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『ん? なんで何も映んないの?』

 ガサガサとノイズ交じりに動画が始まった。暗い画面からは、二人分の話し声が聞こえてくる。

『ロコちゃん、指、指でカメラ塞いでるよ!』

『マジか』

 画面が明るくなったかと思うと、女性の顔がどアップで映った。動画のタイトルに興味を惹かれて再生した暇な男子大学生は、うおっ、と声を上げた。


『あ、やっと映った』

「ほんと? 今映ってる?」

『うん大丈夫』

『キャー! 私、まさかのスパイダーデビュー! お父さんお母さん見てるー?』

 ケバい化粧の、二十代くらいの女性。ピースピースとはしゃぎながら、舌を出したりジャンプをしたり。楽しくて何よりだが、なんだこれ。男子大学生は急速に興味を失い、画面を閉じようとした。

『突然死んじゃってごめんね』

 男子学生は閉じようとした指を止め、画面に見入った。冗談にしては、笑えないし面白くもなかった。

『暗くなる前に帰ってきなさいって、あんだけ言ってくれたのにね。ごめんね。悪い子で、言うこと聞かなくてごめん』

 眉を下げて謝る女性の顔を、男子大学生はどこかで見た気がした。どこだっただろう、最近のことだけど思い出せない。

『わがままばっか言って、困らせてごめんね。親孝行できなくてごめん。あと財布から一万円盗ったの私、本当にごめんなさい』

『マキちゃん、ごめんって言い過ぎ』

『ごめんねロコちゃん!』

 たちの悪いいたずらだと男子大学生は思った。でもどうしてか、目が逸らせない。動画に映る女があまりにも切実で、胸に迫るものがあったから。


『私の部屋、そのままかなあ? けっこう散らかしてたんだけど怒ってない? こんなことになるなら、掃除しておけばよかったね』

 男子大学生は、徐々に冷や汗をかきはじめていた。知っているかもしれない。同じサークルの気になる子と一緒にいた、別サークルの女の子。同じ高校だったの、と一度だけ紹介されて。でも興味なかったから、ちゃんと顔は見ていなかった。だからきっと見間違い、他人の空似だ。マキちゃんって呼ばれてた気がするけど。

『ベッドの下に五百円貯金あるからさ、それ使って温泉でも行ってきてよ。けっこう貯まってると思うんだ。あ、お土産は買ってきて仏壇ぶつだんにそなえといてね!』

 明るい様子で話しながらも、女の子の目は次第にうるうると涙が溜まっていって、

『ミカ、ごめんね』

 ついに決壊した。幽霊でも泣いたら化粧崩れるんだ。男子大学生は変なところで感心した。……いやいやいや、幽霊って、なに信じちゃってんの俺。


『ケンカしたのが最後なんてさ、後味悪いよね。私、お姉ちゃんなのに、いつも大人気なくてごめんね。あ、またごめんって言っちゃった』

 女の子の後ろに映る木が風で揺れていた。男子大学生は気付いてしまった。髪が、さっきから少しも揺れていない。

『死ねって言われたの、私気にしてないからね。マジで死んじゃったけど、ほんと偶然だし。でもあんたのことだから、絶対自分のせいだって思ってるでしょ。違うからね。絶対に違うから。恨んでなんかないからね。これだけは言っておきたかったの』

