いちこわびすけ

鼻つまみ者の帰還

 灰色の町の中心に位置する杉林に埋もれた「ミスミ公園こうえん」はこの辺り一帯のホームレスたちにとって、集会場なり寝床なり、時間帯によって役割は変われど、常に彼らの拠り所として存在している。

 昼間は専ら、食堂である。炊き出しの煙が上がると何処からともなく彼らがやって来て、鍋の前にはあっと言う間に行列が出来上がる。


「今日はなんか、いつもと違うのう」

「そうじゃのう。ん、なんじゃ、この白くて丸っこいのは? おぉ、ぷにぷにしとる……」

 

 いち早く炊き出しを受け取った二人の小さな老人が、行列を背にして床に腰掛けだべっている。口髭の濃い方が茶碗に入った黒い汁から見慣れぬ白い玉を取り出し、しげしげと様子を伺っている。


「おぉ、そりゃお前、モチじゃよ。いやぁ~懐かしい」

「なんじゃお前、知っとるのか」

「おぉ、ガキの頃に食ったっきりじゃ。懐かしいのう。気をつけろよ。喉に詰まらせると危ないでな」

「こんな小さいのにか? そんな馬鹿な……」

「それ、モチじゃなくて白玉」

「ん……?」


 無愛想な声がの背後から聞こえる。対面のは、顎髭の頭上を見上げて目を丸くしている。

 顎髭が振り返る。声の主は、床にあぐらをかく老人たちをすぐ傍に見下ろして立っていた。

 小さな体に大きく伸びた鼠色のパーカーをだらしなく羽織り、同じく鼠色のターバンの陰から覗く大きな目を眠たげに半開きにして見下ろしている。顔は子供のように幼いのに、ターバンからはみ出て肩まで垂れた長髪は、老人のそれのように真っ白だった。

 割に低い声さえ発さねば大人か子供かさえ判然としないその男はしかし、妙な威圧感をもって二老人を驚かせた。彼らは、この男を知っていた。


……!」

「久しぶり、うまそうだね」

「そんなことよりお前、ここ数年どこ行っとったんだ! はどこに……」

「おぉ? まだあるっぽいな」


 わびすけは年長者二人の質問を平然と聞き流し、既に興味を炊き出しの鍋に移している。クンクンと鼻を動かしてがまだ残っていることを確認すると、二老人を放ってそちらへ歩き出した。


「わびすけ……!」

「わびすけだ……」

「生きてたのか……」


 公園中のホームレスがわびすけの存在に気付いてざわめき出したが、彼は全く意に介さず鍋の元まで悠々と歩き着いて無遠慮に中を覗き込み、ぜんざいが鍋の半分くらいまで残っていることを確認した。

 盛り付けていた若い女性は、何だか薄気味悪いこの汚い小男に何も言えない。最前列に立っているハンチングの男も怯えているのか、持っている器を一向に彼女に差し出そうとしない。わびすけは、鍋を覗き込んだまま炊き出しの女性に話しかけた。


