じわじわ

「おはよーございます」

「おはよー三崎くん。寒いねー」


 12月半ばの水曜日。

 バイト先のGSに着き、身支度をしようとしたところにスマホの通知音が鳴った。


『今日は夜君のところに行けそうだ』

 神岡からだ。


 なるほど……

 ってことは。


 俺は急いで返信を打つ。

『了解です。今日は夕食俺作りますから!! 材料も買って帰りますので』

 すぐに返信が来た。

『ほんと? それは楽しみだ』


 彼が作った後は、嵐の後のようなキッチンの片付けがハンパじゃないのだ。料理はとびきり美味いのだが。

 だから今日は俺が作る! 作りながら片付けも進めれば後が圧倒的にラクだからな!!


 んー……メニュー何にしよう。

 料理は俺も好きだ。手先は器用な方だし、レシピがあればほぼなんでもできる。必要な部分で自分好みに味の調整をすれば、大抵は美味くなる。

 寒いし、なんかあったまる和食がいいかな。

 と言ってもいろいろあって……。誰かに聞いてみるか。


「……村上くん。ぶり大根と肉じゃが、どっち食べたい?」

「え!?」

 作業服に着替えていたバイト仲間の村上くんが、ぐるっと勢いよく振り返った。

「……三崎くん、やっとその気になってくれたの……??」

「は?」

「だってその質問。手料理でもてなしてくれるんでしょ!?一回ご飯食べたかったんだよな〜三崎くんと。でもいきなり手料理って……ちょっとうれし恥ずかしくね?」

「……あー、ごめん。村上くんじゃなくってさ……一般論的な質問で」

「なああんだよー。紛らわしい聞き方やめてよね、どうせ彼女だろ〜? リア充はほんっと思いやりに欠けるよな」

「ん、そういうんじゃないよ。……大学時代の先輩が来るっていうからさ」

「ならさー、直接聞いたらいいじゃん? その超セクシーで美人な先輩にさ」

「だから違うって!」

 いや、違ってもないか。セクシーで美人……むしろ合ってる。


 でも、そう言われれば確かにそうだ。早速本人に聞いてみよう。

『今夜はぶり大根と肉じゃが、どっちが食べたいですか?』

 ちょっと間を置いて、返信が来た。

『なんだその質問は』

 え??

 なんか怒らせたか? 気に触るようなこと言ったか??

 一瞬うろたえたところに通知音。

『朝イチからそんなウレシい質問をしないでくれ』

 なんだ、びびったじゃんか!! しかも喜び方意味わかんねーよ。

『……ぶり大根がいいかな』

 結局回答してるし。

『了解です』

『仕事終わったらすぐ向かうよ。ワインがいい?』

『今日はフツーのビールでお願いします!!』

 これも即座に返信する。美味すぎる酒でこの前みたいに変に酔ってはたまったもんじゃない。


 でも、少しは楽しみにしてくれてるのかな、俺の料理なんか。

 どこかくすぐったいように嬉しい。こんな感じ、初めて知った。


「三崎く〜ん、なんでもいいけどさ、仕事中ニヤけるのはやめてよねー」

 村上くんがじとっとした横目で俺を見る。

「村上くん、よく見ろ。俺がデレついた顔してるか? 本当にそんなんじゃないんだからさ」

「……んー。確かにまあそうね。メガネも服も相変わらずダサいし。その様子じゃ、相手は女じゃないか。ちょっと安心した」

「意味わかんねーよ村上くんも」

 バイト先ではダサい自分を貫いておいて正解だ。俺の愛する野暮ったい眼鏡と服装はカモフラージュに最適である。

 そして内心俺も安心した。どうやらデレっとした顔はしてないようだ。





✳︎





「副社長。社長がお呼びです。社長室まで来るようにとのことです」

 内線を取り、秘書の菱木さくらが神岡に伝える。


「わかった、すぐ行く。ありがとう」

 神岡の表情が一気に固くなる。


 社長——彼の父親——と彼は、あまりうまく噛み合っていないのかもしれない。

 その顔つきを窺いながら、さくらはそう思う。

 父親が社長で、自分がそのすぐ下で働くとしたら……少し想像しただけでも息が詰まりそうだ。

 彼は今、両親から離れて一人暮らしをしてるらしい。そうしたくなるのもよくわかる。


 先日、思わぬ無邪気な笑顔を垣間見てから、さくらの神岡の捉え方は少し変わった。


 彼が日々自分たちに見せている固い冷ややかさは、恐らく彼が必死に作り上げた分厚い仮面と鎧なのだ。

 厳しい社会を渡るために、それは必要な装備だったのかもしれないが——

 その内側には——柔らかくて寂しがりな少年が隠れている。

 そんな気がする。


 ——きっと、大丈夫。……頑張って。

 視線を少し落として部屋を出て行く後ろ姿を見送り、さくらは心でそう呟いていた。



「失礼します」

「樹、来たか。座りなさい」

 社長室を訪れた樹を、社長の神岡充かみおかみつるは穏やかに迎える。


「——どのようなご用件でしょうか」

 無表情のままソファに座り、樹は事務的な声で父にそう問う。

「12月も半ばになったな。第3四半期も間もなく終わる。

今年度、ここまでの我が社の収益の推移は——お前も知ってるな?」

「はい。——緩やかながら、下降を続けています」

「その原因を、お前はどう思う」

「現在、問題点の洗い出しと改善策の検討を進めています。今月中にある程度の方針を打ち出せればと」

「——模範解答だな、今日も」

「……」


「どうしたらいい?」

「は?

