誘われる
「あ、あの——ここには俺の部屋しかありませんけど……? ベッドもひとつだし……」
「全然心配ないよ。僕は狭いスペースで寝る方が好きなんだ。君さえイヤじゃなければだけどね」
神岡は楽しそうに頬杖をついてニコニコと微笑む。
「いっイヤです……!!」
俺は思わず即答する。
「……嫌?」
「イヤっつうか困ります! だって……」
「じゃ仕方ないなあ」
彼はクスクス笑いながらリビングのソファに近づくと、何やらあちこちを動かし始めた。
……と、あっという間にソファが広々としたベッドに変身する。
「じゃ僕はこっちのベッドにするよ」
「ソファベッドあるなら最初っからそう言ってくださいよ!!」
ド変人の上にプチSだ、こいつ。
「……それにしても広いですね? このベッド」
「いろいろ検討して海外から輸入したんだ。ほら、これくらい広ければ、酔っ払った時もここで雑魚寝できるだろ? 一度やってみたかったんだよ〜雑魚寝ってやつをさ」
雑魚寝に憧れるって。さすがセレブな変人だ。
——ん?
ちょっと待て。
そもそも雑魚寝って、複数人でするものでは……?
まさかとは思うが……念のため恐る恐る聞いてみる。
「雑魚寝って……ひとりでですか」
「ひとりで雑魚寝できるわけないだろ。君とに決まってる」
彼は当たり前のような顔で爽やかに答える。
……ほぉー。
つまり、ここで俺と雑魚寝するのがこのベッドの目的だ、と。
「……いっそ枕投げでもしますか」
「ほんとか? 枕投げやるか!?」
彼は楽し気にベッドに身を投げ出すと、まるで修学旅行先の小学生のように瞳を輝かせて俺を見る。
「……冗談です」
「よし、なら次回は枕投げだな! 楽しみだ」
何故「よし」なんだ? やるって一言も言ってないし……。
「柊くんもこっちに枕持ってきたら? もっといろいろ話そうよ」
ほろ酔いで自分の横をぽんぽんと叩きながら、彼は俺を誘う。
この美しい男に、俺は誘われている——。
おかしな鼓動の高鳴りそうな自分の胸に、もうひとりの俺が急ブレーキをかける。
だから違うって。彼にとっちゃ、お前は純粋に犬ネコなんだって!
そっか。犬ネコなら、躊躇うことはない。ゴロゴロ喉鳴らしながらすり寄って一緒に寝ちゃえばいーじゃん?
いや、それはさすがにヤバイだろ。絶対やめとけオマエ。
そういや、宮田ってヤツともなんか約束しなかったっけ——?
なんだよ、急にギャラリーわらわら増えやがって!? お前らうるさい!! 全員黙れーー!!!
「——大変申し訳ないのですが……
今日は疲れたので……自分のベッドで寝ようと思います」
脳内での大騒動の挙句、俺の思考は結局そういう最も弱腰な答えを選択した。
「ん? そうか、残念だなぁ。じゃ雑魚寝も次回のお楽しみってことにしようか。じゃ、そろそろ男子会はお開きにしよう。僕はテーブル片付けるよ。で、あのゴム手袋の調子はどう?」
神岡は、何の悩みもない清々しい顔でそんなことを言いながら、サクサクとダイニングテーブルを片付け始める。
ああ——毎度毎度、この人のぶっ飛んだ思考回路にこうやって振り回されるのだ。
何でこんなに無邪気で無防備なんだ? 枕投げはともかく、一緒に雑魚寝って……あーーもう、意味わかんねーーー!!!
こんなことにいちいち真剣に向き合ってちゃ身がもたないっての!
……でも……今度雑魚寝に誘われたら……どうするんだ、俺??
恐らく、これからも彼のフェロモンダダ漏れな変人っぷりといちいち真剣に向き合わずにはいられない馬鹿な俺である。
そんなこんなで、何とか無事に夜が明けた。
——というか、バイトが休みなせいで油断をし、目覚めたらすでに午前10時を回っていた。
急いで起きていくと、いかにも朝らしい良い香りが漂っている。
ん? テーブルに何か書き置きがある。
『今日の予定があるので帰るよ。朝食作ったので召し上がれ』
目の前には、スクランブルエッグとカリカリのベーコン、クロワッサン。グリーンサラダ。綺麗にラップがかかっている。
真っ白いカップと、コーヒーメーカーには香り高いコーヒー。
明るい日差しが、そこに眩しく差し込む。
——非の打ち所のない朝食だ。
なんで、去り際だけはこんなに美しいんだ……?
