前哨戦

乱闘開始

 リンが、自身を呼びつけたリュウと共に杉木の隠れ家からこっそり顔を出すと、既にコミュティの面々は別の樹上に二、三人ずつ潜んで、目下に広がる光景を楽しげに観察していた。リンは驚愕し、それ以上に困惑した。


 若々しくも恰幅の良い大男が、背中に泡を吹いて気絶する若者を、かたわらに全身包帯でグルグル巻きのミイラ男を抱え、そしてもう片方の手に手槍を構え、油断ならざる面持ちで、ズリズリと摺り足でコミュニティの面々が潜む杉木の合間を歩いているのだ。


「何があった?」

「さぁ……でも、相当な修羅場だったみてーだな。見ろよ、抱えられてる男のカッコ。ひでーぞ」

「ん?」


 リンは目を細め、ミイラ男の顔を凝視した。どうも見覚えがある気がした。そしてリンは次に、それより神経を尖らせて樹上に目を凝らす。薄っすらといちこの赤毛が見える木に、ランが一緒に登っていたからだ。そしていちこもまた自分と同じように、ミイラ男に注目しているのが見て取れた。


「クソッ、こりゃ揉め事になるぞ……」


 事態はそれだけでは済まなかった。

 樹上のランが、全身に物々しい彫り物を施した全裸の男たちが、群れをなして近付いて来ているのを目撃したのだ。



 ♦︎



「くぅ、さみぃ……」

「ヒェッ、虫だっ、刺される、刺されるぅっ!」


 集団の半分ほどのイレズミたちは情けない表情で口々に不満を言い合ったが、もう半分は一言も語らず、憮然とした表情でただ歩くのみ。その落ち着いた集団の内の一人が、先を行く最も大柄で堂々とした態度の偉丈夫・竜胆りんどうに向けて問うた。


「これからどうします、竜胆さん」


 竜胆は裸体を刺す冷気に総毛立ちながらも動じた様子は頑として見せず、堂々と、ゆっくりとした歩調で歩きながら、寒さに震えそうな声にどうにか威厳を保ち、答える。


「ネズミ一匹にいいようにやられて、菊田さんは攫われ、俺たちはすっぽんぽんにされちまった。目当ての赤毛も見当たらねえし……こうなったらもう、道は一つしかねぇ」


 裸の男たちは、一様に竜胆の言葉に聞き入った。竜胆は一度瞑目して一呼吸置き、次にカッと両眼を見開いて言った。


「全員でケヤキ通りまで突っ切って、オヤジに土下座だ!」


 ……一瞬の静寂の後、男たちが口々に述べ立てた。


「それしかないっスね」

「そ、そうだな……不二の親分のとこ行ったら、どんなケジメつけさせられっか……」

「でも、隠しきれるか?」

「安心してください。竜胆の兄貴も、オヤジも、絶対大親分にゃチクりやしません」

「よし……」


 そうと決まれば、と、一団はのそのそと動き出した。目標はケヤキ通り、「曙光会」本拠地。


「よしっ、走れ!」

「応ッ!」


 男たちは竜胆の合図で、一斉に駆け出した。



 ♦︎



「両刀使いの乱行集団の住処に、全裸のイレズミ軍団? 全く、この林、いつから変態の巣窟になったのよ」

「はは……」


 流石にいちこはコミュニティの面々と違って迫るイレズミ連中に全く怯えてはいなかったが、代わりに立て続けに起こる不愉快な出来事に心底うんざりしていた。

 ランは何も言い返せずただ愛想笑いを返すのみだったが、いちこの袖はきゅっと掴んだまま離さなかった。理由は一つ。隠れ家のうろに隠れるリンが、懸命に身を乗り出してこちらに手を振り、「何もさせるな」と合図を出していたから。


