第3話 三人目・大きな耳垢のお客様

 耳かきを入れるとバリバリっと音がする。

 それを繰り返して今日で5日目。


「ああっ! もう!」


 俺は苛立ちを覚えながら、耳かきを置いた。


「音はするのになあ」


 小指を耳の中に入れると、やっぱり耳垢に触れる気がする。

 しかし、触れはするのに、取ることができない。


「もしかして、逆に押し込めているのか?」


 なんか耳かきをいつもしていると、耳垢を奥に押し込んでしまっているとテレビでやっていた気がする。


「どうしたもんかなぁ……」


 また気になって小指を耳に入れかけるが、それをするとまた耳垢を押し込んでしまいそうで、慌ててやめた。


 痒い耳を抱えながら、その日は眠りについたものの、次の日もやはり痒かった。


「う~ん」


 昼食時も気になって、思わず耳を手の平でトンと叩く。

 すると、一緒に昼食に来ていた若手の部下が目をぱちくりさせた。


「どうかしたんスか?」

「ああ、ちょっと耳の中が気になってね。耳垢が溜まってるんだか何だか……」


 どうせこんな話には興味ないだろうと思ったが、部下は意外なことを言い出した。


「そんじゃ耳かき屋行ってみたらどうっスか?」

「耳かき屋?」

「そうそう、なんかうちのじーちゃんが行ってんスよ。昔、床屋だったところで~」


 そういえば昔は床屋で耳かきをやっていたとか親父が話していたのを思い出す。


「床屋の耳かきか……」


 呟きが低かったせいか、気乗りしないのと勘違いされたらしく、部下が身を乗り出してくる。


「あんま高くないそうだし、それにそこのお姉さん美人らしいッスよ」

「美人?」

「あ、そんなスゲー美人とかじゃないっスよ。おっとりした感じのナゴミ系っつーやつみたいな」


 箸を振りながら部下がそう説明する。


「なんか両親が床屋してて、それ継いで耳かき屋始めたらしいとかじーちゃん言ってました」

「珍しいな。若い女性理容師なのか」

「そっスね。あ、そういうお店じゃないから、そっちのサービスは無理らしいっスよ」


 ニヤッと笑う部下に、そんなことは期待してないよと苦笑いを返す。

 でも、店自体は気になったので、教えてもらうことにした。


『椎名耳かき店』


 ちょっとおしゃれな郊外の床屋といったお店にそう看板が掲げられていた。


「いらっしゃいませ」


 店に入ると、20代半ばくらいの女性が迎えてくれた。

 部下の言っていた通り、おっとりとした柔らかい印象の女性だった。


 目が覚めるような美人ではないが、優しさを感じる雰囲気美人といったところだろうか。

 店内もやはり床屋のようで、傾くタイプの椅子と、後はモニターが備え付けられていた。


「耳かきをお願いしたいんだけど……」

「はい、かしこまりました」


 女性がメニューを見せてくれて、シンプルな耳かきメニューを頼んだ。

 他のメニューも気になったが、とにかく今は耳垢を取ってほしかった。


「どちらから始めましょうか?」


 椅子に座ると女性にそう尋ねられた。


「左の方からお願いします。もう気になって気になって」

「かしこまりました」


 左耳を上にして寝転がると、耳の中に光が当てられた。


「ああ」


 女性の小さな呟きを聞いて、思わず尋ねる。


「ついてますか?」

「はい」


 短く答えると、女性が耳かきを手に取り、声をかけてきた。


「それでは、耳かきを入れますね」

「はい」

「普段は外側から始めるのですが、これは大きいので……取るのに集中します」

「お願いします」


 緊張しながら耳かきの侵入を待つ。


 バリバリッ!


