チャンネル05 大神君
SOSのコメントを受け取って二日が過ぎた。答えはまだ出せてない。
「
席につくなり話しかけたクラスメイトは、肩をびくつかせながら振り返った。長い前髪から覗く目がおどおどと私を見上げた。
「お、おはよ」
「一時間目から小テストだね。自信ある?」
「え、うん、まあ」
「宇野君、頭良いもんねえ。羨ましいな」
「そん、そんなこと、ないし」
こうして褒めておけば宇野は宿題を見せてくれたり、授業で当てられると答えをこっそり教えてくれる。本当にいいやつだ、私と違ってな。
宇野はいわゆるオタクというヤツで、クラスでは同じような趣味と外見をした連中とつるんでいる。リア充グループに属する私とは相容れない存在だと思っているのか、会話はいつも緊張でどもっていた。
「宇野君は、"スパイダーウェブ"って見る?」
「へぇえ!?」
今度は私が肩をびくつかせる番だった。十代のおよそ七十パーセントが"スパイダーウェブ"を閲覧してるとテレビで言ってたぞ、そんなにおかしな質問をした覚えはないんだが。
「あ、ごめん。清見さんって、そういうの、興味あると思わなくって」
「そう? 普通に見るけどなあ」
スマホに変えてからは、ときどきアクセスしている。ていうかガラケーユーザーだったとき、周りはスマホをいじる人間ばかりでうんざりしていたが、いざ自分が同じものを持つと同じ行動をするようになると気がついた。スマホは最高の暇つぶしの道具である。
とはいえ、あれ、チャットアプリっつーの? 芙美や奈々香に招待されてグループに参加したけど、四六時中メッセージが送られてくるのにはウンザリする。既読機能なんて、一体誰が幸せになれるっていうんだよ!
「宇野君って、どういう動画観てるの?」
「え、俺は、えっと」
「面白いの教えてよ」
宇野は背中を丸めてチラチラ私を見ては顔を逸らし、見ては逸らしを繰り返した。うっとうしいな、早く答えろ。
「ゲ、ゲームの実況動画、とか」
「ゲームの実況、って、一体なにするの?」
「あ、知らない? あのね、ゲーム実況って本当面白いんだよ。最速クリアとか、クソゲー実況とか、発売したばかりのやつは参考になるし、あ、そうだこれ観てみる?」
宇野、マシンガントーク。
若干引いている私の様子に気付かないまま、宇野は自分のスマホを取り出して、ゲーム実況とやらの動画を見せてくれた。ちなみにうちの学校は授業中以外のスマホは禁止されていないのであしからず。
「あ、このゲーム知ってる」
「清見さん、ゲームするの?」
「スーパーファミコンならやったことあるよ」
「え、今はSwitchの時代だけど……」
知っとるわ、貧乏ナメんな。あと引いてんじゃねえよ。
キッと睨みつけたら、顔を伏せてぶるぶると震え始めた。しまった、私は一応リア充だった。
「これ、再生していい?」
了承を得る前に再生ボタンを押した。すると私とそう変わらない年頃の男の子が画面に現れた。ラフな部屋着に、前髪をピンで留めたチャラ系男子。女子に受けそうな顔をしていた。
『ども、シュウです』
ぶっきらぼうに挨拶すると、さっそくゲームの説明を始める。色んなスパイダーを見てきたが、本当にキャラクターは千差万別だ。全世界に自分を公開するぐらいだから明るい目立ちたがりが多いかと思いきや、なんで公開した、と問い質したくなるほど暗いヤツもいる。シュウは見るからに俺様で、他人が嫌いというオーラを出していた。
このシュウ、ゲームの腕前は相当のようだ。見せてもらった再生回数はミリオンを軽く達成していた。コメントも相当数あるが、『シュウ君かっこいい』とか『もっと罵って』など、女性からのコメントがほとんどだ。なるほど、たしかに顔は良い。うちのクラスにいたら間違いなくリア充グループの仲間入りをしていそうだ。態度はすこぶる悪いけど。
「ねえねえ宇野君」
「あ、なに? 面白くなかった?」
「ううん、面白かったよ。同じゲームやりたいって思った」
宇野は嬉しそうに唇を噛み締めた。
