第15話 十三人目・耳かきが苦手なお客様
イヤなことに気が付いてしまった。
先日、自分の耳を触ったら、指に細かな耳垢みたいなものが付いた。
それだけではない。
なんだか耳の中がゴロゴロする。
「これって……」
耳の中に耳かきを入れて確かめれば良いのだろうけれど、それが出来ない。
何かを耳に入れるのが昔から怖いのだ。
「耳垢って何もしなくても外に出るっていうし、大丈夫だよね……」
そう信じて無視することにしたけれど、無視できない事態が三日後に起こる。
「ん、んんん……」
耳が変だ。すごく変だ。
歩いていてなんだか痛い。
耳を抑えてみるけれど、それで収まるものではない。
(どうしよう……)
気のせいか眩暈までする気がして、ふらふらしていると、足に何かが当たった。
「……耳かき店?」
足に当たったのはお店の看板だった。
看板を見ると、イヤースコープなる文字が見えた。
(もしかして、これで耳の中を見てもらえるんじゃ……)
淡い期待を抱いて、看板の案内を頼りにお店を探す。
『椎名耳かき店』
看板が掲げられたそこは白い建物の小さなお店で、怪しい雰囲気はなかった。
郊外の落ち着いた美容院というか、少しオシャレな理容店というか。
(とにかく入っても大丈夫そう!)
そう信じて、お店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ~」
お店にいたのは優しそうな感じのお姉さんで、ほっとした。
「すみません、イヤースコープっていうのお願いします」
「かしこまりました。耳かきのオプションになりますが、何分されますか?」
「それじゃ四十分で!」
三つある時はつい真ん中を選びがちという。
その定番に漏れず、真ん中の四十分を選んでお願いした。
「四十分ですね。どうぞこちらへ」
店員さんが椅子に案内してくれて、何か用意してくれているが、落ち着かなかった。
「すみません、すぐに耳の中を見せていただけますか」
施術の流れみたいなものが貼ってあった気もするのだけど、待ちきれなくて、思わずお願いしてしまう。
「はい、かしこまりました」
お姉さんが笑顔で答えてくれて安心する。
(優しそうだし、大丈夫そう)
人に耳を見てもらうことなどないから怖いけれど、このお姉さんなら平気かもという気持ちにさせられる。
店員さんはすぐにイヤースコープというのを用意してくれた。
先に三角みたいなのが付いていて、痛くはなさそうだった。
「こちら入れますね」
痛くなさそうと思った矢先、入れるという言葉に、思わず警戒してしまう。
「あの、入れるってどれくらいなのでしょうか」
耳の中にずぼっと入れるのだと怖いので、先に確認する。
「中に入れるのですが、それが怖いようでしたら、スタンドを立てて、離して中を見ましょうか」
「そんなことできるんですか?」
「はい」
店員さんがスタンドを持ってきて、調整する。
次にイヤースコープと耳の高さを計り、イヤースコープをスタンドに置いて、さらにレンズの調整をした。
そして、バッチリとレンズが合ったとき、思わず変な声が出た。
「何これ……」
耳に何かが詰まったようになっていた。
よくよく見ると、白と濃い黄色が混ざったような色だ。
一応、耳の外からは見えないけれど、耳の中は何か練りケシとかを詰め込んだかのようになっていた。
「あの……これは」
「耳垢ですね」
さらりと断言して、店員さんが道具を手に取る。
不安になり、店員さんに状況を伝えた。
「実はここに来る前、耳がゴロゴロするだけでなく、痛みとめまいがしたのですが……」
「この耳垢が原因だと思います。ちょっと肉眼で確認しますね」
店員さんが耳に触れようとして、思わずビクッとする。
それに気づいた店員さんが触れるのを止めてくれた。