「お姉さん」

「は、はいっ!?」

「これ、あと何人分ぐらい?」

「え、えぇーっと十五人、多くて十八人分ぐらいかと……」


 わびすけは、目を細めて列の最後尾を顧みた。どう見ても三十人はいる。


「あ〜……」

「肉じゃがなら、まだありますけど……?」

「肉じゃが? んー……」


 何やら不満げだ。どうしてもぜんざいがいいらしい。

 わびすけは不意に最前列のハンチング男に視線を移すと、体を大きく捻り、帽子の陰に隠れた彼の目を下から覗き込んだ。

 そして、驚いて肩をビクリと震わせた男の目を凝視しつつ、言った。


「お兄さん、ゴメンね列止めて。俺に構わず受け取ってね」


 それだけ言うと踵を返し、またゆらゆらと歩いて列から離れ、そのまま公園を取り巻く杉林へと消えて行った。

 様子を見ていた公園内のホームレスたちは、呆れ半分にそれぞれの感想を言い合った。


「なんだ、あいつ? 何の挨拶も無しかよ」

「変わらねぇな。これだけ見られてんのに、大した肝だぜ」

「また騒がしくなるなぁ? ちょっと楽しみだ俺は」

「冗談じゃねぇよ。これでまで出て来やがったら……」


 大半はわびすけの帰還とその勝手気ままな振る舞いに対する苦言だったが、本人と会話を交わした二老人は違った。やけに深刻そうに眉を顰め、ヒソヒソと囁き合っている。


「突然妙なもんが出たと思ったら、妙な奴が帰って来たのう」

「んん……ん? さっきの男、どこへ行った?」


 顎髭は鍋の方を見て、次に公園中を見渡した。先ほど最前列にいたハンチングの男が、どこにも見当たらなかった。


「嫌な予感がするのう」

「そうじゃのう」

「何が?」

「ん?」

「あっ……!」


 またしても、謎の声の主が現れた。さっきとは逆に顎髭が目を丸くして、口髭の背後を見上げている。口髭は咄嗟に振り返った。

 すると、先ほどの声の主・わびすけの鼠色の頭があった部分には、茶色いモッズコートで覆われた殆ど膨らみのない胸があり、その上を赤い髪が垂れていた。

 もう少し視線を上げると、化粧気の乏しいキツネ目の大女が、ニタッと笑って老人たちを見下ろしている。


「いちこ!」

「久しぶりね……野茨のいばら日車ひぐるま。で、何の話?」

「お前も帰って来たのか……全く、どうなっとるんじゃ一体……」

「お前……?」


 いちこは一転してドスの効いた低い声で呻くように言うと、細い眉をピクリと動かし、キツネ目はみるみるうちに吊り上がり、既にして彼女の登場に気付いて騒めいていた公園中のホームレスの鼓膜をぶち破る程の怒号を発した。


「わびすけがいるのねッ!?」

「へっ? い、いや……」

「隠しても無駄よ!」

「うわぁっ!? な、何を……」


 いちこは長い両腕を二人の老人の胸倉へ伸ばすと、軽々と頭上に掴み上げた。公園の騒めきは益々大きくなるが、止める者はいない。彼女の怪物ぶりは、この悪徳渦巻く灰色の町においても最も恐るべき存在であったのだ。


「ぐえぇっ……な、何をするんじゃ、貴様……」

「吐けっ! わびすけはどこだぁっ!」

「何をそんなにいきり立っておるっ……」

「う、うるさいっ! そんなこと話してやる義理はない! とっとと吐かなきゃ捻り殺すわよ!」

「分かった、言うっ、言うってぇ~っ……グググ……」


 顎髭、もとい野茨が青白くなった顔をどうにかこうにか、わびすけが消えていった林へ向けた、その時だった。


「ぎゃぁぁああああっ!」


 まさにその方向から、男の凄まじい悲鳴が上がった。

 いちこは瞬時にそちらを振り向くと、掴み上げた二人を乱暴に打ち捨てて、猛然とそちらへ疾走した。


「お、おい、いちこ! ゲホゲホッ……」


 野茨はしたたかに地面に打ち付けられた背中を庇いながらも懸命に彼女を呼び止めようとしたが、いちこには最早聞こえていない。彼女は持ち前の健脚で飛ぶように走り、そのまま林の中へ突っ込んで行ってしまった。


「お、おいお前……大丈夫か」


 口髭、もとい日車が、よろよろと野茨に歩み寄り気遣う。


「大丈夫じゃ……ウーム、あやつら、喧嘩でもしたんかのう?」

「さぁの……しかしあの悲鳴、わびすけの仕業か?」

「どうじゃろうな……」

「やれやれ、また大ごとになりそうじゃの……」


 いちことわびすけ。住処も後ろ盾も持たない二人の若者は、既にこの町一番の名物であり、一番の鼻つまみ者であった。

 そして老人たちの危惧は実際、この先想像を絶するほどの「大ごと」となって的中することとなる。

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