急転直下

 夕刻・ケヤキ通り。相変わらず様々な人種で混沌としながらも、それらを暖かく照らす夕陽と、人々が交わす挨拶の響きが柔らかな、美しい町だった。


 その一角にある路地裏に今、五人の男達が潜んでいる。


 二老人の一角・顎髭の野茨。

 サクラ通り自警団棟梁・平子てつおと、同じく自警団の手練れ二人。

 そして元ヤマト共和国大臣首座・躑躅ツツジれんぞう。もとい民間教育課にして、一連のゴタゴタの、大体の元凶。


 そのツツジが、真っ先に口を開いた。


「あぁ、ここでした」

「ん? 何がじゃ」

「僕と弟子たちが逸れた場所ですよ。最初に終末派が十人余り襲って来て、返り討ちにしたと思ったら黒服の手練れが五人ほど来ましてね。これがもう、厄介で厄介で……」


 ツツジは苦笑まじりにだだっ広い額をかきながら、路地裏から一人、傷ついた顔を覗かせて用心深く通りを窺う平子に視線をやり、言った。


「平子殿どのらが来てくれなきゃ、どうなってたことか……」

「『殿』はやめて下さい、先生。俺も一応、弟子の一人でしょう。それとも、まだ認めて下さらないんで?」

「い、いやァ、とんでもない……たっはっは……こりゃ参った。貸しと借りがごっちゃになって、どう接していいか分からんねぇ」

「先生」


 今回の事情もあってかツツジは、節々に苦笑を交えて始終自嘲気味に語る。そんな「先生」の姿に堪りかねたか、平子は彼を呼ぶと同時にくるりと傷面きずおもてを翻してツツジの目を見て、微笑んだ。


「貸しだの借りだの、そんなしみったれた理屈で動くのは、イレズミの世界で懲り懲りですよ」


 この言葉にはツツジだけでなく、野茨も、平子の部下二人も耳をそばだてた。平子は、穏やかな微笑を絶やさず続ける。


「俺ぁ足洗った時に、惚れた人のためにこのボロ雑巾みたくなった五体を、ぶっ壊れるまで使いに使い込んでくたばるんだと、至極勝手に決めやした。今度のことも、俺の勝手で動いてんでさ。自分てめぇの主義のために誰彼構わずさんざ迷惑かけんのは、自分てめぇの生き様も死に様も、ハナから決め切った男の特権じゃあねぇですかね」


 ツツジに、平子の微笑が伝染する。野茨も思わず、愉快そうに頬を歪める。元侠客・平子てつおの変わりようは、幾人もその世界から足を洗うのを見送ってきた野茨の目にも好ましく映った。


「なるほど」


 と、ツツジはカラリとした口調を取り戻して相槌を打つ。が、この男のはこんな時でも顔を出す。


「だがその理屈じゃあ、君が僕を『先生』呼ばわりして敬うのは筋違いじゃあないかい」


 などと、ニッコリと笑って言う。平子はキョトンとして片目を丸くし、やがてぷい、とまた目線を路上に移した。夕陽に照り映えた耳と、その辺りを掻き毟る平子の手が赤くなっているのが見える。


「かも知れやせんね……」


 露骨に照れ臭そうに言う平子の声に、路上に隠れる四人は思わずくつくつと笑った。

 しかし、突如として好感・平子は表情と声色を険しく変えて、四人に振り返りつつ言った。


「来やした。幌馬車が」

「来たか……まずいのう」

「やはりこれは、不発ですかね」


 既に通りのあちこちを、この地に精通する野茨と平子の主導で粗方探り終えた五人は、ツツジの弟子二人はこの通りに来ていない、と踏んでいた。

 とすれば今ここで出来得ることは、「幌馬車が来ると同時に弟子たちが何処かから飛び出して来るのを期待して待つ」ぐらいのことしか残っておらず、そこを襲って来る輩がいれば、五人一気に路地を飛び出てそれらを打ち払い、そのまま幌馬車に弟子とツツジを押し込み、馬の尻を蹴って一気に都まで逃してしまおう、と言う余りに負けの見込みが強い博打だったが、流石にそう上手くはいかない……


 と、五人が諦めかけたその時。


 ……おらぁっ、退ぉけ退け退けーーーーーーーーーッ!!


