期限
「——そうだ。ボクのお気に入りの静かな公園があるんです。そこで食べましょうか。混んでる店よりずっといいですね」
宮田の提案で、結局適当なカフェのサンドイッチとコーヒーをテイクアウトして外で食べることにした。俺的にもありがたい展開だ。
大きな通りを少し外れた住宅街の奥の、人気のない公園だ。
日当たりの良いベンチを選んで座る。
「気持ちいいでしょう? たまには外の空気吸わないとね」
「そうですね……」
警戒心が働き、どうしても無口になる。あっちが勝手に誘ったのだから無理に話題を探す必要もないが。
「今日の服も素敵ですね。ネイビーのVネックセーターに細身の黒のジーンズ、カジュアルな黒のジャケット。シンプルだけどとてもセンスがいい。三崎さんのチョイスですか?」
「ええ、まあ……今日はあったかいし、ちょっと軽装で来ちゃいましたけど」
嘘だ。買ったのは神岡だからね、全部。
「ところで、新生活はどうです?」
違和感なくさらりと聞いてくる。
「え……うーん、どうかなぁ……まあ、早めにちゃんと自立した生活始めなきゃとは思ってるんです。あまり神岡さんにお世話になってるのも申し訳ないですから」
俺は、建前上の「リストラされて生活に困って神岡を頼ってきたヘタレな後輩」をイメージしながらそんなことを返す。
「そうですよね。いくら神岡さんが慈悲深くても、もう立派な大人の男がセレブな先輩に養われてるなんて、ちょっとね……っていうか、なんか変ですよね? 美容室の支払いも彼が持つなんて、随分VIP待遇で。驚きましたよ」
「あー……そうですね。なにぶん一文無しで」
適当に浅く笑っておく。
「で……養われるお礼に、彼に見返りとかは?」
「……ん?」
思わず地の声で聞き返した。
「だって……ひたすらタダで彼に食べさせてもらってるの? 三崎さん」
「……すみません、俺ほんとに頭足りないから、全然気が利かなくて」
頭を掻きながらごまかす。一体何を聞き出したいんだろうこの男は?
「ふうん……そんなに美味しそうなのに?」
「は?」
「いや、あなたのサンドイッチがね。ボクもそっちにしたらよかったなあ」
ははっと笑ってコーヒーを飲み干す。この意味不明な会話を早く終わらせたい。俺もサンドイッチを一気に頬張った。
「あ、時間だ。休憩時間短いですよね。そろそろ行きましょうか。ちょっと公園のトイレ寄っていってもいいですか?」
「じゃ俺も」
やれやれ。俺も用足しを済ませる。さっさと帰ろ。
「——じゃ、俺もう行きますから」
まだ個室トイレに入ってる宮田に声をかけた。
「あの……三崎さん……」
「はい?」
「すいません……カミ、あります? ペーパーきれてるみたいで」
「あ、ありますよ」
「スミマセン、助かります」
トイレのドアが僅かに開いて、手が伸びる。
ポケットティッシュを渡そうとした瞬間——ぐいっと腕を掴まれ、個室の中に強引に引き入れられた。
「———!!?」
「三崎さん、ずるいなあ。キミがあんまり話をはぐらかすからいけないんだ」
「は、はぐらかすって、何の……」
「しらばっくれないでよ。キミ、こういうの慣れてるんだろ?——ボクにもちょっと味見させてよ」
そう言いながら宮田は俺を乱暴に壁に押し付け、両手首をきつく押さえつけると首筋にべったりと鼻を寄せる。
「ほら、こんなに美味しそうなニオイさせて……キミさ、実はウリ専だろ? 金のある男のとこ渡り歩いてヤラせて金もらうってヤツ。色仕掛けで神岡さんに取り入って、毎晩いろいろさせてよがってんだろ?」
「はぁ!?……ふざけるな! 彼とはそんな関係じゃ……!」
「でもさ、ボクもキミみたいな子ならぜひお願いしたいんだよね。
肌、ほんと綺麗だよねえ。小生意気で気の強いとこもそそられるなあ。嫌がるの組み伏せて、思い切り泣き叫ばせたくなる」
個室の隅にズルズルと追いやられた。
逃げ場のない状況で、セーターの中に手が乱暴に入ってくる。抵抗したくても、予想外の腕力にギリギリと押さえ込まれ、自由に身動きが取れない。
左胸の突起に冷たい指の刺激を感じ、ビクッと全身が震えた。
「あ……! や、やめ……っ!」
「ここさ、滅多に人来ないんだよね。騒いでも無駄。大人しくしてくれる?」
宮田は突起をやわやわと弄りながら俺の首筋を唇でなぞり、楽しそうに責め立てる。
「あー、なにこの鎖骨。超エロい」
Vネックから覗く胸元の肌をきゅっと吸われ、思わず身体が慄く。
未経験のゾクゾクとした感覚が全身に絡み始める。
「——頼む。
頼むから、やめてくれ——!