「大丈夫ですか? 耳を触られるのは苦手ですか?」
「触られるのは、まだギリギリ平気です。でも、何かを耳に入れるのが昔から恐いんです」
自分で言ってから、なんだかお店の人に申し訳ない気分になってきた。
(それでなんで店に来たって感じだよね……)
でも、店員さんは嫌がらずに方法を考えてくれた。
「そうですか。それでは出来るだけ耳を触らずに、取れるところを取りましょう」
店員さんは耳には触れず、イヤースコープも離した状態で、画面に耳の中を映し、綿棒を持ってきた。
「細いのと太いのどちらが怖くないですか?」
「……細いので」
細い綿棒のほうが弱そうだったので、そちらを選ぶ。
「それではほんの少しだけ入れますね」
店員さんは先に言ってくれて、そっと細い綿棒で練りケシのような耳垢に触れた。
ボガソッゴソ。
なんと表現していいかわからない音が耳の中でする。
それも画面と合わせて感じる感覚なので不思議な感じがした。
「大丈夫ですか? 怖かったり痛かったりしますか?」
「いえ……」
耳の皮膚自体を触られているわけではないので、痛くも怖くもなかった。
何をされているかイヤースコープのおかげで見えているのも、怖さを減らしているのかもしれない。
耳垢がどうなっているかを確かめるように、綿棒が耳垢に触れる。
そのたびに、ザッ、ガサ、ゴガサッと音がする。
「んっ……」
うるさいだけに思えたのだけど、慣れてくるとそうでもない。
綿棒が細いせいか、店員さんの触り方がうまいのか、耳垢の移動に合わせて、少しだけ耳壁に綿棒が触れているのだけど、それでも痛くない。
痛くないどころかどこかむずがゆくて、お尻がもじもじする。
「……」
「大丈夫ですか?」
画面に映る映像に見入りながら、耳かきをしてもらっていると、店員さんに静かに尋ねられた。
「あ、はい。大丈夫です」
「良かったです。この耳垢ですが、詰まってはいますが、奥までは入っていません。鼓膜とかも見えるので大丈夫そうです」
耳垢を細い綿棒で動かすだけでそこまでわかり、ちょっと驚いた。
「そういうのすぐにわかるんですか?」
「耳の奥が見えるか、鼓膜が見えるかでわかります。もちろん大体ですが」
大体でも、自分だと見ることができないので、かなりありがたい。
店員さんは少し汚れた細い綿棒を捨てて、違う道具を出してきた。
「こちらでひっかける感じで取り出してみようと思うのですが、いかがでしょうか」
それは木のさじとは違う、ワイヤーだけの金属の耳かきだった。
「金属ってことは痛いですか?」
「いえ、すごく柔らかいので」
店員さんがペーパーを用意して、軽くワイヤーの金属耳かきをしならせる。
全然、力を入れてないように見えるのに、それはすぐにしなった。
「あ、あの触ってもいいですか?」
「はい。使うときに消毒しますので、大丈夫ですよ」
店員さんに貸してもらって、触れてみると、ワイヤーは丸く柔らかい素材だった。
「これなら……平気そうです」
返しながらそう伝えると、店員さんは安心したように笑った。
「それではこれでやってみますね」
店員さんが一度消毒をして、カメラを合わせて、ワイヤーの金属耳かきをそっと耳の中に入れる。
耳の皮膚には触らないよう注意してくれているのが、耳かきの動きで分かる。
ワイヤーが耳垢の真ん中に触れた。
ちょんちょんと手前に引くように耳かきが動く。
そのたびに耳の中が軽く、ガサ、ガサっという。
ソフトなタッチだけれど、確実に耳垢が動いているのだ。
(……がんばれ)
画面で動きが見えるのもあって、おかしいかもしれないけれど、つい、応援するような気持になってしまう。
店員さんは焦らず、丁寧に手前に耳垢をかくのを繰り返し、ガサッ、ガサッという音がだんだん大きくなったと気づいてきたとき……。
ガサササッ!
