第14話 十二人目・耳垢を落としてしまったお客様
その悲劇はある夜に起きた。
「取れ……ああーー!」
耳垢がパリッという音と共に取れたはずなのに、耳かきのさじから落ちてしまった。
ガゴソっという音がして、耳の奥に落ちたのがわかる。
わかるけれども、もう一度耳かきを入れても届かない。
「……困ったなあ」
また落としてしまった。
乾燥した耳垢だからその内に出てくるかもしれないけれど、不安だった。
そして、その不安は的中した。
翌日になっても耳の中がガサガサ言うのだ。
(これはまずい……)
不安になりながら歩いていると、妙な看板を見つけた。
「『椎名耳かき店』……?」
看板を見て横を向くと、そこには小さな白い建物があった。
中を覗くと優しそうな女性がこちらを向いてニコッと笑った。
「……入ってみるか」
その微笑に誘われるように、俺は店の中に入った。
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「いらっしゃいませ」
先ほどの笑顔のまま、柔らかい笑顔で女性が迎えてくれる。
一通りお店の仕組みとメニューの内容を聞いて、イヤースコープというのと耳かきをお願いした。
店員さんはイヤースコープを用意し、耳を温めた後、耳の中を見せてくれた。
「あ、ああ~……」
画像を見て思わず声が出てしまった。
耳の中に耳垢が落ちているのが見える。
音の原因はきっとこれだ。
「昨日、耳かきしていて中に落としちゃったんですよ」
「そうだったんですね。ちょっと失礼いたします」
イヤースコープを台に固定して、店員さんが耳を動かす。
すると、ガサゴソと音が鳴った。
「すみません、ちょっと耳かきを入れてみてもいいですか?」
「あ、はい」
耳かきが耳の中に入り、画面に映った耳垢を少し動かす。
すると、その後ろにまた耳垢が見えた。
「痛かったらおっしゃってくださいね」
そっと耳かきがさらに奥に入る。
耳かきのさじで見えた耳垢を上にどけるように押すと、またさらに奥に耳垢が見えた。
「耳垢を落とすのは初めてではないですか?」
「え、ええ……」
ちょっと恥ずかしい気持ちになったが、ウソをついても仕方ないので正直に答えた。
「そうなんです。よく自分で取るのですけれど、取れた! と思ったところで落ちてしまって……」
「それは大変ですね。落ちたのが耳の中から出ないで溜まってしまっているのかもしれません。取って行きましょう」
耳かきを一度耳の中から抜くと、女性が椅子を引き、俺のそばに座った。
「では耳かきを始めさせていただきますね」
「はい」
返事が固くなってしまったせいか、女性が優しく声をかけてくれた。
「すぐ奥には入れずに、少しずつかいていきますので、それ以上は怖いとかあったら気兼ねなくおっしゃってくださいね」
その優しい声にホッとして、身を任せる。
耳に触れる女性の手はあたたかく柔らかい。
軽く指が耳のふちを引っ張り、少しずつ耳かきのさじが耳をかいていく。
すると、すぐにさじに耳垢が集まった。
「あれ……?」
「耳の入り口あたりにも耳垢が薄くあったみたいです」
カリカリカリ、カリカリカリと耳穴の下方向がかかれると、耳垢が集まった。
しかし、それ以上に集まったのが耳穴の上方向だった。
「少しこちらもかいていきます」
カリカリカリっと下と同じようにかかれると、んっ……と肩を寄せたくなった。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……自分ではほとんどかいたことがない部分なので……」
「耳かきのさじを上にしてかくって、意外にやりづらいですものね」
なるほどと納得してかいてもらう。
カリカリ、カリカリっとかかれるたびにぶら下がるように耳垢が剥がれて、店員さんがそれを取ってくれた。
そして、入り口の薄い耳垢を取り終わると、耳かきが耳の中に落ちた耳垢に触れた。
「取れそうですか?」
「はい。くっついているわけではないので。ただ、より奥に落ちないように動かないでくださいね」
落ちてはたまらないので、動かないよう身を固くする。
それに気づいて女性が微笑んでくれた。
「緊張しなくても大丈夫ですので」
優しい声と温かい手が気持ちをほぐしてくれる。
そして、シャクっという小さな音と共に、耳かきがすぐに出て来た。