これが、あんたの目的なのか——!?」
必死に身をよじって抗いながら、俺は宮田に問い返す。
情けなく声が上擦った。
「いい質問だね。実は、ほんとの目的はコレじゃない」
彼は平然と落ち着いた声音で答える。
「キミに消えて欲しいんだよね、神岡さんの前から。ボクの望みはそれだけ」
漸く唇を肌から離して俺を見据える宮田の目には、尋常じゃないギラギラした色がちらつく。
「……でも、この様子じゃ、キミは男からこういう扱いされるのは慣れてないね?
ってことは、マジでただのヘタレな後輩?」
「……ウリ専とかなわけないだろ……いい加減にしてくれ……」
「……ふうん……」
宮田の手が、するりと俺の身体から撤退していく。
「なら、百歩譲って君の話を信じるとして。いつまで彼にくっついてる気?」
「……なんでそれにこだわる?」
「鈍いねえ。彼に誰も寄せ付けたくないからに決まってるだろ?」
俺は、改めて宮田を見た。
彼は、一切動揺のない普段通りの笑顔を返す。
——この男は、神岡に惚れてるんだ。
異常なほどに強い執着心で。
じゃなければ、俺にレイプ紛いの嫌がらせなんかするはずがない。
「彼が惹かれるのは、女よりも男さ。ボクと同じ匂いがするから間違いないよ」
「——神岡さんには、婚約者がいる。知らないのか」
「知ってるよ、もちろん。でも彼は婚約者には惚れてないことも知ってる。スタイリング中の彼女との電話のやりとりなんかを聞いてれば、そんなのはすぐわかる。
それよりボクが恐れてるのは、ボクじゃない誰かに彼が本気で惚れるっていう状況だ。——さっさと消えないと、ボクも次は手加減しないよ」
「今みたいな乱暴働いちゃ、あんたの人生この先真っ暗だろ」
「君にも被害者っていう傷が残るさ」
尋常でないやり取りが続く。
「あの部屋にいる期限を決めろ。今ここで」
宮田が低く唸る。
「——3ヶ月。それ以上は神岡さんにも迷惑をかけない」
売り言葉に買い言葉で、思わずそんな言葉を返していた。
「そう? なら決まり。今12月だから……3月までってことだね」
「そうだ。——それまでは、こういうふざけた真似はしないでもらいたい」
「キミこそ、彼に手ェ出さないでよね? それから、彼に誘われてももちろん断ってくれなきゃね」
「しつこいよ。あんたと違って俺は男に興味はない」
「あーー、やばい、遅刻しそうだ。
今日のことは、神岡さんには内緒だよ? ちなみにボクの住んでるマンション、君んとこのすぐそばだからさ。君の様子ちょいちょい見に行ってあげるよ。じゃこれからも仲良くしようね!」
彼は何事もなかったように、にっと笑って手を振ると爽やかに店へと走り去った。
✳︎
気がつけば、へとへとだった。
あんなふうに男に身体を好きなように弄られるなんて、これまで考えたこともなかった。
——左胸の変な疼きがしつこく残り、取れない。指先が微かに震える。
治まらない動揺と、屈辱的な悔しさ。
混乱して渦を巻く思いをどうにもできないまま、部屋に帰り着いた。
「あ、柊くん、おかえり!」
部屋に戻ると、神岡がソファで俺を振り向いた。
「あれ……神岡さん、どうしたんですか」
「いや、ちょっと仕事の合間の時間ができたからさ……」
そんなことを言いながら、彼は何やらビジネスバッグからごそごそ取り出した。
「じゃーん!! 君に早く渡したくてね」
「……俺にですか?」
なんだか可愛らしい、パステルカラーのラッピングの紙袋だ。
「開けてみてよ」
「はあ……」
リボンをほどき、開けてみる。
「——えーっと、これは……」
「そう! ラバーグローブだよ〜」
……うーーん。つまり、ゴム手袋ね。
こういうとこがド変人なんだよな、やっぱり。
でも……デザインがすごくおしゃれだ。ゴムっぽい艶を消した、かっこいい黒。外国の消防士がはめるみたいな、スタイリッシュなゴツさ。
ん、英語で何か言葉がプリントされている。
"DON'T WORRY, EVERYTHING GONNA BE ALL RIGHT!"
(心配ないよ、すべてうまくいく!)
思わず、じわっと目が熱くなった。
なんで、ゴム手袋で泣くんだよ、俺。
さっきの緊張が、この瞬間で一気に緩んでしまったらしい。
「……どう? 気に入ってくれた?」
神岡が、マジで心配そうに俺の様子を窺っている。
喜ぶわけねーじゃん、洗い物よろしくって。
そんな悪態もつけず、俺はじわじわと滲んだ涙を隠して呟いた。
「——嬉しいです。すごく」
「……気に入ってもらえた?
ならよかった! いろいろ迷って選んだ甲斐があった。僕もすごく嬉しいよ!」
俺は、そんなことを言いながら心底嬉しそうに俺を見る神岡に——思わず抱きつきたい衝動を必死にこらえていた。
彼に、今日あったことを話すのはやめよう。
そして——
3ヶ月という期限の中で——俺はここで、何かを見つけていこう。
きっとそれが、一番いい。
俺は、不思議とそんな静かな気持ちになっていた。
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