 耳かきが耳垢に触れるだけでそんな音が響いた。

 その音を聞いて、背中がムズムズする。


「これですね」

「あ、はい」


 返事を返すと、店員の女性がその耳垢をかき始めた。


 カリカリ、バリバリカリ。


 この数日、あるとわかっているのにどうしようもなかった耳垢が、正確にかかれる。

 その心地良さに口が開きっぱなしになる。


(そう、それだよ、それ……)


 カリカリ、シャリシャリ。


 自分でやるときはつい早く取りたくて、かきかたが強くなりがちだ。

 しかし、女性の耳かきは優しく細かく丁寧にかかれていく。


 カリカリ、ずず……、シャリシャリ……。


 女性の耳かきが、的確に耳垢を動かし、その度に背中に痺れのようなものが走る。


「取れそうですか?」

「はい。でも大きいので、少しお時間をください」


 耳かきが耳垢の下の方に入る。。

 その感触に、手をぎゅっと握って我慢しながら、耳垢の除去を待つ。


 ゆっくりと耳かきが耳垢をかいて、耳かきの入る道を作っていき、そして、耳垢をすくい上げるように動き始めた。


(ああ、剥がれそう……)


 そのまま耳垢が取られるのかと思ったが、耳垢が少し浮いたところで、先ほどとは逆の位置から耳かきが入った。


「こちらからも取っていきますね」


 カリ、カリ、コリ……。


 ちょっと引っかかりがあるのか、コリッという音がする。


「ちょっと根元が硬いようです」


 女性が耳を少し後ろに引っ張り、中を覗きこむ。

 何が起きてるのか緊張でドキドキする。


「ここ……ですね」


 耳かきが耳の中でくるっと動き、それと同時にカリッと高い音がする。


「あっ……」


 何かが剥がれた感触がして、動きかけたが、そこを女性に止められた。


「ちょっとだけ動かないで頂けますか? 耳垢を取り出しますので」


 女性は真剣な声でこちらに言うと、耳かきを置いて、ピンセットを取り出した。


「あ、はい。すみません」


 そう謝って大人しくする。

 すると、耳の中にピンセットの冷たい感触が入ってきた。


「ピンセットで耳垢を取るんですか?」

「はい。耳穴の大きい方だと、このほうが耳垢が中に落ちずにしっかり取れるので」


 そう返事をしながら、女性が少し耳のふちを後ろに引っ張る。

 そして、耳の中をじっと見つめ、ピンセットで耳垢に触れた。

 

 パリッという音がすると同時に、ピンセットが耳垢を掴んだのか、ピンセットが動き、ずずっと何かが耳の中から引きずられる感覚がした。


「少しの間、動かないで下さい」


 緊張感のある声に、大人しく従い、じっとしていると、ずずっという音がさらに耳の中に響き、最後にボコッと耳の中の水が抜けたような感覚がした。


「出ました」


 そう掛けられる声が今までよりよく聞こえる気がする。

 女性が小さなティッシュの上に、取ったものを乗せてくれた。

 そこには少し茶色くなった薄い大きな耳垢があった。


「大きくて薄い耳垢だったんですね」

「はい、こういうのって、意外に耳の中で気になるんですよ」


 確かにまるで鼓膜がそのまま出て来たのかと思うような、1cm以上ある薄く伸びた耳垢だった。

 これだと触ったら確かにバリバリっという音がするだろうなと納得する。

 俺が体を起こそうとすると、また止められた。


「あ、まだあるんです。ちょっとお待ちください。もう一度、取りますので」


 女性が再び、耳の中にピンセットを入れる


 つつ……ズルズル……。


 耳の中でそんな音がして、また何かが耳の中から出てくる。

 今度は細長い耳垢だった。


「こんなもの入っていたんですか?」

「大きな耳垢の奥にさらに入っていたんですよ」


 薄い鼓膜のような耳垢の奥に、さらにこんな長い耳垢が詰まっていたのでは、耳の中が気になるはずだ。

 女性はもう一度耳の中をチェックし、ふわりとした微笑みを見せた。


「もう大丈夫そうですね」


 ホッとしたのも束の間、女性がしぐさと共にこう求めてきた。


「それでは逆のほうも見てみますので。右耳の方を上にお願いします」


 右のほうはどうなってるんだろう。

 緊張と期待が入り混じった思いで、自分は右耳を上に向けるように姿勢を変えた。


                                (終)

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