「ラン、ちょっと、離しなさいよっ」

「駄目です、いちこさん。堪えてください……」

「だって、ほっといたらあいつ……」


 いちこは、自身の立つ杉木の下を歩く大男を心配していた。このままでは必ず、迫り来るあのとぶつかる。そうなると、どうなるか分からない。


「離しなさいラン!」

「いちこさん、お願いだから動かないで……っ、何も起こらないかも知れないじゃないですかっ」


 ランが懸命に絞り出した言葉に、いちこはピクリと反応した。なるほど、確かに。あの集団はただ、ケヤキ通りを目指して移動しているだけ。あの異様な大男を目にしても、何もしないかも知れない。

 だが、あの大男が抱えるミイラ男。どこかで見覚えが……


 いちこが珍しく迷って動きを止めているうちに、全裸のイレズミ集団は猛然と迫って来る。大男は相当に気が回るらしく、迫る集団に先に気付いたものの、余程に溜まっているらしい疲労のせいか、背と脇に抱える二つのお荷物の重量のせいかうまく隠れることも出来ず、遂に彼らに見つかってしまった。


 息を呑み、事の顛末を見守るいちこ。

 すると、集団の先頭を走る竜胆が目を大きく見開いた。


「菊田さん……!」


 「菊田」。いちこも、ミスミ・コミュニティの面々もその名を聞いて悟った。

 あのミイラ男、ミスミ公園でイレズミ集団の指揮を執っていたチンピラだ! と。


「てめぇこのくそデブ、菊田さんをどこへ連れてくつもりだァ!」

「いや、ま、待て、誤解だ……」


 大賀は疲弊のあまり、申し開きも十分に出来ない。竜胆を中心に、怒りによって裸体を真っ赤に上気させたイレズミ集団が、全身から湯気を立たせながら迫る。


 終わった……


 大賀は覚悟し、ミイラ男・菊田を大地に投げ出し、泡を吹いて気絶するわたるをそっと背後に寝かせた。そして手槍を構え、フラつく体を懸命に支えながらイレズミたちに向き合う。しかし、状況は絶望的。全てを諦めかけた、その時だった。


「いちこさん、駄目ッ!」

「おい馬鹿ッ! やめろォーーー!」


 頭上から、背後から、女と男の絶叫が聞こえる。今度はなんだ? 状況を掴みきれないままに、次なる衝撃が大賀を見舞う。

 女の絶叫が聞こえた頭上より、突如として眼前にが飛び降りてきた。


 眼前の敵である偉丈夫・竜胆を完全に覆う巨体。風に靡く真紅の蓬髪。振り向きもしないその人物は、男か女か判然としない。が。


「やめなあんたら……どいつもこいつも汚いモンぶら下げて、寄ってたかって弱いモンイジメをすんのは」


 発された声は低くはあるが、間違いなく女のそれ。威厳と気迫に満ちたその声は、全裸のイレズミ集団を驚愕させ、また圧倒した。


「てめぇ、赤毛……!」


 竜胆はじめ、イレズミ集団はまさかの状況で本来の標的と出くわしたことに混乱し、慌てふためいた。

 いちこはそんな彼らの心境など一顧だにせず、台詞を続ける。


「何がなんだか全く分かんないけど、喧嘩がしたいンならあたしが相手だッ! すっぽんぽんの奴ら相手に武器は使わない。素手で相手してやるわよッ!」


 いちこは大地を踏みしめ、天まで轟く怒号をあげる。


「かかって来なぁッ!!」


 大賀は卒倒した。安堵からか、衝撃からか。ともかくもう、この先は彼女の独壇場だと直感したのだ。

 そしてリンは頭を抱えた。あぁ、やっぱりこうなったか……と。

 竜胆は、震える集団の先頭に立ちながら、自身もまた小刻みに震える。それは怒りからか、恐れからか、武者震いか……或いはその全てか。

 いずれにせよ竜胆はただ一人、喜色満面となって身構えた。


「……上ォ等だこのアマァ〜〜〜ッ!」


 灰色の町。その中心たるこの林。今ここに、何とも奇妙奇天烈な大乱闘が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る