「それでね、このシューって人のスパイダー名が、シュ、シュヴァル、ツリー? ていうの? なんて意味? 外国人なの?」
宇野の表情が凍った。構わずに質問を続ける。
「歳は若そうだね。まだ高校生なのかな」
年収はいくらなんだろう。同世代の"スパイダー"ともなると、意識せずにはいられない。私なんてマキちゃんの動画が話題になったはいいものの、半月もたたずに世間から存在をほぼ忘れ去られているからな。
「スバルツリーさんは何歳なんだろう。宇野君、知ってる?」
「シュ、シュヴァルツリッターだよ。に、日本人、だし」
「日本人なんだ。何語なんだろうね」
「ドイ、ドイツ語で、黒騎士って、意味、」
「ドイツ語かあ。でもなんでドイツ語にしたんだろうね? 黒騎士というのは何か意味があるのかな」
「それは、あの、若気の至りというやつで、もう触れないであげて!」
宇野の悲痛な叫びに圧され、私は追及をやめた。しまった、根掘り葉掘り聞き過ぎたか。スパイダーの個人情報に触れるのはさすがに怪しかったな。
胸を押さえながら宇野は席を立って教室を出て行った。あと五分でホームルームが始まるというの、どこに行くんだアイツは。
「きーよーみーさんっ」
背後から両肩を掴まれ、思わず裏拳を繰り出していた。ぶっ、と聞こえて後ろを振り返ると、鼻を押さえた植草がいた。
「ごめんなさい、熊かと思って先手必勝を」
「間違ったのならしょうがない」
相棒の木和田がフォローしてくれた。最近思うのだが、木和田とは仲良くなれそうな気がする。
植草は先入観からか、私がわざと裏拳を放ったとは思っていないようだった。バカだなー女子に幻想を抱いちゃって。
「何か用だった?」
小さく首を傾げると、植草はデレッとした表情を浮かべた。ちょろいな、こいつ。ちょろ草だな。
「宇野と仲良さそうにしてたから、何の話してたのかなーって思って」
「ああ、動画見せてもらってたの」
「"スパイダーウェブ"?」
「そう。宇野君おすすめの動画。面白かったよ」
黒騎士の下りで宇野はおかしくなったが、人気"スパイダー"について知れたのは有意義であった。
「そういや清見さんってスマホにしたんだよね。チャットID教えてよ」
ついに来たか。芙美と奈々香二人には教えたが、こいつには、いや他の誰にも教えたくはなかった。どうせ毎日毎時間、腹の足しにもならない話題を振ってくるに違いない。
「
芙美と奈々香の名前を出されては断りにくい。スマホを買ったこと、内緒にしておけばよかった。ガラケーなら簡単に断れるのに。
結局、植草と木和田、そしていたのにずっと喋らなかった大神とIDを交換した。IDの横に表示される画像に自分のキメ顔を使っているところが植草らしい。木和田はデフォルトのまま。好感度が上がるしかない。
植草は目の前にいるというのにメッセージを送ってきた。「ヨロ☆」だって。口で言えよ。
慣れない操作でゆっくりと返事をしていると、違うIDからの受信のサイン。視線を上げると、大神はすでに自分の席に戻っていた。こっちなんか向いていない。
『放課後、化学室に来て』
***
はー、ついに来ましたかー。
いやね、大神が私のことを好きだというのは早い段階から気付いていましたよ。もうそういう視線をびんびんに感じていましたからね。他人の視線には敏感というか、常に気にして生きてきたからこそ分かる好意だった。
大神直。クラスの、いや学年の中でも五指に入るほどスペックの高い男である。他の四人を挙げろと言われたら困るけど、たぶんそれぐらいスゴイ男だ。
何よりまず顔がいい。可愛いと格好良いの中間に位置する甘い顔立ちは、若手俳優の誰それに似ているとクラスの女子がよく騒いでいた。私もクラスで初めて見たときは、バレないように何度もチラ見してしまった。
入学初日から髪を茶色に染めてきていたのでチャラ男かと思ったが、話してみるとけっこう普通というか、むしろ大人っぽくて少しドキドキしたのを覚えている。
うわコイツ香水つけてるよ! めっちゃイイ匂い!
