虎穴へ

「この大馬鹿野郎ーーーーーーッ!」


 サクラ通り自警団の集会所に御形の怒号が響き、直後、強烈なビンタの音が炸裂した。

 頬を張られた男はごろりと床に転がり、真っ赤な紅葉の付いた肩頬を抑えつつ起き上がり、涙目で抗議した。


「んな、何しやがるッ!」


 彼こそ、自警団棟梁・平子ひらこてつお。歳はまだ三十に差し掛かったばかりで、御形より一回りも若い。

 しかし髪には白髪が混じり、精悍な顔には潰れた片目と、鼻梁を横一文字に切り裂かれた古傷が目立ち、また全身には先日負ったばかりの生傷がある。大きくはだけた鉱夫の青い仕事着の下には、それらを覆った包帯が巻かれているが、まだそこかしこに血が滲んでいる。


「そんな体で何しようってんだッ、この阿呆! 一人で死ぬなら勝手にすりゃいいけどねっ、仮にも棟梁の身で、何人も巻き添えにして死ににいくようなマネ、このアタシが絶対に許さないよッ!」

「うるっせぇ! 女のお前に何が分かるッ! 他ならんツツジ先生を助けてここに担ぎ込んだのは、この俺だぞ! そのお弟子サンで、しかも伝説の総裁の忘れ形見が町のどっかで逸れて彷徨ってるなんて話聞いちまって、じっとしてられっか!」


 サクラ通りを締める男女の大喧嘩を遠巻きに見守る十数人の男たちは、平子が呼ばわって集まった自警団の面々。全員、平子と同じ鉱夫である。彼同様、体に生傷を負った者も数名混じっていた。

 そのうちの一人が進み出て、冷静な口調で御形に食ってかかった。


「御形さん。申し訳ねぇが俺たちは一人残らず、自分てめぇで平子さんに付いてくと決めたんだ。如何にアンタといえども、もう俺たちゃ、止まる気は毛頭ありやせんよ」


 彼もまた、平子とさして歳の変わらぬ壮漢である。胸元に負った大きな切り傷が、共にツツジの救出に携わったことを物語っていた。

 その後ろに控える男たちもまた、一人残らず口を真一文字に結び、決然とした表情で平子に従う覚悟を無言で示していた。


 御形はジロリと彼らを睥睨し、チッ、と舌打ちした。そこへツツジが、バツの悪そうな表情を浮かべてソロソロと入って来た。全員の視線が彼に注がれ、一気に口を開いた。


「おぉ、先生! 無事ですか!」

「良かった……ご安心下さい! お弟子さんは俺たちが命に変えても助け出して、ここへ連れ帰って来やすから!」


 ツツジは頭をかいて苦り切った表情を浮かべ、彼らを宥めた。


「まぁ、まぁ……落ち着いてくれ、君たち。もう作戦は練ってあるし、わたるには大賀くんが付いてる。そうすぐには……」

「いいや、甘いッ!」


 パンッ、と平子が両手で膝を打ち、ツツジの目を真正面に見据えて言った。


「……失礼。しかし先生。イレズミや終末派の跋扈するこの町で、護り手が大賀さん一人じゃあ流石に心許ない。俺たちだって仮にも、先生の弟子の端くれだ。こういう時にお役に立ててくんなきゃ、恩義に報いる時がねぇ」