 満足したように女の子は息を吐き出した。化粧が崩れた顔はあどけなく、歳相応に見えた。


『ロコちゃん、ありがと。すっきりした。成仏できそうな気がする』

夢枕ゆめまくら、立てるけど?』

『あーいいのいいの! そういうのやっちゃったら、たぶんグダグダになっちゃうから。やっぱり成仏しなーいとか言っちゃうから』

 夢枕って、なんだよ。成仏とか、ありえないだろ。男子大学生は自分の中にある常識と必死に戦った。

『最後に"スパイダー"デビューできてよかった。冥土の土産ってやつだね』

『やっぱ夢枕、立とうよ』

『えーいいよここで。それに私素直じゃないから、面と向かって言えない思う』

『そお?』

『そーそー。だからパパママ、ここで言わせて』

 カメラから少し離れて全身を映す。女性は照れくさそうに顔を両手で覆って俯いた。そして手を離し、言った。

『愛してる。産んでくれてありがとう』

 キャーやっぱ照れるーと叫びながら女性は画面からフェードアウトした。瞬きくらいの一瞬で、下手なCGみたいに。

 ロコという撮影者が、『いっちゃった』と呟いて動画は終わった。

 男子大学生はおもむろに立ち上がり、壁にかけたコートに近づいた。ポケットからくしゃくしゃになったチラシを取り出すと丁寧に皺を伸ばす。捜しています文字の下にある女性の顔を確認した途端、彼はへなへなと崩れ落ちた。


***


 近頃、話題の"スパイダー"がいる。

「ロコの動画観た? やばくない?」

「お姉ちゃんの友達が同じ大学の子で間違いないって言ってたんだって」

「えー! じゃあやっぱり本物なんだ」

「最後すっぴんになってたよね。素顔見せたかったってことなのかな」

「ロコって何者?」


「幽霊なんて、いるわけないだろ」


 熱気に水を差すように、大神は吐き捨てた。

 噂話に盛り上がっていた女子のグループはびっくりして黙り込む。大神は冷たく一瞥いちべつすると、私たちのところにやってきた。

「ロコってやつのことばっかり。あんなニセ動画、何が面白いんだよ」

 芙美と奈々香、植草と木和田が視線を交わしあう。そのニセ動画とやらで、さっきまで大いに盛り上がっていたとは言えなかった。

「あれって詐欺さぎにならないわけ? なんで捕まらないんだよ」

「知らねー。別にいいじゃん、誰が損したわけでもねえし」

 植草を睨みつけた後、大神の視線が私に移った。

「清見さんも信じてるの?」

「えっと、私、よく分からないかな」

 本人だよ。

 大神てめー、誰が詐欺師だコラ。顔がいいからって何言っても許されると思うなよ。

「なにカリカリしてんだよ。さっきの女子、ビビってたぞ」

「だってあんなの信じて、馬鹿みたいじゃん。幽霊なんて本当にいるわけないのにさ」

「まーたしかに嘘臭かったけどな。でもネットじゃ、マジで本人だってすげー騒ぎだぜ」

「所詮、ネットの噂だろ。ロコってやつに踊らされてるんだよ」

 私もまさかこれほどの反響を生むとは予想もしていなかった。

 マキちゃんに出会ったのは、まったくの偶然だった。バイトからの帰り、近道をしようと普段は使わない道を使った先で出会ったのだ。

 時間は午後十時を回っていて、今思えば何かが出そうな雰囲気だった。稼動していない工場が連なった裏道に入って間もなく、サムズアップをして立つ若い女性に出会った。思わず自転車を止めて「ヒッチハイク?」と訊いてしまった。


「ウソー! マジ止まった! マジ見えるカンジ?」

 ハイテンションで話しかけてくる女性、マキちゃんはここで事故に遭ったのだという。今の私のようにバイト帰りに近道をした際、バイクで事故ったらしい。

 あっけらかんと話すマキちゃんに暗い様子は一切なかった。このまま放っておいても大丈夫そうな感じ。そのうち成仏するだろ、と思って適当に話を聞いていた。

「もう三ヶ月もたつし、誰も私に気付かないから焦ってたのよ」

 それはちょっと長すぎやしないだろうか。

 本人が主張するには、未練もないし早く成仏したいらしい。

 ここで説明しておくと、成仏できない最大の理由がこの世に残した未練である。誰かに会いたい、想いを告げたい、パソコンの中身を消去したい、などなど。未練さえ消化できれば、あるべき世界に旅立つことができるのである。

