業を続けるしかない。道の端になんとか人ひとりが通れる幅を確保した頃には、とっくに戦いの音はやんでいた。

 頭は真っ先に向こう側へと駆けつけ、飛び込んできた光景に目を疑った。

 襲ってきた野盗は八人、そのすべてが縛られ、地面に転がされて呻いていたのである。

 荷馬車の御者台には、瞬きすることも忘れ驚愕の表情を浮かべている隊商の人間がおり、そして肝心の探求者は拾い集めた野盗の武器を谷底へと投げ捨てているところだった。

「……無事でよかった」

 そう掛けた声が滑稽に思えるほど、探求者はかすり傷どころか、汗ひとつかいていない。

「とりあえず殺してはいない。襲ってきた野盗の処遇はまだ教わってなかったからな」

「……真顔で冗談を言わんでくれ」

 最初それが冗談だとわからなかった頭が呆れたように息を吐くと、探求者はわずかに口元を歪めて笑った。

 頭が野盗を調べてみると、打撲や痣はあるが、斬り傷を負っている者はなく、出血している者もせいぜい鼻血ぐらいだった。人数差や怪我の状態を考えると、とてつもない技量の差がなければできない芸当である。

 一度でいいから見たいと思っていた探求者の戦う姿を見逃して、頭は心底残念に思った。

 捕らえた野盗は、本来なら自警団に引き渡さなければいけないのだが、この人数を連れて街まで移動するのは大変だった。

 そこで縄を解き、落石除去を手伝わせることにした。

 探求者に監視されている野盗たちは、反抗することなど思いもよらないらしく、言われるままに働いた。

 なんとか馬車が通れるようになると、頭はそのまま野盗を開放することにした。

 探求者の圧倒的な技量を見せつけられたこの者たちは、これに懲りて裏稼業から足を洗うのではないかと思ったのである。


 無事に街へと着くとその夜は宴会だった。

 座の中心にいるのは、探求者といっしょに取り残された隊商の人間である。

 その男はともに旅する者たちだけでなく、宿の食堂にいる全員に聞かせるように、今日あった出来事を語った。そして何度もせがまれ繰り返し話すうちに、野盗の人数はどんどん増え、探求者の活躍も派手になっていった。

 聞く者はそれに喜び、再び話をするようねだるのだった。

「おい、まだ旅は途中で明日も早いんだ。ほどほどにしておけよ」

 頭のたしなめる声に返ってきたのは、陽気な声とともに持ち上げられた杯だった。

「まったく。このぶんだと明日には、千人を相手に戦ったことになっちまうな」

 頭は目の前の探求者に笑いかけた。

 二人は食堂の隅の席で、騒ぎには加わらず静かに飲んでいた。

「探求者もあんたみたいな人間ばかりならいいんだがな。おっとそれじゃあ俺たちが食いっぱぐれるか」

 頭は豪快に笑ったあと、真面目な顔になって続ける。

「実際のところ、無理な話だとわかっていても、あんたにはずっといてもらいたいと思っているよ」

「それなんだが――」

 探求者はこの男にしては珍しく、わずかに言いよどむ。

「この仕事を最後にして国に戻ろうと思う。頭にはよくしてもらって感謝している」

 急な申し出に頭は驚き、一瞬だけ目に寂しさを浮かべたがすぐに微笑んだ。

「そうか、もうすぐ一年だからな。たしかに頃合いだろう。あんたの国にはあんたを必要としている人間がきっと大勢いるだろうしな。……あんたに会えてよかったよ。探求者への見方を変えてくれたし、教わることもたくさんあった。本当にありがとう」

「いや、私こそいくら礼を言っても言い足りないぐらいだ。頭に弟子入りしてよかったと心から思う。ありがとう」

 頭が差し出した手を、探求者は固く握り返した。


 ――この話には後日談がある。

 数年後、頭が護衛の仕事でアストリアを訪れた時のことだ。ちょうど豊饒祭の時期で、アストリア王都では盛大な祝いの催しをやっていた。

 祝賀の行列があるというので、頭もせっかくだからと見物をすることにした。

 王を先頭に、光り輝く鎧に身を固めたアストリア軍の精鋭が列をなす。白馬に騎乗した王の左隣に馬を並べている男を見て、頭は思わず声をあげた。

 見まごうことなき、あの探求者だったのだ。

 探求者はアストリア軍の頂点に立つ将軍だったのである。

 この話は吟遊詩人の歌として、またたく間に大陸中に広まった。

 二十年ほど前のことであり、老年にこそなったが将軍はいまだ現役である。



 アゼルは目の前の女探求者を見る。

 残念だが吟遊詩人の歌のようなことは、そうそうないらしい。

 この女は矜持は高いが、他人の話に聞く耳をもたず、せっかくの愛馬を死なせてしまうような、典型的な悪い評判例の探求者だろう。

 アゼルは急に馬鹿らしくなり、間合いを空けてから視線を切ると、女探求者に背を向けた。

「親父さん、すまないが食事は部屋に運んでもらえるかい」

「ああ、それは構わんが」

 事態が収拾するまで相手をしなくてはならない宿の主人には申し訳ないが、アゼルは一足先に宿へと戻ることにする。

 相手が融通のきかない探求者だとわかった今、傷の男も適当にあしらうだろうから、流血沙汰にはならないだろう。

 宿の前までいくと、不安げな顔をしたリンボクが立っていた。

「なにがあったの?」

「興奮した旅人が騒いでいただけだ」

 余計なことは言わずにそれだけを伝えた。嘘はついていない。

 山に囲まれた地では日が暮れるのが早い、あたりはすっかり夜のとばりに包まれていた。

「もう遅いから送っていこう。心配しなくても、お袋さんを説得するようなことはせずに俺はすぐに帰る。どうするかは家族だけでゆっくり決めるといい」

「……ありがとう。でも大丈夫、迷子になった子山羊を探すときは、もっと遅い時刻でも歩き回るから」

 リンボクはさらに何か言いたそうに逡巡していたがきびすを返すと、そのまま凍った雪の上を慣れたようすで走り去った。


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