それぞれの条件


 翌朝、護衛士たちが宿の食堂で食事をしている傍らで、早摘みに行く者たちの相談がおこなわれていた。

 今年は三組だけで例年よりも少ない。当然その中にはリンボクもいる。

 相談といっても単純なことで、誰がどの峠を通ってどの街へ行くのかということだけだ。

 同じ街へ行けばそれだけ供給が増し買い叩かれることになる。したがってあらかじめ相談しておいて別々の道を選ぶのだ。

 馴染みの薬問屋があって毎年同じ街へ行く者もいる。リンボクの父親ステノハもそうだった。そしてそれは大抵優先されるものだったのだが――。

「なんで今年に限ってアジ峠を通りたいなんていうんだ。ステノハは毎年サルラン峠を通っていたじゃないか!」

 顔を赤くして怒鳴っているのは、三年ほど前から早摘みに手を出している、頭髪が薄くなってきている中年の男だ。

 たしか初年の出発前にはえらく緊張していたのを覚えている。まるで生きては帰ってこられないと思い込んでいるような顔つきだった。

 それがすっかり味を占めたのか、さっきまでは機嫌よく宿の主人や、顔を覚えたのだろうアゼルにまで挨拶をしてきた。

 その男が唾を飛ばしながら怒鳴っている相手はあの女探求者だった。

「別に誰がどの峠を通るかは決められていないと聞いている。わたしはここに来る時にアジ峠を通ってきたから、多少とも状況を知っている道を行きたいといっているだけだ」

「それはあんたの勝手だろう! 俺だってアジ峠を通って馴染みの薬問屋のある街に行きたいんだ」

「それは貴様の勝手だろう。どう違う」

 まるで話にならなかった。

 宿の主人も護衛士たちも苦虫を噛み潰したような顔でやりとりを聞いている。

 傷の男は隅の席に座り、冷めた目でそれらを見ていた。

 リンボクは自分のことではあるのだが、経験も知識もないため口を挟めないのを申し訳なさそうに、そして悔しそうにして、それでも必死に大人たちの会話についていこうとしている様子が見てとれた。