昨夜は芸人も真っ青の面白っぷりだったくせに。
なんだか寂しくなるから——こんな風に綺麗に帰るのは、やめてほしい。
上手に焼かれたスクランブルエッグを、俺はなぜかそんな気持ちで見つめていた。
✳︎
その日の朝9時。
宮田は、コンビニの窓際で外を窺っていた。
神岡が三崎という後輩の面倒を見ているという話には、最初から腹の虫が収まらぬ思いだった。
その男が使い物にならないクズならば、それでも少しは許そうという気にもなる。
だが——実際に見てみれば、顔立ちは随分と可愛らしく、肌や髪も美しく、細工の行き届いた容姿だ。
しかも、どこか心をくすぐるような小生意気さと、頭の回転の良さも感じられる。
宮田の感情は一気に逆撫でされた。
——本当に、あいつはただのヘタレな後輩なのか。
神岡は、あいつにすでに特別な感情を抱いていて——それで、あれこれ世話を焼いてるんじゃないか。
しかし、三崎というやつも、感情を誰彼構わず露わにする男ではなさそうだ。表面をただ眺めているだけでは、ふたりの関係は見えてこない。
三崎が宮田の居所からほど近いマンションに入居していることだけは突き止めた。
むかっ腹が立つが……仕事ついでに三崎のマンション付近まで来て様子でも見なければ、イラつきが収まらなくなっていた。
そうしてその朝も、仕事前の時間を使ってマンションに近いコンビニに入り、何となく外を窺っていたのだ。
そろそろ仕事の時間だ。引き上げるか。
そう思った瞬間——通りの向こうを、神岡がコート姿で足早に歩いていくのが目に飛び込んできた。
方向的に、駅だろう。
三崎のマンションを出て——駅に向かっているのに間違いない。
こんな時間に、仕事の関係でこんな通りを歩いているはずがないからだ。
朝のこの時間に、マンションから駅へ向かう。
もしかしたら——昨夜、彼は三崎のところにいたのだろうか。
カッと頭が熱くなる。
——あなたは、ここで何をしてたんだ。
あんな小生意気なガキと——一晩中。
宮田はコンビニを飛び出し、彼の後ろ姿を追っていた。
「おはようございます」
「おや宮田くん、おはよう。これから仕事?」
息を切らして追いついた宮田に、神岡はいつもと変わらぬ感情の読めない顔で振り返った。
「ええ。——この時間にこんな場所であなたにお会いするなんて思わなくて。つい声かけちゃいました」
「ん、ああ。……例のヘタレな後輩がのたれ死んでないかと思ってね。ろくにカネもないし。たまに様子でも見にこなきゃ、飢え死にでもされたらこっちが困る」
「……そうですか」
神岡に不自然な様子は全くない。
次の言葉を待ったが、何を話し出すわけでもない。
このままでは何もわからずじまいだ。遠回しに聞く。
「ちょうどシーズンですしね。昨夜は彼の部屋で忘年会でも?」
「ん? そんな楽しんでいられる状況じゃないさ。ただ、酒を差し入れたのが間違いだったよ。就職活動や応募書類のことなんか教えてやってるうちに飲みすぎて、気づいたら寝込んでた」
彼はそう言って浅く笑う。
「そうですか——手のかかる後輩さんですね?」
宮田は機械的に微笑み返す。
——やはり神岡は、昨夜あいつの部屋にいたのだ。
「そのうち何かの仕事にでもありついてくれればね。赤ん坊だっていつかはオムツが取れるんだし。早いとこ自分の足で歩いてほしいもんだ。——あ、あまり時間ないんだ。じゃこれで」
神岡はそう言って軽く右手を上げると、コートを翻して駅へ向かい走り出した。
——今の段階で、こういう状況だってことは。
今後も、当然ふたりはこんな付き合いを続けるのだろう。
随分と面白い展開だ。ムカつかせやがって。
三崎には、彼と深い関係を持つなと警告した。
それでも——自分の脅しがどれほどの効果を持つのか。
……神岡が、例え自分を見ないとしても——彼が他の人間の方を向くことなど、許せない。
そんな意味不明で身勝手な感情が湧き上がる。
「——思い通りにならない苦しさなんて……きっと、あなたは知らないでしょう?」
遠ざかるコートの背中をじっと見据えながら、宮田はそう呟いていた。
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