野営の心得


 アゼルは陽が沈む前に長毛馬をとめ、野営の準備に入った。

 暗くなってから野営の準備を始めたのでは遅すぎる。旅では常に早め早めに行動するのが鉄則だった。

 野営地には落石や雪崩の危険がない場所を、あらかじめ目星をつけてあった。

 長毛馬から荷物を下ろすと、昼に言ったようにリンボクに世話を頼む。

「特に汗をよく拭いて絶対に風邪をひかせないように。それから脚の様子をよく見て氷で切ったりしていないか確認してくれ」

 リンボクは元気に返事をして馬に駆け寄る。

「レシアはここに火をおこしてくれ。湯が沸いたらリンボクを手伝って馬に餌と水をやるように」

 アゼルは焚火の場所を細かく指定した。レシアがそれに頷くのを確認すると、自分はわずかに傾斜している斜面へと向かい、除雪してから地面を掘りはじめた。

 リンボクとレシアがそれぞれの仕事を終える頃には、斜面を下から上へと伸びる溝が三本ほど掘られていた。

 溝の長さは大人の身長ほど、深さと幅はこぶしふたつ分とさほど大きくはない。

「アゼル、これなあに?」

 不思議そうなリンボクにこたえる。

「寝床だ」

 ますますわからないといった感じのリンボクの隣で、レシアも怪訝な表情を浮かべる。

「穴もそうだが、なぜもっと平坦なところを選ばない」

「後でわかる」

 アゼルは荷物の中から、あらかじめ用意してあった細長い板を何枚も取り出し、溝に対して直角に格子状になるように並べ始めた。

 それが終わるとその上に敷物を被せていく。

 次におなじく用意してあった四本の竹桿たけざおの端をまとめて結び、反対の端を敷物の四隅の地面に突き刺し、抜けないように止釘とめくぎを打つ。

 竹桿は敷物の上を覆うようにしなり、そこに薄い幕を被せ、さらにその上から不織布をのせ、風で飛ばないように紐で結んで止釘を打った。

「すごい」

 あっという間にできあがった天幕にリンボクが声をあげる。

 アゼルは焚火へと向かい、炭になりかかっている薪を選んでくると、それぞれの溝の低所側へと置いた。

 まだくすぶっている薪は煙を出し、それは敷物の下を通って溝の高所側から出ると夕闇の空へと昇っていく。

「まだ感じにくいと思うが、リンボク寝てみな」

 言われるままにリンボクは寝床に横になってみる。

「あったかい!」

 びっくりした。体の下の敷物がほんのりと温かいのだ。

 アゼルは笑う。

「これなら雪山でも凍えずに眠れるだろう。俺は食事の準備があるから、リンボクは炭が冷たくなったら新しいのに替えてくれ。持つ時に火傷をしないようにな」

「うん!」

 敷物を撫でながら温もりを楽しんでいるリンボクを残して、アゼルは昼に狩った兎をさばくことにする。

 それについてきたレシアが呆れたような声を出す。

「おまえは毎回、野営のたびにあそこまでしているのか?」

「まさか」

 いくら冬山でもアゼル一人ならあそこまではしない。今回はリンボクがいるからやっているのだ。

 もちろん余裕があるからできることで、切羽詰まった状況ではおざなりな野営になっても我慢してもらう。

「設営の方法はひととおり見たな。明日からはあんたにもやってもらう」

 レシアはそれに軽く肩をすくめてこたえた。



 夕食は兎肉のシチューにする。

 まずさばいた兎肉を鍋で炒め、ジャガイモと玉ねぎを入れてさらに炒める。これらの野菜は日持ちがするため、ある程度の量を持ってきている。

 そこでいったん火から離し、麦を挽いた粉とバターを鍋に入れて余熱で溶かしながら混ぜる。

 そして山羊の乳を入れて再び火にかけて煮込み、塩と胡椒で味をととのえれば出来上がりだ。

 昼にはチーズを食べられたのでレシアも大丈夫だとは思うが、念のために兎肉は串焼きも用意しておいた。

 こちらは串に刺して塩をふりかけただけの簡単なものである。

 アゼルは木椀にシチューをよそうとリンボクに手渡す。

「熱いから気をつけてな」 

 リンボクは息を吹きかけながら木匙を口に運んだ。

「――おいしい!」

「それならよかった」

 白い息を吐きだしながら夢中で食べているリンボクを見ていると、アゼルの口元にも思わず笑みがこぼれた。

 レシアも文句を言わずに食べているところをみると、山羊に対する苦手意識はなくなったのだろう。それならと串焼きも三等分する。

 三人はあっという間に鍋を空にして、串焼きも食べきった。

 アゼルとしては余るかもと思っていたので嬉しい誤算だ。これだけの食欲があればとりあえずは安心である。

 食後にはお茶を煎れて、乾燥果物に砂糖をまぶしたものを出す。 

 いつもなら酒を飲んでいるところだ。

 酒は冬山では体を温めることにもなるので一石二鳥だが、リンボクにはまだ早いし、レシアにはこの旅の間は飲ませないことに決めている。

 アゼル自身も酒には強いが特別好きなわけではないので、なければないで平気だった。

 それでも傷の消毒やきつけ用、体温が急激に下がった時の緊急用に、携帯用水袋のひとつには強めの火酒を入れてきている。

「なんか、家にいる時よりも御馳走を食べてるかも……」

 リンボクが複雑な表情で呟いた。

 家が貧しいうえに育ち盛りの弟妹たちがいるとなれば、食事も遠慮しながら食べていたのだろう。

「今日は兎も狩れたし時間に余裕もあったからな。毎日こうだとは限らない。だから食べられる時には遠慮せずに食べておけ」

 アゼルは追加の乾燥果物をリンボクの手にのせた。

「大丈夫。お腹いっぱいで苦しいぐらい」

 リンボクは膨れた腹をさすりながら笑った。



