第6話 六人目のお客様・ピンセットで耳かきされたいお客様

 その日、私は緊張しながら、そのお店に入った。


 『椎名耳かき店』


 そう看板が出ているお店に勇気をもって入ると、意外にも優しい雰囲気の明るいお店だった。

 白を基調とした店内で、窓際やレジ裏には観葉植物が並んでいた。


「いらっしゃいませ」


 お店の中から出てきたのは、20代半ばくらいの優しそうなお姉さんだった。


「えと……お店の方ですか?」


 店内から出てきたのだから、当たり前なのだけど、女性はそうツッコまずに頷いてくれた。


「はい、この店の店長です。店長といっても1人でやっているお店ですが」

「あ、そうだったんですね! あの、すみません、耳かきってピンセットでもやってもらえるんですか?」


 質問してしまってから、唐突過ぎたかと後悔した。

 でも、店長さんは柔らかい表情のまま答えてくれた。


「お客様のご希望があれば、ピンセットでも耳かきできます」

「良かった……。耳かきが苦手でずっとしていなかったんです。耳かき棒って怖いし、苦手だし、どうしようかと思っていて……」


 ホッとしたせいか、ついどうでもいい愚痴が出てしまった。

 でも、私の不安を店長さんは穏やかな表情で聞いてくれた。


「耳かき棒が苦手というお客様も時々いらっしゃいますよ。過去に傷をつけてしまってから怖いという方や、耳かき棒だと咳が出るという方もいます」

「あっ、他にもいるんですね」


 同士がいると知って、なんだかホッとした。


「それなら良かったです。えと、それじゃピンセットでの耳掃除、お願いできますか?」

「はい。それでは何分になさいますか?」


 店長さんが私にメニュー表を見せてくれた。


「えと……耳かき30分でお願いします。それから、このイヤースコープって耳の中を見るものですか?」

「はい」


「これを使いながら、ピンセットで耳掃除って出来ますか?」

「出来ますよ」


 短いながらも迷いのない店長さんの返答に私は安心した。


「それではイヤースコープもセットでお願いします。耳の中が見えたほうが安心なので……」

「かしこまりました。どうぞこちらへ」


 ドキドキしながら案内された椅子に座ると、店員さんが変わった形のピンセットをいくつか用意してくれた。


(あのピンセット先っぽが曲がってる)


 まっすぐでなく、微妙な角度で曲がったピンセットは初めて見るものだった。

 ピンセットの先がギザギザになっているものもあった。


 他にもいくつかの道具を台に並べると、店長さんが温かい湯気が上がるタオルも持って来てくれた。


「お耳の外側を拭いていきますね」


 耳が温かいタオルで包まれて、耳の裏まで拭いてもらった。


「耳の裏なんて拭くの初めてです」

「顔を洗うことは多くても、この部分を拭くことって少ないですよね」


 そのまま店長さんがマッサージするように優しく耳のふちも拭いてくれた。


 (ああ、あったかい……)


 とろんとしていると、タオルが離れ、店長さんが椅子を引いてきて、そばに座った。


「それでは始めますね」


 目の前のモニターが付き、店長さんが機械っぽいものを手に取る。


「それがイヤースコープですか?」

「はい。これのこの先の部分を耳穴の入り口に触れて、それで耳の中を映していきます」

「……痛いですか?」


 恐る恐る尋ねると、店長さんは軽く首を振った。


「いえ、奥に入れるわけではないので、痛くないですよ。ただ、怖かったら言ってください。すぐにやめますので」


 痛くないというのと、怖かったらすぐにやめてくれるというのを聞いて、私は安心してお任せすることにした。


「わかりました。ありがとうございます」

「それでは、失礼いたしますね」


 店長さんがそう前置きして、イヤースコープの先っぽを耳に入れて来た。

 最初は画面がぼやけていたけれど、ピントが調節されて、ぴったり合うと耳の中がハッキリと見えた。


「わっ!」


 思わず声が出る。

 それほど耳の中は耳垢でいっぱいだった。


「すごいですよね、これ」


 思わず同意を求めると、店長さんは余計な慰めはせず、頷いた。


「そうですね、かなりたくさんあるかと。でも、大丈夫ですよ」


 こんなにすごい状態でどこが大丈夫なのだろうと不安に思っていると、耳の中でゆっくりとスコープが回された。


 スコープが動いて映し出す映像を見て、私は絶句した。


(耳が塞がっている……)


 耳の穴が、ない。

 スコープの目の前に耳垢の壁が出来たような状態になっていた。


「これ、何か重なっているし……鼓膜じゃないですよね」

「そうです。鼓膜ではなく、耳垢です」


 予想していたけれど、耳垢と聞いて、戦慄が走った。


「あの……本当に大丈夫なんですか?」

「はい。お客様、耳かきが苦手でずっとしてなかったとおっしゃってましたよね?」

「は、はい。本当にずっとしていなくて……」

「それなら大丈夫です」


 なぜか店長さんはそう断言した。


(どういうことだろう……)


 不思議に思っていると、店長さんが普通より小さめのピンセットを手に取った。


「では、始めますね。冷たかったりしたらおっしゃってください」


 耳の中にピンセットが入るのはわかったけれど、耳壁にできるだけ触れないようにしてくれているのか、冷たさはほとんど感じなかった。


(あ、カメラにピンセットが映ってきた)