隣にきたら無駄に呼吸を増やしていたと思う。少しどころじゃないな。
あと人によって態度変えて話さないし、植草みたいにグイグイ来ないし、実家は金持ちらしいし、自宅がめちゃくちゃデカいらしいし、親は社長らしい。
いやいや、なんかこう言うと私が金目当てみたいに聞こえるじゃん。違う、断じて違うから。大神家の資産になんてこれっぽっちも興味なんてないし。
大神のことは、たしかに格好良いと思う。こんな彼氏がいたら自慢だろう。
しかし私には生活費を稼ぐという使命がある。スパイダーとして活動していくにあたって、彼氏なんて邪魔以外の何物でもない。いくら大神が私を好きだとしても、その気持ちに応えることはできなかった。
でももし、もし付き合ったとしたら、デートとかするんだろうな。大神のことだからデート代は奢ってくれるんだろう。ねだったら卵とか野菜とか、ぎゅ、牛肉とか! 買ってくれるかもしれない。お一人様一個までのトイレットペーパーを販売しているスーパーに一緒についてきてくれたり、誕生日おめでとうと言って商品券をくれるかもしれない。
大神を振るか否か、天秤がガクガクと揺れに揺れた。今の私は、最近値上がりした白菜を花束代わりに差し出されたら頷いてしまいそうなくらいにちょろくなっている。植草のことを馬鹿にできない、私は今、ちょろ見になっている。
そっとドアに触れると、鍵はかかっていなかった。少しだけ開けて隙間から中を覗こうとした瞬間、扉が横にスライドした。
「清見さん」
大神からは、相変わらず良い匂いがした。至近距離から見下ろされて何も言えずに固まっていると、入って、と促される。大神以外の人間は、当然だがいない。植草と木和田が冷やかしに来ているんじゃないかと想像した私は、いざ本番を迎えると完全に怖気づいてしまっていた。
ど、どうしよう。
答えはまだ、いや、もう出ている。大神とは付き合えない。ごめんなさいと言えばいい。言えばいいんだけど、目の前に立つ大神の眼差しがあまりにも真剣で、思いつめていて、必死の覚悟でそこにいるというのが分かってしまった。
「今からすごく大事な話をするから、落ち着いて聞いてほしいんだ」
「……大事な話って、なに」
分かっているのに訊く白々しさよ。心臓が痛くなってきた。
告白されるのは初めてだった。中学までは極力地味に生きてきたから、男子の眼中になかっただろう。それがいきなりの高スペック男子に告白されるなんて、助走なしにハードルを跳ぶようなもんだ。絶対転ぶわ。うっかり頷いちゃうわ。こんな彼氏いたら自慢だもん。
「清美さんが、ロコだろ」
はい、ぜひ。
そう言おうとした私の口から出たのは「はひ、」という情けない声だった。
なんだ、どういうことだこれ、一体何が起こったんだ。
化粧で厚塗りした顔面から、汗が一瞬で噴き出すのが分かった。こめかみに水滴が浮く。目に見えない恐ろしいほどの衝撃を受け止めて、私は立っているのがやっとの状態だった。
「動画を見てて気がついたんだ。スパイダーのロコは、清見さんなんだろ?」
「な、なに、言ってるの」
嘘だ、バレるわけがない。
撮影しているときのすっぴん顔と、学校にいるときの化粧バッチリ顔はもはや別人だと朝子さんに言わしめた私だ。中学時代のクラスメイトがすっぴんの私を見たって、きっと気付かない。だってあのころ、分厚い眼鏡と宇野みたいに長い前髪をして、極力存在感を消していたんだ。誰にも分かるわけがない。
「ていうかこれ。告白じゃなかったんだ……」
正体がバレかけていることよりも、告白を期待して裏切られたことのほうがショックだなんて、私も一応女だったんだなと再認識した。
私の呆然とした呟きに、大神の顔が一瞬で赤くなった。
「ご、誤魔化すなよ! 俺にはもう、わ、分かってるんだからなっ」
