師弟の受難
「一難去ってまた一難、か……」
「悠長に言ってる場合じゃないですよ先生! どーすんですか、もぉ~っ!」
十人余りの終末派の夜襲を返り討ちにしたツツジ一行は、夜も明けぬ内に今度は五人の黒服の襲撃に見舞われていた。
終末派とは、モノが違った。一人一人の技量に肝の座りよう、良く連携の取れた動き。
ツツジと大賀は、わたるを庇いつつこの難敵との戦いに臨まねばならなかった。既に十五分間、ただの一人も仕留め切れずに戦い続けている。ともかく敵に囲まれるのを避け、代わる代わる攻撃を加えてくる敵の切っ先を躱す。反撃は全くままならず、防戦一方である。
ツツジは三人の敵に向かって鎖分銅を薙ぎ払い牽制すると、ビルの陰にわたるを背にした大賀を誘導し、弾む息を抑えつつ早口で告げた。
「ハァ、ハァ……大賀君。わたるを連れて逃げなさい」
「……先生はどうするんです?」
「奴らの狙いは僕で、何としても生かさねばならないのはわたるだ……ハァ、幸い敵は、わたるの正体に気付いていないようだ。僕が敵を引き付けるのが、この場じゃ一番合理的だよ」
「しかし……いえ、分かりました」
「お、大賀!? そんなっ、先生!」
冷静で聡明な大賀は、感情を飲み込んで指示に従った。ツツジがビルの陰から飛び出して通りへ向かって駆けると同時に、取り乱すわたるの手を引いて一目散にツツジとは逆の、杉林の方へと駆け去って行った。
五人は愚直に思えるほど簡単にこの手にかかり、一人残らずツツジを追走。
暫く走ると、ツツジが振り返りざまに大きく振り抜いた分銅を後ろへ跳んで躱し、すぐさま円陣を組んで取り囲んだ。
敵の一人が、静かに言った。
「やけに素直に囲まれてくれたな」
「ゼェッ、ゼェッ、あぁ〜しんど……走り疲れただけだよ。この老体に、追いかけっこは応える……あぁ、ゲホッ、ゲホッ」
「油断するな、確実に仕留めるんだ」
敵の集団は、一人残らず隙を見せない。注意を促した敵のリーダーと思しき男の声にも、黙って頷くのみ。視線は常にツツジの姿を鋭く見据え、どう斬るか、如何に仕留めるかだけを考えている。
「こりゃあ手強そうだ……だのに君たちこそ、やけに素直に弟子たちを見逃してくれたじゃあないか」
「標的は貴様一人だ。あれ以上抵抗されれば、こちらも考えたがな」
「へぇ、中々筋を通す人間だね君たちは……見所がある。どうだい、僕の教えを……」
「断る」
背後に立った男がツツジの時間稼ぎの意図を悟り、一気に踏み込んでその背に白刃を振り下した。ツツジは振り返りもせず繰り出した鎖でその剣を絡め取り、鎌で反撃を加えようとした。
しかし、第二第三の男たちの攻撃がそれを許さない。ツツジは鎌でそれらを受け流し躱そうとしたが上手くいかず、遂に一撃が腹を掠めた。
「ムッ……」
腹を抑えた手を見て、ツツジは冷や汗を垂らした。斬られたのは皮一枚だが、わずかに手に血が付いている。もう少し深ければ、動けなくなっていただろう。
「次は仕留める」
五人は再度の連携攻撃に備え、その立ち位置を阿吽の呼吸で調整する。目だけで彼らの様子を窺ったツツジは、広い額にベッタリと滲んだ汗を半纏の袖で拭いつつ苦笑した。
「これは……ちょっぴりまずいねぇ」
大賀君、わたるを頼む……ツツジは心中に、悲愴な覚悟を決めた。
♦︎
わたると大賀は、杉林の中で一夜を明かした。
大賀は一睡もせず、走るのと泣くのに疲れ果てたわたるがスヤスヤと寝息を立てる木陰に近付く者がいないか、息を潜めて一晩中見張り続けた。
朝になり、大賀は幌馬車の出るケヤキ通りを目指すか、或いは「女王」のいるサクラ通りを目指すか思案していた。
距離で言えばケヤキ通りが近いが、そこを締めるのは曙光会。「カタギには手を出さない」と評判の組織ではあるが、所詮はイレズミ。信用して良いものか?
