チャンネル08 相棒

『ちわーロコでーす。今日は依頼を受けて某県に来てまーす』

 古ぼけたアパートを背景に、いつものユルいテンションで動画は始まった。ひとつのスマホを覗き込むのは、塾通いの中学生三人。ファストフード店で早めの夕食をとりつつ、動画視聴で塾が始まるまでの時間をつぶしていた。

『この方は、今回依頼をくれたユーザーのおじいさんです。後ろのアパートの大家さんね。今日はよろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

 顔の上半分を覆うやたらと煌びやかな仮面をつけた中年男性は、撮影に慣れていない様子でぎこちなくお辞儀した。仮面についた七色の羽がふぁさあ……と男性の寂しい頭部を撫でる。三人は同時に噴き出した。なんでそれを選んだと、口々にツッコんだ。


『最近、所有するアパートで怪奇現象が起きてるそうですね。具体的にはどんなことが起きてるんですか?』

『空き部屋で物音がしたり、呻き声が聞こえるんです。私の自宅は別にあるので、実際に聞いたことはないんですが。でもたたりだとか、幽霊が出るとか噂が広まってしまって、住人は出て行くし、借り手も見つからないしで困っとるんです』

『ちなみに空き部屋で誰か亡くなったりしました?』

『……数年前に。でも心臓発作です。それに亡くなったのは、うちのアパートじゃなくて病院ですから』

『なるほどなるほど。事故物件ではないと』

『もちろん!』

 二人は真面目なトーンで会話を進めているが、いかんせん仮面がすべてを台無しにしている。おじさん、なんでその仮面なんだよ。おそらくロコのチョイスだろうが、全然話に集中できない。

『幽霊なんて信じてませんがね。孫がどうしてもって言うもんだからお呼びしました。まあ、お願いしますよ』

 ロコ相手に、喧嘩を売るような発言。ロコは怒らず、シニカルな笑みを浮かべるだけだった。しかし口が確実に『ハゲェ』と動いていたのを視聴者は見逃さなかった。

『お任せください。じゃ、とりあえず問題の部屋に行きましょうか』


 後ろにあるアパートの階段を上ろうとする二人だったが、ここで三人目の声が上がった。

『待って! 俺の紹介は!?』

 画面が激しく揺れ動く。ロコの面倒くさそうな顔が映り、次に男が強引にフレームインしてきた。背の高い、すらっとした体型の男だった。くしゃくしゃの髪に黒縁の眼鏡、ロコと同じジャージ姿だ。

『チッ。紹介します。助手です』

『こんにちは!!』

『声でかいな……。スパイダー名は?』

『ごめん、まだ決めてない』

『決めてきてって言ったよね?』

『たくさん考えたんだけど、これっていうのがなくてさ』

 ロコの動画は一本目から見ているが、助手が出てくるのは初めてだった。顔は眼鏡と長めの前髪で巧妙に隠されている。けれど声や話し方を聞くかぎり、年齢は自分たちとそう離れていないのが分かる。


『ところで動物とか飼ってる?』

『え、犬がいるけど』

『名前は?』

『ラッキー』

『じゃあラッキー、今日は助手の仕事よろしくね』

『ちょっと待って!』

 強引な命名をして再びアパートの階段を上ろうとするロコを、ラッキーが慌てて引き止める。

『もっとちゃんと考えてよ!』

『ラッキーでいいじゃん。ラッキーの何が不満なの? 不満に思うような名前を犬につけたの? そこに愛はあるの?』

『あるよ! あるけど、俺が言いたいのは、きよ、ロコの愛がないんじゃないかなって』

『あーもーめんどくさいなあ』


 ロコは突然座り込むと、落ちていた枝を拾い上げて地面に何事か書き始めた。「あ、大家さん。ここは映さないでくださいね。本名なんで」という発言で、はじめて撮影係が大家であることが分かった。依頼人の親類に何をさせているんだ。