いや、何も分かってない。普通、男子が女子を呼び出すとしたら告白以外ないだろうが。
私はアホだ。何勝手に勘違いしてたんだ。化粧して可愛くなったつもりでも、素の私なんかまるで大したことないのに。本当に可愛くなった気でいて、クラスのイケメンを振っちゃう自分に酔っていた。
死ぬほど恥ずかしいって、こういうことだ。
「はっきり言って、清見さんには失望した」
お前よりも私のほうが自分に失望してるよ。白菜もらったらとか、なんだよ。
穴を掘って埋まりたい衝動を抑えこみながら、それでも私はなんとか冷静でいようとした。恥ずかしがるのは後でもできる。今はいかにこの状況を切り抜けるかだ。大神が何をもって私の正体を掴んでいるのかは知らないが、知らぬ存ぜぬを突き通すしかない。大神クンこわ~いとか言って泣いてやるから覚悟しろ。
両手を握り締めて祈るポーズを作った私は、しかし声を出す前に固まった。
「詐欺みたいなことして、恥ずかしくないのかよ」
別になんてことのない、コメント欄でいくらでも言われてきた言葉だ。
「何が心霊動画だよ、そんなので金稼いで良心は痛まないわけ? たくさんの人騙して、笑ってるんだろ」
だというのに、どうして私の中の短い導火線に火が点いたのだろう。
「もうこんなことやめろよ。誰にも言わないから、今すぐにやめろ。頼む」
「うるさい」
今度は大神が固まる番だった。ヤツとの距離はおよそ二メートル。それをのっしのっしと歩いて差を詰め、下から睨みつけた。
「エラっそうに説教して、何様のつもり?」
今ここにいるのは清見ヒロ子じゃない、"スパイダー"のロコだ。何も知らない、知ろうともしない外野に腹が立ってしょうがない、ロコなのだ。
「幽霊なんかいないって? どうやって証明できんの?」
「そ、それを言ったら、そっちだってどう証明できるんだよ」
「できないよ」
「はぁ!?」
「どっちもできないんだから、大神君が私を
「お、おかしいだろっ」
「おかしくない。私は別に幽霊はいるから信じろなんて言ってないもん。信じたい人は信じればいいし、信じたくない人は信じなきゃいい。それで終わり。なのに大神君ときたらわざわざ呼び出して説教して、そういうのはフェアじゃないって分かんない?」
私は動画の中で一度も心霊現象について説いた覚えはない。ただ己が知りえた知識を公開しただけだ。
そもそも幽霊と呼ばれる存在自体、説明が非常に難しい。霊魂、精神体、思念、なんてフワフワした表現のオンパレードで、幽霊というものを理論的に解明した人間はこれまでに一人もいないのだ。母曰く、「専門家でさえ分かっていないのよ。なんとくこういうもんだ、ていう程度の認識なの」だそうだ。
「私が幽霊はいると証明できないように、大神君も幽霊がいないなんて証明できないでしょ。なのに詐欺師呼ばわりしやがって、
「開き直るなよ!」
「正論を言ったまででしょ。で、どうする? 私の正体をクラスの連中にバラす? 言っておくけど私、全力で否定するから。私と大神君、どっちを信じてくれるかな?」
クラスメイトの大神に対する評判はすこぶる高い。けどな、私だって負けちゃいない。
入学してから今に至るまで、私は私という人間を巧妙に作り上げてきた自信がある。見た目も態度も清楚な少女を演じてきた。スカートだってちゃんと膝下だ。付け入る隙なんぞ、欠片もないぞ。
とはいえ勝算はイーブン。大神が戦うと決めたら、互いに無傷では済まないだろう。私を
大神は唇を引き結んだまま、しばらく無言だった。しかしやがて怒りに顔を真っ赤にさせて体を
勝った。
完全なる、私の勝利だった。
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