 通りの遥か向こうから、激烈な女の怒声が響いた。


「な、なんだ!?」

「何事だ……?」


 慌ただしく路地から身を乗り出して声のする方を見る四人を尻目に、野茨は依然路上に胡座をかいたまま頭を抱えた。の声が、やけに聞き慣れたものだったから。


 全く、嘘だろう……この阿呆娘め……


「あ、赤毛だ……!」


 そう言ったのは、平子。

 知っていて当然。彼は五年前、曙光会の一員としてこの通りであの阿呆娘とドブネズミが起こした「騒動」を目撃している。


「赤毛……? 赤毛って、あの……」


 何かと事情通のツツジが平子に応じつつ、通りの向こうに目を凝らす。

 赤毛の怒号と共に、ドタン、バタンと轟音がこだまし、イレズミ達の悲鳴と絶叫が鳴り響く。


 いつまでも嘆いちゃおれん……

 と、野茨は頭痛を堪えて重々しく起き上がり、既に通りに出て呆然と「赤毛」の大立回りの見物人と化した四人に声をかけた。


「ほれ……ボサッとしとる場合じゃないぞ。あの阿呆娘に加勢するんじゃ」

「えぇ? し、しかし……」


 これは、勘だ。しかし野茨はこのいちこの暴挙に、何か自分たちの目論見と連動するものを感じていた。



 ♦︎



「ひっ、ひえぇっ……!」

「わたるさん、危ない! 隠れてて下さい!」


 やはりと言うべきか、その目立ち過ぎる出で立ちから到着早々発見されてしまったいちこは、兎も角わたるを大賀に守らせて路地に隠し、自身は夕暮れのケヤキ通りに猛然と飛び出して路上に次々と立ち塞がる曙光会の構成員たちに突撃し、二本の棍を悪鬼羅刹の如く奮い千切っては投げ千切っては投げ、撲殺死体と昏倒者の山を築きつつ幌馬車へと驀進ばくしんしていた。


「いちこさんっ、流石にこれ、無茶ですよ! 一旦引いて……」

「うるさいよランッ! 林にも何人か入ったのが見えた! こうなりゃもう、活路は前にしかないってぇのよッ! うおらーーーーーーーっ!」


 一応いちこに加勢しようと鉄棒片手に通りに出たランだったが、出る幕がない。敵は一人残らず、赤毛を振り乱して血の雨を振らせるいちこの人間離れした暴れぶりに気を取られ、自分の存在にすら気付かない。

 しかしやはりこれは、無茶だ。よしんば幌馬車にわたると大賀を押し込めたとして、その後十重二十重とえはたえに取り囲まれて終わりだ。


 それなら……と、ランは懸命に頭を働かせ、すぐさま行動に移した。


「大賀さん、わたるさん、私に付いてきてっ!」

「えっ、いやしかし……」

「は、はいッ!」


 余りの状況に他ならぬ大賀が尻込む中、小心者のわたるが何故か一目散に駆け出した。大賀は瞑目し、察した。


 惚れたな。昨晩ので。


 大賀はため息を漏らしながらも、懸命に膂力を振り絞ってわたるの後を追い、その周辺を警戒しつつ走った。

 ランは、いちこに殺到するイレズミたちの背後に回り鉄棒を振るって数人を殴り倒すと、小さな道を開けて二人を誘導した。

 そうして、大群を薙ぎ倒しつつ通りを真っ直ぐに突き進むいちこに先んじて、また時折通りに飛び込んで敵の注意も避けながら、着々と幌馬車への距離を詰めていった。


 が、そう上手くはいかなかった。


「三人、そっちへ逃げたぞッ! 追って引っくくれッ!」


 大群の中から、ランたちを発見して怒号を上げる者が一人。それに気付いて数人のイレズミが、丁度路地を飛び出して一気に幌馬車まで駆け抜けようとしていたランたちに狙いを定め、殺到してきた。


「くっ……大賀くん、わたるくん! 先に行って!」

「そ、そんなっ! ……」


 鉄棒を構えて殿しんがりを勤めようとするランに、身の程知らずにも剣を並べて加勢しようとしたわたるの手を、大賀が無言で引っ張って駆ける。


「ちょっ、おい大賀ッ! ランちゃんを見捨てるのかッ!」

「ええいうるさいッ! 皆、誰のためにああしてると思ってんですか!」


 大賀は、抵抗して身をつんのめらせるわたるを持ち前の剛力で強引に引き寄せて小脇に抱え、ランの鉄棒を潜り抜けて斬りかかってきた二人のイレズミを、片手に装着した鉄鋼で弾き飛ばし、殴り倒した。

