怪物

「なるほどな……大体分かった」

「急いでよ。夜の内に林、あくる日の夕方にはケヤキよ。特にケヤキの方には、出来る限りの人数を割いて。ここで始末つけなきゃ、折角の好機が台無しになる」


 杉林の中で、一対の男女が低声で密談している。

 男の方は、如何にもホームレスといった感じの汚いボロを纏った中年で、女の方は作業着姿の、凛とした美女。他ならぬチョウであった。


「ハハ、大袈裟だな……たかが四人だろ。しかも肝腎の錦戸の子は、とんでもねぇボンクラときた。そこまで用心しなくたって、お前があの乱行集団の隠れ家ん中で消しちまえばよかったものを」

「分かってないわね……五年前のケヤキで起きた事件、知ってるでしょ。それに私は見たのよ」


 チョウは身震いしながら、言った。


「噂以上の怪物バケモノよ……あの大女」

「同感だな」


 突如、緊張感のかけらもない素っ頓狂な声が、二人の頭上から聞こえた。


「チィッ……」

「誰だッ!」


 男が舌打ちし慌てて頭上に目をやる中、チョウは素早く懐から小さなナイフを取り出し、声が聞こえた場所に向かって一直線に投げつけた。

 ナイフは強弓の如く音を立てて夜風を切り、瞬時に声の主のいた枝に突き立ったが、そこに敵はいなかった。


「どこ投げてんだ」


 素っ頓狂な声は、今度は樹上に目を凝らすチョウの体の真正面から聞こえた。


 おかしい。

 そこには、先程までの密談相手がいるはずだ。なぜその声が、そこから聞こえる?

 チョウは恐る恐る、視線を前に戻した。


「ひっ……」


 思わず顔を引きつらせ、悲鳴が漏れる。

 既に密談相手の男には首がなく、体はべしゃりと地面に倒れた。

 そして彼の立っていた位置に、敵がいた。灰色の小男が。


「ネズミ……!」

「ネズミ、ね。それはいいけどさ」


 わびすけは両手をパーカーのポケットに突っ込んだまま、チョウが抜き放った剣を体を軽く捻ってひょいと躱し、無表情のまま軽口を叩いた。


「『大女』呼ばわりは、チクったらキレると思うぜ、あいつ。友達なんだろ?」


 チョウは歯軋りしつつわびすけに飛びかかり、二撃、三撃と剣を振るう。しかしわびすけは相変わらず両手をポケットにしまったまま、のらりくらりと躱すばかり。技量は、天と地ほどもかけ離れている。


「毒つけてんなぁ」


 わびすけは、自身の命を狙って振るわれる白刃をぼんやりと観察しながら他人事のように言い、さらに視線を上にやって先程チョウが投げつけたナイフを見る。突き立った枝が朽ちて、ボトリと落ちてきた。


「あれもか」

「フンッ」


 視線を外した隙を狙って、チョウは一気に踏み込んで白刃をわびすけの喉笛めがけて振り抜く。が、剣は虚しく空を切り、さっき大地に落ちた枝の横に寄り添うように、ボトリと落ちた。


「ぐぅっ……!?」

「剣の振り方も戦術も、まるっきりとも、他の奴らとも違うな。大体イレズミどもと乱闘してる間も、


 わびすけは、落とされた腕を抑え、激痛とショックに顔を歪めるチョウを見下ろし、いつの間にか懐から抜き出した曲刀に付着した血を軽く吹き飛ばしながら言う。

 そして、今度はそれを無造作に宙空に放り投げ、次の瞬間にはもう一本の曲刀を懐から抜き出して踏み込み、チョウの作業着の襟元へ引っ掛けるように貫いた。


「うわッ……」


 チョウは、流石に小さく叫んだ。

 体が突然、猛スピードで浮上したのだ。そして杉木の高枝で停止した瞬間横に目をやると、先程放り投げた方の曲刀が幹に深々と突き立ち、自身の襟首に引っ掛かった方の柄頭と鈍く光るワイヤーロープで結合している。

 チョウは残った腕で襟首の曲刀を引き抜き逃れようとしたが、わびすけはたったそれだけの動作よりも早く、この高枝まで登ってきた。

 そして幼い顔を接吻しそうな程に近付け、丸く大きな目でじぃっとチョウの目を覗き込む。

 チョウは只々、恐ろしかった。まるで、無邪気な肉食獣のような、敵意すらない純粋なに満ちた目だ。恐怖の余り、別に拘束されているわけでもないのに指一本動かせなかった。


「流石だな。この程度じゃ無闇に喚き散らしやしないか、『灰色機関はいいろきかん』」


 ぎくり、とチョウの胸が高鳴り、頬が、肩が硬直する。気付けばわびすけは、自身の残った腕の手首を握り脈を取っている。図星は、あっさり見抜かれたと悟った。

 だが別段、わびすけは驚いた様子を見せない。


「この林ってさ、密行にも密会にも、最適だよな。でも俺が帰ってきたらもう、どこもかしこも俺の庭だ。あんまし怪しい動きしてっとすぐバレるぜ。

 でももう、安心しろよ。お前はこれから俺とちょっとお喋りして、それでだ。でも嘘はつくなよ。片腕残ってんだから、それもすぐバレる。もし嘘ついたら……」


 わびすけがおもむろに枝に括り付けた縄を引くと、ギッ、とチョウが身を預ける木が軋み、葉が生い茂った周囲の枝々からがさりと複数の人影が落ちてきて、丁度チョウの目線の辺りで止まった。

 縄で首を吊られたは、全て見知った顔だった。目を抉られたり、皮膚を剥いだり焼かれたり、手足を切られたり肉を削がれたりして、判別はかなり困難だったが。


「まぁ、大体こんな感じになる」


 事も無げに、わびすけは言う。

 ブラン、ブラン、と間抜けに揺れる「灰色機関」の構成員たちの骸から、腐った臓物や血が滴り落ちる。チョウは、目の前の男を虚ろな目で見て最後に思った。


 「怪物バケモノ」を一匹、見逃していた。巨大でなくとも、怪物は怪物だった、と。

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