チャンネル18 大人と子ども-02
動画からさかのぼること五日前。私と直君は、游さんの車に乗って市街地を移動していた。
学校帰りのため、私たち学生組は制服姿で後部座席に収まっていた。游さんはシンプルながらもオシャレな私服姿で、自慢のスポーツカーを運転している。
そして車内の空気は、すこぶる悪かった。それは7月にしては暑すぎる気温のせいではない。空調をガンガンに利かせた車内は実に快適だった。
相棒が、剣呑な空気を出しさえしなければ。
「なあ直、無理してついてこなくていいんだぞ」
「は? なんでそんなこと言われなくちゃいけないわけ? 俺も行くって前から言ってたよね?」
「だったらそのしかめっ面やめろよ。ヒロちゃんが脅えてるだろ」
「おっさんが女子高生を下の名前で呼ぶのやめてくれる? それセクハラだよ」
「俺はまだ二十六だ。なんでもかんでもセクハラにするなよ。ヒロちゃん、別に嫌じゃないよな?」
「キモイならキモイって言ったほうがいいよ、ヒロ子ちゃん」
ああ、空気が不味い。
これなら窓を開けて湿気たっぷりの外の空気を吸ったほうがマシだ。
無言で遺憾の意を表していると、先に謝ったのは游さんのほうだった。すぐに会話を切り上げて運転に集中しはじめた。
直君は自分の子どもっぽさを露呈した感じになったのが悔しいのか、「なんだよ」と悪態をついたきり、静かになった。
この空気の悪さは、『日本霊障探求協会』、通称JEA本部に到着するまで続いた。
***
車が停まったのは、街の中心部を走る大通りから一本脇道に入ったところにある、古い雑居ビルの駐車場だった。周りは住宅街だが、ビルは違和感なく溶け込んでいる。
游さんに続いて、ビルの中に入っていった。
中はごくごく普通の作りで、一階にはポストが並んでいる。JEAの他にも、いくつかの団体や企業が同じビルに入っているらしい。エレベーターはなく、狭い階段を三階まで上った。
ひとつの階に、ドアはひとつだけ。すりガラスには『JEA』の文字が入った看板がぶら下がっていた。
ドアの横には、古いビルに似つかわしくないカメラ付きのインターホンがあった。游さんが押すと、ほどなくして「大神君? ちょっと待ってね」と声がかかった。
いよいよJEA本部に入る。
緊張なのか不安なのか、心臓がさっきから少しうるさい。二階に続く階段をじっと見つめていると、直君の手が肩に触れた。
「ヒロ子ちゃん、大丈夫?」
「う、うん」
「顔色よくないよ。帰る?」
「えっ、いや、それは駄目でしょ」
正式なスポンサーについてもらうからには、実際に会う必要がある。それが今日なのだが、ドタキャンはさすがにまずいだろう。
霊能力者の団体と対峙するのはもちろん心穏やかではいられないが、私を悩ませているのはもっと別のことだ。
母はJEAの存在を知っていたのだろうか。
本人に直接訊きたかったが、今日に至るまでまったく姿を見せなくなっていた。三日と開けず病院を脱走する母がだ。これは異常だった。
容体が悪くなったとは、病院からは聞いていない。見舞いに行っても、母の様子はいつもどおり。
そう、いつもどおり、スヤスヤ寝ていた。
「入るよ」
我に返ると、ちょうどドアが開くところだった。
游さんの後ろにぴったりくっついて室内に入る。一体どんなに怪しいインテリアで埋め尽くされているのだろうと戦々恐々で構えていたが、内部は拍子抜けするほど普通だった。
壁にかかったホワイトボード、窓辺に置かれた観葉植物に、数台のパソコンと電話。そして革張りのソファが並んだ応接スペース。
ここがJEAなる霊能力者集団の巣窟ではなく、中小企業のオフィスだと言われてしまえば信じられる。
直君も意外に思ったのだろう。入室前は警戒心バリバリだったのに、今では困惑して、逆に身の置き場がないといった感じだ。
「いらっしゃい」
入口から一番近いデスクにいた男性が愛想よく声をかけてくる。眼鏡をかけた三十代半ばの男性は、白い半そでシャツにスラックス。ただの会社員にしか見えなかった。この人も霊能力者、なんだよね?
