第12話 十人目・耳垢の出づらいお客様

「う~ん」


 男は耳かきを耳から取り出し、溜息をついた。

 耳の中はかゆいし、ガサガサと音もする。


 それなのに、何も出てこない。


「またか……」


 いつもいつもこんな感じなのだ。

 耳がかゆいのに何も出てこず、無理をすると痛くなるので、そのままになって、いつも爽快感がない。


「なんとかしたいな……」


 その願いを抱えたまま、何日も過ぎて行った。


              ◇


『椎名耳かき店』


 寒い冬の日。お店の黒板を路上で見つけ、男は立ち止まった。

 綺麗な読みやすい文字で、コースと料金が書かれている。


「一番安いのだと2000円か……」


 これならいいかなと思い、男は看板に従って足を進めた。

 白く小さな店に男が入ると、店の中から一人の女性が出て来た。


「いらっしゃいませ」


 椎名耳かき店の店長・椎名香澄である。

 柔らかい声と雰囲気の女性にホッとしつつ、男はもう一度メニューを見た。


(他に客がいないみたいだし、少し長いコースを頼んでみるか)


 男はメニューを指さし、耳かき四十分というコースを頼んだ。


「かしこまりました、四十分ですね。それではこちらへどうぞ」


 通されたのは美容院にあるような椅子だった。

 そこに座り、待っていると、香澄が湯気の立つタオルを持ってきた。


「お外は寒かったでしょう。あったまってくださいな」


 タオルのうちの一つを渡される。

 そのタオルを受け取り、自分の手が冷たくなっていることに気づいた。


「手を温めていてくださいね。それでは、こちら失礼いたします」


 男がタオルで手を温めていると、耳のあたりにタオルが当てられた。

 ふわっと温かな感触に耳が包まれ、丁寧に耳を拭かれていく。


 片方の耳が終わると、もう片方の耳は新しいタオルで拭いてくれた。

 そして、拭き終わる頃には耳も手もほわっと温かくなっていた。


「それでは耳かきを始めますね」


 香澄が台の上に耳かきを並べ、男に希望を聞いた。


「どのような耳かきがいいとか、ご希望はありますか? 綿棒がお好きとか、金属のほうがいいとか」

「あ、特には……スタンダードなもので」

「かしこまりました」


 煤竹の耳かきを何本か揃え、香澄は男に体を倒してもらった。

 左耳を上に転がったので、そちらから耳の中をのぞく。


「こちらが気になりますか?」

「はい。いつもガサガサ音がするのですが、なかなか出てこなくて……」


 光を近づけて、香澄は男の耳の中を見る。

 ただ見るだけでなく、何度も光の方角を変えて、香澄は耳を覗き込んだ。


「どうですか……?」

「お客様は少し耳の中が曲がっていて、細くなっている感じかもしれませんね」

「曲がっていて……細い?」


 聞き慣れぬ言葉に男が戸惑っていると、香澄が柔らかい言葉で訂正した。


「一般的な誤差の範囲ですから大丈夫ですよ。ただ、お耳がかきづらいかなと思いまして」

「あ、はい。かきづらいです。いつも自分でかいてもうまくいかなくて……」


 男が思わず目線を上げて訴えると、香澄が軽くうなずいた。


「それでは出来るだけ耳垢を取っていきますね」


 香澄がさじの少し幅広な耳かきを取り、耳の入り口をマッサージするようにかき始めた。


 すっ……すっ……と耳かきが静かに動いているが、耳垢が取れるのか、時々、用意された黒い紙の上に、トントンと耳垢が置かれた。


 耳垢にごく細かな毛が混ざっているときもあり、男は少し驚いた。


「耳をかいていて、耳の毛が抜けることもあるんですか?」

「そうですね、細かい産毛とかは取れることがありますし、その耳毛が痒みの原因になっていることもありますよ」


 丁寧に答えながら、香澄が耳かきを進めていく。

 多くはないが耳の入り口付近についた耳垢を取っていくと、奥のほうがより見えやすくなった。


「入口のほう取るだけでも少しスッキリしますね」


 男の感想に微笑みを浮かべつつ、香澄は耳の中をじっと見た。


 奥のほうは少し隙間が見えるだけで、耳垢がベットリとついていた。

 飴耳というほどでもないが、パサパサに乾燥した耳垢というほどでもない。


 その中間のような耳垢の柔らかさが、より耳垢を出なくしている原因なのかもしれない。


 香澄は耳かきを細いものに持ち替えて、奥の耳垢に触れてみた。

 ゴソッ。


 そんな音がして耳垢が剥がれてくる。

 香澄はその耳垢を慎重に取り出し、次に取り掛かった。


 隙間のある一部分以外、耳壁すべてに耳垢がついている状態で、香澄は先程取れた耳垢の隣の耳垢、その上の耳垢、と次々と取っていった。


 白く少し粘り気のある耳垢が紙の上に置かれていき、耳の中が綺麗になっていくのはわかったが、男はそれでもどこかスッキリしなかった。


「もう全部取れましたか?」

