暴発

 場所は変わってサクラ通り・七草の茶屋。

 二老人はさっさと出支度を済ませ、通りを出ようとしていた。


御形ごぎょう、本当にええんだな」

「えぇ、構わないよ」


 野茨のいばらは手荷物を詰めた風呂敷を担ぎつつ、背後に立つ女王・御形みしろに問いかけた。

 御形は相も変わらず泰然と腕を組みパイプを吹かしながらも、何処か哀しげな表情で答える。


「アタシには……いや、サクラ通りには、それをやる義務があるからね」


 日車ひぐるまは口髭を撫でて門扉に背を預けながら、そんな御形の表情を微笑と共に眺めて言った。


「すまんな。弱みにつけ込むようなマネをして」

「いいのよ。弱みもひったくれもありゃしないわ……がいなきゃ、今のサクラ通りはないからね」


 『交渉』は成立した。

 二老人は御形に、サクラ通りにていちこを匿い、その情報網を駆使してわびすけ捜索の手助けをする約束を見事取り付けた。後は、いちこを迎えに行くだけである。


 野茨が草鞋を履き、日車と並んで茶屋を出ようとしたその背に、ツツジが声をかけた。


「両先生、どうぞご無事で」

「いやァ、そちらこそ。後回しになって申し訳ない。そちらとの約束も、ちゃんと後で果たしますでな。暫くここで待っとってくだされ」

「とんでもありません……完全に僕の不始末であるところを。全く申し訳ない」


 ツツジは二老人に向かって大きな背を折り、深々と頭を下げた。それに日車が苦笑し、手を振った。


「まぁ、まぁ、おやめなさい……とは言え、かの『伝説の総裁』の片腕ともあろうお方の頼みじゃ。この老骨が役立つなら、何だってやりますわい」


 どうやら、こちらの交渉も成立したらしい。

 二老人はいちこをサクラ通りに迎えた後、その足でツツジの弟子にして伝説の総裁の遺児・錦戸わたるの捜索にあたる。無論、サクラ通りの情報網も駆使しての話だが。


「一刻を争う。急ぐぞ、日車」

「応、野茨。ではの御形、ツツジ先生。また後ほど」

「そんなに急がなくてもいいわよ。どっちにしろ『平子ひらこ』の奴が起きて来なきゃ、ケヤキ通りには行けないし」

「まぁ、それもそうじゃ……ん?」


 女将サーーーーーーーン……


 何やら通りの遥か向こう側から、御形を呼ばわる声がする。その場にいた四人が一斉に声の出所へ目を凝らすと、少し前に御形から『役目』を言付かって茶屋を出て行ったセリが、大急ぎでこちらに向かって駆けて来ていた。

 二老人やツツジが訝しみ眉を顰める中、呼ばれた女将・御形が通り全体に轟く大声で答えた。


「セリッ、何事だいッ!?」


 余りの大声に通りを行き交う人々が一様に足を止め、七草の茶屋に視線を向ける。セリはその群衆を「どいて、どいて」と押し退けながら、息急き切って掻き分けて駆けに駆け、やがて茶屋の店先まで辿り着いた。

 セリは膝に手をついてゼェゼェと肩で息をしつつ、「女将さん、女将さん……大変です」と繰り返す。要領を得ない説明にしかし御形は苛立ちを露わさず、足袋のまま店先に踏み出してその肩を摩りながら問いかける。


「どうしたんだいセリ、そんなに慌てて。何事だい?」

「平子さんが、平子さんが……ハァ、ハァッ……」

「何、平子が……?」


 その名が出た途端ツツジが血相を変え、これまた足袋のまま店先の土に足をつけてセリに問いかけた。


殿がどうしたねっ」

「平子さんに……女将さんに言われた通り事の仔細を知らせたら、もう起き上がって鉱夫のお兄さん方を次々に呼び集めて、出支度を始めちゃいましたぁっ!」

「……はあっ!?」


 御形が呆れ返り、素っ頓狂な叫び声をあげた。

 二老人は額に手を当てて「馬鹿め」と呆れ返り、ツツジは「あぁ、それはマズい!」と叫び、真っ先に通りへすっ飛んで行ってしまった。


「ちょ、ちょっと先生! あんた、鉱夫の集会場知らないでしょ!」


 御形が叫び、すぐにその背に追い縋ったが、ツツジは足を止めない。

 通りは騒然とした。見覚えのない、中年のデコッパチの大男が半纏はんてんを翻しながら、売春宿の立ち並ぶ通りを足袋で疾走し、他ならぬ女王もまた足袋のまま土を踏みしめてその背を追い立てる。宿のそこかしこから売春婦とその客が、「なんだ、なんだ」と声を上げながら半裸の身を乗り出し、その様子を見物している。


「あーもう、滅茶苦茶……」


 セリは疲れ切って二人を追う気力もなく、呆然とその背を見送りながら独りごちる。冷静な野茨はため息一つつき、淡々と次善の策を講じた。


「やれやれ、仕方あるまいて……日車。お前、一人で林へ行っていちこを連れて来い」

「お前は?」

「儂は二人を追って、平子を宥めてくるわい。場合によってはお前が戻る頃、儂らはここにおらんかも知れんが……ともかく話が通った以上、いちこをここへ連れて来るのが先決じゃ。頼んだ」

「了解じゃ……やれやれ。どいつもこいつも、まだまだ青いの」

「全くじゃ」


 二老人は互いに苦笑を交わしながら、阿吽の呼吸で動き出す。


 ……一人取り残されたセリは、駆け去る四人の背と騒めく通りを見守りながら、心中にぼやいた。


 また、大ごとになる。

 全部、あの「ツツジ先生」とやらのせいだ。


 これは事実である。

 実際、昨日ツツジがこの通りにやって来た時から不穏な空気が漂い始めたのだ。

 「サクラ通り自警団」の棟梁・平子てつおが、全身に半死半生の大怪我をして、彼を担ぎ込んで来たその時から……

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