第13話 十一人目・中国式耳かきのお客様

 その日、よく椎名耳かき店を訪れるお客さんが小さなアタッシュケースのような箱を持ってきた。


「あの、店長さん、これ見たことありますか?」


 お客さんが持ってきた箱の中には、普通の竹の耳かきとは違う道具が入っていた。


「これは中国の耳かきですね」

「お、ご存知でしたか。今日はもし店長さんが良ければ、これで耳をかいて欲しいのですが出来ますか?」

「はい。ご希望に上手に添えるかわかりませんが、やってみます」


 柔らかく微笑んで、店長の香澄は請け負った。


 香澄がアタッシュケースの中の耳かきを丁寧に消毒し、お客さんの耳を温かいタオルで拭く間、お客さんは上機嫌で中国式耳かきの話をした。


「中国の耳かきは、さじみたいな部分がないんですね」

「そうですね。中国はとても広いので、さじのある耳かきを使う所や日本では見ないような道具を使うところもありますし、いろいろだと思うのですが、お客様の持って来てくださったこちらのセットはみんなさじのないタイプみたいです」


「なんだか似た形の薄い板みたいなのが多かったですよね?」

「あれは少しずつ大きさとか厚さが違うんだと思います。他にも日本の穴刀と同じで耳毛を剃る用途なのだろうと思うものもありました。粉耳を集めるものもありましたね。使ってみるとお分かりいただけると思いますよ」

「そうですか、楽しみだなぁ」

 

 声が弾んでいるお客さんに微笑みながら、香澄は耳を包むように温め、優しく耳の裏側も外から見える部分も拭いた。

 耳の外側が綺麗になったところで、香澄が薄い板の耳かきを取り出す。


「これでお耳の毛を軽く剃りますね」

 

 見た目は耳かきだが、薄いそれは穴刀と同じく、薄い剃刀になっていた。

 あまり太い耳毛のないお客さんなので、優しく肌を撫でるくらいの動きで、産毛を剃っていく。

 それでも薄い耳かきの板の上には細かい毛が集まり、お客さんは楽しそうだった。


「これはこれで結構集まりますね」

「はい、すべりが良く、剃りやすかったです。それでは、耳かきを始めますが、もし、金属が冷たかったり怖かったりした時はおっしゃってくださいね 」

「はーい」


 お客さんは怖さよりも好奇心が勝っているのか明るい声で答えた。


 中国式の薄い耳かきが耳の中に入る。


「大丈夫ですか?」

「少しヒヤッとしますが、大丈夫です」


 耳かきはかくというより削るに近い動きをするものだった。

 軽く耳の中を撫でるように動いた後、耳垢が少し浮いた部分の下に薄い金属の耳かきが滑り込んだ。


 そのままカリカリ、ではなく、ショリショリという音をさせて、耳垢の根元に迫っていく。


「ん……」

「大丈夫ですか?」

「なんというか新感覚という感じです。でも、これはこれでなかなか……」


 お客さんが目を閉じる様子を見て大丈夫そうだと判断し、香澄は耳かきを続けた。


 ショリ、ショリ、という音と共に耳垢が耳壁から剥がれて少しずつ浮き上がってくる。

 それはさじのある耳かきでかかれるのとはまた違う感覚だった。


「なんだか冷たくはあるのですが、剥がれる感覚がちゃんとして……気持ちいいです」

「それでしたら、良かったです」


 安心して香澄は耳かきを続けたが、その耳垢の大きさは意外に大きく、ショリ、ショリと削る手が止まらない。

 冷たい感触と耳かきのさじとは違う平面でかかれる感覚に耳の中を刺激されながら、お客さんは耳垢が剥がれる気持ち良さを味わっていた。


 気づくと耳垢は鉛筆の削りかすのように薄く剥がれ、耳の中で軽く丸まった。

 香澄は一度その耳かきを置き、ケースの中からギザギザのついた薄い棒を取り出した。


「これで耳垢を絡めとるのですが、大丈夫ですか?」


 お客さんは視線だけを香澄の手元にやり、目だけを動かして軽く頷いた。


「はい、お願いします」

「かしこまりました」


 長いギザギザの棒を手にして、香澄が慎重に耳の中にそれを入れる。

 普段も慎重な香澄だったが、中国式の耳かきは普通の竹の耳かきよりかなり長いので、より慎重さを必要とした。


 耳垢のそばにそっと差し入れて、耳の壁に触れないようにしながら、ゆっくりとその棒を回す。

 すると、そのギザギザが耳垢に触れ、棒の動きに合わせるようにくっついてきた。

 そのまま巻き取るようにして、香澄は耳垢を耳の外に出した。


「おお、面白い」


 棒に巻き取られた耳垢を見て、お客さんが面白そうに笑う。

 香澄は軽く微笑み返して、ペラペラの平べったい耳かきを取った。


「なんかすごいペラペラですね、それ」

「これはしなるように出来ているものなんですよ」

 

