第9話 八人目・飴耳のお客様

「……大丈夫かな」

 不安な気持ちで目の前の看板を見つめ続ける。

『椎名耳かき店』

 最近増えている耳かき店の1つ。

 エステ系でも、膝枕系でもなく、あえて言うなら理容店系とでもいうべきだろうか。

 その点はいいのだ。そこはいいのだけど……。

「飴耳だと無理かな」

 そんな不安が頭の中を過ぎる。

 だが、俺の耳の中も限界だ。

 耳かきを入れれば、ぐにゅっとした感触があり、今もそれが詰まっているようで、気になってたまらない。

「でもなぁ……」

 そう悩んでいると、中から優しそうな雰囲気の女性が出て来た。

「あ、いらっしゃいませ」

 どこかに行きかけていたのか、俺の姿にちょっと驚いたようだったが、すぐに笑顔を向けてくれた。

「どうぞ。ただいま、すぐにご案内できますよ」

「はい、それじゃ……」

 その笑顔に引っ張られるように俺は椎名耳かき店の店内に入った。


 耳かき四十分を注文して、椅子に座る。

 見た目は普通の理容店の椅子っぽかったが、わりと座り心地が良かった。

「イヤースコープなどはよろしいですか?」

 耳かき好きとどこかで見抜かれたのか、イヤースコープを勧められた。

 でも、出来れば画面を見るより、目を閉じてゆっくり耳かきを楽しみたかったので、お断りすることにした。

「はい、無しで大丈夫です」

「かしこまりました」

 店員さんが柔らかい笑顔を浮かべたまま、道具を用意する。

 竹の耳かきと白い綿棒が取り出されるのが見えた。

(綿棒、足りるかな……)

 自分で耳掃除をするときは、いつも綿棒がたくさん茶色くなるので、心配になって来る。

「それでは始めますね」

 こちらの心配をよそに、店員さんが温かいタオルを持って来た。

「失礼します。熱かったらおっしゃってくださいね」

 ほわっとした温かさのタオルが耳に触れて、包むように耳が拭かれる。

(あ~スッキリする)

 耳のふちから、耳の後ろ、耳たぶの後ろまで拭いてくれる。

 タオルを変えて、もう片方の耳裏も拭いてくれて、耳かきをする前からなんだかスッキリした気持ちになった。

(もしかすると、耳裏も少しベタッとしていたのかも?)

 そう想像している間に、店員さんが竹の耳かきを手に取った。


「それではお耳の中をお掃除していきますね」

 耳の入り口に耳かきが触れる。

 そして、耳かきのさじが耳の入り口あたりを撫でるように動いた。

 すす、すすっと耳かきが耳の中で動き、くすぐったいような気持ちのいいような感覚を覚える。

 少しすると、店員さんが耳かきを外に出して、軽くティッシュで耳かきを拭いた。

 そして、また耳の中に耳かきが入り、肩をくねらせたくなるような感覚が耳の中で起きる。

「どこをかいてるんですか?」

「今は耳毛の上をかいているんです。飴耳の方は耳毛に細かい耳垢がべたっとついてしまうことがあるので」

 店員さんがそう答えて、丁寧に耳毛の上を掃除してくれる。

 最初は耳穴の下のほうを。

 それから前横と後ろ横のほうを。

 最後に耳穴の上のほうをかかれた時、自分がほとんどやらない部分に耳かきが触れた。

「飴耳さんは耳穴の上側の毛に耳垢がへばりついていることあるんです。多分、普段触らないのが溜まってそうなっているんだと思います」

 店員さんの解説通り、自分では未知の部分を耳かきが動いていく。

 すすー、すすーっと撫でるように触られ、耳垢がこそぎ取られていくのがわかる。

 穏やかな動きなのに、耳の穴の上側に溜まったものが、どんどん剥がれていくのを感じた。

 店員さんが耳かきを外に出すと、竹の耳かきのさじの上に、小さな茶色の耳垢の山が出来ていた。

 それを軽く拭きとり、竹の耳かきを置くと、店員さんは違う耳かき道具を手に取った。

「すみません、金属の耳かきは大丈夫ですか?」

 店員さんの手にあったのは耳かきのサジ部分に穴の開いた、金属の耳かきだった。

「それは?」

「外国の耳かきなんです。飴耳の方は耳垢の粘着力が強いので、金属のほうが取りやすい時があるのですが、いかがでしょうか?」

 いい悪いよりも、その耳かき自体が気になった。

(こんな耳かきもあるんだ)

