第4話 四人目のお客様・イヤースコープ耳かき

 土曜の朝起きてすぐ、急に耳が痒くなった。 

 あまりに痒くて、慌てて耳かきを探してかいたのだけど、何も出てこない。

 私は恥を忍んで、母親のところに耳かきを持って行った。


「お母さん、耳の中がすごい痒いんだけど……取ってくれる?」

「いいわよ」


 あっさりとOKして、母親が膝を揃える。

 その膝の上に転がり、私は耳かきが入るのを待った。

 しかし、母親は耳を軽く引っ張って中を覗き、意外な反応をした。


「耳の中、ツルツルだよ。なーんにもついてない」

「えっ……」


 どう返していいのかわからず、母親の膝から起き上がる。


「そっか、ありがと……」


 納得いかないながらも、お礼だけは言っておいた。

 でも、耳の痒みは消えない。


(どうしようかなぁ)


 納得いかない気持ちと痒みが消えないまま、何日か過ぎたある日。

 私はある店を見つけた。


『椎名耳かき店』


「しいな……みみかきてん?」


 私はその看板を読み、首を傾げた。

 深夜のテレビで、耳かき店というのは見たことある。

 確か女の子が浴衣で耳かきをしてくれるというお店のはずだ。


「でも……なんか違う」


 今、目の前にあるお店は、ちょっと洒落た下町の美容院といった感じだ。


「あ、いらっしゃいませ」


 後ろから声をかけられて驚いて振り返ると、そこには柔らかい雰囲気の女性が立っていた。


「えと……」

「あ、すみません。私はこの店の者で」


 女性は少し慌てた様子でポケットから鍵を取り出した。


「ちょっとお買い物に行っていたんです。お待たせしてすいません。すぐ開けますね」


 女性の言葉を聞いてドアを見ると、そこには『ただいま外出中、すぐ戻ります』というプレートがかかっていた。

 カチャッという音と共に鍵が開くと、女性は優しい笑顔をこちらに向けた。


「本当にすみません。いらっしゃいませ」


 まだお店に入るとは決めてなかったのだけど、断れない雰囲気になってしまった。


「あ、はい。お邪魔します……」


 お店に入るのにおかしいかもしれないけれど、そんな言葉がつい出てしまった。


「はい、いらっしゃいませ」


 でも、女性は笑わずに店内に迎え入れてくれた。

 店内にあるのはやはり美容院の椅子で、耳かき店という雰囲気はない。

 ただ、一つだけ気になるものがあった。


「あの……あれは?」


 小型のテレビとコードに繋がった電子機器みたいなものを指さすと、女性は小さく笑った。


「あれはイヤースコープです」

「イヤースコープ?」

「お耳の中を見るカメラですね」

「……痛いですか?」


 耳鼻科の鼻に入れるカメラを思い出し、恐る恐る尋ねる。

 すると、女性は軽く首を振った。


「耳の入り口にちょっと入れるくらいですので、ぜんぜん痛くはないですよ」


 それを聞いて、ホッとすると共にちょっと興味が沸く。


「これ使ってもらうと、結構高いんですか?」

「いえ、そんなでもないと思います」


 女性が料金表を見せてくれる。


(マッサージにちょっといいオイルつくくらいの値段だな)


 そう思って私はイヤースコープというのを頼んでみることにした。


「かしこまりました。それではこちらにどうぞ」


 席に案内され、私は椅子に座った。

 やはり美容院とかで使うような感じの椅子だ。


「それでは始めますね」


 椅子が少し傾いて、耳に温かいタオルが当てられる。

 少し気持ちがリラックスしたところで、耳の外側の掃除が始まった。


「お耳の外側って意外と汚れるんですよね」


 耳かきで耳のふちをかいて、その後、丁寧に耳の外側を拭き、いよいよ耳の中の掃除となった。


「それでは、お耳の中を映しますね。前のモニターをご覧ください」


 用意されたモニターに目を向けると、そこに耳の中の映像が映し出された。


(耳の中ってこんな風になってるんだ)


