林の民

「ねぇ……ねぇっ! 野茨、日車!」

「なんじゃ、うるさいのう」

「どこへ連れて行く気よ?」

「お前の当面の隠れ場所じゃ」


 日車がいちこの問いに煩わしげに答える間、野茨は何やら神経を尖らせつつ、辺りの杉木を見回しつつスンスンと鼻を動かしている。

 やがて一つため息をつくといちこを顧みて、言った。


「ここじゃ」

「ここ……?」


 いちこはキョロキョロと辺りを見回した。先程からずっと通って来た道と何ら変わらない、ただの杉林である。


「……どういうこと?」

うろが多いじゃろ」

「う、空ぉ? 空で丸まってろっての? ふっざけないでよ! 私はあんたらみたいに、こじんまりとした体してないのよ!」

「やかましい、静かにせんか」


 野茨は喧しく不満を並べ立てるいちこを制して大きく息を吸い、やがて怒号を上げた。


「……リィーーーーーーン! とうに気付いておろうがッ! さっさと出て来いッ! 出て来ぬとここら一体の杉木を悉く焼き払って、無理やりにでも引きずり出すぞォーーーーーーッ!」


 小柄な老体のどこから出たのか分からない雷のような怒声は、辺りの空気を、木々をビリビリと震わせ響き渡った。


 いちこが久々に聞く野茨の相変わらずのに懐かしさと頼もしさを感じていると、上の方から若い男女の情けない声が聞こえた。


「や、やだっ、リン、怖いよぉ〜〜っ!」

「もうっ、もぉっ! ちょっ、ちょっとっ、待って……待ってくださいよ、分っかりやしたよォ〜〜っ!」


 いちこと二老人が声の出所を確かめると、二つの肌色の人影が小高い杉の枝にしがみ付いて震えている。


「あそこじゃ」

「この木じゃな……よしいちこ、蹴れ」

「いいの?」

「あぁ、思い切りやれ」

「えっ!? ちょっ……」


 男の方が制止の声を上げるのも待たず、いちこは二人がしがみ付いている木に歩み寄り、無造作な、しかし幹がへし折れんばかりの強烈な前蹴りを見舞った。


「うわぁーーーーーッ!?」

「キャアーーーーーッ!」


 木は大きく揺れ、哀れ二つの肌色の塊は虚空に投げ出され、枯葉の絨毯に吸い込まれるように、ドサリと落ちてきた。


「……ってぇ〜〜〜〜っ……いいトコだったのに、何すっだコノ……!」

「久しぶりじゃな、

「あわっ!? じっ、じいさ……」

「さっさと出て来ぬからそうなる」

「えっ、えへへ、すいやせん……」


 丸いサングラス以外に何も身につけていない、ボサボサの茶髪とガリガリに痩せた体つきの男・リンは、二老人に対して終始怯えた様子で受け答えを続ける。

 長く縮れた黒髪の小柄な女は、落ち葉の中に裸体を隠し、リンの背中の影からなぜかジッといちこを見ている。

 いちこはその視線に気付き、怪訝な表情で彼女を見返した。睨んだつもりは無かったが、そのキツネ目と巨体から放つ威圧感にやられてか、女は「キャッ」と小さく叫んでリンの背中に完全に隠れてしまった。


 野茨が、いちこの方を振り返り呼んだ。


「いちこ、こっちへ来い」


 いちこは二人の裸の男女をゴミを見るような目で見つつ無言で野茨の側まで歩み寄り、憮然として聞いた。


「何よ?」


 野茨はいちこの反発を予想しつつ、投げやりに言った。


「暫くこいつらと暮らせ」


 しん、と一瞬の沈黙が流れた。いちこの顔は、みるみる露骨な嫌悪感を露わにして歪む。


「……ハァーーーッ!?」

「まぁ、まぁ……安心せい。こう見えて無害な連中じゃ」

真昼間まっぴるまから木の上で盛り合ってる連中なんか、存在そのものが有害よ! こんな奴らと一緒にいたら、一日も持たずに気が狂うわ!」

「大丈夫じゃ。嫌になったら殺しても構わん」

「殺……っ? ちょ、爺さん、何言ってんのっ!?」


 平然と物騒なことを言う日車に、流石にリンが食ってかかる。しかし日車は無視して、淡々と互いの紹介を始めた。


「リン、紹介しよう。今日からお前らの厄介になるいちこじゃ」

「何勝手に決めてんのよっ!」

「で、いちこ、こいつがリン。女の方がじゃ。仲良くするんじゃぞ」

「イヤ出来ねぇよっ!? 嫌になったら殺されるんだろっ!?」


 いちことリンがそれぞれ必死の抗議を続ける中、ランがおずおずといちこを見上げ、なぜか頬を赤らめながら声を掛けた。


「えへへ……よろしくね? ……」


 全員が沈黙し、ランを見る。いちこは呆気に取られつつ答えた。


「……まぁ、とりあえず服着てくれる?」



 ♦︎



 結局、野茨と日車は適当なところで話を切り上げて、サクラ通りへと出発した。


 リンとランは二老人の背中を見送ると、近くの杉木の空に二人揃ってのそのそと入ると、薄汚れた服を着て出て来た。

 リンは髪より少し薄い亜麻色のシャツと深緑のドカンを身に付け、幅広の麦わら帽を被っている。

 ランはオレンジ色のタンクトップと水色のベルボトムジーンズ、長い黒髪の上から額のあたりに黄色いヒッピーバンドを巻いている。


 いちこは別にこの二人と話したくはなかったが、様々な疑問を抱えたまま行動を共にするのが嫌で、とにかく気になることを聞いてみることにした。


「あのさ……あんたら、何なの? ホームレス?」

「ちげーよ。『林の民』だ」

「林の民……?」

「俺たちは全員、元々は都の住人だ。だが自分の意志で、住処を野生に移した。断じてホームレスなんかじゃねぇ。ここは俺たちのウチなんだからな」


 いちこには、勝手に林を『ウチ』と騙っているだけのタチの悪いホームレスにしか見えなかったが、そんなことを突っ込むとまた面倒でどうでもいい説明が入りそうなので、やめた。それより気になることもあった。


って、まさか他にもいるの?」

「おう、そうだ」


 いちこは胸焼けを覚えた。こんな奴らが、他にもいる……

 するとランが、またなぜか顔を赤らめつついちこの顔を見上げて言った。


「これからその仲間たちのところに行くの。いちこさんに紹介してあげるね?」

「あ、ありがとう……?」

「ウフッ……どう致しまして」


 紹介など嬉しくもなんともないが、ランの態度に何故だか薄気味悪さを感じたいちこは、ガラにもなく心ない礼を口にしてしまった。


「うしっ、じゃあ着いて来い」


 リンが示した先は、辺り一面にある空のある木の中でもとりわけ大きな木だった。


「俺たちのウチはこの中だ……ケケッ、ぶったまげて気絶すんじゃねーぞ?」


 リンはニタニタと得意げに笑いながら、空の中に入って行った。


「さぁ……行きましょ?」

「えっ、あぁ、うん……」


 ランが頬を一層赤く染めて、両手でいちこの右手を握り、引っ張った。

 いちこは本能的に「入りたくない」と強く思い、その気になれば簡単に振りほどいてしまえるのにも関わらず、ランの舐め回すような視線と手つきに調子を狂わされ、ついついそのまま引っ張られていってしまった。


 そんな様子を、別の樹上からぼんやりと観察しているの存在には、誰一人として気付かなかった。

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