『本名をアルファベットにして、こことここを入れ替えるでしょ』

『アナグラムだね。うんうん』

『……ago。アゴってどう?』

『ちゃんと考えてって言ったよね?』

『ダメか。あっ、amigo! アミーゴってカッコ良くない?』

 男は無言で枝を手にとり、地面をがりがりと削った。

『mao? マオかあ』

 つっまんねぇ、とロコの顔は言いたげだ。

『ロコとマオ。語呂的にもいいでしょ。コンビっぽいじゃん』


 編集したのだろう、画面が切り替わると、直立不動の男とかったるそうに立つロコがアパートの前に並んで立っていた。

『お待たせしました、助手の"マオ"君です。これからちょくちょく出ると思うからよろしくね』

『はじめまして!! 幽霊とか心霊現象は一切信じていません!! よろしくお願いします!!』

 スピーカーにしていたスマホから、マオの元気いっぱいの声が響く。

 信じてないのに助手だって。変なの。

 三人が同じ感想を抱いたとき、ひとりが「やばっ」と叫んだ。画面の上に表示された時間は、講義開始の五分前。今日はここまでだ。スマホを鞄に入れて、三人は慌ててファストフード店を飛び出していった。


***


 五月中旬となり、一学期の中間考査まで一週間を切った。高校生活最初の定期テストとはいえ、中学時代とやることは変わらない。私は三日前から頑張ろうと考えていたが、昼休みになると、芙美と奈々香が教科書と睨めっこしていて驚いた。

「点数によってお小遣い決まってくるから」

「私も」

 普段の授業態度や宿題提出も不真面目な二人だったから、どうせ自分と同じ残念な

オツムをしているのだろうと安心していた私である。慌てて教科書とノートを取り出し、二人に倣ってテスト勉強を始めた。

「あーダメ、ここ全然分かんない」

「私も同じとこでつまってるわ。ヒロは?」

「分かると思う?」

 一緒に勉強をしていて分かったが、おそらく、いや間違いなく、私が一番バカだ。

 高校受験で藤ノ宮高校を第一志望にしたとき、担任から何度も何度もランクを落とせと言われたほどである。しかし家から近く、交通費がかからない、さらに風紀が乱れていない高校といえばここしかなかった。

 合格できた理由は、その年に限って倍率が低かったからに他ならない。校舎が新しくなり、設備が一気に充実した別の学校に人気が偏ったおかげだ。

 いわば棚ぼた合格である。油断していたら留年なんてこともありえなくはない。


「ヒロ、ちょっと宇野に解き方聞いてきてよ」

「あんたならアイツもほいほい教えるでしょ」

「分かった」

 否定する時間も惜しかった私は、宇野の姿を探した。いた。同じようなオタクグループで固まってゲーム談義をしている。


「宇野君、ちょっといいかな?」

 会話がぴたっと止まった。なんだよ、あからさまだな。私はリア充はリア充でも、"エセ"がつくリア充だ。中身はあんたらと変わらんというのに。

「な、な、なに」

「あのね、この問題の解き方が知りたいの。いい?」

 教科書を胸の前に持ってきて首を傾げる。どうだ、あざとかろう。髪もさらっと肩から流してやったぞ、ほれほれ。

「う、うん、あ、あの、」

「ありがとー!」

 宇野の隣に座っていた男子をじっと見つめると、彼は大急ぎで席を譲ってくれた。お礼を言って、遠慮なく座った。

 問題を教えてもらっている間、宇野の仲間たちは終始無言だった。雑談くらいしてたらいいのに。いや、でも中学時代、私も近くにリア充がいたら黙りこんでいたな。目をつけられたくなかったから、できるだけ存在を消して内心では『リア充うぜー』と思っていた。てことは今、私もうぜーと思われているということか。