しかし、サクラ通りは遠過ぎる。ケヤキ通りなら、わたるを衛兵に預けて幌馬車にさえ乗せてしまえば、そのまま安全に都に帰してくれるだろう。後は自分が残り、ツツジを探せば良い……
どの道このままでは、自分の体力が持たない。大賀は目的地をケヤキ通りと決め、わたるを先導して歩き始めた。
「うっ、うっ……先生、先生ぇ……」
わたるは大賀に続いてトボトボと歩きながら、情けなく嗚咽していた。
「僕のせいだ、僕の……僕が我儘言って付いて来なければ……先生一人ならあんな奴ら、きっと簡単に撒けたんだ」
「わたるさん、そんなことありませんよ……奴ら、相当な手練れでした」
「いーや、そんなことあるっ! 大賀、もう僕なんか見捨てて、先生を助けに行ってくれ! 僕なんか、僕なんか……」
大賀は心底ウンザリしていた。わたるの言っていることは至極尤もである。だが立場上、それに自分が同調することなど出来ない。そんなことぐらい、少し考えれば分かる筈だ。
わたるはこの期に及んで、暗に慰めの言葉を要求しているのだ。
「……駄目です。わたるさんは、まだまだ世に必要な人です。先生はそう思って、僕に貴方を託した……」
大賀は取り敢えず、思ってもいないことを口にした。溜まっていた疲労が、輪をかけてドッと押し寄せる。
「そうだろうか……しかし、しかし……」
殴りたい。全く、この出来損ないめ。これが「伝説の総裁」の息子か。鷹がトンビを産んでしまったようなものだ。
しかしこれを護るのが、ツツジに仰せつかった自分の役目。
何とか都へ帰すことさえ出来れば、少しは身の程を知って成長するだろう。
大賀はこの役目にどうにか意味を見出したい一心で、無理やり自分を納得させた。
「大賀、これから何処へ……?」
「ケヤキ通りへ……むっ!」
「むぐっ!?」
何処からか落ち葉を踏む音を聞いた大賀が、咄嗟にわたるの手を引き口を塞ぎ、手近な木陰に隠れ様子を窺った。
遠くから一人の男の怒号が響くと、それに続くように数人の男たちの声が聞こえた。
「くそッ、まだ見つかんねーのか! この役立たずどもがッ!」
「す、すいやせん……」
「そんなに騒がねぇで、菊田さん。少し落ち着いたらどうです」
「うるっせぇ! 下っ端の分際で偉そうなクチきいてんじゃねえ!」
どうやら一人の男と、「菊田」という男が言い争っているようだ。
大賀は怯えるわたるの口を塞ぎつつ、二人の会話に耳を澄ませた。
「ケヤキ通りまでのこのこネズミがやって来たのをあっさり逃しちまったてめぇらの不始末を、連合総出で始末してやろうってんだぞ! ちったぁ畏まりやがれ!」
「そりゃあんたの言えたことじゃない。ミスミ公園での不始末と比べりゃあ……」
「黙れッ! それを口にすんじゃねぇ!」
菊田の怒号が、さらに激しくなった。悲壮感すら帯びた声に只ならぬものを感じた大賀は、木陰から僅かに顔を出し男たちの姿を捉えた。
薄く剃ったマダラの眉をした中年男・菊田の顔は、その左半分が酷く焼け爛れている。まだ新しいものに見えた。
荒っぽい口調や会話の内容から、連中がイレズミであることを大賀はとうに見抜いていた。とすれば、あれはもう一人の言う「不始末」とやらのケジメか何かか。焼きごてでも当てられたのだろうか。
菊田と言い争う甚平姿の男は、そんな悍ましい顔を一切恐れずに真っ直ぐ見据え、堂々反論した。
