二老人の苦悩

野茨のいばら、野茨。朝よ」

「んん……おぉ、そうか……」


 朝。鳥の囀り響くミスミ公園の一角にて、いちこに揺すられ野茨が目覚める。

 既に寝ずの番を終えて杉木から降りて来ていた日車ひぐるまも、いちこの隣に立ち野茨を見下ろしていた。

 野茨は背にしていた杉木を離れ、のそりと起き上がった。その姿を見て思わず手を差し伸べようとしたいちこを、片手で制しつつ。


「何、今さら朝弱くなったの? 前より五つもジジイになったのに」

「やかましいわい」

「お前も、そろそろお迎えかのう?」

「やかましいっ、全くどいつもこいつも……」


 いちこはこんなやり取りに懐かしさを覚えると同時に、二人を見比べて、五年を経て野茨だけが一気に老け込んでしまったように感じた。野茨はいちこの余計な心配を目敏く気取って、それを断ち切ろうと藪から棒に訊ねた。


「いちこ。お前この五年間、どこで何をしとった」

「えっ、あー……」


 いちこは少し躊躇ったが、野茨にはやはり話した方がいいと思い、一つため息をするとキッパリと言った。


「ずっと、わびすけと暮らしてたのよ。ねぐらは何度も変えたけど、最後は『群青の村』」

「……そうか」


 野茨は頭を掻きつつ、軽く相槌を打った。大方、予想通りのことであった。


「それで? なぜ二人ともここにおる」

「わびすけが急に、理由も言わずにいなくなったのよ……私はただ、あいつに帰る所なんてないし、いるとしたらここだと思って飛んで来ただけ」


 ここで日車があることに気付き、会話に混じった。


「しかしお前たち、ほとんど同時に来ただろう。よくわびすけの足に追い付けたな」

「あいつは休み休み来たんでしょ。私は四日ぐらい、寝ずに走ってたからね」

「まるで『ウサギとカメ』じゃな」

「誰がカメよ」


 野茨は笑えなかった。いちこのわびすけへの思い入れの凄まじさに驚くと同時に、何とも言えないを感じたからだ。


「わびすけが出て行った原因に、心当たりは無いのか?」

「よさんか、野茨。仮にも年頃の娘にそんなことを根掘り葉掘り……」

「『仮にも』は余計よ。いちいち失礼な……」

「黙っとれ日車。原因が痴話喧嘩だろうが何だろうが、この二人がここで追いかけっこなんぞ続けておったら、昨日のようなことが毎日町中で起こるぞ」


 野茨の意見は尤もであり、日車も黙って同意するしかなかった。

 いちこは俯き眉間に皺を寄せ、暫く考え込んだ後に言った。


「……よく分からないのよ。色々あって、やっと所だったのに。最後に『こういうの向いてない』なんて言って……」

「こういうの……村の暮らしのことか? それともお前との暮らしか?」

「知らないわよ。後者なら許さないわ」

「やれやれ、何の手掛かりにもならんのう」


 野茨はまた頭を掻いた。何の手掛かりも無いのなら、また向こうから現れでもしない限りわびすけと接触するのは不可能に近い。


「わびすけはともかく、お前は目立ち過ぎる。暫くは……」

「嫌」


 いちこは野茨の発言を予測して先手を打つように、そのキツネ目で野茨の目を見据えてキッパリと拒絶した。


「お前な……」

「私、わびすけをとっ捕まえるまでは、絶対にここ出て行かないから」


 こうなったらもうテコでも引かない。歯噛みする野茨の肩を、日車が叩いた。


「ま、良かろう。イレズミに、あんな庶民を巻き添えにするような手口は本来ご法度じゃ。この先また人質なぞ取りおったら『必要悪』の大義名分が消えて、政府に切り捨てられるわい」

「しかしな……」

「分かっとる。念には念をじゃ。いちこ、町を出ろとは言わん。暫く身を隠せ」

「はぁっ? 嫌よ、そんな暇ないわ」

「ええい、少しは年寄りの言うことを聞かんか小娘っ」

「むっ……」


 日車が珍しく声を荒げたので、思わずいちこが黙った。日車はそのまま低く、淡々と続けた。


「いいか。わびすけは儂らが探す。所在が割れればお前に報告する。お前の出番はその後じゃ。さっさととっ捕まえて町を出ろ」

「でも……」

「でももヘチマもない。お前がおらん五年間、儂らがただここで寝っ転がっていただけだと思うか」

「……どういうこと?」

「まぁ、任せておけ。何も徒党を組むのは、イレズミどもの特権じゃあないわい」


 不敵に笑う日車にいちこは奇妙な頼り甲斐を感じたが、執拗に念を押した。


「本当ね? 口先だけなら許さないわよ」

「生意気言うな馬鹿たれ。儂らを誰だと思っとる」

「……分かったわよ。じゃあ、暫くは言う通りにしてあげる。その代わり、そう長くは待たないわよ」

「フン、精々大人しゅうしておれ……」



 ♦︎



 いちこを杉林の中のに隠した野茨と日車は、二人でのそのそと杉林を歩きながらだべっていた。


「やれやれ……その場しのぎにも程があるぞ日車。わびすけを捕まえるなどと……イレズミどもが十年かかっても出来なかったことを、一体何日かけてやるつもりじゃ」

「儂らの仕事は『見つけること』じゃ。そのくらい造作もないわい」

「だから、それに何日かかる」

「さあな。じゃが長くて十日もあれば、大体の位置は絞り込めるじゃろ」

「無理じゃな」

「無理じゃないわい。町中の浮浪者どもの情報網を駆使すれば……」

「それじゃあない」


 野茨は大きくため息をつき、言った。


「いちこの奴がで、十日も大人しく隠れていられると思うか?」


 日車は一瞬黙り、口髭を摩りつつ苦し紛れに言った。


「……まぁ、それはそれじゃ」

「はぁ……急がねばなるまいな」


 二老人は、ミスミ公園の北方「サクラ通り」を目指してひた歩く。

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