「教えてくれてありがとう。あと話の邪魔してごめんね」

 少しでも良い印象を残しておきたい私は、愛想を振りまいて席を離れていった。後ろのほうで、「天使かよ」という声が聞こえた。いいえ、どちらかといえば悪魔です。

「解き方分かった」

「ナイス!」

「見して見して」

 三人で書き込まれた教科書を覗き込み、解き方をノートに写していく。宇野の書く文字は癖がなくてとてもきれいだった。

 教科書に、ふと別の影が落ちる。三人同時に顔を上げると、大神と植草、木和田がいた。

「俺らもまーぜて」

「植草ってすぐ勉強以外の話するからヤダ」

 すぐさま芙美が追い払った。

「ひでーな多田! 清見さん、俺らもいいよな?」

 私以外の五人は同じ中学出身だ。だからだろうか、六人で集まると私は少し居心地が悪い。

「私は別にいいよ。それから私も呼び捨てにしていいからね」

「ヒロ子」

「いや、苗字のほうだから」

 なにキリッとした顔で下の名前を読んでんだ、慣れ慣れしいんだよ。

「でも清見さんは、清見さんって感じだからなあ」

 教科書を広げながら木和田が言った。その"清見さん"は作られたキャラクターなんだけど、あいまいに頷いて名前の話題は終わりにした。


「清見さん、ここ分かる?」

 隣に座った大神が、開いた教科書を見せてくる。問題を読もうとした私の視線は、ページの端っこに書かれた文章に吸い寄せられた。

『今日も誰かに会いに行くの?』

 ここが学校であることも忘れ、"ロコ"の顔で大神を威嚇する。ヤツは涼しい表情で、さらに文字を書き足した。


『俺も行きたい』

「はァ!?」

 大声を上げた私に、案の定注目が集まる。咄嗟に言い訳を口にした。

「あ、いや、見た目によらず大神君が賢くて驚いたっていうか、」

「なにそれ、俺のことバカっぽいって思ってたの?」

 よりにもよって言い訳がそれか、と大神は言いたげだった。

 仕方ないじゃん、顔がイケてて成績もイケてるとか、漫画の主人公じゃないんだから。どうせ私とどっこいどっこいだろと思っていたら、教科書に挟まっていた満点の小テストを発見してしまったわけである。

「私、このテスト0点だったよ」

 同じく教科書に挟んであって小テストを見せてやると、大神は呆れた顔を隠しもしないで言い放った。

「後半の問題、同じ答えを連続して書いてるじゃん。ヤケクソにもほどがない?」

「どれか正解するかなって。戦略的発想ってやつだよ」

「それ頭の悪い人間の発想だよ。よくうちの高校受かったね」

 反論ができん。

 私のバカさ加減は事実だが、だからといって面と向かってけなされるのは納得がいかない。私は無言で大神の脇腹に拳をめりこませた。


「二人とも、仲良いね」

 痛がる大神に満足していた私は、友人たちの意味ありげな視線に気がついて冷や汗をかいた。しまった、二人のときのノリで会話をしてしまった。どう取り繕うかと頭を回転させていると、横から衝撃が襲ってきた。

「清見さんっ、俺もっ、俺とも仲良くしてよぉ!」

 植草がふざけて抱きついてくる。力は全然入れてないから冗談なんだろうけど、次の瞬間、植草の尻に大神の蹴りが決まった。

「いてーな! 何すんだよ!」

「女の子に気安く抱きつくな」

「スキンシップじゃん。清見さん、嫌だった?」

「嫌に決まってるだろ。もう昼休み終わるし、行くぞ」

 清見さぁんと叫ぶ植草をヘッドロックして、大神は自分の席へと戻っていった。木和田は三人分の教科書と筆記用具をまとめて持つと、じゃあね、と言って去っていった。木和田、クールなヤツよ。


「ヒーローちゃん」

 三人を見送る私の背後から、ふたつの顔がぬっと出てきた。嫌な予感がして立ち上がろうとする私を椅子に戻し、ねちっこい声が両方から交互にささやいてくる。

「ちょっとぉ、いつの間に大神と仲良くなったの?」

「え、別に、普通だと思うけど」

「よく言うわよ。息ピッタリだったじゃん」

 反論をしようと口を開いたところで、気の早い教師が教室に入ってきた。反論するヒマもなく、五時間目の授業が始まった。


***


「大神君のせいで、あらぬ疑いをかけられた」

 いつもの化学室で、私と大神は向かい合っていた。大神は化学室の鍵を指でいじりながら、なぜか口元がゆるゆるだった。

「いつもより多めに喋っただけでカップルとか、小学生か! そんなこと言ったら芙美と植草君、めっちゃ喋ってるじゃん! カップルじゃん!」

「あの二人、中学のとき付き合ってたよ」

 う、うそだろ……愕然がくぜんとした顔で大神を見ると、ヤツは興味なさげに鍵をくるくると回していた。

「まあ一ヶ月くらいで別れてたけどね」

はやっ」

「なんか付き合うのブームっていうか、好きじゃないけどノリで付き合っとくか、みたいな空気が一時期あった」

 恐ろしい空気があったもんだぜ。

 いや待て、思い返してみると、私の中学時代にも似た空気がただよっていた。とはいえリア充に限定される空気で、地味に振舞っていた私はただ、連中の惚れた腫れたの騒ぎを耳を大きくして聞いているだけだった。ちょっと前までランドセルを背負っていたガキンチョどもが繰り広げる風紀の乱れを、教育評論家ばりに批判しつつも内心では興味津々だったわけである。