「これは失敬。いずれにせよ曙光会には今、
「ケッ、それにしたってどうせやれやしねぇよ。親父も大概、お前ら『曙光会』を過大評価してっからな」
「お言葉ですが、もう果たしたも同然です。昨夜居所を突き止めて精鋭をけしかけました。今頃ツツジは骸に……」
「なッ……」
男の言葉に衝撃を受け思わず声を漏らしたわたるの口を、大賀が慌てて強く塞いだ。
菊田らイレズミたちが一斉に、殺気の籠もった目を二人が隠れる木に向けた。先程まで口論していた菊田と甚平の男が無言で目配せをし、甚平の男が顎を横にクイと振って合図をすると、数人の男たちが懐に手を差し入れつつ、彼に従って木に向かって歩き出した。
大賀は歯軋りしつつ、瞬時に頭を巡らせた。ツツジに倣って自分が敵を引きつけてわたるを逃がすか、二人揃って大人しく出て行き、ホームレスを装って言い逃れてみるか……
時間がない。イレズミたちが迫る。
大賀が矢も盾もたまらず飛び出そうとした、その時だった。
「ぎゃぁぁああああッ!」
大賀とわたるが隠れる木の目前まで迫った男たちが、その背後から聞こえた菊田の情けない悲鳴に驚き振り向く。
「り、『
菊田は黒スーツの襟首を曲刀に貫かれ、その柄頭に取り付けられたワイヤーロープで杉木に高々と吊るされていた。
その傍の高枝には、もう一本の曲刀を片手に持って菊田に突き付け、鼠色のターバンの陰から覗く大きな目を半開きにして、甚平の男・竜胆らを見下す小男が一人。
「チッ……ネズミか」
「ネズミ」ことわびすけは、舌打ちをしつつ樹上を見上げる竜胆とその手下たち、そして菊田の手下たちを見下ろし、抑揚のない声で言った。
「全員、身に付けたもん全部足下に捨てて消えろ。従わなきゃ……そうだな。まず二秒後に、こいつの左耳を落とす」
言うとわびすけは即座に、曲刀を菊田の左耳に引っ掛けた。
「待て、よせ! ネズミッ!」
「ひッ!? う、嘘だろっ!? ちょ、ちょ……」
わびすけは、竜胆の制止も菊田の動揺も意に介さず、虚ろな目で木の下にいる言う通りにしない連中を二秒間観察すると、予告通り、機械的に手を引いた。菊田の耳が飛び、鮮血が迸る。
「あぎゃあぁぁぁああぁっっ!」
「次は三秒後。左足首を抉る」
菊田の絶叫が響く中、わびすけはそれを押し分けるように無機質な声で竜胆らに警告し、曲刀を左足首に引っ掛ける。
「やめ、やめろっ! おい、おい……」
「ま、待て、待てッ! そんな時間では無理だっ! 話をしようネズミ! 話を……」
わびすけは言い訳ばかりで言う通りにしない連中を三秒間観察すると、また機械的に手を引く。菊田の左足首がスーツの裾と共に裂け、黒血が滴る。
「あがぁぁあぁぁあっっ! いでぇぇえぇぇ……ひぃっ、ひいぃぃっ、助けで竜胆、お前ら、あぁ、誰か誰か……」
「また三秒後。左手首。もうお前が命令した方が良さそうだな?」
わびすけは警告の後、目、口、鼻からダラダラと液体を垂れ流し嗚咽する菊田の、残った右耳に向かって囁いた。そして無慈悲に、また左手首に曲刀を引っ掛ける。
「やめっ、やめっ……! 言う通りにしろお前らぁぁぁぁああああっ!」
「くそッ、腰抜けめ……! 分かったネズミ、言う通りにする! だから手を……」
わびすけは、口先だけで一向に手を動かさない連中を三秒間観察すると、手を引いた。菊田の右手首から、鮮血がダラダラと溢れ出した。
