チャンネル03  夢枕に立たれたい

『こんにちはぁ、ロコで~す。今日も節約レシピを紹介するよぉ』

 語尾を延ばした媚び媚びの演技。視聴回数、平均二桁の弱小"スパイダー"が、今日も可哀相な動画を上げている。数少ない視聴者のひとり、会社帰りのサラリーマンは電車の中でニヤニヤと笑った。彼は底辺を這いずり回る"スパイダー"を日々観察するという趣味の悪い趣味を持っていた。

 ロコと名乗る"スパイダー"も観察対象のひとり。有名"スパイダー"の真似をして、必死に演じているのが滑稽でたまらない。そろそろむなしくなって消えるころだろう、意地の悪い予想をしていた。

『と思ったら大間違いだ! 今日で料理動画は終わりにする!』

 突如として豹変したロコに、サラリーマンの男は「えっ」と声を上げていた。車内の視線が集中するのに気がついて縮こまる。なんだこいつ、いきなりキャラ捨てやがった。


『心霊動画のはじまりだ!』


 イヤホンをつんざく大声に、男は息を詰める。画面にはもう、誰かのコピーみたいな女はいなかった。


『第一回目はこれ!』

 百均で買ったようなスケッチブックには、「夢枕ゆめまくらに立たれたい」とマジックでデカデカと書かれていた。

夢枕ゆめまくらっていうのは、夢の中で相手にメッセージを送ることね。自分が相手の夢に立つのが普通だけど、相手を立たせるのは難しいんだから。それを今から素人のあんたらに教えてあげる。感謝しろ』


 どえらい上から目線である。ロコという女、完全に吹っ切れている。

『まずは紙を人型に切る。紙は無地のいい紙を用意すること。チラシの裏なんか使っても好きな子は来ないからね。下手したらお母さんが来る。そしたら悪夢だ』

 サラリーマンの男は、最後まで動画を観た。そしてそっとチャンネル登録を消した。


***


 大神と別れ、信号を渡った私は、しゃがみこんで女の子と目線を合わせた。

「よ、元気?」

 女の子はなぜか後ろを振り返った。周りに自分たち以外誰もいないことを確認すると、信じられないと言うように大きな目をさらに見開いた。けれど事実を受け入れるのは早かった。柔らかそうな頬をじわじわと赤く染めて、上目遣いに言った。

「元気じゃないよ。死んでるもん」

「はははー、ジョークジョーク」

「全然笑えないんだけど」

 唇を突き出して不満を表すも、女の子は嬉しさを隠しきれていなかった。名前を尋ねると、女の子は瞬きをして、そして戸惑ったように後ずさった。

「そんなの訊いてどうするの?」

「どうしよっかな」

「変なの」

 警戒されたかな。ちょっと困ったように眉を下げると、あずさ、と小さな声が聞こえた。

 あずさ、はっさい。

「私はヒロ子だよ。十六歳」

「あずさ二人分だね」

 そうだね、と笑って無性に切なくなった。つまりは、私の半分。


「家はどこ?」

 とりあえずここから離れないと、信号が変わったら大神がついてくるかもしれない。あずさはこっちと言って、歩き出した。私は小さな背中についていく。

 家に着くまでに、あずさは止め処なく喋った。誰にも話しかけられなかったから嬉しいのだろう。同じクラスの好きだった男の子、飼っていた猫、お父さん、お母さんのこと。

 歩き続けること十分、あずさの足が止まった。閑静な住宅街のなんの変哲もない一戸建ての前で、ここだよ、と指を差した。


「電気ついてないね。留守かな?」

「ううん、いると思う。あ、プリンだ」

 あずさにつられて二階の窓を見上げると、カーテンの隙間から猫がこちらを見下ろしていた。白と黒の斑模様は、プリンというか、牛に似ていた。あずさが手を振ると、プリンが鳴く。しばらくして、人影が見えた。


「ママ!」

 幽霊かと思った。

 青白い顔のげっそり痩せた女性は、しきりに鳴く猫を近所迷惑と思ったのか、抱き上げて窓から離す。外を見て、見知らぬ少女、つまりは私がいることに気がついたが特に反応は見せなかった。無情にもカーテンを閉め、女性は窓辺から去っていった。