「あ、いえ。この取れた部分の奥にまだ……」


 奥には少し色のついた白い耳垢が見えていた。


「あまり奥は触らないほうがいいですが……いかがいたしましょうか」


 香澄の問いかけに男は確認をした。


「奥のほうがそんなに付いているのは、先ほど言っていた少し耳の中が曲がっていて細くなっているが原因なのでしょうか?」

「はい。細くなっている部分に耳垢がはまってしまっているのが原因のようです」


 少し考えて、男はお願いすることにした。


「良ければやっていただけますか?」

「わかりました。それでは少しでも痛かったら、おっしゃってくださいね」


 香澄がとても細い耳かきを手にした。


「この耳かきは市販にないような細さの耳かきなのですが、その分、さじが小さいので幅が広いものより痛い恐れがあります。痛かったら必ずすぐ言ってくださいね」


 念押しをして、香澄がそーっと細い耳かきを入れる。


 耳かきはお土産物にあるような耳かきの半分くらいの細さで、耳の中に入ったのもわからないほどだった。


 しかし、奥にある耳垢に触れたとき、中に入ったのだと分かった。


 シャク……。


 そんな音がして、男の耳奥にある耳垢に細い耳かきが引っ掛かるように入る。

 香澄はゆっくり、ゆっくりとそのまま耳かきを引いた。


 慎重に外れないようにゆっくりと……。

 すっ……つつ……。


「痛くないですか」

「はい」


 確認を取って、香澄はもう少し耳かきを引っ張る。

 すると、耳垢がそれにくっついてくるように出て来た。

 幸いどこかに強く張り付いていたわけではないようで、すすうっと出て来た。


「んっ……」


 男は急に耳の中が通ったような感覚を覚えた。


「残りを拭いていきますね」


 香澄はキレイに取れたことにホッとして、綿棒で粉になった耳垢を掃除したが、出づらい耳垢はこれだけではなかった。


 右耳を見てみると、またこちらの耳も耳垢が多かった。


 香澄は耳垢を手前のほうから取っていき、紙の上に耳垢がどんどん置いて行かれた。


 しかし、取っても取っても奥のほうに耳垢が見える。

 ほんの少し通り道になる部分が空いているので、耳は聞こえているのだろうけれど、耳垢はずっとあった。


 しかも、かき進めればかき進めるほど、耳の中が細くなっていく。

 おまけにまっすぐではなく、曲がっていく。


 どんどん耳垢を取っていった香澄だが、途中から角度が難しくなった。


「あの……耳かきというか、耳の中を掘るような感じになりますが、よろしいでしょうか?」

「は、はい」


 耳を掘るという表現が気になりつつ、男は香澄に耳を任せた。

 香澄は光の入れ方を調整しつつ、耳の中を見た。


 耳垢があるのはわかるが、それがどうついているのか、奥のほうが非常に見えづらかった。


「見える部分だけでも、取っていきますね」


 香澄が耳壁が痛くならないよう、細心の注意で見える耳垢を触ると、シャクっという音がして耳垢が外れ、耳かきで耳垢をすくい上げることが出来た。


また、耳かきを中に入れ、耳垢を取ろうとすると、何か大きな耳垢のような感触がした。


 香澄は斜めに入れるような感じで耳かきを耳の中に入れ、手さぐりに近い状態で耳垢を探った。


 すると、耳の中がゴリッと音をさせた。


「!」


 男も香澄も驚き、香澄は男に頭の位置を調整してもらって、その部分を見た。


 そして、耳の中が少し曲がった感じの、香澄から見て右上部分あたりに耳垢があるのを発見し、香澄はそっとそこに触った。


「痛くないですか?」

「はい」


 香澄は耳かきを先程の極細のものに変えて、触れるくらいの強さで耳をかいた。

 さ……すす……。

 いきなり男の耳の中が強烈に痒くなった。


「んんっ……」


 思わず男がギュッと自分の手を握る。

 痒さで体が動きそうになるのを我慢していると、また香澄が耳かきを動かした。


 すす、パリパリ、すす、ゴリ……。


 軽い音と硬い音が鳴っている。

 耳かきが今度は擦るように動いた。


 こすこす、ペリ、こすこす、ゴシャ。

 様々な音がして、いきなりバリッという音がした。


「っ!」


 その瞬間、今日一番のかゆみが男に走り、同時にスッキリとした感覚がした。

 ずずっ……ずるっ……っと、外された耳垢が丁寧に表に出され、紙の上に置かれた。


 耳垢は何やら細長い形をした茶色の耳垢だった。

 これが入っていたものなのだと、男は納得した。


「なんだか耳の中以外も軽くなった気がします」


 残った耳垢を取ってもらいつつ、男はそう感想を述べた。


「良かったです」


 香澄は柔らかな微笑みを浮かべながら、耳かきと綿棒で男の耳垢をキレイに取っていったのだった。

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