「そういう大神君も誰かと付き合ってたんだね。女子とイチャついていたわけだ」

「はぁ? してないよ!」

「嘘だね。その顔で彼女がいなかったわけがない」

「そ、そりゃまあ何人かと付き合ったけど、大したことはしてないし」

 大したことってなんなんですかねー?

 ていうかコイツ、さらっと何人かとの交際を白状したな。すごくナチュラルだった。なんてことないって感じで言いやがった。これが本当のリア充かっ、と私はひそかにおそおののいていた。


「清見さんこそ、どうなんだよ。か、彼氏とか、いた、んですか?」

 なぜ急に敬語になったのかは不明だが、私の答えはひとつである。

「いませんけど! 悪い?」

 リア充バーカバーカ! 恋人いたことがそんなに偉いのか? 誰かと付き合ったら、人間としてランクが上とでもいうのか? 断じてちがう! 人間の価値は交際した人間の数で決まるんじゃあない! 収入で決まるのだ!

 一気に言い切ると、ゼェハァと呼吸をして出てもいない汗を拭う仕草をした。


 大神は目を丸くして固まっていたが、その目が次第に細くなっていく。わ、笑ってるだと? 幸せそうな顔しやがって、私の弱みを握ったとでも思ってるんじゃないだろうな。

 微笑む大神を、屈辱的な気分で睨みつける私という図が完成してから数分。大神はふと真顔に戻ると言った。

「"スパイダー"になったのは、お金のため?」

「だったらなに」

「清見さん、有名になりたいってタイプじゃないから、どうして"スパイダー"になったのかずっと不思議だった。そっか、お金のためだったんだ」

「悪い!?」

 大神君には分からないだろうけど、うちって貧乏なの、アパートもボロいの。バイトしなきゃ食べていけないくらいなの。芙美と奈々香みたいにお小遣いなんてもらえない。自分で稼ぐしかないの。


