第23話 二十人目・お久しぶりのお客様
「店、まだあるかなぁ……」
心配になりながら、男は歩を速めた。
一年以上、店に行っていない。
(もし、なかったらどうしよう)
角を曲がって、そこに……白い小さなお店があった。
その店は『椎名耳かき店』
「いらっしゃいませ」
変わらぬ柔らかい声、穏やかな微笑みの店長が迎えてくれる。
(良かった、店がまだあって……!)
一瞬、そう口にしかけて、慌てて男は言葉を飲み込んだ。
喜びの言葉ではあるのだけれど、小さな店だから潰れていたかと思ったという意味で伝わってしまったら困るからだ。
(店長は前と変わらぬ様子で迎えてくれたのだから、こちらも前と変わらぬ態度をしよう)
男はなんとなくそう決めて、メニューを選んだ。
「えと、耳毛剃りと耳かきで」
「はい。前と同じメニューですね」
一年前にもかかわらず、覚えていてくれたことに喜びを感じつつ、男は案内された椅子に座った。
美容院のようなこの椅子も変わらない。
前と同じく、店長があたたかいタオルを持ってきて、耳を拭いてくれる。
(自分でも耳なんて拭けるのに、ここで拭いてもらうとなんとなくスッキリするのはなんでだろう)
人にやってもらうのと自分でやるのではどこか違うのかもしれないと思いながら、耳のふちから裏側まで拭いてもらう。
あたたかくなった耳が気持ちいい。
タオルを片付けて、横に座った店長が耳の中をのぞく。
「耳毛剃りはハサミと穴刀どちらがよろしいでしょうか?」
「穴刀でお願いします」
店長が柄のある薄い金属の棒を手にする。
(あれが気持ちいいなんて、最初思わなかったよなぁ……)
初めて穴刀を見た時のことを思い出す。
最初、店長に穴刀を見せられた時は驚いた。
こんな金属の板みたいなのを入れるの? と。
しかし、やってみてその気持ち良さにハマった。
こちらがそんなことを思い出している間に、店長が耳の中を確認し、そっと穴刀を耳に入れた。
しょり、ちょりっと音がする。
耳の中を穴刀がすべるように動いて、耳毛が剃られていく。
自分で耳の中の毛を剃ることはできないので、この独特の感覚は耳かき店でしか味わえない。
店長がトントンと穴刀から毛を落とし、また、耳の中に穴刀を入れる。
しょり、しょり、ジョリ……。
どうやら太めの耳毛があったらしい。
トントンとまた耳毛を落として、耳の中に穴刀が入り、しょり、しょりっと剃られ、またトントンと店長が耳毛を落とし……。
「あの、結構、長く剃るんですね」
何度も穴刀が出入りしたため、そう尋ねると、店長が手を止めた。
「あ、はい。耳毛が長くなっていたので剃っていたのですが、もし、冷たかったりしたらこのあたりにいたしましょうか」
「いえ、耳毛があるということでしたら剃ってください」
そうか、耳毛が長くなっていたのかと思いながら、店長に剃るのを任せる。
耳毛は耳の中にゴミやほこりが入るのを防ぐフィルター的な役割がある。
だから、全部は剃らないと前に店長が言っていた。
そうなると、今剃っているのは、それを越えた長さの耳毛ということになる。
外から見えるほど出ていなかったのだったらいいなと願いながら、穴刀の動きに集中する。
しょり、しょりっという音と、少しの冷たさが気持ちがいい。
耳かきとはまた違う気持ち良さ。
耳の中がちょっと涼しくなったところで、店長は穴刀を置いた。
そのまま耳かきに入るのかと思ったら、なぜか店長はタオルを持ってきた。
「少し失礼しますね」
耳がまた軽く拭かれる。
何かと思ったらタオルに耳毛がついていた。
どうやら剃った耳毛が耳についていたらしい。
それだけで結構な耳毛が生えていたんだろうなと悟る。
「それでは耳かきをしていきますね。煤竹の耳かきで大丈夫ですか?」
「はい、お願いします」
店長が頷き、耳かきを用意する。
最初に選んだのはさじの大きめの耳かきだ。
「では、入り口から少しずつ、かいていきますね」
店長の柔らかな手が、軽く耳のふちを引っ張る。
しばらく中を見た後、店長が耳の入り口にカリ、カリッとかきはじめた。
(あ、いい……久しぶり)
自分ではかいていたのだけれど、やっぱりお店でやってもらうのは違う。
カリ、カリ、カリッとかかれる方向も違うし、力の強さも自分と違っている。
だが、それがいい。
かく部分が少し移動してカリ、カリッとまたかかれる。
さらに横に移動して、カリ、カリとかかれると、ゴソっと大きな音がした。
店長がじっと耳の中を見た後、それまでより細い耳かきに持ち替え、さらにまた違う方向から耳をかきはじめる。
(そこ、かゆっ……)
カリカリッとかく動きが細かくなる。
すごくその部分がかゆい。
体が動きそうになるのを我慢して、かかれてるのに集中する。
耳かきが一度止まって少し動いた。
カリッと一度かいた後、店長が様子を見て、またかく。
また先程のかゆい部分に耳かきのさじが触れる。
さっきよりも強くかかれて、気持ち良さが増す。
カリッ、カリッだった音が、ゴソ、ゴソになって、さらにかゆみが増した。
そのまま店長がゴソゴソするところをカリ、カリッとかき、そして、クリッと耳かきのさじが動いた時、それが伝わってきた。
(取れた!)
かゆみが取れた感覚と爽快感。
それを示すように店長が耳かきをゆっくり丁寧に外に出して、紙の上に置いた。
紙の上には大きな半月型の耳垢があった。
「ああ、これを取るためにちょっとずつかいて……」
「そうなんです。張り付いていたので、少しずつ剥がさせていただきました」
そんなのが張り付いているのに気づかなかった。
やっぱり店に来て良かった。
「残った耳垢を耳かきで取って、その後、綿棒と梵天で掃除しますね」
「はい」
残った耳垢もどれくらい残ってるか楽しみだし、梵天でくるーっと掃除してもらうのも楽しみだ。
俺は店がちゃんと残っていて良かったなと噛みしめながら、ゆっくりと目を閉じた。
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