その隣にいた女性は電話の応対中で、夏らしい涼し気な恰好をしていた。しかし電話の内容は、
「はい、はい、はい、……は? 燃やしたぁ? あー分かりました。ええ、念のため、予定通りに伺います。それまで生きているといいですけど」
受話器の向こうから騒ぐ声がしたが、女性はもう話は終わりと言わんばかりに電話を終えた。そしてこちらを振り返り、好奇心いっぱいの顔で手を振ってきた。
普通、ではないな、やっぱり。
よく見たら、パソコン周りにお札の束が置いてあるし、保存用パックに入れられた日本人形や、『手越さん行方不明』という物騒なメモが無造作に置いてあるもの。
「会長、連れてきましたよ」
一番奥のデスクには、七十代前後の女性が座っていた。白髪に、綺麗にほどこされた化粧。大ぶりのイヤリングが、立ち上がった拍子に揺れた。
おばあちゃんと呼ぶのが失礼にあたるような、堂々たる出で立ち。背筋はまっすぐで、意外と背が高い。
デスクを回ってこちらにやってくると、彼女は名刺を取り出し、自己紹介をしてくれた。
「はじめまして。私が日本霊障探求協会の会長、
「清見ヒロ子です。あの、スポンサーの件、ありがとうございました」
受け取った名刺を両手で持ちながら、会長と改めて視線を交わす。最初に見たときは七十代だと思ったが、もしかしたらもっと上かもしれない。元女優だと言われたら信じてしまいそうな、美しさと迫力があった。
ふと会長は視線を横にずらし、私の隣に立つ直君を見つめた。
「大神君の弟の、直君よね?」
「はい」
「今日は来てくれてありがとう」
労わるような声をかけられて、直君はきまりが悪そうに小さく頭を下げていた。
来る前は詐欺集団と戦う弁護士のように鼻息を荒くしていたけど、大人の対応をとられてしまい、またしても出鼻をくじかれている。
直君がしゅんとしている間に、私たちは応接スペースに通された。
「スポンサーといっても、あまり固く考えないでね。私たちが望むのは、協会の認知度アップと、若者への周知なの」
座ってすぐに出された紅茶とお菓子を勧められて、私と直君はお行儀よく手をつけた。
「ネットだの、スパイダーだの、その分野に敏感な子がうちにはいないのよ。一番若い大神君も、本業のほうが忙しいでしょ。だからぜひとも貴方たちとは繋がりを作っておきたかったの」
会長が言うには、協会の若返りなくして存続はないと考えているようだ。ロコ&マオを使って、JEAの存在を若者たちに発信したいという強い思いが伝わってきた。
スポンサーに関して、私に異存はない。動画作成にかかった諸経費はすべて負担してくれるというのは嬉しい限りだ。見返りとして、私は動画内でJEAの存在をアピールしまくればいい。
よかった、変な壺や札の宣伝をしろとか言われなくて。JEAが売りだしているのは、500円で買えるお守りくらいだそうだ。
「じゃあ、会員としての仕事は? ヒロ子ちゃんに、何をさせるんですか」
大人しく話を聞いていた直君が、唐突に口を挟む。私はぎょっとして隣を見た。会長を見据える直君の横顔は、怖いくらいに真剣だった。
「兄貴の話じゃ、スポンサーはついでみたいに言っていました。ロコじゃなく、ヒロ子ちゃん個人に用があったんじゃないですか。彼女に何をさせるつもりです」
追及を受けて、会長は一瞬、游さんに目配せをした。一瞬のやり取りの後、二人は同じ表情を浮かべた。
「会員には、それぞれ仕事を割り振っているわ。得意分野に応じた仕事をね」
私の得意分野ってなんだ。考えている間に、直君が先に口を出した。
「それは、危険なものですか」
「私たちの仕事に、安全なものはないわ」