 しかし人間というのは死んでもなお欲深い生き物だ。願いを叶える手助けをしても、後から要求を増やしてきたり、ときには無理難題をふっかけるたちの悪い幽霊もいる。

 手っ取り早いのが、強制的な成仏だ。またの名を除霊という。悪霊相手に問答無用でやる手段だ。母の得意技である。

『いい、ヒロちゃん。最初にお願い事を聞いてあげてもいいけど、駄々捏ねだしたら塩よ、塩! 顔狙ったら一発だから!』

 塩は今、手元にない。家にある塩はそろそろ切れそうだし、新しく買うとなると出費がなあ。数百円だって惜しい生活をしている私にとって、除霊は金がかかる作業だ。それに塩をかけられた幽霊って抵抗してかなり暴れるからあまり見たいものじゃない。

「本当に未練ないの?」

「ないよー」

「だったらそのうち成仏するだろ。個人差、個人差。じゃ、私はもう帰るから」

「うそ! 本当はある!」

 予想はしていたが、マキちゃんは面倒くさいタイプだった。

 無理難題を危惧した私に、しかしマキちゃんの願いは至極まともだった。


 一、両親に謝る

 二、妹と仲直りする


 うん、これなら私にでも協力ができそうだ。あずさのときと同じ手を使えばいい。


 三、芸能界デビューする


 うん、……ん?

 三番目の願いで頷きを止めた私に、マキちゃんは言った。

「一回でいいからテレビに出てみたいの」

 塩よっ、ヒロちゃん!

 いやいやいや、駄目だ母さん、私にはできない。母の幻聴を振り払い、三番目の願いに難色を示した。そもそもなんで三個も願いを叶えてやらねばならんのだ。神龍シェンロンも三個叶えてくれるからって言われても、私はただの女子高生だっつーの。

 押し問答が続く中、ポケットに入れたスマホが振動した。その瞬間に閃いた。そう、"スパイダーウェブ"に投稿することを思いついたのだ。

 芸能界デビューには及ばないが、動画を投稿すれば日本どころか全世界に公開されて有名人間違いなしである。マキちゃんも納得してくれて、ノリノリで撮影に応じてくれた。ちなみに私が底辺中の底辺"スパイダー"であることは黙っておいた。


 しかし動画は予想外に反響を呼び、ネットニュースやテレビで取り上げられることとなる。きっかけはSNSだった。『幽霊?』という短い投稿文と共に、私が上げた動画が添付されたのだ。

 当初は事故で亡くなった女子大生が生前に撮影した動画だろうと思われていた。しかし私も気づいていなかったが、映像の端に映っていたビルを拡大すると、建物に設置された電光掲示板は事故からひと月たった日時を示していた。ネットは騒然となった。

 面白半分に盛り上がる者、フェイク動画だと決め付ける者、さらには検証する者まで現れ、私が上げた動画に視聴者が殺到した。『夢枕に立たれたい』や『正しい盛り塩講座』、『ホラー映画にマジレスしてみた』には見向きもしなかったくせになんだよ!

 コメント欄は冷やかしと悪意に溢れ、大半は信じていない人間ばかり。中には信じているようなコメントもあったが、簡単に信じるなよ、とこっちが心配になった。あとポポロンの『ブス』コメントがまたあった。コイツ本当なんなんだよ。


 そして収入が、入った。

 もう一度言う。収入が、入った。

 再生回数+広告収入が、銀行の通帳に振り込まれていたのだ。びっくりしすぎて吐きそうになった。何百万とかの大金じゃないけど、まあまあそれなりのものが、ポンと。通帳に、刻まれていたのだ。

 震えが止まらなかった。

 辞めちゃう? バイト辞めちゃう? 私これ一本で食っていけんじゃね? と悪魔がささやく。幸い、動画を観た人間は誰も私にはたどり着けていない。スパイダーとして活動していくことに、障害は何ひとつなかった。