 「そうだ先生!」、「俺たちに任して下せぇ!」と、平子以下、自警団の面々が口々にまくし立てる。

 御形は瞑目し、「全く、男って奴は……」と嘆息した。と、その時。


「なるほどのう、大体分かった」


 小さな老人が顎髭を撫でつつ集会所に立ち入り、出し抜けに口を開いた。

 男たちは途端に目つきを変え、殺気に満ちた目でジロリと老人を睨みつけた。


「誰だ、てめぇは?」

「何の、身寄りのない哀れなジジイじゃよ」


 一人の男のガラの悪い問いかけに老人は飄然と答え、集会所の中心に「よっこいせ」と無遠慮に胡座あぐらをかいた。


「野茨さん……」


 目を見開き、呟くようにその名を呼んだのは、平子。他の面々は怪訝な表情で互いに顔を見合わせながら、「野茨?」、「誰だ?」と口々に訊ね合っている。


「二侠客の一角・野茨としろう。まぁ、炭鉱一筋の男どもには知る由も無いね」


 と言ったのは、御形。依然として「二侠客?」、「知らん」と騒めく男たちを他所に、平子だけが生唾を呑み、ギョロリと自身を睨みつける野茨と見つめ合っている。


「平子、先日この先生を襲ったのはどこの誰じゃ」

「……曙光会の精鋭です」

「確かか?」

「はい」

「そうか」


 遂に野茨も瞑目し、首を振った。そして怪訝な顔で二人のやり取りを見守る御形に向き直り、言った。


「御形、ここは平子に任せておけ」

「……でも」

「大方こ奴ら全員、ツツジ先生の弟子じゃろう。だが平子は、どこまで言っても侠客じゃ。こうなってはもうテコでも聞かんさ」

「任せるったって、どうするのよ。まだ所在も何も掴めてないんでしょう」

「掴めんからこそ、素早く動かねばならん。正直なところ、先刻先生と交わした約束通りに動けば手遅れになりかねん……平子」

「はい」

「どうするつもりじゃ」


 平子は血走った目を一層鋭くして、言った。


「林を抜け一路、ケヤキ通りへ行きます。道中、錦戸ご子息を拾えれば良し。拾えなきゃ……」

「ケヤキで一戦覚悟して、錦戸ご子息を探すか」

「はい」

「よし」


 野茨はおもむろに立ち上がり、また御形と向き合う。


「儂も行く」

「なっ……」

「安心せい。少なくともここの若いモンは、全員生きて返す」


 御形は顔を真っ赤にして、猛然と反論した。


「無茶よ! 博打が過ぎるわ!」

「状況が状況じゃ。博打でも打たねばどうにもならんわい」

「いいえ、もっと慎重に動くべきよ! 何のために私がいると思って……」

「私も行きます」


 ……これには野茨も、御形も、平子も、その場にいる全員が閉口した。他ならぬツツジが立ち上がって、参加を表明したのだ。


「……正気か?」

「或いは狂気かも知れません。ですが、弟子の危機を招いたのは師の責任。ここまで人様を巻き込んで、己だけ座して待つことなど、私にはできません」

「馬鹿じゃないの……敵が一番殺したい面々が、集団で敵中に飛び込むっての?」

「えぇ。但し人数は絞ります。私と、野茨先生、それに平子殿。後は二、三人。平子殿、適当な者を見繕って下さい。それ以上増やせば目立ち過ぎる」

「分かりました」


 御形はもう、かける言葉が見つからなかった。飛んで火に入る夏の虫とはこのこと。まさに「敵が一番殺したい面々」だけに絞って、敵の中枢に飛び込むと言うのだ。策も何も、あったものではない。

 一体ツツジは何を考えているのか。「怜悧なる切れ者」との風聞は、ただの風聞だったのか、或いはその知は、長い沈黙の末に朽ち果てたのか。皆目見当がつかなかった。


「御形、七草の茶屋で待て。じきに日車がいちこを連れて来る。適当に法螺を吹いて、絶対に儂らを追わせるな」

「……もう、勝手にして」


 痛む頭を抑え、御形は立ち去った。


「よし……行くぞ、お歴々。先導は儂に任せい。日暮れと共に、ケヤキ通りへ着くよう歩く」

「承知」


 野茨に続いてツツジ、そして平子が顎をしゃくって選ばれた二人の男、最後に平子が立ち上がった。

 五人は、武者震いを抑えて見守る男たちの輪を抜け、悠然と集会所を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る