「ままあ~!」

「ちょ、泣かないでよ。って誰にも聞こえないか」

 家の中からひときわ大きな猫の鳴き声が聞こえる。プリンにはあずさの声が届いているのかもしれない。動物は人間と違って鋭いのだ、と言ったのは母だった。

「泣くな、あずさ」

「だってえ」

「家は分かったし、今夜だな。また来るから、あずさもここに来て」

 一方的な物言いに、あずさはしゃくり上げながら中々返事をしない。

「いい? 絶対来て。たぶんいいことあるから」

「ほんとう?」

「本当。たぶん」

「どっち!」


 あずさの目がすがるように私を見た。小さいのに、まだ私の半分しかないのに、途方に暮れて、ひとりぼっちだった。

 こういう顔を最初に見たのは、小学二年生のときだった。


***


 あの子は同じ教室にいた。

 朝の出席をとるときに、先生は三十人分の名前を呼んで「はい、三組は今日も全員いますねー」と言うもんだから。

『せんせー、黒田くんがまだです』

 当時、無垢で無知で無邪気な私は、三十一人目の生徒が呼ばれなかったことに気がついて慌てて教えてあげたのだ。私いいことやった、って。ドヤ顔で。


 そうしたら担任の原田先生は笑顔のまま静止して、次の瞬間、ウワーッと泣き崩れた。先生の小さな体から出たとは思えない、ものすごい声だった。隣のクラスから別の先生が飛んできて、号泣する原田先生を抱きかかえて教室から出ていった。クラスは騒然とした。


 翌日、教頭先生が教室に来て言った。「原田先生は心に風邪をひいて、しばらくお休みします」意味が分かんなかった。心に風邪って、なによ。

 しばらくしたらうわさが流れた。去年、原田先生が担当していた二年三組で、死んだ男の子がいたこと。病気とか、交通事故とか、殺されたとか。死んだ原因はバラバラでどれが本当か分からなかった。ただ間違いないのは、黒田君のことを原田先生はずっと気に病んでいたということだった。


 ほどなくして、イジメが始まった。

 最初はオラオラと小突かれたけど、私が本当に幽霊が見えるという噂が流れると、最終的には遠巻きにされた。原因を生んだ私は、クラスどころか学校中から避けられるようになった。先生たちは噂を否定していたけれど、私を見る目はどこか不気味そうだった。

 黒田君は何度も謝ってくれた。いいってことよ、早く成仏しろよ。とは言ってみたものの、異物扱いはつらい。友だちと呼べるのは黒田君だけだった。傍目から見ると、私ひとりだったけれど。


 事情を知った母は「あちゃー」とだけ言った。慰めの言葉もなかったし、実は私たちの家系は云々かんぬん、とかいう一族の秘密が明かされる展開も一切なかった。そっかそっかと頷きながら、さくっと転校手続きと引越しをした。


 黒田君のことがあってから、母は普通の専業主婦以外の顔を私に見せるようになった。週に二回程度のパートも、実はスーパーのレジ打ちじゃなくて、除霊のパートであることを教えてくれた。除霊のパートなんてあるんだ、と当時小学二年生だった私は素直に感心したものだ。

 一度だけパートについていったことがあったが、スーパーの特売日に買った安い塩の威力は絶大だった、とだけ言っておこう。除霊と聞くと、特殊な札とか道具とか想像するじゃん。そういうのは一切なかった。期待してついていっただけに、非常にがっかりさせられた。

 母曰く、気持ちが大事らしい。「弘法筆を選ばずよ!」なんて言ってたけど、その後の「高い塩なんてもったいなくて使えないわよー」というのが本音だろう。安物でさえ全部使い切ったあとに、もったいねぇ、と言わんばかりの忌々しそうな顔をしていたんだから。


 父といえば、そんな母の裏の顔をまったく知らなかった。だって言ってないもの、と母は開き直っていた。父は個人のタクシー運転手をやっていたから、家にはほとんどいなかった。だから母も活動しやすかったのかもしれない。


『普通じゃないことを隠して、普通のフリして生きなさい』

 本当の自分を隠して、母は父を騙くらかして結婚した。はなから理解してもらおうなんて頭になかったんだ。


『いい? 誰かに理解してもらおうなんて思っちゃ駄目よ』

 珍しく乾いた笑い方をしていた母さん。父の脱ぎっぱなしの靴下を洗濯機に放り込んで、まったく、と呆れつつも目には愛情が宿っていた。


『本当の自分なんて、見せてもいいことないんだから』


***


 あずさに別れを告げ、一旦家に帰った私は慌しくご飯を食べた。部屋に戻り、今度は化粧を落として私服に着替える。姿見の前に立つと、可愛げのないソバカスの少女が仏頂面で立っていた。