「はッ……がッ……」
失血とショックによって限界を迎えた菊田は、遂に悲鳴を上げる力さえ失い、気絶した。
そんな様子を呆然と見上げる竜胆らを、わびすけは表情一つ変えずに見下ろし、再び警告した。
「三秒後……左目だ」
意識を失った菊田の、焼け爛れた顔の左半分の中にある、ひん剥かれた白目の前に曲刀を翳した。
竜胆は額に青筋を立ててその姿を見上げながら、懐に差し入れた手槍を地面に投げ出し、甚平の袖に手をかけて一気に脱ぎ捨て、紐を解き、褌をも脱ぎ捨て、一瞬にして一糸纏わぬ姿になった。
そして背後にいる手下や、周辺にまばらに立つ菊田の手下らに向かって怒号をあげる。
「さっさとしねぇかッ!」
竜胆の命令により、イレズミたちは慌てて武器を捨て、衣服を脱ぎ捨てて全裸になっていった。警告した三秒は既に過ぎていたが、わびすけは曲刀を菊田の左目から離し、その様を黙って見守る。
「よし……全員言う通りにしたぞ! 菊田さんを解放しろ!」
「はぁ? まだだろ」
「なっ……? き、消えるのは、菊田さんを返してからだッ! 貴様いい加減に……」
「……あぁ、左目忘れてたわ」
わびすけはいきり立つ竜胆の反抗を一切聞かず、曲刀を再度菊田の左目に近付けた。
「わ、分かった、やめろッ! くそッ、外道め……!」
竜胆は歯軋りをしつつ忌々しげにわびすけを睨むと、すぐに踵を返して手下たちを促し、足早に立ち去った。菊田の手下たちも、バタバタとその後について退散した。
わびすけは暫し樹上から、素っ裸の男たちの刺青の刻まれた間抜けな背を見送り、十分に離れたことを確認すると、自身の懐を
……人質を使った交渉は、何もイレズミだけの専売特許ではないようだ。わびすけは、取り敢えず死にはしないだけの治療を施してミイラ男のようになった菊田を樹上に括り付けると、軽快に木から飛び降りた。
大賀は突然現れた謎の救世主の暴虐ぶりに恐れ
そうして暫くわびすけは地面に屈んで、散乱したイレズミ達の持ち物をごそごそと物色し吟味しては懐にしまっていたのだが、突然何かを察知して跳ね起き遠くを見ると、訝しげにその様子を見ていた大賀の方を振り向いた。
完全に目が合った。
「あっ……えっ……」
わびすけは、自身の大きな目に射抜かれすっかり飲まれてしまった大賀を尻目に、先ほど立っていた枝に曲刀を放り投げて引っ掛け、ワイヤーロープを巻き取って飛び上がると、そこに括り付けてあった菊田を引っぺがし、大賀に向かって無造作に放り投げた。
「わっ!?」
大賀は突然のことに慌てつつも、一も二もなく菊田を受け止めた。
そしてまた樹上を見上げた時には、もうわびすけはいなかった。
「な、何なんだ、あいつ……?」
大賀は途方に暮れる間もなく、辺りを見回して状況を整理した。
地面に散乱したイレズミ達の荷物に、背後で気絶しているわたる。腕の中には同じく気絶しているミイラ男こと菊田。そしてこのままここに留まっていれば、怒れる全裸のイレズミ連中が引き返して来るかもしれない。
「えっと、えぇっと……ち、畜生、どうすりゃいいんだよっ! 先生、もうやだ俺、限界……!」
大混乱の林の中で大賀は一人、涙声でぼやいた。
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