 食事の片づけが終わるとアゼルはすぐに荷物をまとめた。

 リンボクとレシアにもこのことは常に意識しておくように言い聞かせる。

「たとえ明日の朝に使うとわかっていても、絶対に積み荷はまとめて、すぐに馬に載せられるようにしておくんだ」

 旅ではいつ何が起きるかわからない。すぐに逃げ出せる用意をしておく必要があった。積み荷を失うだけで済むのならいい、だが水や食糧が無くなれば命に関わる。

 荷物をまとめるとアゼルは長毛馬のところへ行き、リンボクの老馬を他の二頭で挟むように真ん中の位置に移動させる。

 こうすることで風に当たりにくくなり体力が奪われずにすむ。

 人間も馬と同じようにリンボクを中心にして天幕の中に横たわった。

 特製の寝床は温かく、宿の冷たい寝台よりも寝心地が良さそうなほどだった。

 三者三様に毛布にくるまり寝支度にはいる。

「交代で見張りをしないでいいのか?」

 アゼルの反対側に陣取っているレシアが声をあげた。

「必要ない。差し迫った危険があるなら見張りは立てるが、そうでもなければかえって消耗するだけだ」

 大規模な隊商の護衛なら交代で見張りを立てる。そうしないと物理的に隊商全体を把握できないからだ。そのために多くの護衛士を雇う。 

 だが三人と三頭の馬、この程度ならアゼルには寝ていても把握が可能だった。

 正確には完全に寝てはいない。半覚醒というのだろうか、寝ていても物音や気配を感じることができる。これは護衛士なら自然と身につくものだった。

 軍人はどうだろうかとアゼルは考える。

 戦場は護衛の旅よりも死と隣り合わせのはずだ。当然ぐっすりと眠れることはないと思うが、兵士は交代で当直できるだけの人数がいるし、ましてやレシアは一兵卒ではない。案外、寝ている時の気配には鈍感かもしれなかった。

「まあ、夜中に目が覚めたら熾火おきびが完全に消えないように見てくれてもいいが、それも特に気にしなくていい。むしろ朝までぐっすり眠っていてくれたほうが俺としてはありがたい」

 これは馬鹿にしているわけではなく本音だ。

 下手にレシアに動き回られると、それに反応してアゼルも目が覚める。

 レシアは何か言いたそうだったが、鼻を鳴らしただけで横になった。

「リンボクは熾火のことなんか気にしなくていいからな。むしろ起きたら怒るぞ」

 貪欲に仕事をこなそうとする少女に釘をさすとアゼルは目を閉じた。



 結局レシアは夜中に二回ほど起きて、天幕を出ると焚き火へと向かった。

 そしてしばらくすると戻ってくる。

 どうやら律儀に熾火の管理をしているらしい。

 アゼルは、戻ってきた時に天幕をめくったレシアの姿を月明りで見てとった。

 衣装屋で買ったあの帽子を被っている。どうやらこれだけは気に入ったらしい。移動の最中はもちろん、食事の時も常に被っていた。

 レシアは戻ってきて寝床に横になってもしばらくは眠れずにいたようだが、徐々に呼吸が深く長くなっていくのがわかる。

 アゼルはレシアが完全に眠ったと判断してからもしばらく待った。

 十分な時間があいてから起き上がると天幕の外に出る。いっさい物音は立てず、気配も完全に消していた。レシアが起きた様子はない。

 見上げると下弦の月だった。

 低い位置を薄い雲が横切るが雪の心配はなさそうだ。

 焚き火の傍まで来ると熾火を見る。レシアがやったのだろう、赤い火が消えずに残っていた。

 この焚き火の位置も重要だった。

 アゼルは寝床から十数歩も離れたところに火を熾させた。 

 獣は火を怖がるが万能ではない。

 アゼル自身、狼が焚き火を飛び越えて襲いかかってくるのを体験したことがある。限界まで腹をすかせた獣に火は無意味なのだ。

 野盗ならば火元に人間がいることを知っている。

 それを目印に襲ってくるわけで、焚き火の近くにいればかえって危険が増す。

 さらにあまりに近い位置に火があると逆に闇が濃くなり視界が効かなくなる。

 焚き火は寝床から離れた位置にぼんやりと灯る程度で十分なのだ。

「さて」

 アゼルは小さく呟くと、消していた気配を解放する。

 そして周囲を確認してから天幕に戻った。


 中では片膝をついて小剣を握りしめたレシアが待っていた。

「何かあったのか?」

「いや、熾火を見てきただけだ。消えていなかったところをみると、あんたがやってくれたんだな。礼を言う」

 それに対してレシアは口の中でごにょごにょと呟く。おそらくいきなり礼を言われて戸惑ったのだろう。

「起こしてすまなかったな」

 アゼルはそう言うと毛布にくるまり、さっさと横になった。

 レシアはしばらくそのままの姿勢でいたが、小剣を鞘に納めると同じように横になった。


 レシアのその動きを感じながらアゼルは思う。

 あれで起きられるのなら及第だろう。

 初日で気が張っていて眠りが浅かったというのもあるかもしれない。それでもきちんと反応できたのだ、評価はすべきだった。 

 ひとつ注文をつけるならば、自分の気配にまで気を配ることができていなかったことだろう。

 アゼルにはレシアが起きたことも、小剣を抜いて待っていることもわかっていた。

 できればこちらに気づかれずに、眠ったふりをして待ち構えるぐらいはして欲しかったところだ。

 思わず苦い笑みがこぼれた。

 レイナスもこんな思いをしていたのだろうかと。

 とりあえず旅の初日としては悪くない。

 アゼルは再び目を閉じた。 


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