 リビングには、病院にいるはずの母が刑事ドラマに見入っていた。こうなると声をかけても絶対に返事をくれないが、今日に限って私が背後に座るとすぐに振り向いた。


「なによ、改まっちゃって」

「あのね、今日帰りに幽霊に会ったよ」

「あらまあ」

 母はテレビに背を向け、同じように正座した。その目はキラキラというか、ワクワクというか、子どものように輝いていた。

「あんたもついにファミレスなんてぬるいところ辞めて、除霊のバイトを始めることにしたのね」

「いや、違うから」

 ファミレスのバイトも中々に過酷でぬるいなんてもんじゃない。愚痴を始めたら一時間じゃ終わらないので割愛する。

 母はあからさまに残念そうな表情を浮かべたが、すぐに明るい笑顔を見せて、「で? で?」と身を乗り出してくる。

「まだ小さな女の子で、親はたぶん苦しんでる。だからその、どうにかする方法を教えてください」


 たぶん私には、これしか身を立てる方法がない。あずさを言い訳にして、使えるものはなんでも使ってやろうと思っている。だってそうしなきゃ、私は生きていけない。一家の大黒柱が失踪して、母には生活能力がない。私のバイト代だけじゃ、近いうちに行き詰る。


「母さんが知ってること全部。私にください」

 頭を下げた私に、返事はしばらくなかった。高校生になって急に教えろだなんて虫が良すぎるのは分かっている。でも私にはもう、母の教えしか、自分を救う手立てはないのだ。

 十分ぐらい経っただろうか。いくらなんでも長すぎる。そっと視線を上げた私が見たものは、ドラマに夢中になっている母の姿だった。


「なに普通に見てんだ!」

「ごめん、左京さんが推理始めちゃうもんだから」

「一世一代の決意でお願いしてるんだよ。もっとこう、真剣にさあ」

「真剣にやってどうすんのよ。ヒロちゃん、あんたまさか真面目に助けてあげるつもり?」

 あっけらかんと言われて、動揺しないはずがなかった。

「そ、そりゃ真面目にやるよ」

「どうして?」

 どうしてって、もちろん相手の人生がかかってるからだ。真面目にやらなきゃ失礼だ。手を出したその瞬間に、責任は発生する。責任を負うということは、真面目に取り組むということだ。

 なのに母は、声を上げて笑った。

「人生、人生って、ダハハー!」

 笑い転げる母の後ろで、左京さんが犯人相手にキレていた。いや、ここは母にキレてくれよ。なんだこのおばさん、失礼にもほどがあるだろ。

 ひとしきり笑った母は、急に真顔になって言った。

「ヒロちゃん。その子の人生、もう終わってるのよ」

 何がかかってるって言うの。

 母のどこか冷たく聞こえる声に、違う、と反論したくなった。何が違うのかも、分からずに。

 ぐっと唇を引き結んで反抗的に睨みつける私を、母はほろ苦い表情で見つめ返した。

「ふうん。まあ教わる気になったんなら教えてあげる。でもヒロちゃん、私が言ったこと、覚えてる?」


***


 日付をまたいだばかりの、深夜零時過ぎ。

 目の前で、親子が固く抱き合っていた。

 ていうかね、あずさちゃん、お姉ちゃんそろそろ限界なんだけど。夢枕ゆめまくらってかなり体力使うんだね、私知らなかった。

 集中力が切れる前に、あずさが両親から離れる。待ってと伸ばされる手を両手で握った。

 だいすき。たった四文字の愛情を伝えて、あずさは消えた。もう駄目、もう無理。私の体力も底をついた。

 深夜の住宅街の真ん中で、四つん這いになってぜえぜえ言っている不審者は私です。全力疾走したあとに似ている。乾いた喉が気持ち悪くて、オエッ、とえずいた。

「ヒロ子ちゃん、大丈夫?」

「大丈ぶいぶい」

「死にそうだよ。一緒に逝く?」

「怖いこと言わないでよ」

 両親との別れをしてきたあずさが、ジョークジョークと言った。最初の仕返しとはこやつ、やるな。

 地面に座りなおすと、目の前にあずさが立った。どうやら出発の時間らしい。

「会わせてくれてありがとう」

「いや、こっちこそありがとうだよ。お陰で今後の方向性が決まった」

「よく分かんないけど、どういたしまして」

 憂いの消えた笑顔を見ていると、やってよかったと思う。報われたと思う。けれど。


『いい、ヒロちゃん。正面から向き合って、救ってあげようなんて思っちゃ駄目よ』


 死んだ人間に、責任なんか取らなくていいの。もうこの世にいない、存在しないものを、まるで生きているかのように思うなんて母さん許さないわ。だから正面から向き合って、救ってあげようなんて思っちゃいけない。分かった、約束よ。

 瞬き一回。

 あずさは消え、静かな住宅街に私はひとり座り込んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る