第18話 十五人目のお客様・お疲れのお客様
「お疲れ様でしたー」
会社を出て、私はその足でお店に向かう。
行き先は三つ隣の駅にある小さなお店。
椎名耳かき店。
「いらっしゃいませ~」
お店には優しい店長さんがいて、穏やかな笑顔で迎えてくれた。
いつものコースとオプションを選んでお願いする。
席に案内されて座ると、店長さんが温かいタオルを持ってきてくれた。
「熱かったからおっしゃってくださいね」
耳に届く店長さんの声も柔らかく、私の気持ちをほぐしてくれる。
ふわっと温かなタオルが耳を包み、耳が丁寧に拭かれていく。
温かくなった耳の外側、ふち、耳の裏まで拭いてくれて、気持ちが落ち着いてくる。
ここで耳かきに入る人も多いようだけど、私は耳を拭いてもらった後は、マッサージを入れてもらっている。
「首と肩のマッサージをしていきますね」
店長さんが耳を拭いたタオルを片付けて、新しいタオルを持ってくる。
今度は首と肩の付け根に、温かいタオルが当てられた。
温かさが染みるように体の中に入っていき、その間に店長さんがアイマスクを用意してくれる。
「今日もラベンダーの香りでいいでしょうか。他のにされますか?」
店長さんが他の香りのものも見せてくれる。
色分けをしているのか桜色や薄い橙色のアイマスクも出てきて可愛らしい。
「あ、いつものラベンダーので、お願いします」
私の返事を聞き、店長さんがラベンダーの香りのアイマスクを用意してくれる。
薄紫のアイマスクをしてもらい、目を休めながら、私は肩と首を揉んでもらった。
「こってますか?」
「そうですね、肩も首も固くなってるかと……」
「ですよね~。うちパソコン作業なうえに、私いつも下を向いてスマホ見ているから……」
この耳かき店に来ると、スマホを手放してゆっくり出来るので、それもいい点だった。
店長さんは細腕なのに意外にしっかりと揉んでくれて、固く張ったところを押してもらい、首や肩が軽くなっていく。
首をほぐしてもらうと、目のほうもなんだか疲れが軽くなる気がした。
目と首が楽になってきたところで、肩を内側から外側に揉まれ、最後に店長さんが両手を重ねて、パフパフと音を鳴らせて肩を叩いて、マッサージは終了した。
アイマスクを外し、それを店長さんに渡すと、店長さんが耳かき用の道具を用意して耳かきに移った。
「それでは、お耳のほうをかいていきますね」
耳かきもすぐ木の耳かきにはならない。
最初に綿棒で拭いてもらっている。
それを心得た店長さんは大きな綿棒と細い綿棒を用意してくれていた。
「では、始めますね」
大きな綿棒が耳のふちに触れる。
そっと耳のふちを撫でるように、ゆっくりと上から下に、下から上に綿棒が動く。
耳のつぼを刺激するように、時に強く、時に撫でるように綿棒が進んでいく。
「んっ……」
耳の上部分あたりに触れたとき、思わず声が出た。
「このあたりが利きますか?」
綿棒でそこをちょっと押してもらうと、じわっと利く感じがした。
「そうですね……そこってどこのツボなのでしょうか」
「こちらは腰痛ですね。そして、こちらが肩に効くツボと言われています」
肩のほうのツボも押されると気持ちが良かった。
さっきのマッサージと相まって、肩の具合が良くなっていく気がする。
(やっぱり疲れてるんだな……)
体の方にも反応が出てしまっているなと感じてしまう。
ツボを刺激しながらの綿棒が終わると、今度は細い綿棒を手にして、耳の表面を拭いてくれた。
特に念入りに拭かれるのが耳の真ん中のくぼんだあたりで、そこを拭き終えた綿棒を見ると、黄色くなっていた。
そして、さらに耳の入り口を細い綿棒で撫でるように拭いてくれる。
私はこれがちょっとくすぐったくも気持ち良くて、中に耳かきを入れる前にやってもらうのが好きだった。
「耳の中は煤竹の耳かきでいいですか?」
「はい、お願いします」
店長さんが頷いて、木の耳かきを手に取る。
少し細めの耳かきが耳に入り、カリッと耳の壁をかく。
カリ、カリ、ゴソ、カリ、カリ……。
耳の中でする音が気持ちがいい。
耳穴の下側をかいていた耳かきが耳の中から出て、紙の上にトントンと細かい耳垢を落とした後、再び耳の中に入る。
そして、耳かきのさじが上に向き、耳穴の上のほうをかかれ始めた。
「んん……」
自分ではかかない場所なので、ぞくっとする。
店長さんが耳を軽く斜め上に引っ張って、耳の中を覗き込んだ。
そして、カリッとかき始めると、耳垢に触れたのか、さらにぞくぞくっとした。
「大丈夫ですか?」
体が動いたのか顔に出たのか店長さんが手を止めて聞いてくれる。
「はい、大丈夫です」
かゆいところに触れられて、それでかくのが止められたので、早くかいてほしいという気持ちが強く出て、つい早口になる。
それを察したのか店長さんがすぐにまたかき始めてくれた。
カリ、サー、カリカリ。
奥から手前のほうに耳かきがさーっと動く。
それを何度か繰り返した後、耳かきが奥のほうに入った。
カリ、カリ、カリ。
耳垢のついた奥の部分を耳かきのさじがかいていく。
そんなに奥の方ではないのかもしれないけれど、普段触らないところなので、ドキドキする。
パリッと音がした瞬間、かゆみが強烈に来て、そのかゆい部分に耳かきのさじが入った。
カリカリ、パリ、カリカリ。
かゆい部分を耳かきのさじで擦られて、声を出さないよう唇をぎゅっと引き結ぶ。
パリパリ、スーッ。
奥でパリパリと音がしたかと思うと、店長さんがすーっと慎重に耳かきを外に出した。
「取れましたか?」
「はい」
返事をしながら、店長さんが取れたものを紙の上に置く。
それは薄く長い耳垢だった。
「薄いけど、これ、耳垢ですよね?」
「そうです。耳穴の上のほうにペターっとくっついてました」
「自分ではこういうのは取れなそうですから、助かります」
感心する私に店長さんはニコッと笑顔を浮かべた。
そして、また耳かきで細かい耳垢を集めていく。
「少しお疲れは取れましたか」
ゆっくりと耳かきをしながら、店長さんが優しい声で尋ねてくれる。
「おかげさまでだいぶ疲れてたのが良くなりました。……店長さん」
「はい?」
「これからもここでお店やっていてくださいね」
何を言ってるんだろうと思いながら、店長さんにお願いする。
すると、柔らかな声が返ってきた。
「はい、ありがとうございます」
温かな声と返事にホッとして、私は目を閉じて、耳かきに集中した。
(今度はアイマスクをしたまま耳かきをしてもらうのもいいな)
そんな風に次の予定を考えながら──。
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