 ピンセットが画面の中でゆっくりと動き、その先っぽが耳垢のひらひらした部分に触れた。


「痛かったらおっしゃってくださいね」


 耳垢のひらひらした部分に触れたピンセットの先が、その部分を掴んだ。

 そして、耳の中でパリッと剥がれる音がして、耳垢がピンセットに引っ張られて、動き出した。


 薄くて長い耳垢がゆっくりと出てくる。

 その耳垢を外に出して、次に少し先ほどより細長いピンセットが入ってきた。


 細長いピンセットの先が新たな耳垢を探り出した。

 痛くも冷たくも無かったけれど、耳垢にピンセットが触れて、ガサゴソと音が鳴った。


 掴める部分を探すようにピンセットが動き、今度は厚めの耳垢にピンセットが触れた。

 軽く掴んでそれを外に引っ張っていく。


 でも、思いの外、その耳垢が厚かったのか、店長さんがピンセットを変え、先っぽにギザギザのあるピンセットで耳垢を引っ張り始めた。

 その耳垢は予想外に厚く長く、ずずっと引きずり出す音と一緒に細長い耳垢が出て来た。


「こんな長い耳垢があったんですね」

「そうですね。折りたたんだような形で入っていました」


 言われてみると、確かにその耳垢には重なったような跡があった。

 そのまま慎重にピンセットが動き、その耳垢が紙の上に置かれた。


(どれくらいのが取れたんだろう)


 後で見せてもらおうと思っていると、再び、耳の中にピンセットが入って来た。

 次のピンセットは先っぽの曲がったものだった。

 

 少し耳穴部分が見えて来たものの、まだまだついていた。

 店長さんがゆっくりとピンセットを動かし、掴める場所を探して、少しずつ耳垢の壁を剥がしていく。


(ああ……なんだか見ていて気持ちがいい)


 壁のようになっている耳垢が少しずつ剥がされ、取れて行く光景は、見ていて楽しくもあり、気持ち良かった。

 ただ映像だけでなく、スッキリしていく感覚が一緒についてくるのも初めての体験でいい気分だった。


 時にはねじれたような耳垢があり、ピンセットが耳垢を引っ張る様子を思わず心の中で応援したりもした。

 耳穴が半分以上見えた時、ピンセットが耳の上のほうにある三日月を描くようにくっついた耳垢に触れた。


 様子を確かめるように耳垢に触れた後、店長さんは小さなピンセットに取り換えた。

 そして、ピンセットを耳の中に入れ、耳垢を軽く挟んで引っ張った。


 すると、その耳垢が軽く動いた。

 店長さんが耳の中をじっと見つめ、カメラを動かす。

 そして、もう少し奥の部分をピンセットで触れて、またピンセットの位置を戻した。


「少し大きなのを取っていきますね」


 店長さんがまたピンセットを変えて、そのピンセットの先が三日月型の部分をしっかり掴み、ゆっくりと引っ張られた。


 今度はパリッという音でも、ずずっという音でもなく、ゴボゴボ……という音がしてきた。


 何かと思っていると、耳のどこにそんなに入っていたのかと驚くほど、大きな耳垢が耳の中から這い出て来た。


(ええっ!)


 思わず身動きしそうになるのを、何とか抑える。


 先のほうは白い耳垢だったのに、出て来る耳垢は黄色から茶色になるような色をしていて、しかも硬そうだった。


 聞いたこともないような音と共に出てきたそれを見ると、小指の爪くらいありそうな大きな耳垢が紙の上に置かれていた。


「すごいですね……」


 思わずそんな言葉が漏れた。

 同時に、少し不安になった。


「こんな耳垢が入っていて、大丈夫だったんでしょうか?」

「量は多いですが、奥のほうに入ってはいなかったので大丈夫ですよ」


 店長さんの返答は意外なものだった。


「えっ、そうなんですか?」

「はい。お客様、ずっと耳かきをしていなかったとおっしゃってましたよね。ですので、耳垢が押し込まれて固まったりしていなかったので、取りやすい状態でした」


「耳垢が押し込まれるなんてあるんですか?」

「ありますね。太い綿棒でかかれている方とか、中に押し込んで固めてしまったり、時には鼓膜についてしまったりすることもあるので……」


 鼓膜についたらどうなっていたのかと思うと、ちょっと怖かった。


「でも、お客様の耳垢は押し込まれて固まったものではなかったので取りやすかったし、貼り付いてなかったので、耳の皮膚も傷つけずに取れました」


 店長さんの言葉通り、耳がスッとはしたけれど、痛いという感覚はなかった。


「綿棒は大丈夫ですか?」


 細く黒い綿棒を出されて頷くと、店長さんがピンセットから綿棒に持ち替えた。


「細かい耳垢はこれで取っていきますね」


 残っていた細かい耳垢が黒い綿棒に吸い付くようにくっついていった。


(さっきと同じ耳とは思えない)


 来た時は耳垢でいっぱいだった耳穴が、今やスッキリと綺麗になって耳穴が奥まで見えていた。


(逆も同じように詰まっているのかな?)


 詰まっていてほしくないような、詰まっていてほしいような……。

 そんな気持ちで、私は耳の中を綺麗に拭いてもらったのだった。

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