夜陰に乗じて
「フーン、なるほどねぇ……」
時は、日車が「
結局大賀は、事の成り行きをすっかり話し尽くしてしまった。
いちこは赤毛を荒っぽくかき上げて舌打ちした。これは、気に入らないことを耳にした時の彼女の癖だ。
「錦戸総裁の子……? あれが?」
と聞き直したのは、作業着の女・チョウ。彼女もまた、不機嫌そうに眉を顰め腕を組んでいる。
大賀は「困ってることがあるなら言いなさい」と言われたから話したのに、と内心不満だったが、女傑二人に挟まれてこうも不愉快そうな態度を取られると、大きな肩を窄めて苦笑するしかない。実際「あれ」は、「あれ」と呼ばれる他仕方のない男だ。「弟弟子としてちょっと奮起して、弁護してやろう」なんて殊勝な気持ちも、さらさら起こらなかった。
「それで? アンタどうする気なの?」
「ともかく……朝になったらわたるさんを連れてサクラ通りへ行って、『女王』の手を借りようかと」
「女王?」
「御形みしろよ。『サクラ通りの女王』」
チョウは呆れ顔で言った。
「いちこ、アンタ、なーんにも知らないのね……イレズミから付け狙われるようなことしといて。それとツツジ先生って、あの『
「うっさいわね。そんなの、知らなくたって生きてけるわよ」
「付け狙われるようなこと?」
「アンタは黙ってて」
訝しんで訊ねる大賀を、いちこが睨みつけて制した。大賀は「ヒッ」と小さく叫んで、また肩を竦めた。いちこはさらに続ける。
「今はそれどころじゃないでしょ……聞いた感じだとそのツツジ先生とやら、相当ヤバいじゃない。アンタ、そいつの弟子でしょ。助けに行かなくていいの?」
「……俺は先生の言いつけを守ります」
いちこは、少し驚いた。大賀は伏し目がちにも、その瞳の奥に決然とした光を宿しているのに気付いたのだ。
「今にして考えてみれば、先生はしくじりました。ここにわたるさんを連れて来るべきではなかった。それを自分で悟っておられたから、望んで囮になられたんです」
いちこも、チョウも、一旦黙る他なかった。大賀が師・ツツジを尊敬してやまず、兄弟子・わたるを軽蔑しきっていることは、これまで話していて散々伝わってきた。
それでいて、尊敬する者の失態をあえて認めてまでその言い付けを守り、軽蔑する者を助けることこそ「己の役目」だと決めきっているのだ。
「じゃあ『先生』のことは、もう諦めるのね」
「……諦めはしません。一旦置いて、まずはわたるさんの安全を確保します」
「それなら、その作戦は間違いね」
と冷然と言ったのは、チョウ。いちこと大賀が、パッと顔を上げてチョウの顔を見た。
彼女は涼やかな目元を一層細めて大賀の目を見やり、淡々と語る。
「総裁の子なら、ここに預けておけばいい。それでアンタがケヤキ通りへ行って、ツツジを探せばいいでしょ」
「申し訳ありませんが、俺はわたるさんから離れられません」
「私たちが信用できないっての?」
「いいえ。ただ、先生がわたるさんを託したのは僕であって、あなた方ではないというだけのこと」
「まぁ、まぁ、落ち着きなさい」
徐々に険悪なムードが漂い始めた二人を、他ならぬいちこが宥める。いちこは内心自嘲していた。「人を宥める」など、己の人生で初めての体験ではないかと。
しかし、やはり短気ないちこは早くも何もかも煩わしくなったらしく、パン、と手を打ち、言った。
「ハイ、じゃあこうしましょっ」
……沈黙。
チョウと大賀が、揃って怪訝な表情でいちこの顔を見る。しかしいちこの表情は、不思議と自信に満ち溢れていた。
「私がケヤキ通りへ連れて行くわ。アンタら、二人揃ってね」
♦︎
「正気? いちこ……」
「大空の木」の隠し通路からひっそりといちこ達を抜け出させたチョウが、羽織ったコートの袖口や懐を弄って武器を確認するいちこに、相変わらず怪訝な表情で問いかける。
「正気も正気よ! ありがとね、チョウ。助かったわ。いい加減、地下の空気に息が詰まってしょうがなかったとこなのよ」
「それにしたって……」
チョウは改めて「いちこ一行」を見渡すと、やはり不安を拭えなかった。不安そうにソワソワと辺りを伺う大賀に、寝起きで状況の掴み切れていないわたる。
……そして、なぜかそこにいるラン。
「……何度も聞くけどさ、なんでアンタまで行くわけ?」
「えへへ……だって、なんか面白そうじゃないですかっ」
「面白そうって……」
「しょうがないじゃない。私も止めたのよ、一応。だけど『どうしても行く』って聞かないんだもん」
ふあぁ……と、余りに緊張感のない大あくびが、一同の鼓膜を揺らす。大賀は額に青筋を立て、そのあくびを立てた張本人・わたるを睨みつけながら、憮然とした調子で言う。
「本当に大丈夫なんでしょうかね、この作戦……」
「そもそも作戦って言えるの? これって」
「大丈夫ったら大丈夫よ! 私を信用しないの?」
「信用してないのはアンタじゃなくて、アンタのオツムよ」
作戦というか暴走というか、兎も角いちこの企てはこうである。
まず、翌日の日暮れと同時にケヤキ通りに着くよう林を突っ切り、幌馬車の発着所まで駆け込む。
そのまま馬車にわたるを押し込んで都へ送り返した後、夜陰に乗じてケヤキ通りを駆け回り、ツツジを捜索する。
そした朝が来たら、ツツジが見つかる見つからないに関わらず、ここに帰る。
以上。
「……まぁ、健闘を祈るわ。とりあえず」
チョウはポリポリと頭をかきつつ、呆れとも諦めともつかない、何とも言えない顔で投げやりに言った。
「ありがと! んじゃあ、ちょっと言って来るわ!」
「馬っ鹿……声が大きい! もうっ……」
結局いちこはカラリと笑って、一行を連れて夜風を切り、走り去ってしまった。
大賀は完全にその勢いに乗せられてしまった感があり、わたるは依然として「え、何? どこ行くの?」などと呆けた面で言いつつ大賀に手を引かれるままに走り、ランは何となく申し訳なさそうに、ペコペコと何度かチョウに向かって頭を下げた後、一気に駆け去って行った。
一人残されたチョウは、暫くその背を見送りながら首をさすり、片頬に笑った。
全く、しょうがない……こうなれば、計画変更ね。
……全員の背中が見えなくなると同時に、チョウの表情はガラリと変わった。
まるで怜悧な刃物のような目つきで辺りを窺い、疾風のような足取りで先程ケヤキ通りへと駆け去って行った一行の逆方向、「サザンカ通り」の方面へと駆け出した。
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