大きな音がして、画面に映っていた耳垢がボロッと手前に落ちた。
店員さんがもう片方の手に用意していた紙で受けている。
ボロッと耳垢が取れて、その部分が空洞になった。
「わ、うわ……」
思わず声がこぼれたけれど、なんてことはない。
本来、そこは耳の穴になってないといけない場所だから、それで正常なのだ。
細かい耳垢は残っているものの、練りケシのように詰まっていた耳垢が取れて、やっと普通の耳になった。
「ご気分はいかがですか?」
「え、あっ……」
痛くもないし、お店に入る前に感じていた眩暈とか詰まるような感覚が消えていた。
「なんだか急に軽くなった感じです」
「それは良かったです。どういたしましょうか。ここでやめておきますか?」
店員さんがイヤースコープで耳の中を見せてくれる。
「奥に見える光った薄い膜が鼓膜です。大きな耳垢が取れて、鼓膜も見えるようになったので、ここでやめて、後はマッサージなどもできますが」
「あ……いえ、良かったら、他についた耳垢も取ってみてくださいますか?」
恐る恐るだけれど、今日ならできそうな気がして、私は頼んでみた。
「かしこまりました。耳かきはいかがいたしましょう。綿棒でもできますし、先ほどのワイヤー型の耳かきでもできますし」
「それではワイヤー型の耳かきで……」
少し冷たいかもと思ったけれど、大きな耳垢を取ってくれた耳かきを信頼して、それで頼む。
「では耳かきを続けますね。もし、冷たい、恐いがありましたら、おっしゃってください。あと、耳に触れても大丈夫でしょうか?」
「は、はい……多分」
緊張したものの、店員さんを信じて答える。
店員さんの指が耳のふちに触れた。
温かく柔らかい手で、持ち方も優しく、なんだか気分が落ち着いた。
(これなら……平気そう)
耳かきが耳の中に入ると、ヒヤッという金属の感触がした。
でも、耳かきは奥には入らず、耳の手前の部分にだけ触れるのが画面で見えた。
そして、耳かきが触れた場所から手前に動くと、カリッ……カリッ……というゆっくりとした感触と共に、すすっ……ずるっ……と耳垢が動いた。
「あっ……」
耳垢が剥がされていく感覚が伝わる。
すっ……カリッ……。
耳かきが動くと……。
ペリ……パリッ……。
中で音がして、引っ張られて剥がれるのがわかる。
少し剥がれた感触がした後、店員さんが一度、手を止めた。
「奥のくっついている部分を剥がしますが、触られるのが恐くなったらおっしゃってください」
「は、はい……」
緊張したものの、動いている耳垢がどれくらいのものか気になって、私は耳の奥に耳かきが入る恐怖に耐えた。
画面の中で耳かきが耳の奥に入り、ある地点に触れる。
パリッっという音と共に、ぶわっと耳垢が浮いてきた。
「!?」
浮いた耳垢は半円くらいの大きな耳垢だった。
耳かきが耳の奥を離れ、耳の手前に戻って、慎重にその浮き上がった耳垢を引っ張っていく。
画面の中で動く耳垢、かかれていく感触。
カリ、カリ、ずずず……。
最後はずずっという感覚がして、耳垢が出てきた。
「取れました……?」
「はい」
店員さんが取った耳垢が紙の上に置かれる。
紙の上には薄く半円型になった大きな耳垢と、練りケシを固めたような耳垢があった。
「もう少し逆のほうについた耳垢を取りますので」
店員さんがまたそっと耳の手前側に耳かきを触れる。
そこはまだ耳垢が張り付いているのか、かゆみがあって、早くかいて欲しいという気持ちになった。
今度は細かいのを集めているのか、すっ……すっ……動いて、時々、カリッと音がする。
なんだかその音と動きに気持ちが落ち着いてきて、目を閉じる。
(せっかく画面に映してるのだけど……)
でも、店員さんの手のあたたかさと、かかれる感触の気落ち良さで瞼が重い。
(次に来るときは……もっと奥までやってもらおう……)
そう誓いながら、私はカリ、カリっという感触だけ感じて目を閉じた──。
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