第16話 十四人目・耳穴の小さなお客様
「う……ん。うまく入らない……」
耳の中がゴロゴロ言うので、旅行先で買った耳かきを入れてみたのだけど、ぜんぜんうまく入らず、あきらめた。
「綿棒のほうがいいかなあ」
そう思って綿棒を入れてみると、バリバリっと耳の中で音がした。
でも、音がするだけで、外にその耳垢が出てくることはなかった。
「どうしたらいいんだろ……」
私は耳の穴が小さい。
おかげで耳かきが入りづらいし、無理に入れると痛くなってしまう。
「なんか耳の中が詰まっている気がするんだけどな……」
どうしたらいいのかと迷った数日後。
私はベビー綿棒というものを買って来た。
ベビー綿棒は他の綿棒より先っぽが小さく、きっと入れやすくて、取れるだろうと思ったのだ。
「これでっ、と……」
耳の中に入れると、細いためか今までになく中によく入り、バリバリバリバリっと激しい音がした。
でも、音がするのに、出てこない。
「あれ……?」
もう一度入れてみると、バリバリ以外にもパリパリパリっという音がした。
でも、音がするだけ。
「……?」
前よりよく入って、音もする分、何も出ないのが気になる。
そして、気になったまま数日が過ぎて……私はその店に出会った。
『椎名耳かき店』
そう名前がついた店に入ると、優しそうなお姉さんがいた。
「いらっしゃいませ」
他に人がいないところを見ると、この人が店長さんらしい。
そのお店は、白を基調とした落ち着いた店内で、始めて来た私もあまり緊張せずに入ることが出来た。
「あの、耳かきをお願いしたいのですが……」
「はい。どのコースにいたしましょう」
ひとまずどんなものかわからないし、痛かったり怖かったりしたら嫌なので、一番短いコースを頼む。
「途中で延長したりってできますか?」
頼んでから急にそんな心配が出て尋ねると、店長さんはニコッと笑ってくれた。
「もちろん大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
延長するかわからないけれど、もし、うまく取れそうならやって欲しいので安心する。
案内された席に座ると、店長さんが耳かきを用意してくれた。
でも、よく見る大きさの耳かきでちょっと心配になる。
「あの……私、耳穴が小さいのですが、大丈夫でしょうか?」
「小さいのですね。ちょっと拝見してもよろしいですか?」
店長さんは疑ったりせずに、耳を見てくれた。
「お客様、イヤホンが合わなかったりすることありませんか?」
「あ、あります! よくあります!」
耳を見て理解してくれたことがうれしくて、つい食い気味に答えてしまう。
「そうですよね……少々お待ちくださいね」
店長さんが何か違う道具を持ってくる。
それは普段見ないような細い耳かきと、細いピンセットだった。
「細長い耳かきですね」
「そうですね。あまり細いと当たるポイントが小さくなって痛いので普段は使わないのですが、お客様の場合、太い耳かきを入れると逆に痛そうですので……。もし、こちらも痛かったらおっしゃってください」
「は、はい」
店長さんは心配してくれたけれど、私のほうは自分の耳穴に合うサイズの耳かきを初めて見て、期待に胸が膨らんでいた。
(どんな感じなのだろう……)
今まで耳かきを入れても、ただバリバリと音がするか、痛いだけだった。
それがどうなるのかとても気になった。
店長さんが耳を温かいタオルで軽く拭いてくれて、耳かきを手にする。
「それでは始めますね」
耳のふちに指が触れて、店長さんが耳かきを耳の入り口に当てる。
今、使っているのは、普通の耳かきだ。
でも、耳の入り口なせいか、普通の耳かきでも痛くない。
耳の入り口のあたりをそっと撫でるようにかかれていく。
すすっ、すすっ……と軽く触れるようなくらいの強さがちょっとくすぐったく心地よい。
(マッサージされているみたい……)
すると不意にパリッという音がした。
「んっ……」
ちょっとむず痒い感じがしていると、そこを店長さんがカリカリとかいてくれた。
カリカリ、カリッパリ……。
パリッという聞きなれない音に何かと思っていると、薄い耳垢が剥がれたのが耳かきに乗っていた。
「耳の入り口についてたんですか?」
「ええと、剥がれずにくっついていたというほうが合ってるかもしれません。薄皮のような感じで、耳垢がついていたんですよ」
耳の奥が気になって、手前のほうは掃除できていなかったのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。
店長さんが普通の耳かきを置いて、細い耳かきを持ち替えた。
(本当に細いな……)
普通の耳かきと比べると、心許ないほどの細さで、指の細い店長さんが持っても細く見える。
私の視線に気付いたのか、店長さんはこちらを安心させるように少し微笑んだ。
「もし、痛かったらおっしゃってください」
念押しをして、店長さんがそっと細い耳かきを耳の中に入れた。
バリバリバリバリ。
耳の中に入ってすぐにものすごい音がする。
痛くはないのだけど、音がバリバリと響いてすごい。
「あの………どうでしょうか?」
恐る恐る私が尋ねると、店長さんが手を動かしながら答えた。
「そうですね、詰まっております」
「詰まる……」
今さっきしたバリバリという音は、その詰まった耳垢に触れた音なのかと少し怖くなる。
「大丈夫そうですか……?」
恐る恐る尋ねると、店長さんの穏やかな声が返ってきた。
「はい、大丈夫ですよ。でも、痛かったり、怖かったりしたら、おっしゃってくださいね」
この店長さんなら痛いときは本当に止めてくれそうなので、任せることにした。
店長さんが耳の中で耳かきを動かすと、またバリバリ、バリバリとすごい音がした。