 金属耳かきというのは見たことあるけれど、こんな穴が開いた形は見たことが無い。

 わっかのような形になっていて、丈夫そうだ。

 耳かきを見つめた後、俺は頷いた。

「はい、金属でも大丈夫です。お願いします」

「かしこまりました」

 店員さんが耳の中に金属の耳かきを入れると、ほんの少しだけヒヤッと冷たい感触がした。

 でも、耳壁に出来るだけ触らないようにしてくれているのか、金属の嫌な感じはない。

 金属耳かきは耳穴の後ろ斜め上あたりに触れ、耳垢にそのさじが触れた。

「んっ……」

 確実に耳垢に耳かきが触れているのが分かる。

 ぐにゅ、ぐにゅっと耳の中の張り付いた部分が触られているのが伝わって来る。

 動きの感触からこれは大物なのだろうかという思いが過ぎる。

 耳かきが耳垢に触れ、ぐっぐっと引っ張られていく。

 少し苦労しているのだろうか。

 店員さんがかく位置を変えながら、ぐにゅぐにゅと耳垢を動かしている。

 ねちょっという感触がして、耳垢が動きだした。

 ぐにょ、ぐっ、という音が耳の中でする。

 そのまま耳かきと耳垢が外に出るのかと思いきや、店員さんは引っ張るのを一度やめて、さじでまた耳垢をすくうように動いた。


「少し奥もやりますね」

 耳かきが奥に入る。

(まだそんなに取れてないはずなのに、なんで奥まで?)

 不思議に思いつつ、待っていると、ぐにゅうんと耳垢が押された。

 耳垢を押すことで奥への道を作ったらしい。

 そのまま奥まで探るように、耳かきが動く。

 なんで金属の耳かきを使うのかわかってきた。

 しなってしまう煤竹の耳かきに比べて、金属の耳かきはしなることがなく、粘度が高い耳垢に強いのだ。

 ぐにゅ、ぐっ、ぐにゅぐにゅっと耳の中で音がする。

 時々、金属の耳かきの進行方向にある耳壁から耳垢がこそぎ落されて、背中を動かしたくなるような気持ちになった。

 耳かきが金属なためか、いつもよりしっかりと耳の壁から耳垢が剥がされている気がする。

 耳垢が押され、ぐっぐっと押し付けたまま引っ張られ、また少しかかれて引っ張られる。

 その音が意外に長い気がした。

 そして、その長さの理由が最後にわかった。

 ずるずにょにょ、という音を出して、耳垢が外に出てきたのである。

(えっ!)

 思わず首を店員さん側に向けると、耳かきのさじの穴に引っかかるようにして、大きな耳垢が出て来ていた。

 だらんと下がるようにくっついた耳垢は、焦げ茶色に染まっていた。

「お時間が掛かってしまってすいません。実は奥まであったので、取り残しがないよう奥のまでまとめて引っ張り出したんです」

 見ると耳かきからだらんと垂れ下がった耳垢の尻尾のあたりは真っ黒になっていた。

「それも……?」

「はい。耳垢が奥で溜まって色が変化したみたいですが、同じく耳垢です」

 ポカンとした後、耳に触れると、耳がなんだかスースーした。

「耳がよく聞こえる……」

「飴耳さんは耳垢が溜まると、聞こえづらくなりますからね」

 店員さんは金属の耳かきを念入りに拭き、今度は綿棒を手にした。


「残った耳垢は拭いて取って行きますね」

「はい」

 白い綿棒が耳の中に入り、耳の中でくる、くるっと、丸く拭き取るように綿棒が動いた。

 綿棒が茶色く染まり、新しい綿棒が入り、また茶色くなるまで丁寧に耳の中を拭かれる。

「あっ……ちょっとお待ちくださいね」

 店員さんがなぜか綿棒の代わりにまた金属の耳かきを手に取った。

「失礼します……。痛かったらおっしゃってくださいね」

 一瞬だけ耳かきの冷たい感触がして……ヒャッと声を上げそうになった。

「そ、そこは……?」

「鼓膜の手前あたりに黒い耳垢がへばりついているんです。痛くなければ取りますが……」

「だ、大丈夫です。痛くはないです」

 痛くは無いけれど、自分でまったく触ったことのない部分なのでドキドキする。

 耳かきが動いて、ぐにゅ、ぐっと触れられた耳垢が動くのを感じる。

 まったく痛くはないけれど、気持ち良さとドキドキが入り混じって、感覚が鋭敏になり、声が漏れそうになる。

 ぐぐっ……。

 耳かきが手前に動き、剥がれた! というのがわかった。

 その爽快感は大きな耳垢が出た時とはまた違う、こびりついた何かが落ちたような感覚だった。

 耳かきが外に出てくると、付いていた耳垢は想像していたものほど大きなものではなかった。

 でも、茶色みの無い真っ黒で固そうな粘着質の塊を見て、これがどれだけ長い間、自分の耳についていたか、理解した。

「それではローションをつけて拭いていきますね」

 耳用のローションが綿棒につけられ、耳の中が拭かれていく。

 耳の中がスーッとしていき、爽やかな空気を感じる。

 逆の耳もこうなるのかなと期待しながら、俺は耳の中を拭いてもらったのだった。


                           

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