「とにかくここ二年は俺がアジ峠を通っているんだから優先させてもらうぞ」

「護衛士もだが依頼人も道理のわからぬ奴ばかりだな。幼い娘を助けてやろうという度量の欠片もないのか?」

「なんだと!」

 頭髪の薄い男が女探求者に向かって掴みかからんとするのを、アゼルが肩を抑えて止めた。

「大丈夫、リンボクはサルラン峠を行きます」

 頭髪の薄い男だけでなくその場にいる全員が、アゼルが何を言ったのか理解できなかった。いや言っていることはわかる、だがそれを何故アゼルが言うのか。

「おい、なにを勝手に決めている」

 睨む女探求者を無視して、アゼルはリンボクの前に立つ。

「リンボク、俺もいっしょに行く。俺を雇うんだ」

 リンボクは目を見開きアゼルを見た。そして一瞬だけ嬉しそうな表情を見せたが、すぐに不安そうに女探求者へと目をやる。

「わかっている。あいつと俺で組む、それならいいだろう?」

 リンボクは今度こそ喜び大きく頷く。

 宿の主人と護衛士、そして早摘みの依頼人たちは驚くと同時に安堵した。

 べつに自分たちのせいではないが、幼い娘を見捨てているような引け目を感じていたからだ。

 アゼルは食堂の隅に目を向ける。

 そこでは傷の男が変わらぬ冷めた目でアゼルを見ていた。



 アゼルとリンボク、そして女探究者の三人は、街外れにあるリンボクの家へ行くために、緩やかな登り道を歩いていた。

 目に入るのは覆いかぶさってくるような北嶺山脈と、低い位置に浮かぶ雲だけで、街の中心部から少し離れただけなのに建造物の姿は見えない。

 岩陰など陽が当たらない箇所には雪が残っているが、それ以外の場所ではところどころに吹き溜まりができている程度だ。

 雪が溶けてぬかるんだ道は歩きにくく、踏み固められた雪は氷のようで滑りやすかった。

 しばらく行くと比較的平坦な場所に出る。

「この辺でいいだろう。リンボクは下がっているんだ」

 リンボクは黙って頷くと距離をとる。

 アゼルはそれを見届けると振り返って剣を抜いた。


 リンボクの早摘みに護衛士として雇われるにあたって、アゼルはひとつだけ条件をだした。それは自分をかしらにすることだった。

 当然のように女探求者は抵抗した。

 通常なら頭が誰になるのかは護衛士同士で決める。しかしどちらも譲る気はなかったので、雇い主であるリンボクに決めてもらうことをアゼルは提案した。

 そしてリンボクは女探求者に謝りながらもアゼルを選んだ。

 もちろん父親であるステノハの言葉――アゼルは信頼できる――が決め手ではあったのだろう。しかしアゼルはこれまでの会話から、リンボクという少女が自分で考えることができる賢さがあると思っていた。

 唯一冷静な判断ができなくなるのが、自ら早摘みに行くということであり、おそらくはステノハの死の影響で、それを自分の使命のように感じているのだろう。

 賭けではあったが、ここでリンボクが判断を誤るようならば、この早摘みはどうせ上手くいかない。だがアゼルは自分の見立てに自信があった。

 そして思っていたとおり、リンボクはアゼルを選んだ。

 これならば旅の先行きに希望が持てる。雇い主との信頼関係はなによりも大切なものだし、リンボクが適切な判断を下せるとわかったのも大きい。

 女探求者も決まったことには異を唱えなかった。

 その代わりにアゼルと同じように条件をひとつ出してきた。自分の上に立つ者の腕前を確かめたいと。

 武人らしい申し出といえる。アゼルにも異存はなかった。


 剣を抜いたアゼルに対峙して、女探求者も曲刀の両手剣シャムシールを抜いた。

 さすがに構えに隙がない。

 旅人や護衛士としては愚かだと思っているが、剣の腕に関しては決して侮っていなかった。仮にもアストリアの軍人なのだ。

 アゼルは足が滑らないよう心持ち広めに足幅をとり重心を落とした。

 手に持つ長剣は、両刃の直刀で片手でも両手でも扱える一般的なものだ。その剣を正眼からわずかに斜めにして相手の出方を待つ。

 最初の攻撃は突然やってきた。

 予備動作はまったくなく、殺気も感じなければ、ましてや気合の掛け声などなかった。ただ速く鋭い斬撃だけがアゼルの頭を襲った。

 それを眼前で受け止める。

 やはり女の剣だ、重くはない。ただそれでも手が痺れるような衝撃を感じた。速さで力を補っている攻撃だ。

 女探求者は初撃が受け止められたとみるや、すぐに二の矢、三の矢を放ってくる。

 左からの横薙ぎ、右袈裟、左下からの逆袈裟と流れるような連続攻撃である。

 曲刀の両手剣シャムシールの特性を活かす、円を描くような攻撃であり、斬りと斬りを繋ぐ無駄ながまったくない。受けるアゼルは息をつく暇もなかった。

 正直、想像以上の実力である。

 女探求者がこちらをどう思っているかはわからない。その表情はいっさい変わっていなかったからだ。

 再び上段から斬撃が襲う。そして左からの横薙ぎ、右袈裟、ならば次は左下からの逆袈裟かと思った瞬間、女探求者が足を滑らせたように体勢を崩した――刹那、アゼルの首を貫く突きが繰り出される。