「あっ……」
バリバリという音と共に中のほうに耳かきが差し込まれるのがわかる。
(こんなに耳かきが中に入ったの、初めて……)
いつも入れても痛くなってしまうので、中になんて入ったことがない。
時々、無理に入れてみようとしたことはあるけれど、痛いだけで全然良くなかった。
(でも、今は違う。すっと入って、ちょっとぞくぞく気持ちいい……)
耳の中に触れられるって、こういう感じなんだと初めてわかる。
中のほうに入った耳かきが、すすっと奥から手前に軽くかくようにして動き、今までかきたくてもかけなかった場所をかかれて、気持ち良くなる。
「あの……延長をお願いします」
細い耳かきのおかげで、初めて耳の中に耳かきが入るのが気持ちがいいとわかって、思わずお願いする。
「かしこまりました。何分延長しますか?」
「それじゃ30分で」
そうお願いして、また細い耳かきを味わう。
耳の中どれくらいまで入っているのかわからないけれど、これまでパリパリと音だけして、触れることが出来なかった耳壁に耳かきが触れて気持ちいい。
パリパリパリっと音がして、そのそばをカリカリとかかれる。
またそれが少し横に動いて、カリカリと耳の壁をかかれる。
ただ、店長さんがなぜかその作業を何度か繰り返すので、ちょっと気になった。
「耳垢のついた場所をかいていくんじゃないんですね」
「そうですね。耳垢が筒状に近い状態で入ってますので、今はどこの耳の壁に張り付いてるか調べてるところなんです」
「筒状……?」
聞きなれない言い方に思わず質問を重ねてしまう。
「耳垢が詰まって、耳の中で筒形のコルクみたいになっているんですよ。多分、耳かきや綿棒で耳垢を詰めてしまっていたんじゃないでしょうか」
それを証明するように、今度は違う方向から、また耳かきを耳の中に差し入れる。
同時にバリバリっとすごい音がして、差し込まれた耳かきの片面が、大きな耳垢に接していることが感じられた。
「そんなふうになっちゃってたなんて……」
「どうしてもお土産屋さんの耳かきとかはさじが大きいので、耳穴の小さい人だと押し込んでしまうんですよね」
仕方ないですよ、と店長さんが同情してくれて、耳垢と耳壁の間に入れた耳かきを動かし出した。
「んっ……」
詰まった耳垢の張り付いた部分を耳かきが見つけ出したらしく、それを剥がすために細い耳かきが動く。
それはこれまで得られなかった感覚だった。
耳垢のある部分にちゃんと耳かきが入ってかかれる感覚。
カリカリ、カリカリっとしっかりとかかれる音。
(ああ、耳かきってこういう感じだったんだ……)
耳穴が小さくて得られなかった感覚を初めて得られて、なんだかうれしくなる。
ゴソゴソっと音がして、その隙間をぬうように耳かきが動く。
カリ、カリッと動いた後、カリカサッという音がして、耳垢が剥がれたのがわかった。
(あっ……気持ちいい)
ずっと気になっていた部分がこれだったんだとわかる。
(耳をかかれるっていいなぁ……)
カリカリと痒い部分がかかれて、そして剥がれるときにそれが頂点に達するのがいい。
「もう少し剥がしたらピンセットで取りますね」
店長さんが耳を少し引っ張って中の様子を見て、目算をつけて耳かきを入れる。
ガゴソゴソっと大きな音が耳の中でして、そして、耳かきのさじが触れた部分は、とてつもなく痒かった。
カリ、カシュ、カシュ、カリ。
耳かきに耳垢が絡むのか、カシュっという音がする。
(あ、いい……)
ゴソゴソッと耳かきが動いて、耳垢に絡まれながら張り付いた部分をカリカリっとかいてくれる。
そして、ガリッと大きな音がして、また耳垢が剥がれる気持ちのいい瞬間が訪れる。
ああ、これが耳かきなんだと再び実感する。
「ピンセットにしますね」
かかれる気持ちよさを味わっていると、不意に店長さんの声がして、耳かきが引き抜かれた。
もう少しいじってて欲しかったと思いながらも、目を向けると、細いピンセットが見えた。
「細いので、恐かったらおっしゃってください」
店長さんはそう言ったものの、全然、耳に入れても冷たい感触はしなかった。
ただ、耳の中でカチッという音がしたかと思うと、きゅっと引っ張られる感覚がして、ズズボっという音がした。
「ひゃっ……」
声を上げたときには、もうピンセットが外に出ていた。
そして、その先には細く長い耳垢があった。
「取れましたよ」
それは練りケシでも詰めたような細く長くぎゅっと詰まった感じのするものだった。
「大きいのは取れましたが、まだ細かいのが耳の中に落ちていますので、取っていきますね」
取れた細い耳垢のところどころが欠けていた。
きっと私が耳かきを入れて、パリパリと音をさせていたときに、触れた部分の耳垢が割れて、耳の奥に落ちたのだろう。
「お願いします」
店長さんにお願いすると、耳かきが耳の中に入ってきた。
今度は詰まっている部分がないせいか、すっすっと軽快に動く。
耳かきがこんなに耳の中で動くなんて初めてで不思議な感じだった。
なんだか詰まった耳垢が無くなったせいか、風通しが良く、音もよく聞こえる。
すっすっと動く耳かきが、耳の奥に落ちた耳垢を外に出してくれる。
耳かきが細いためか、痛みもなく、耳が綺麗になっていく。
時々、まだ張り付いているところに触れて、カリカリっとかいてくれる。
(ああ、いいな……)
細い耳かきのおかげで、耳穴が細い私が、初めて耳かきという感触を味わえた。
(これがもう左耳も来るのか……)
もう一回、時間延長をしてもいいかもなと思いながら、私は右耳の残りの耳垢を取ってもらった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます