第8話 家族編 姉弟で耳かき 花梨と葵
「ただいま」
家に戻ってすぐ、
細い薄茶のツインテールを靡かせながら、眉根を寄せて、花梨は一人呟く。
「……うん、やっぱりついてる」
花梨が耳かきを取り出し、耳をかこうとした時、玄関のドアが開く音がした。
「……ただいま」
「いいところに帰ってきたじゃない、
弟の声を聴きつけた花梨は玄関に走った。
玄関には少し長めの黒髪をした、目元の涼やかな細身の少年が立っていた。
「ああ、花梨、帰ってたんだ」
黒曜石のような瞳を花梨に向けぬまま、葵が話す。
花梨はアーモンド色の瞳を三角にし、弟を叱った。
「花梨お姉ちゃん、でしょ! それより葵、いい時に帰ってきたわ」
「……何?」
めんどくさそうに葵が姉に一瞥をくれる。
しかし、温度のない弟の言い方に慣れっこなのか、花梨は制服いっぱいに広がる胸を張り、弟に要求した。
「あたし、今、耳が痒いのよ。かいてちょうだい」
「……香澄姉かすみねぇに頼めばいいじゃん」
断ってさっさと部屋に入ろうとする葵の服を、花梨がガシッと捕まえる。
「香澄姉はお仕事忙しいんだし、だいたい仕事で耳かきしてるんだから、疲れてるのに身内の耳かきなんてさせたら悪いでしょ」
「オレも学校で疲れてるんだけど……」
葵の細い指が花梨の手を離そうと動くが、花梨は白い指を赤くしながら、必死に葵を捕らえた。
「あたしも疲れてるわよ。だからほら、お姉ちゃんを癒しなさい!」
花梨が問答無用で耳かきを突きつける。
「ほら、居間行くわよ」
弟の返事も聞かぬまま、花梨が長い足でズカズカと居間に入っていく。
葵はあきらめて、学ランの襟元を緩め、姉の後ろについて行った。
「電気の下が見えやすくていいわよね。えと、座布団とクッションどっち用意する?」
「膝でいい」
葵は短く答えて、荷物を下ろした。
「あら、膝枕してくれるの? いいわね~。膝枕で耳かきって、また違う醍醐味があるわよね~」
ニヤニヤ笑う姉を、黙っていれば美人なのにと思いつつ、葵は冷静に答える。
「膝のほうが角度が付けやすい」
「もう、夢がないわねぇ」
そんなんじゃモテないわよと言う姉の言葉を無視し、葵が耳かきの準備をする。
「正座と胡坐どっちがいい?」
「葵の見やすいほうでいいわよ」
姉の返事を聞き、少し考えた後、葵は胡坐をかいて座った。
「はい。それじゃ始めるよ」
「オッケー」
花梨が楽しげにコロンと葵の膝の上に転がる。
「どう見える?」
「うん。平気」
葵は短く答えて、耳に少しかかったツインテールを端に寄せ、姉の耳の中を覗いた。
「……ど、どうよ」
「なんでちょっとどもってるの」
細い指で花梨の耳たぶを少しだけ引っ張りながら、葵が問う。
「何か恥ずかしいからよ!」
「耳かきしろって言ったの花梨じゃない……」
あきれたように応えながら、葵が観察の様子を報告する。
「耳穴の後ろ側斜め上にあるね」
「う、後ろ?」
「背中側ってこと。その斜め上についてる」
冷静な声で葵が分析する。
「花梨は前もその前もここについていたね。貯まりやすいか、あるいは自分でやるときにかきづらい位置にあるのかもしれない」
「自分の手で耳かきを持った時にそっち側に耳かきのさじを多分向けずらいのよ」
「そうだろうね。同じ理由で耳の前側の下についてる」
耳の中を見て確認しながら、葵が説明を続ける。
「それから……」
「葵」
「ん?」
「説明はいいから、早くかきなさいよ!」
花梨が膝枕をされたまま、葵の膝を叩く。
「お姉ちゃん、耳がかゆいって言ってるの。早くかいて! 聞いてたらますますかゆくなっちゃったじゃない!」
「……ああ」
理解したと言うように返事をして、葵が耳かきで花梨の耳の入り口をかき始める。
「お、丁寧にかいていってくれるのね、感心感心」
「いきなり奥をかくと痛いからね」
冷めた口調とは裏腹に、葵の耳かきかきは丁寧で繊細だった。
耳かきで少しずつ耳の入り口をかき、数ミリかいて中へ、そのあたりで取れた細かい耳垢を外に出し、また数ミリかいて中へを繰り返す。
「あ……気持ちいい」
少しずつ耳かきが入っていき、花梨の瞳がトロンとし始める。
「なかなかいいわよ、葵。もうちょっと、奥かきなさい」
「慌てないで」
葵は姉の要求にすぐに従わず、少しずつ耳かきを入れて、そこに付いた細かい耳かすを絡め取るように引き上げ、また耳かきを入れていく。
「ああ……もう、じれったいわね」
背中がムズムズするのか、花梨が足をよじる。
「耳の入り口のあたりにあった細かい耳垢が無くなったから見やすくなった」
花梨が急かすのに負けず、葵はマイペースに耳かきを続ける。
耳垢のついた耳かきを軽くティッシュで拭き、再び入れる。
シャッシャ、シャリ、シャリ……。
葵が再び少しずつ耳かきを入れていくのにしびれを切らし、花梨が声を上げた。
「もう、もっと奥入れて、奥!」
「……痛くなっちゃっても知らないよ?」
忠告したよと付け加えて、葵が耳かきを奥に入れ、背中側の斜め上についてる耳垢に耳かきのさじを触れた。
「ひっぎゃっ!」
「ほら、だから……」
「いいの、ダメ、抜かないで!」
葵が耳かきを抜こうとしてるのを察し、花梨が大声をあげる。
「そこ、今のそれ、取って!」
「ああ……うん」
痛くて上げた声ではないと理解し、葵がもう一度先ほどの場所に耳かきを当てる。
「そう、そこよぉ……」
花梨が葵の膝の上で、にたあという笑みを浮かべる。
「あっ……いい……葵、もうちょと強くかいて」
「はいはい」
言われるままに葵が強くかくと、パリッと音がして、耳垢が取れた。
「あ、取れた」
「え、本当!?」
「動かないで、おとなしくしてて」
葵は動きかけた花梨を自分の膝に押し付け、花梨の動きを封じた。
「ちょっと、葵! あんた、あたしの扱い悪くない!?」
膝の上の花梨が抗議の声を上げる。
「あたしのことお姉ちゃんだと思ってないでしょ!」
「花梨は兄弟だけど、オレの姉は香澄姉だけだ」
「何よそれ、もうー!」
花梨が文句を言う間に、葵が淡々と耳垢を外に出す。
そして、再び耳かきを入れ、耳の前側の下にある耳垢に触れる。
「あと、ここ取っちゃうから」
葵はそう宣言して、耳垢の下に耳かきのさじを入れる。
「ちょっと、葵」
「黙ってて。花梨うるさいから、気が散る」
冷たく答えつつも、耳かきの動きは優しいものだった。
耳を傷つけないよう、耳かきのさじが耳垢を正確に捉える。
耳垢のついた根元をカリカリとほどよい強さでかき進めていき、その感覚に花梨が身悶えする。
「そこ……もう震えるほどに痒い!」
「行くよ」
葵が耳かきをしっかりと持ち、ガリッと強めに耳垢をかく。
すると、耳垢は綺麗に耳壁を離れた。
「あっ……」
「取り出すから大人しくね」
ずずっと葵が耳垢を取り出す。
耳垢は耳かきのさじいっぱいにある大きなもので、耳から取り出して、ティッシュに乗せると、起き上がった花梨が目を丸くした。
「うわ、こんな大きさじゃ痒いはずよね」
花梨がマジマジとそれを見つめ、そして、葵に手を伸ばした。
「耳かき貸しなさい」
「自分でかくの?」
「違うわよ。あんたの耳をかいてあげようと思って」
「お断り」
強制的に花梨に膝枕をされないよう、葵はさっさと居間から出て行ってしまった。
「もう、何よ! せっかくお礼をしてあげようと思ったのに」
そこで花梨はハッとあることに気づく。
「右の耳もやってもらえば良かった~」
まあ、右は利き手だしいいかと思い、花梨は自分で耳をかき始めた。
「あ……自分でかくのもいい……」
花梨は葵に耳かきをするのを断られた怒りも忘れて、右耳の耳かきに没頭したのだった。
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