 ——ですから現在検討中だと……」

「そうではない。

 自分なら、どうしたいのか……そう考えたことはあるか、樹?」

「……年度当初に社長の示した経営方針を念頭に置くのが当然ではないかと」


 充は軽いため息をつく。


「——ところで。

 二階堂商事のお嬢さん——美月みづきさんとお付き合いを始めて、半年ほど経つな。

 彼女とは、いいお付き合いができているか」


「なぜ突然、全く無関係な話を?」

 樹は険のある顔で充を見据える。

「無関係ではない。——美月さんを大切にしているか?」

「——元々あなたに勧められた話です。当然、大切に思っています」


 充は表情を僅かに和らげた。

「……お前には、自分に足りないものがまだわかっていないんだな。

 お前の能力は優れている。私の後を継いでも、充分に我が社を回していく力は備わっている。

 しかし——今のお前には、決定的に欠落していることがある」

「そういうお話でしたら、ここではなく、また別の機会にお伺いしたいのですが。——父さん」

 樹は、微かな感情の色を乗せた視線で充を見た。


「……そうだな。

 だが——私からお前にそれを教えるのではなく——お前が自分の力で、そのことに気づいて欲しいのだ。

 私が何を言っても、お前の耳には響かないだろうからな」

「では、その件についてはまた改めて。

 この後の予定もありますので——失礼します」


 硬い表情のまま部屋を出る樹の背を、充は静かに見つめていた。





✳︎





「お疲れ様でしたっ!」

 さあ、俺には次の仕事がある。バイト終了と同時にGSを飛び出す。急いで買い出しと料理にかからねば。


 部屋はいつもマメに掃除してるし、片付いてる。片付け嫌いな神岡が脱ぎっぱなし、やりっぱなしでもいいのだ。その辺の世話も俺の仕事なのだから。

 俺に与えられた期間は3ヶ月だ。とにかくその間は、神岡のために全力を尽くすのだ!


 帰宅してすぐ米を研ぎ、炊飯する。

 大根は面取りをする。今日は出汁も上等なのを引いておくか。ぶりは湯引きをして臭みを抜く。下ごしらえはよし。しっかり煮付けたいが時間がないから、圧力鍋でいこう。

 温かい汁物が欲しいので、豚汁がベストだろう。これは無造作に作っても美味いからまあ気楽に。野菜を切り、肉と一緒に火にかける。

 揚げ出し豆腐は酒のつまみにもなってちょっと高級感も出せる。これも出汁が大事だ。豆腐はレンジにかけて水切りして……と。

 さっぱりとした味わいの野菜料理は、ほうれん草のおひたし。色よく茹で、あく抜きをしっかりと。

 うん、よしよし。予定通り完成しそうだ。

 風呂も準備完了。彼のルームウェアなど私物は彼のクローゼットや引き出しに入ってるようだから、その辺の判断は彼にしてもらおう。


 とりあえず準備も落ち着いたところで、呼び鈴が鳴る。


「お疲れ様です」

 ドアを開けると、相変わらず惚れ惚れするようなコート姿で、少し疲れた様子の神岡が微笑んだ。

「お邪魔するよ」


「——あ……どうぞ」


 ……おい!

 そういう色気でドキッとしてんじゃねーよ俺!!

 仕事はこれからだって!そして犬ネコ的スタンスを忘れるな!!


「——あ、ビール買ってきていただいてありがとうございます。持ちましょうか、バッグも」

「ん、ありがとう。じゃビール冷蔵庫入れといてくれる?……なんか今日は疲れてさぁ」

 そう言いつつコートを脱ぐと、彼はどこか気怠そうに、美しい指でネクタイを緩める。

「……風呂、準備してありますから」

「ほんと? それは嬉しいな。じゃのんびりしちゃおうかなー」


 そんな話をしながら浅く微笑む神岡に急速にドギマギしながら、彼のビジネスバッグを受け取る。


 なんだろう? この前よりもフェロモン倍増してるような気が……彼の緊張が解け始めて、その隙間から漏れるのだろうか?

 疲れで少し乱れた様子も、なんだかやたらに色っぽくて——


 ——もしかしたら……

 彼の犬ネコを貫き通すのは、思ったほど簡単じゃないのかもしれない——。


 俺は、そんなざわつきが再び動き出すのを、じわじわと感じ始めていた。




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