 そのまま懐でジタバタと暴れるわたるに「ああもうっ、いい加減にして下さい!」と苦言を呈しながら、覚束ない足取りで尚も幌馬車に向かい走るが、その前にさらに五人ばかりのイレズミが立ち塞がり、白刃を振りかぶった。


「クソッ……」


 大賀が遂に、我が身を盾にわたるを逃がそうと悲愴な覚悟を決めかけた、次の瞬間。


「ぎゃっ!」

「グゥッ……」

「あがっ」


 バタバタ、と立ち塞がったイレズミたちが断末魔と共に倒れ伏した。

 何事か、と二人が前に目を凝らすと、大賀とわたるの目から無意識に涙が溢れ出た。


「ツツジ先生ッ……!」

「やァ……遅くなってすまんね、大賀くん。よく頑張ってくれた」

「先生ぇーーーーーーーッ!」

「わっ……馬鹿っ、わたるっ」


 鎖鎌についた血を拭いつつ、ニコリと笑い弟子を労うツツジに、別にが顔をグシャグシャにして泣きながら飛びついた。


「先生ぇっ、すいません、僕が、僕が不甲斐ないから……ひっく、えぐっ……」

「あーあー、分かった。分かったから、そんなに泣くなわたる……」


 ツツジは、自身の懐で嗚咽を漏らして泣くわたるの背を撫でて宥めながら、頬を引きつらせて兄弟子の醜態を眺める大賀に改めて視線をやる。

 大賀はそれに気付くと目を合わせ、互いに苦笑を交わし合った。もうこの師弟の間には、それを超えた信頼関係があるようだった。


「感動の再会もええが、お主らちょっと急いでくれんかの」


 と、苦言を呈したのは野茨。

 両端に長大な鉄根のついた鉄鎖、即ち長いヌンチャクのような武器を器用に操り、自身よりずっと大柄なイレズミ連中を何人も相手取り、まるで子供をあやすように次々といなし、舞うように叩き伏せる。


「あっはっはっ……すいません、野茨先生。ついウッカリ」

「ウッカリが過ぎるぞ、ツツジ先生……平子、部下と共にご子弟を護衛してやれ」

「へい。じゃ、ツツジ先生、大賀さん、、こちらへ」

「わ、若……」


 ツツジと大賀は平子に従いつつも、そのやけに丁重な先導に吹き出しそうになった。

 が、その戦いぶりには相変わらず目を見張る。平子はイレズミ上がりらしく、二本のドスを縦横無尽に振るって前方を塞ぐ敵を次々と斬り捨て、その部下二人は生粋の坑夫らしく、それぞれにハンマーとツルハシを力任せに振り回して横合いから攻め来る集団を薙ぎ倒す。


「ウーン、頼もしいなァ」


 ツツジは二人の弟子と共に平子の後に続きながら、彼らの見事な護衛ぶりに感嘆の声を漏らす。曙光会の精鋭によって危うく命を落としかけた際に救ってくれたのも、他ならぬ彼らであったから。

 しかし敵は多勢。幾人かはその刃や鉄槌を逃れて自身や弟子たちを襲ったり、平子らの隙を狙おうとする。それを、ツツジの鎖鎌と大賀の手甲が難なく斃した。


 五人は然程の時間もかけず、幌馬車まで辿り着いた。すぐに政府の御者と一人の衛士が進み出て、ツツジら三人を招じ入れる。

 ここまで来ればもうイレズミは立場上、手出しはできない。


「フゥ……助かったよ。平子殿」

「へへっ、『殿』はやめて下せぇって……先生、大賀さん、若。どうかご無事で」

「『若』もやめて下さいよ、平子さん。わたるさんはまだ、そんな器じゃない」

「な、何だとっ?」

「ウッハッハッハッハッ! なんだ、大賀君も二人旅をやるうちに、随分言うようになったんだな」

「えへへ……すいません」


 師弟は軽口を叩き合いながらも、皆にこれ以上の迷惑をかけまいと素早く馬車に乗り込む……が。


「あ、危ないッ、降りろわたるッ! 大賀君ーーーーーーーッ!」


 ツツジが絶叫し、二人の弟子を抱えて馬車から飛び出した。何事かと平子らが駆け寄ろうとした直後。


 ボォンッ……


 幌馬車が、轟音と共に爆発四散した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いちこわびすけ 大家一元 @ichigen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