 いままでの円の動きから一転しての直線攻撃であり、その速さはそれまで以上のものだった。

 しかしアゼルはその渾身の攻撃を、首を僅かに横にそらすだけでかわしていた。

 それを見てこの戦いで初めて女探求者が間合いをとる。 

「よく躱したな」

「来るとわかっていればどんなに鋭い攻撃でも躱せはする」

 女探求者が腑に落ちないといった表情を浮かべた。


 先程も思ったが女の攻撃は重くない。純粋な力で男に勝てないのは明白だ。それでも男相手に互角に渡り合うならば、技と速さ、そしてもうひとつ敏捷性で上回るしかない。

 しかし足元はこのぬかるみだ。その敏捷性が殺されている。現に女探求者は足を動かさず、その場で斬り結んでいる。その分を上体の円運動で補っていたのだ。

 自分の長所である敏捷性を封じられて戦っている人間が、足捌きでへまを犯すわけがない。つまり女探求者が体勢を崩した瞬間、アゼルには罠だとわかった。

 そうとわかれば対処するのは難しくない。ましてやそれまでの連続攻撃が最初とまったく同じだった。何かあると予測して当然だ。


「なるほど、どうやら馬鹿ではないようだ」

 アゼルの説明を聞いて女探求者は薄く笑う。

「だがわたしは貴様の腕前を確かめたいと言ったんだがな。防御ばかりでは判断できん、そっちからもきたらどうだ」

 そう言うと曲刀の両手剣シャムシールを正眼に構えた。

 ならばとアゼルは歩を進め、間合いに入るやいなや長剣を上段から振り下ろした。

 それを受け止められると左からの横薙ぎ、右袈裟、左下からの逆袈裟と連続攻撃を繰り出す。流水のごとき円を描く動きだ。

 女探求者はそれらをことごとく受けきると「猿真似か」と不敵に笑う。

 アゼルも微かに笑うと、再び上段からの斬撃を繰り出し、左からの横薙ぎ、右袈裟と続ける。そして女探求者がさっき体勢を崩したようにみせたところで、アゼルは思い切り踏み込んだ。

 二人の距離が一気に縮まり、顔と顔が触れそうなほどになり視線がぶつかる。

 そしてアゼルは左下からの逆袈裟を跳ね上げた。

 完璧に捉えたと思った斬りだったが、アゼルは跳ね上げる剣に重みを感じた。

 それと同時に女探求者の体が宙を飛んで、数歩後ろへと着地する。

「来るとわかっていればどんな攻撃でも躱せる――だったな」

「……そのようだ」

 それにしても、どんな躱し方だと驚愕した。

 アゼルが逆袈裟を繰り出す瞬間、女探求者は足の裏で柄の尻の部分を抑えたのだ。そして力は入れずに、逆にアゼルの力を利用してそのまま後ろへと飛んだ。

 曲芸まがいの技だが、女探求者にはそれを可能にするだけの、体捌きと度胸があるということだ。

「どちらにしろ無駄だな」

 そう言うと女探求者は剣を鞘に納める。

「こんなことをいくらやっても本当の実力はわからんと気づいた。腕前を確かめたいではなく、勝ったほうが頭になると言うべきだったな。そうすればおまえも本気でやっただろう」

「俺はかなり本気だったが」

 嘘ではない。アゼルには余裕などなかった。

「殺気の欠片もないのにか?」

 女探求者が鼻で笑う。

「それはお互い様だろう」

「殺すつもりはなかったからな」

 その割にあの突きはどうなのだと思う。間違いなく致命的な攻撃だった。

「とにかくこの遊びはこれで終わりだ」

「なら、俺が頭ということでいいんだな?」

「……そういう約束だったからな」

 それを聞いてアゼルも剣を納めた。

 脇でずっと見ていたリンボクが駆け寄ってくる。その表情は驚きと興奮に満ちて上気していた。

「二人とも強いんだね!」

 自分はともかく女探求者はそうだとアゼルは思う。並の野盗相手なら、一度に五、六人を相手にしても後れを取らないだろう。

 あとは護衛士の考えを理解してくれればいうことはないのだが。

 アゼルはリンボクと並んで女探求者のもとへと歩み寄る。

「まだちゃんと名乗っていなかったな、俺はアゼルだ。そっちは?」

 女探求者は虚を突かれたように言いよどむ。

「別に真名しんめいを教えろと言っているんじゃない。それともずっと女よばわりでいいのか?」

 真名とは探求者のアストリア本国での名前のことだ。通常、探求者として活動している間は偽名を使うことが多い。

「……レシアだ」

「よろしく頼む、レシア」

 なぜ偽名を教えるのに躊躇する必要があるのか理解に苦しむ。変な奴だと思った。

「あたしはリンボク。アゼルさん、レシアさん、よろしくお願いします」

 お辞儀をするリンボクの頭に手をのせた。

「さんはいらない。アゼルでいい」

「……わたしもだ」

 レシアも若干躊躇ためらいながらもそう告げる。

「わかった、そうするね」

 跳ねるように歩いていくリンボクの後ろに付いて、少女の家へと向かった。


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