チャンネル23 我ながら
我ながら、甘いと思う。後で絶対に直君に怒られるやつだ。
でもここで、どうしても見捨てることはできなかった。彼のことを、両腕で受け止めることはできないけれど、片手だけなら差し伸べるのもやぶさかではない。そういう結論に、至ったのだ。
ぱちぱちと瞬きを繰り返していたヒカル君のまつ毛が、浮かんだ涙を弾く。攻撃的だった彼の目は、いつしか迷子になった子どものように揺れていた。
「……俺、あ、僕は」
「うん」
「鹿島ヒカルっていいます」
「うん」
「南つばさ中学の、三年で」
「うん」
「好きな食べ物は、よく、分かりません。嫌いな食べ物は、たくさん」
「そっか。好きなの、これから見つかるといいね」
しゃがみこんで、目線を合わせる。涙の海ができた大きな目が、薄暗い路地で静かに光っていた。
「……ひどい、ことをして、ごめんなさい」
「うん」
「それから、」
「それから?」
「……僕と、友だちに、なってください」
すぐそこにある男の子の目が、期待と不安に揺れている。私はもったいぶるように、たっぷりと時間をとった。
誰も、何も言わない。私たちのやり取りと、静かに見守っていた。
ヒカル君の目から、大粒の涙が零れ落ちる。それを合図に、私は言った。
「いいよ」
***
翌日。
擦り傷だらけの私と直君は、教室に入るなり注目の的となった。とりあえず自分の席について教科書を取り出していると、遅れて宇野君が登校してきた。そして私の顔を見て、ぎゃっ、と悲鳴を上げた。
「ど、どうしたの、その傷」
「……ちょっと転んで」
少し離れた席では、植草君と木和田君が、同じく傷だらけの直君を囲んで騒いでいる。「着ぐるみにどつかれた」と馬鹿正直に直君が話すものだから、頭の心配をされていた。
「大神君と、なにかあったの?」
二人そろってボロボロなもんだから、関係がないとは言いにくい。
「うん、まあ。私が巻き込んじゃった感じ、かな?」
「ふうん」
嘘は言ってないぞ、嘘は。
いつもはおどおどしながら目を逸らすくせに、今日に限って宇野君の視線が鋭い。
「そ、そういえばもうすぐ夏休みだね。宇野君、どっか行くの?」
「……親の実家に帰るくらいだけど」
あからさまな話題の逸らし方に、宇野君は不満そうだ。
「そっかそっか。もし迷惑じゃなかったら、宿題の分からないところ、訊いてもいい?」
「えっ、あ、いい、けど」
「じゃあさ、チャットID交換しようよ」
「ヒイ!」
お、おう、どうした宇野君。いつもの宇野君になってるぞ。
顔を真っ赤にしてソワソワオドオド、行動は完全に不審者だが、しっかりとスマホを取り出して操作している辺り、実は冷静なのかもしれない。
「い、い、いいの? 僕と、交換して」
「いいよ。だって夏休み終わったら席替えするって先生が言ってたじゃん。今のうちにしとこうよ」
ゴトン、と机の上にスマホを落とし、宇野君はあからさまにショックを受けた顔で固まった。
「席が離れたらさ、なんか話しかけにくくなっちゃう気がするんだよね。だからそうならないように、ね?」
また赤くなった。血液循環、よすぎだろ。
えーっと、チャットIDってどうやって交換するんだっけ。振ればいいとか聞いた気がするけど。
「……清見さん、貸して。あとそのスマホだと、振っても意味ないよ」
「あ、そすか」
バーテンダー並みに振ってましたけど。
大人しくスマホを渡すと、宇野君は手早くチャットIDを交換してくれた。
「ありがとー。これでいつでも連絡できるね」
「……うん」
これで席が離れても私の宿題はどうにかなるぜ、ぐへへ。
我ながらゲスいことを考えている隣で、宇野君はじーっと自分のスマホを見つめていた。その口元は嬉しそうにむずむずと動いていた。
つられてこっちも照れていると、背中を衝撃が襲った。芙美と奈々香だった。
「ヒロおっはよー……ってどしたその顔!」
「大神もボロっちくなってるけど。痴話喧嘩?」
「それ絶対に言ってくると思った」
額に貼った絆創膏をつつく指から逃れながら、離れた席に座る直君の様子をうかがう。向こうも向こうで友人たちに絡まれてうんざりとした顔をしていた。
ふと、彼がこちらを振り向いた。へら、と笑い返すと、ぷいっと顔を背けられる。
……あれ、私また何かしましたっけ?
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