第2話 二人目・耳毛の多いお客様

「もう、お父さんの耳は毛が多すぎて見えません!」


 妻がそう言ってさじ……ではなく、耳かきを投げた。


「そんなに多いかねぇ」


 そう言わずにかいてくれればいいのにという思いを込めて呟く。

 すると、妻が不満そうな表情を浮かべた。


「段々、年と共に耳毛が増えてきてるんですよ。白髪交じりの耳毛が」

 

 耳毛まで白髪になってきたかと苦笑しつつ、立ち上がる。


「それじゃ仕方ない。床屋にでも行ってくるわ」

 

 最近は安い1000円カットばかり行っていたが、昔、良く行っていた床屋がある。


「あの床屋、耳毛剃りうまかったからな」


 靴を履いて出ようとすると、妻が見送ってくれた。


「車には気を付けて。いってらっしゃい」

「いってくるよ」


 私は店の場所を思い出しながら、床屋に向かった。


「おや……」


 床屋があった場所を見上げて、私は首を傾げる。


『椎名耳かき店』

 

 店の看板にはそう書かれていたのだ。


「おかしいな……」

 

 しかし、店構えは昔の面影がある。

 首を傾げたまま、私は店の扉を開いた。


「いらっしゃいませ」

 

 扉につけられた鈴の音と共に出てきたのは、二十代半ばくらいの女性だった。


「あの、ここ確か床屋だった気がするんですが……」

 

 私の問いかけに女性は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「すみません。実は事情がありまして、今は耳かき店になっているのです」

「そうなんだ。それは残念だな……耳毛剃りと耳かきをしてもらおうと思ったのに」

 

 せっかく来たのにと落胆していると、女性は柔らかい微笑みを見せた。


「それでしたら、大丈夫です。私、理容師ですので、耳毛剃りも出来ますよ」

 

 もちろん耳かきもです、と付け加えて、女性はメニューを見せてくれた。


「それじゃ、この耳毛剃りと耳かきを」


 メニューを決めると、席に案内された。

 そこにあった席は、前に見たことのあるものだった。

 古いものだが、よく手入れされている。


「では、こちらにどうぞ」

 

 席に座ると、女性が器具を用意し、椅子を少し斜めにする。

 用意されたものを見て、懐かしさを感じた。


「それは前から使われていたものだね?」

「はい、両親が使っていた穴刀です」

 

 薄い鉄の棒のようなそれを何度か見た覚えがある。


「そうか、穴刀というのか」


 そう呟きながら、準備を待つ。

 穴刀はよく手入れされているのか、サビもなく、キレイな輝きを放っていた。


「それでは始めますね」


 女性が私の耳にそっと手を触れた。

 その手はあたたかく、少し、緊張が緩む。

 

 薄く小さな剃刀がまず耳たぶに当てられた。

 そして、撫でるように優しく剃刀が動く。


 すっ、すっと数回動いた後、今度は剃刀が耳のふちを剃り始めた。


「そんなほうまで耳の毛が生えてますか?」

「そうですね」

 

 さらりと答えられたが、耳のふちまで耳毛が生えていたと思うと恥ずかしい。


「自分では見えないもので」

「見えないし、見えても剃りづらいですよね」


 女性は否定せずに、そう同意してくれた。

 そして、次に耳の穴の入り口に剃刀を当てた。


 耳たぶ側のほうの耳穴で、自分でもそこは耳毛が生えているだろうと分かる場所だった。

 剃刀の動きも明らかに撫でるとかではなく、剃る作業になっている。


 さっと剃刀が動き、それが何度か繰り返されると、耳のその部分が涼しくなった気がした。


「なんか……年を取ってからそんなところに毛が生えるようになっちゃって。女房には耳掃除がしづらい言われちゃいましたよ」

「どうしても耳の毛があると、耳壁が見づらいですからね」


 女性は控えめな表現で返事をし、耳穴の入り口にある毛を丁寧に剃ってくれた。

 その手元を見ると、剃刀が集めた耳毛がティッシュの上に落とされていた。


(わりと剃れるもんだなあ)


 ティッシュの上には産毛のような薄い毛がたくさんあり、さらには耳穴の入り口で剃られたしっかりとした毛がいくらか置かれていた。


「それでは中のほうをやっていきますね」

 

 女性が穴刀を手にし、耳を軽く引っ張る。

 そして、冷たい穴刀が耳の中に入ってきた。

 

 チョリチョリというか、シャリシャリというか。

 そんな音が耳の中でする。


 それと同時に何か耳の中がスッとする感覚に襲われる。


「耳毛、結構ありますか?」

「ええ。耳の毛は耳垢を排出するために大事なものではあるのですが、外から見える部分は少し剃ってしまったほうがいいかもですね」


(外からそんな見えるのか)

 

 また恥ずかしくなりながら、耳毛を剃ってもらう。

 ショリショリ、シャリシャリ……。

 

 耳の中の壁を冷たい穴刀が通っていく。

 その度に、こそばゆいような気持ちいいような感覚が耳の中から発せられる。


 横目で見ると、耳の中から出た穴刀に集まった耳毛が乗っていた。

 ふわふわとしたものから、ちょっと固まったようなものまでいろんな耳毛がある。

 その耳毛をティッシュに落とし、再び、耳の中に穴刀を入れる。


 ショリショリ、チョリチョリ……。


 何度かその作業を繰り返した後、女性が綿棒を手に取った。


「穴刀で取り出しきれなかった耳毛をこれで取っていきますね」

 

 耳の中に綿棒が入り、耳壁を優しく撫でる。

 そして、耳の中から毛を払うように、すっ、すっ、と綿棒が外に動いていく。


「なんだか耳のかゆみが取れていく気がします」

「耳毛を剃ったことで、耳の毛についた耳垢が取れたからだと思いますよ」


 女性に言われて、剃った耳毛を見ると、毛に細かな耳垢がたくさんついていた。

 そして、女性が穴刀を置く頃には、耳の中がかなりスッキリしていた。


「ああ、数年ぶりに耳の風通しが良くなった気がします」

「それは良かったです。それでは耳かきをしていきますね」


 女性が竹で出来た耳かきを手に取る。

 耳毛の減った耳の中から、どれくらい耳垢が取れるのか。

 ちょっと楽しみに思いながら、軽く目を閉じた。


                    (終)

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