「大神君の家、裕福なんだってね。だったら分からないね」

 父親はスーパーのチラシの裏に『すまん』と書いて失踪するし、母親は入院中だ。この私を助けてくれる人間なんて、『私』以外に存在しない。

 だったらどんな手を使ってでもお金を稼ぐしかないじゃないの。私は何にも悪くない、悪いことなんてしていない。

 本当に言いたい台詞だけは唇を噛み締めて吐き出さなかった。同情されることほど、惨めなものはない。


「清見さん!」

 大神の声で現実に戻る。興奮しすぎたのか、視界が涙で潤み、目の前にある大神の顔が歪んで見えた。ごめん、というヤツの言葉が、なぜか私の胸をえぐった。

「毎日家でフォアグラ食べてるような大神君には、私の気持ちは一生理解できない。放っておいてよ」

「いや、毎日は食べないよ。飽きるよ」

「金持ち発言ムカつく!」

 ぐわっと威嚇で持ち上げた両手を、大神が捕まえる。そのままぎゅっと握りこまれて、距離が縮まった。

「お金のためにやるのが悪いなんて言ってないよ。でも泣かせてごめんね」

 涙は今にも零れそうだったけれど、落ちることはなかった。なぜならそうなる前に、大神のあごに頭突きを入れたからだ。

「慣れ慣れしい!」

 女の子に気安くさわるなと言ったのはどの口だ。大神が痛みに呻いている間に、私は袖口で目元を押さえて水分を吸い取った。これで泣いたにカウントされないはずだ。


「清見さんが"スパイダー"をやる理由は分かったよ」

 大神の顎は赤くなっていた。その部分を撫でながら、やれやれ、というようにため息をつき、

「だったら、俺も一緒にやる」

 と、大神は言った。

 言葉の意味が理解できなくて、しばらく私は返事どころか瞬きひとつもできなかった。

「清見さんの動画は全部見たけど、なんていうかアンチが多いよね。原因は一方的すぎる部分にあると思うんだ」

 理解できないうちに、ヤツは動画の批評を始めた。

「心霊現象が当たり前のていで話を進めているけど、世の中にはオカルトを信じていない人間のほうが多いんだ。それを清見さんは力技で納得させようとしているよね」

 めちゃくちゃ理路整然と批判してきたぞこいつ。上手い反論もできず、私は言われるがままであった。

「アンチが叩く理由は、理解できないからだ。直接文句を言えないからコメント欄が炎上するんだと思う」

「いや、あの、大神君?」

「でも俺という人間が一緒にいたら、どうだろう。清見さんの主張に真っ向から対立する人間が一緒に動画に出ていたら、印象はかなり変わるんじゃないかな」


 コンサルタントばりに動画の弱点を指摘し、改善点まで提示されて、頭の出来がよろしくない私はついつい頷きかけてしまった。待て、共演なんて冗談じゃないぞ。

 冷静になれと言い聞かせつつ、大神の提案を一考する自分がいた。ヤツの言うとおり、主張がまったく違う人間を迎え入れるということは一種の中和作用を生み出し、アンチを減らして広い支持層を得るのに繋がるかもしれない。

 だが一部のファンは面白く思わないのではないだろうか。自分だけが理解できる"ロコ"が大衆化されることに、ファンはがっかりするのでは?

「清見さん、落ち着いて考えて。ファンといっても、ロコのチャンネル登録者数はたったの"250"だ」

「い、いっぱいいるじゃん」

「ユータンの登録者数は"600万"だけど?」

 大神の指摘は恐ろしいまでの破壊力をもって私の自信を打ち砕いた。600万が250の何倍かは私のおそまつな頭では暗算できないが、両者の数字の間に圧倒的な差があることは十分に理解できる。

 ふらふらと後退する私にずずいと近づき、大神はなおも言い募った。

「それに登録者数、最近横ばいだよね?」

「はぅ!」

 見て見ぬフリをしていた事実を指摘され、さらにダメージを受ける。マキちゃん出演の幽霊動画のときは一時期話題になったとはいえ、視聴回数のわりにはチャンネル登録者は思っていたほど増えなかった。大神の言うとおり、オカルトなんてニッチな業界は大衆には受け入れがたいのだ。


「なにより清見さんは、危機感がなさすぎる」

 さっきとは別の意味で涙目な私に、大神はぐいぐい迫ってきた。気付けば壁に追い込まれ、大神の両手が逃げ場を塞ぐ。

「田口さんのときもそうだ。ひとりで男に会いに行くなんて危険すぎる」

「はへ?」

「その顔! そんな無防備な顔でふらふら外出して、何かされたらとか考えなかったの?」

「何かって、なに」

「こういうことだよ」

 大神の真剣な顔が迫ってきて、私のそれに影を落とした。が、途中で一時停止したかと思うと、ヤツの顔はぐんぐんと赤くなっていった。ちょっとだけ突き出された唇が子どもみたいだなあと私は考えていた。


「ぁああできない! 目が純粋すぎるっ」

 突然叫びだしたかと思うと、私のすぐ隣の壁をドンドンとたたき出した。これが壁ドンか。大神の奇行は、さきほど鋭い考察をしすぎたがゆえのオーバーヒートだと思うことにした。

 大神が悶え苦しんでいる傍らで、私は短い時間の中で出した結論を口にした。

「分かった」

「え、なにが?」

 おいしっかりしろ。

 若干よれたイケメンを見上げ、私はハッキリと告げた。

「大神君と、手を組んでもいいよ」

 停滞した今の状況を打破するには、大神という起爆剤に賭ける他なかった。とはいえ起爆剤というからには、爆発炎上、木っ端微塵で"スパイダー"活動終了なんてことにもなりかねない。

 しかし上を見ない人間には、いつまでたっても未来は切り拓けない。ほんのわずかな可能性に賭け、勝つしかないのだ。

「私の人生かかってるんだから、邪魔だけはしないでよね」

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