「取れました」
「えっ」
目を閉じていたため気づかなかったが、耳かきのさじには耳垢が乗っていて、画面の中では奥の耳垢がよく見えるようになっていた。
「次のを取りますね」
耳かきが耳の中にある耳垢に触れ、耳垢の手前部分をくいっくいっと引っ張る。
すると、カサっという音がして、同時に耳垢がボロッと動き、耳垢が剥がれて来た。
そのままずずずっと外に出される。
「キレイに取れるものですね」
「そうですね。ご自身で耳かきをするときは耳の中が見えないので、こうやって耳垢の手前側にさじを押し付けて引っ張り出すということはしづらいからだと思います」
「なるほど」
「でも、他人がやるとこうやって、すっと取れたりするんですよ」
話す間にも耳かきが次の耳垢に取り掛かる。
それまでの耳垢はただ耳の中に落ちていただけだったが、奥の耳垢は落ちた上に貼りつくようにくっついていた。
「これは少し剥がしてから取りますね」
耳かきが動いて、耳垢が貼りついている部分を探す。
耳の中いっぱいに張られるようについた耳垢は、耳かきの先っぽが触れただけでもガサガサと大きな音を立てた。
その耳垢と耳壁の隙間を探すように、耳かきが動く。
耳のふちを持った手が少し動き、画面の中の耳垢が動いた。
耳垢を動かして出来た隙間に耳かきが入ると、パリパリパリッとすごい音が響いた。
「おっ……」
思わず声が出てしまう。
その音の後は、耳かきが耳垢の後ろにまわり、耳垢をくい、くいと押し始めた。
押されて動くたびに、バリバリバリッという音がしてぞくぞくする。
そして、耳かきは耳垢を完全に取り出すべく、他の貼りついている部分をかき始めた。
カリ、カリ……カリ、コリ、カリ。
剥がしすぎて中に落ちないようにか、時折、様子を見ながら耳かきが動く。
カリ、カリっとされる部分が気持ちいいのに、その気持ち良さが途中でお預けになり、よりかいて欲しいという気持ちが高まる。
カリ、カッカッ、コッ、コッ、カリ。
耳の上奧あたりの貼りついた部分をかかれると、未知の感覚がした。
「んん……」
感覚が耳に集中させられる。
カリカリ、パリリ。
高い音と共に快感が耳の中を走り、解放されたようは気持ちになったのに、耳かきの動きが止まった。
「あの……」
どうかしたのかと心配になり、尋ねると、女性は真剣に耳の中を覗いていた。
「すみません、耳の皮膚に触れないようにしますので、ピンセットを使ってもいいですか?」
「は、はい」
真剣な女性の声に圧されて了解すると、女性は細めの曲がったピンセットを取り出した。
「鼓膜に付いてないことは確認済みですが、痛かったり怖かったりしたらおっしゃってください」
痛くも怖くもないけれど、何が起きたのかと緊張する。
しかし、女性は言葉通り、耳に冷たい金属を当てることなく、ピンセットで耳垢を掴んだ。
「取り出します」
女性が耳垢を引っ張ると、耳垢の先っぽが心もとない動きを見せた。
ちぎれないようにするために、先っぽから少し奥の部分をピンセットが持ち直す。
そして、するするっと耳垢が外に出された。
「耳垢が思ったより厚い状態になっていたみたいです」
出て来た耳垢は何層にも重なった状態になって錠剤のような形になっていた。
それが取れると耳の奥の鼓膜まで綺麗に見えた。
「後は細かい耳垢を拭きますね。綿棒と梵天、どちらがお好きですか?」
「それじゃ梵天で……」
綿棒は家にもあるけれど、梵天というのは珍しいのでそちらを頼む。
すると、耳かきのさじのない、たんぽぽの綿毛のような梵天の棒が出てきて、それが耳の中に入った。
そのまま耳の中から耳垢を払うように、中から外、中から外に梵天が動く。
耳の中にあった散らばっていた粉のような耳垢が少しずつ無くなっていった。
「もう一度拭きますね」
粉耳垢がついた梵天から新しい梵天に女性が変えてくれる。
そして、今度は耳の中に入れたそれを細かく動かさず、ゆっくりゆ~っくりと梵天が耳の中を回転した。
「んっ……」
柔らかく優しい刺激に目を閉じる。
画面は見えなくなってしまったものの、耳の中の感触に集中できて気持ちがいい。
(逆の耳の最後もこれにしてもらおう)
そう思いながら、体勢を逆にし、逆側の耳もやってもらったのだった。
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