すっぽんぽん大戦

 ほぼ同じ背丈のいちこと竜胆は互いに獲物も持たずに暫く睨み合っていたが、先に動いたのはやはり、短気ないちこだった。


「オラァァッ!」


 相も変わらず、猪突猛進。真っ直ぐ突っ込んだいちこは爆音と共に風を切り、猛烈な回し蹴りを竜胆の胴体に見舞う。竜胆は油断なくそれを見切り、後ろへ飛んで躱した。


 裸一貫の竜胆にとって、動きのない睨み合いは不利。寒さに凍えてしまう。一方いちこも、どうせ避けられない戦いならと、さっさと終わらせてしまいたかった。

 何より、寒さに縮み上がったをぶら下げる竜胆らに対して、理不尽な憤怒を抑えきれなくなっていたのだ。


 いちこは一々気合の篭った喊声をあげながら、手刀、正拳、前蹴り肘打ち、徒手でできるあらゆる攻撃を次々に見舞ったが、竜胆は全て見切ってこれを躱した。


「どぉぅりゃあぁぁぁぁあッ!」


 いちこ渾身のかかと落としが間一髪空を切り、轟音と共に大地に炸裂する。

 丁度そこを伝っていた木の根が砕け散り、湿り気を帯びた土がまるで炸裂弾でも受けたかのように宙を待った。


 竜胆は戦慄した。「もし当たっていたら」と、ただでさえ凍えそうな背筋を寒くした。


「ぬぅ〜……っ、この野郎ッ、デカい図体して、チョコマカ動いてんじゃないわよッ!」

「ヘッ、てめぇに言われたかねぇよ大女……ハァ……クソッ」


 実際、竜胆はいちこの猛攻をよく躱していたが、情けなくも防戦一方。息も絶え絶えであった。対するいちこはまるで暴風雨のような攻撃をひたすらに見舞いながら息一つ上がっておらず、発する怒号から滲み出る気炎は、戦闘開始直後から微塵も削がれていなかった。


 竜胆は驚嘆した。流石に「怪物」。ある程度の強者である彼は、やはり一対一では手に負えないと悟りつつあった。


 と、そこへ横槍が入った。

 先端を削いだ木の枝を持った裸のイレズミが、いちこの脇腹へと突きかかってきたのだ。

 いちこは身をよじってどうにかこれを躱したが、身にまとっていたコートが少し削がれ、その下のワイシャツから血が滲んだ。


「おい、手ぇ出すんじゃねぇ!」

「うるせぇ! ンなこと言ってる場合かッ!」


 割って入った男は、「菊田組」の構成員。曙光会の若頭である竜胆と言えども、口出しのできる相手ではなかった。


 それに……


「この野郎ォ〜……」


 当のいちこは怯むどころか、益々殺気を煮え立たせてこちらを睨みつけている。赤毛は微かに逆立ち、その下に覗くキツネ目の薄顔もまた真っ赤に燃えていた。


「へへッ……意地張ってる場合じゃねぇだろ」


 竜胆は無言で舌打ちしつつも、既に裸一貫。

 くだらない体面など捨てて、本命を仕留めることにこそ意味がある……と自分に言い聞かせ、顎をしゃくる。すると曙光会の男たちがバラバラと進み出て来て、いちこを取り囲む。それぞれの手に太枝や石を持ち、何がなんでもいちこを討ち取る覚悟を決めているようだった。

 菊田組の方も、それぞれに腕を引き合って次々と輪に加わる。


 数にして三十人ほど。公園で対峙した相手の数とさして変わらないが、しかしてその半数は曙光会。しかもこちらは徒手空拳。


「チィッ……」


 そんな不利な条件よりいちこが苛立ちを募らせたのは、まず自身を取り囲む男たちが悉く露出する

 「全員、ボッコボコに叩きのめす」。その覚悟は微塵も揺るがなかったが……


「一人ずつ動くなッ、一気にかかれェッ!」


 指揮を執る竜胆は、容赦しなかった。

 いちこは神経を尖らせる。まず正面から、自身と同じく徒手空拳の強者・竜胆が飛び込んで来る。それと同時に、右側面と背後から、棒や石を手にした男が次々に突貫してくるのが分かった。


 躱しきれない……

 一瞬、覚悟を決めたその時。


「ぐへぇっ!」

「どわぁっ……」


 鈍い音が二度鳴り、側面と背後の敵が同時に呻いて崩れ落ちた。

 いちこは何が起きたか分かりかねたが、動揺して一瞬立ち止まった竜胆に、すかさず猛烈な前蹴りを叩き込む。

 竜胆、遂に躱しきれず、十字受けでこれを受けた、


 ボグッ……


 鈍い音が鳴り、丸太のように太い両腕が関節の手前でへし折れひん曲がり、その防御を抜けて胸骨にまで深刻な打撃を喰らった。


「カハッ……」


 竜胆は目を剥き顔を歪め、そのまま後ろへ吹き飛ばされ倒れ込んだ。


「兄貴ーーーッ!」

「り、竜胆さんッ!」


 曙光会の舎弟たちが竜胆に駆け寄る。竜胆は激痛に打ち震えながらも懸命に意識を保ち、いちこと、樹上より飛び降りて二人の舎弟を殴り倒したを見据えた。いちこもまた振り返り、突然現れた味方の正体を捉えて驚き、キツネ目を丸くした。