 並んだ数字の大きさに浮かれて、私はすっかり無防備になっていた。


***


 動画が一本有名になったことから、いわゆる固定ファンというのが現れるようになった。アンチや荒しコメントが圧倒的に多い中、動画を上げると必ず温かいコメントを書き込んでくれる視聴者が数人いる。ポポロンも毎回『ブス』と書き込んでいるが、こいつは絶対ファンじゃねーだろ。

『今日はコメントにあった質問に答えていこうと思う。えーっとまずひとつめは、

 ――ホラー映画を観た後、背後に誰かいる気がします。お風呂で頭を洗っているときとか、特に怖いです。本当にいるんですか?

 いない。壁に背中くっつければ解決だろ。はい次!』

 撮影はだいたいが家のリビングだ。襖で仕切った隣のリビングから、バラエティー番組を観ている母の笑い声が動画に入るのはご愛嬌というやつだ。コメント欄では母についてイジられるのがもはや恒例となっている。

『――クラスにいるリア充グループがうざいので呪いたいです。方法教えてください。

 人を呪わば穴二つだ。呪ったら最後、自分に返ってくるぞ。無視して学校生活楽しめ』

 なんか人生相談ぽくなったな。私も人様にアドバイスできるような学校生活を送っていないというのに。それどころか私は、相談者の言うリア充グループの一員だ。表面的にはだが。

『――彼女ができる幸運のブレスレットを買いましたが彼女ができません。

 お前、それ完全に騙されてるだろ。雑誌の裏に載ってるやつは詐欺だよ。ていうかだまされるやついるんだ……』

 コメントの大半は他愛のない相談や愚痴ぐちばかりだ。プロフィールを見ると十代が多い。私と同じくらいの学生が主な視聴者だった。

『――いつまで詐欺動画上げてるんですか? いい加減にしてください。

 嫌なら見るなよ』

 こいつ大神じゃないだろうな。あの後もロコの悪口ばかり言ってたし。

 動画を撮り終えて"スパイダーウェブ"にアップすると、ほどなくしてコメントがついた。『ブス』。ポポロン、またお前か。

 罵倒ばとうや冷やかしのコメントは相変わらずだ。再生回数に貢献こうけんしてくれてありがたいったらない。それらのコメントを流し見していたが、とあるコメントでスマホを操作する指が止まった。


『たすけてください』


 投げたスマホが床で跳ね返り、衝撃でカバーが外れた。勉強椅子にしがみつきながら、落ちたスマホを凝視ぎょうしした。

「ヒロちゃん?」

 隣のリビングにいた母が異変に気付き、部屋に入ってくる。落ちたスマホを嫌々拾い上げ、母に見せた。

「あらやだ」

 私の勘は外れていなかったらしい。勉強机に置いて、もう一度コメントを読む。続きがあった。見慣れない住所と、お願いしますという言葉。そして嫌な、嫌~な感じ。

「あ、消えた」

 コメントは一分とたたずに消去された。個人情報を晒すのはリスクが伴う。それでも一縷の望みを賭けて晒したのだろう。そしてすぐに消したか、消されたか。


「どうするの? 行ってあげるの?」

「それは、ええと、どうだろう」

 個人メッセージは受け付けていないからコメントで書いたのだろうけど、私以外の人間が見ていた可能性は大いにある。

 ネットの中では私の正体を暴いてやると息巻いているやつもいる。のこのこ現れたところを捕獲されたら、私の"スパイダー"活動はおしまいだ。ついでに人生も終了する。

 書き込まれた住所は、ここからそう遠くはなかった。電車に乗って、せいぜい三十分くらい。行けない距離じゃない。

「まあイタズラって可能性もあるし、無視よ無視」

 母はリビングに戻り、テレビの続きを観始めた。イタズラじゃないことは、この人が一番よく分かってる。電子機器を通して感じるのは、嗅ぎ慣れたニオイだったのだから。

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