 香澄が軽く、その耳かきを振ると、ビョーンビョーンと柄以外の部分が揺れ動いた。


「耳かきらしくない動きですね」

「その分、柔軟な動きが出来ると思います」


「ほうほう」


 興味津々という顔でお客さんが椅子に座りなおす。

 香澄は明かりを引き寄せ、お客さんの耳の中を見て、少しだけ耳を後ろに引っ張った。


「そんな大きいのではないですが、耳の中に少し詰まった耳垢がありますね」

「え、本当ですか!?」

「はい。これで動かして取っていきます」


 平べったい耳かきを、詰まった耳垢のふちに入れる。

 とても薄いため、よくしなり、さじのある耳かきより耳垢と耳壁の間に入れやすい。

 普段の竹の耳かきでは入らないような隙間にうまく入り、少しずつ削るように横に動かしていく。


「んっ……」

「大丈夫ですか?」

「平気です。新感覚なだけで」


 カリ、とかコリッとかいう感覚とは違う。

 詰まった耳垢のくっついている部分を、ショリ、ショリっと削り取っていく感覚。

 でも、音は普通の耳かきと同じように、耳垢がゴソ、ゴソと音を立てる。


(あ、でも剥がし方が違うから、やっぱりちょっと違うかも……)


 お客さんがそんな風に考えている間にも、香澄が耳壁と耳垢を丁寧に剥がしていく。


 剥がれた部分から、さらに耳かきを入れ、くい、くいっと耳垢を動かし、また細い隙間を作る。

 その間にまた入れて……と繰り返していくと、予想以上に耳垢は奥まで深かった。


 お客さんはいつの間にか目をつぶって耳かきをされていたが、奧までされても怖いわけではないのか、口元が緩んでいた。


 それを見て安心し、香澄はさらに違う方面から耳垢を剥がしていった。

 竹の耳かきのように奧から手前への動きではなく、横から横へショリ、ショリとすべるように耳がかかれていく。

 

 時々、へばりくっついている部分もあったが、細かくショリショリショリ、と削るように平べったい耳かきを動かすと、その部分も綺麗に取れた。


 動かしづらい部分があるときは、耳かきのしなりを利用して、耳垢に耳かきを当てて、ゆっくりぐにゅっと動かすと、耳垢と耳壁の間に新たな隙間が出来た。


 しかし、そうやって動かすのはすごい音がするらしく、お客さんが目を開けた。


「大丈夫ですか?」

「はい。耳の中ですごい大きなゴソッという音がしたので驚いただけです」


 再び目を閉じてくれたので、香澄は耳かきを続けた。

 

 奥に詰まった耳垢は大分取れたが、全部剥がしてしまうと中に落ちてしまう可能性があるので、ほんの少しだけ残して、香澄はお客さんに尋ねた。

 

「ピンセットは大丈夫ですか? こちらの耳かきセットのピンセットはこういう感じなのですが」


 少し先の曲がったピンセットを見せると、お客さんが目だけで頷いた。


「かしこまりました。それでは取りますね」


 耳壁に触れないよう、そっとピンセットを耳の中に入れて、香澄が耳垢を掴む。

 耳垢を掴んで、くにゅ、くにゅと動かした後、鼓膜などに貼り付いていないことを確認して、香澄はゆっくりと耳垢を引き抜いた。


 ずぼぼ、という音がして、耳垢が耳の中から取り出された。

 取れたのがわかり、お客さんは横を向いた。


「おー。耳垢にちょっと毛まで絡まっていて、色がすごいですね」

「そうですね。かなり長く耳の中にあったのかもしれません」


 ピンセットを置き、香澄は新たな道具を手にした。


「あとは耳の中に残った粉っぽい耳垢をこれで取るのですが、どちらを先になさいますか?」


 それは綿棒のような綿が先についた道具と、梵天の小さなものだった。


「店長さんだったらどちらが先がいいですか?」

「そうですね……、こちらの梵天のようなもので粉の耳垢を集めて、それでこちらで拭く感じでしょうか」

「それじゃ、それでお願いします」


 お客さんの要望に頷き、香澄が小さな梵天をお客さんの耳に入れる。

 すると、お客さんが笑い出した。


「どうかなさいましたか?」

「い、いえ、くすぐったくて……」

「ふわふわしてるので、少しくすぐったいかもしれませんね。それではあまりくすぐったくならないように、少しゆっくりと動かしますね」


 香澄がゆっくりゆっくり小さな梵天を動かす。

 耳の中をふわふわの毛が優しく撫でていく。

 お客さんは目を閉じながら、今度は口を少しむにゅむにゅ動かした。


「いかがでしょうか?」

「ああ……いい感じです」


 ふわふわの梵天が耳の壁を撫でるのをお客さんが味わっている間に、小さな梵天がどんどん粉の耳垢を集める。


 黄色がかった白の耳垢をたくさん集めた小さな梵天を引き抜き、香澄は綿棒のような先が付いた道具で耳の中を拭いた。


「たまには違う道具もいいですね」


 耳の中を拭いてもらいながら、お客さんがそんな感想を呟いた。


「また新しい道具を手に入れたら、お店に持ってきていいですか」

「はい」


 香澄は耳の中を拭きながら、柔らかな微笑でそう答えたのだった。

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