「いちこさん……加勢しますっ!」


 飛び降りてきたのは、ラン。両手に持った棒のうち一本を、いちこに向かって差し出している。


「ラン、あんた……」


 ランの足下では、頭を殴られ倒れ伏した二人のイレズミが、泡を吹いてピクピクと痙攣している。

 続いていちこは、ランの顔を見る。ランは目を潤ませて唇を噛み締め、己のとった行動に少し怯えた様子を覗かせながらもそれを覆い隠し、決然といちこに加勢する意思を表しているように見えた。


 いちこは、その意を汲んだ。片頬に笑みを浮かべ、棒を受け取った。


「サンキュ、借りるよッ!」


 そのままランに背中を預け、片手でブンブンと棒を振り回しつつ取り囲む敵を睥睨すると、竜胆の左右に添う二人に向かって獲物の先端と視線をピタリと止め、言った。


「……まだやるかい?」

「クソッ……」


 一人は些か怯み悪態をつくが、もう一人は顔を真っ赤にして立ち上がり、怒声を上げた。


「怯むなッ! たかが二人だ! 取り囲んで潰せェッ!」


 数人がそれに押され、喊声を上げながら次々と進み出る。出てきたのはやはり、いずれも曙光会の男たち。


 まず二人の男が、いちこに向かって尖った枝を突き出して突貫してきた。いちこはヒラリと身を躱して二人を棒の間合いに捉えて、一振りで叩きのめした。さらに近くにいた二人の男を蹴飛ばし、打ち据え、あっという間に四人を昏倒させてしまった。

 ランにも二人打ち掛かってきたが、素早い動きで一人の懐に飛び込んで連携を封じ、鋭い一撃で顎をかち上げて一人を倒し、振り向きざまにもう一人の腹に棒を突き入れる。思わず腹を抑えて蹲った男の頭を、「えいっ、えいっ」と気の抜けた掛け声を上げながら滅多打ちにし、気絶させた。

 その背後からもう一人の男が襲いかかり不意打ちを狙うも、いちこが咄嗟に投擲した石で頭を撃ち抜かれ気絶した。ランがいちこに微笑みかけ目礼すると、いちこはウインクしてこれに応える。


 ……いちこはランの中々の戦いぶりに感心しつつも、同時に訝しんでもいた。

 どこか、似ている。自分の動きと。いや……


「そこまでだァッ!」


 イレズミの怒号がこだまする。いちことランは、同時にそちらへ目をやった。


「チッ……」

「あっ……!?」


 いちこは舌打ちし、ランは思わず口元を抑えた。菊田組と思しき男が、気絶した大賀の喉元に彼自身が持っていた手槍を突きつけ、下卑た笑みを浮かべている。数人の手下によってミイラ男・菊田も回収されてしまっていた。


「随分と暴れてくれたな……だがもう、遊びは終わりだ。跪けッ!」

「くくっ、イレズミを敵に回したこと、とことん後悔させて……」

「うるせぇよ」

「あん……?」


 男たちが立っていたのは、丁度巨木のうろの手前だった。すぐ隣から、聞き覚えのない男の声がする。


「人ので好き勝手暴れてんじゃねぇよ、フルチン野郎」


 ごんっ、と鈍い音が鳴り、大賀を人質に取っていたイレズミが昏倒した。


「リン……」


 ランは目を輝かせ、遂に重い腰を上げたリーダーの雄姿に見入った。

 そしてリンに促されるように、樹上から続々と飛び降りてきた若い男女たちが、裸の男たちの頭上を急襲してバタバタと打ち倒してゆく。菊田を引きずって回収しようとしていた者も、慌ててもう一人の気絶しているわたるを人質に取ろうとした者も、一撃で殴り倒された。


 不意打ちとは言え、ミスミ・コミュニティの面々は悉くイレズミなどものともしない戦いぶりを見せ、圧倒。気づけば辛うじて意識を保っているのは、もはや戦闘不能の竜胆ただ一人。


「く、くそッ……」


 リンは、一瞬にして全ての味方を失い、苦しげな呼吸を抑え歯ぎしりする竜胆をちらと見やると、持っていた棒を打ち捨てて言った。


「降参しろ……手当てはしてやる」


 竜胆は遂に戦意を喪失し、気絶した。

 だがそれ以上の衝撃を受けていたのは、いちこ。


 こいつら、一体何者……?

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