直後に直君は立ち上がった。
「帰ろう、ヒロ子ちゃん」
私の腕をつかんで強引に立ち上がらせる。
あ、待って、お菓子がまだ。未練がましい私の体を引っ張って、出口へとずんずん向かった。
ドアノブに手をかけた瞬間、直君が焦った声を上げた。ガチャガチャと何度も回す。けれどドアは少しも動かない。
「直君、たぶんそれ開かないと思う」
「なんで!? くそっ、外から押さえてあるのか!」
必死にドアを開けようとする直君に、なんだか申し訳ない気になって、私は立ち尽くすしかなかった。
「直。戻れ」
すぐ後ろに游さんが立っていた。直君は恨みがましい目を兄に向け、私を背後に隠すように位置を入れ替えた。
「会員になるのはヒロちゃんであって、お前じゃない。他人の人生に口を挟むな」
「ヒロ子ちゃんは俺の大事な人だよ。口を出して何が悪いんだよ」
「彼女がそうしてほしいってお願いしたか? 違うだろ?」
数秒黙り込んだ直君は、ゆっくりとこちらを振り返った。行き場を失った不安げな表情を向けられたって困る。
「ヒロちゃんに答えさせるな。ったく、だからお前はガキなんだよ」
直君がいきり立って一歩前に出る。それを後ろから制服を掴んで止めた。
「直君、心配してくれるのは嬉しいけど、」
「なんで? 危ないことさせられるんだよ?」
その代わり、母の入院費はタダだ。タダより怖いものはないって言うけど、まさしくそうだ。タダになる見返りとして、私は危ない仕事をする。
「それの何がいけないの?」
「い、いけないに決まってるだろ!」
「それは直君の都合でしょ。私はそれでいいって納得してるもん」
「俺は、心配してっ」
「ありがとう。でもね直君、私のことはほうっておいて」
やんわりと言ったつもりだったけど、直君はショックを受けたように顔をこわばらせた。
仕方ないじゃん。直君はまだ子どもだ、彼にできることなんて、たかが知れている。
でも游さんは、協会は、私を大人として扱ってくれている。取引って、そういうことだ。
だからそんな裏切られたって顔で見ないでよ。
「はいはいストップ! ここ協会だから! 青春ほとばしらせるなら、学校でしてくれ」
不穏な空気を断ち切るように、游さんが割り込んできた。正直、ほっとした。
私たちはお互いに顔を背け、少し距離をとった。
「直、お前は先に車に戻ってるか? それともヒロちゃんと一緒に、話を聞くか? 聞くなら邪魔しないって約束しろ」
「……聞くよ」
「よし」
ことさら明るい声を上げて、游さんは直君の肩を抱いた。直君も嫌がらない。二人並んで歩く姿を見て、兄弟だなあと当たり前のことを思った。
再び応接スペースに戻った私たちは、さっきよりも間を開けてソファに座った。向かいに座る游さんと会長がなんとも言えない顔をしていたが、やがては真面目な表情に切り替わる。
「さっきも言ったとおり、私たちの活動は危険が伴うわ。それでもやる意味があるし、やる必要がある。私たちじゃないと救えない人たちがいるからよ」
正義感の強い眼差しに、私は思わず苦笑しそうになった。
母とはずいぶんと違うものの考え方だ。誰かのために、なんて絶対に言わない人だったから。
「貴方の力が必要なの。どうか、手を貸してちょうだい」
会長を見つめながら、隣から注がれる強い視線を感じていた。きっと私が断ればいいのにと思ってる。危険なことをさせたくないと心配してる。
優しい彼の気持ちを、私は裏切ることになる。
「はい」
直君。ごめんね。
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