エリート変人と麗しき変人の奇妙な契約

aoiaoi

これは仕事?それとも——ナニ??

「窓をお拭きしますね〜」


 俺は、フリーターだ。どこにでもいるGS《ガソリンスタンド》スタッフである。


 三崎みさき しゅう。24歳。この春にA大学理工学部建築学科大学院を卒業した。自分で言うのもなんだが、相当なエリートである。

 しかし、現在俺はフリーターだ。

 なぜか。


 普通に就職することに、疑問を感じた。

 学生時代は言われるままに学び、学生時代が終われば言われるままにサラリーマンになる。

 なんだそりゃ?と、修士2年になったある日、ふと思ってしまった。

 やや細身の中背にメガネという平凡な見かけとは裏腹に、中身は結構変わり者である。


 研究室の教授などからは幾つもの求人を紹介されたが、丁重にお断りした。

「キミはこれから何を目指すんだ?どう考えてももったいないだろう」

 一流企業の求人枠を断ったとき、お世話になった教授はため息をつきつつそう言った。

「え〜……なんなんでしょうね」

 俺はいい答えが見つからず、太い黒縁メガネのブリッジを人差し指で押し上げた。

「おいおい……しかし、まあキミらしいけどね。ウチは結構変わり者が多いんだよ、毎年。……いずれにしても、キミの探し物が早く見つかることを祈ってるよ」

「探し物……そうですね」

 社会人になってしまう前に、全く未知の何かを覗いてみたい。

 俺の気持ちは、漠然とそんな感じだった。



 家庭教師等々のアルバイトは、卒業と同時にやめた。家庭教師の時給は有名大学になるほど高く、数件掛け持ちすれば大卒の一般的な初任給よりずっといい月収が得られたのだが、学生時代と同じことをしていても何も始まらない。

 卒業してすぐ、俺は自分のアパートからほど近いGSのアルバイトへ応募した。

 店長は、俺の履歴書を見て目を丸くした。

「……こんなすごい履歴書で、なんでウチなの?」

「車が好きなんです」

「……ふうん。変わってるね。……まあいいか、ウチとしては有り難いよ。まじめそうだし、キミ笑うとかわいいし。ウチはフルサービスのGSだけど、車好きなら仕事もすぐ覚えてもらえそうだ。

 僕は店長の沢木だ。よろしくね、三崎君」

 俺の父親くらいの年回りだろうか。ガタイがよくて人の良さそうな店長は、温かい笑顔でそう言った。


 就職について、親をごまかすのは簡単だった。

 それぞれ建築デザイナーとしての仕事を持ち、自分たちのことで手一杯な両親だ。親から「〜しなさい」と言われたことは、生まれてこのかたついぞない。俺の超マイペースは、恐らくこの親の影響だろう。

「小さな設計事務所に採用された」と適当に伝えると、「おめでとう!」「頑張れよ!」と一言ずつ返ってきた。ありがとう父さん母さん。さあ何を頑張ろうかなぁ。


 そして半年が過ぎ。

 GSの作業服もガソリン臭さにも、だいぶ慣れた。

 キャップを取り、爽やかに突き抜けた秋の青空を仰いで深呼吸する。


 車が好きだ。

 優雅な流線型のセダンや、見るからに頑強な四駆。車のフォルムは、非常に豊かな表現力を持って造形されている。車の美しい輝きを見ていると、いつしか満たされた気分になる。GSでアルバイトをしているのは、そんなどうでもいい理由からだ。

 ——しかし。

 こんなのんきなフリーター生活の中で、いつか何かに出会えるのだろうか?

 さあ、どうなんだろう。

 俺の中で、「これからどうするか」という問いかけが、だんだんと膨らむのを感じていた。


 そのとき、視界に美しい車が入って来た。

 シルバーのメルセデス・ベンツCクラス。

 そういえばこの車、時々このGSに来る。これまでにも3度ほど見かけた。来るたびに、その美しさに見蕩れてしまう。


「いらっしゃいませ」

「今日は車内の清掃を頼みたいのですが」

 車の持ち主が、窓を開けて言った。

 いつも車ばかり見ていたが、主に声をかけられたのは初めてだ。

「かしこまりました。清掃の間、しばらくお車をお預かり致しますので、その間店舗内でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「わかりました。ではよろしく」


 男は、ちらりと腕時計を見てから、ドアを静かに開けて外に立った。

 すらりと引き締まった長身に、一目で分かる上質な生地のスーツ。腕時計も靴も、おそらく一流のブランドのものだろう。俺より少し年上だろうか。物腰も仕草も、品のいいオーラを纏っている。