 初めて見る自分の耳の中を不思議な思いで見つめる。

 耳の中は思ったより曲がっていて、不思議な感じだった。

 そして、その画面を見ながら、母親の言葉を思い出した。


「ああ、やっぱり何もついてないですね」


 私は苦笑しながら画面を見つめた。

 薄ピンク色の耳壁が見えるだけで、耳垢らしきものはくっついていない。

 しかし、店員さんは笑わなかった。


「いえ、そんなことないですよ」


 店員の女性は柔らかな声でそう言うと、耳をかき始めた。

 画面の中に耳かきが入ってきて、耳かきのさじが耳壁に触れる。

 目の前の画面に映る耳かきの動きが、感触として伝わってくるのは初めて体験だ。


「痛くないですか?」

「はい。全然」

「それでは、ちょっとこちらを」


 画面の耳かきが少し左上くらいに動く。

 そして、その部分の耳壁を耳かきがかくと、耳壁がずるっと動いた。


「えっ!」


 思わず驚いて画面に見入る。

 するとそこには、動いた耳壁ではなく、ぴらっとした大きな耳垢が浮かんでいた。


「これは……」

「一見、何もついてなさそうに見える場所に、実はぺったりと一面に耳垢が張り付いていたりするんですよ」


 店員さんが落ち着いた声で説明して、少しずつその大きな耳垢を動かしていく。


「あっ……」


 耳垢が耳の壁に触って、痒みが背中を走る。


「あと少しで出ますので」


 女性はカメラで様子を映しながら、耳垢を慎重に引っ張っていく。

 画面の中で耳垢が少しずつ耳かきのさじによって引っ張り出されていくのが見える。


 ズズ……ズズ……とゆっくりと耳垢が動いていき画面にアップになる。

 その感覚が自分の耳からも伝わってくる。

 そして、耳垢が画面外に出て、何か耳の中がスッとした感触がした。


「一つ取れました」


 女性の言葉に振り替えると、耳かきのさじから落ちそうなほどの大きな耳垢が乗っていた。


「わっ……」


 大きな薄い耳垢に驚いていると、女性はもう一度転がるように促した。


「まだ耳垢がついていますので、取っていきましょう」


 転がると女性が再びイヤースコープを耳に入れた。

 すると、ぴらっと薄い耳垢が立っているのが見えた。


「こちらのほうも取っていきますね」


 耳かきが耳垢の先っぽに触れると、その感覚が耳垢の根元まで伝わり、ビクッとなる。


「そちらもべったりと……?」

「はい。お客様の耳垢はこちら側にもついているようですので」


 女性が少し耳かきを中に入れて、耳壁に触れる。

 そこが耳垢の根元なのかこれまでで一番の痒みが耳の中を走った。


「と、取れそうですか」

「はい」


 私の上ずった声を笑わず、女性が慎重に耳かきを進めていく。

 カリカリ、シャリシャリ……。


 少しずつ丁寧に、時に強めに耳をかき、耳垢を剥がしていく。

 その度に耳垢がちょっとずつ浮いて行き、画面の中で大きく見えてくる。

 そして、カリッと大きな音が耳の中でして、取れた、と実感した。


「取り出していきますね」


 再び耳垢が耳の穴からゆっくりと取り出される。


「ああ……」


 さらに耳の中がスッとする感覚を覚える。

 耳垢の取れた耳の中に、今度は綿棒が入った。


「細かい耳垢も取っていきますね」


 綿棒が優しく耳の中を撫でる。

 ただ撫でているだけなのに、綿棒の白い部分がどんどん黄色くなっていっていた。


「綿棒替えますね」


 女性が綿棒を新しくして、また拭いてくれる。

 そのおかげで耳の中がすごくさっぱりした。


「ありがとうございます、スッキリしました」 


 気になっていたものが全部取れて、私は爽快な気分でお店を出たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る