 その後ろ姿を見送りながら、一緒に清掃に入る村上君が憧憬のまなざしで呟いた。

「あの車の持ち主、かっこいいよなぁ! ちょっとクールで冷たそうだけど、そこがまたいいよね……オーラがなんか違うよな。何やってる人だろ?」

「ん、かっこいい……? そうだった?」

「三崎君、さっきあの人と話してたじゃん! 一体どこ見てんだよ?」

「車とスーツと、腕時計と靴」

「キミさあ……まあ、そんなとこが変わっててキミらしいけどさ」


 俺は、大抵の人から「変わっている」という評価を受ける。自分でも変わったヤツだと自己評価しているから、その点は少しも異論はない。

「そんなことより仕事しよ。こんな高級車触れるなんて幸せだよな〜」

「うん、そうね……三崎君のシアワセ取っちゃ悪いから、俺は休憩してようかなあ」

「店長に告発して減給してもらうぞ」

「うえ〜冗談冗談」

 車内はキレイで、掃除の必要もないと思われるほどだった。だが手は抜かず、マニュアル通りに清掃業務を行う。

 品のいい仕様の車内に、ほのかで穏やかなホワイトムスクの香りが漂っている。

 なんて心地いい空間だろう。


 半ば夢心地で作業をしていた俺の耳に、店長の声が入って来た。

「三崎君ー。ちょっといいかなぁ?」

「はい?」

 業務中に、何の用だろう?

 もしかして、何か仕事ミスったかな…?

 微妙な焦りを感じつつ、俺は店長に呼ばれるまま店舗の中へと戻った。


「ああ、三崎君ちょっと……キミに話があるって……あのお客様が」

 店内に入ると、店長がちょっと戸惑い気味な顔で俺に囁く。

「は?? 誰が……」

「時々ウチを利用してくださるお客様なんだけどね……いつもなんか近寄り難い空気で緊張してたんだけど、やっぱりすごいお偉いさんだよ……君、まさかあの人に何か失礼とか、失敗とか……しちゃってないよね!?」

 店長が恐る恐る示す方を見ると。

 さっき噂をしていた、あの車の持ち主が——喫茶スペースの椅子から立ち上がって俺に会釈をすると、表情を変えずにその長い脚で大股に近づいて来た。

「初めまして、三崎さん。僕はこういうものです」

「神岡工務店……副社長……神岡樹かみおかいつき……??」

 男が差し出した名刺を見て、俺は瞠目した。

 神岡工務店って……あの、一流住宅メーカーの??


「あ、あの……ウチの三崎に、何か落ち度でもございましたか? スタッフのミスは全て店長である私の責任で……!!」

「あ、いいえ、違うんです。実は今日は、三崎さんにある契約の申し込みをしたくてここにお邪魔したんです」


 ……契約? こんなお偉いさんが……一体何の??


「ええっと……俺と契約って……どういうことでしょう?……話が全く呑み込めないんですが」

「驚かせてしまって申し訳ありません。……ですが、とても大切な用件なので……

 もしよろしければ、少し場所を変えて、ちょっとした面接をさせていただければと思うのですが……いかがでしょうか?」

 その男は、そう言って初めて微笑んだ。


 その瞬間、村上君のさっきの呟きが、初めて俺にも納得できた。

 ——彫りの深い顔立ち。

 凛々しく整った眉。まっすぐに通った鼻筋。

 くっきりとした二重の、明るい茶色の瞳。

 美しい輪郭の艶やかな唇。

 高い知性の漂う端正な容姿が、微笑んだ瞬間、少し幼くほころんだ。


 柔らかそうな栗色の髪が額にかかるのを、美しい指が何気なく搔き上げた。

 その指の通った跡から、言い得ぬ色のオーラが匂い立つ。


 それは誰もが目を奪われる、魅力に溢れた美しさだった。


「あの……」

「あ、三崎君、バイトは抜けても大丈夫だからね? 神岡さんとじっくりお話して来たらいいよ」

 店長の余計な親切に、神岡はにっこりと微笑んだ。

「ご理解いただいてありがとうございます、店長。あと、もしできましたら、バイトへ応募の際に三崎君から提出された履歴書を今だけお借りできたら、大変有り難いのですが……」

「あのー……そういうのはまず俺の許可とってからじゃないですか、神岡副社長?」

「いーじゃないか三崎君。一流企業の副社長さんのスカウトなんだし、願ってもない話じゃないか? それにあんな立派な履歴書、額に入れて飾ってもいいくらいだワハハ!」

「そういう問題じゃなくて……」

「三崎君、安心してください。私は履歴書の情報を悪用したりは決してしません。ただ、採用面接にはどうしても必要なのでね。では店長、彼を少しお借りします」

「面接受けるなんてまだ言ってないです!」

「ええ、どうぞどうぞ。幸運を祈るよ、三崎君」

「………」


 こうして、さっぱり状況を呑み込めないまま、俺は神岡という美貌の副社長に連行されることになったのだった。



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