チャンネル12 嵐の前の静けさ

『未来を担う若手スパイダーたちが一堂に集結! スパイダーファンフェス2018』

 昨年、三千人の観客を動員したイベントが、今年はさらに規模を大きくして帰ってくる!

 デビューして一年未満の将来有望なスパイダー、総勢十組に生で会えるのはこのイベントだけ!

 人気急上昇中のゲーム実況スパイダー"シュウ"もやってくる!

 当日は生実況&トークイベント、握手会も開催!

 お気に入りのスパイダーに、君も会いに来ないか?


***


「おめでと~!」

 パンパンとクラッカーが鳴り、紙吹雪が舞った。

 隣人、朝子さんの部屋には、『ロコ&マオ メジャーデビュー祝賀会』と書かれた手作りの垂れ幕が飾ってあった。


「座って座って! 乾杯しよ!」

 テーブルにはオレンジジュースの入ったグラスが三つ。朝子さんの音頭でグラスを打ち鳴らした。


「大神君、いっぱい食べてね」

「いただきます」

「ヒロちゃん、ケーキもあるからね。楽しみにしててね」

「ありがとう、朝子さん」


 さっそくチキンナゲットを手に取り、かぶりついた。隣では大神がお行儀よく正座し、朝子さんのマシンガントークに押されていた。


「最初はどうなることかと思ったけど、いきなりイベント招待ってすごいじゃない。それだけ注目されてるってことだもんね」

「ネタがネタなだけに悪目立ちってのもありますけどね」

「まあまあ、今は喜んどこうよ。あ、大神君、ジュースおかわりいる?」

「あ、ど、どうも」


 オレンジジュースをぐびぐび飲んでチキンナゲットを流し込むと、次はサンドイッチにとりかかった。せっかくのオードブルだ、全制覇しておこう。


「大神君、さっきから全然食べてないじゃない。ポテトは? あ、ミートボールのほうがいいかな」

「じ、自分で取りますから」

「ヒロちゃん、大神君ってめっちゃシャイじゃない? めっちゃ可愛くない?」

「可愛い可愛い」


 三十路間近の朝子さんは年下男子にキュンキュンしていた。何もついていない口の端を拭いてあげたりと実に甲斐甲斐かいがいしい。

 大人の女性には慣れていないのか、大神はしどろもどろでいつものスタイリッシュさは欠片もなかった。私はサンドイッチを食べ終わり、皮つきポテトをむさぼり食いながらクラスメイトの助けを求める視線を受け流した。


「あの、新山にいやまさんは」

「朝子でいいわよぅ」

「あ、朝子さんは、動画、見てるんですよね」

「もちろん。チャンネル登録、第一号よ」


 大神は「あーん」と言われながら差し出されたフルーツに戸惑っていた。チラチラと私を見てくるので、早く食べなよ、と言ってあげた。ヤツは諦めたように口を開けてフルーツを食べていた。


「最初は節約レシピだっけ? 爆笑したわ」

「あれは忘れて!」

 今思うと恥ずかしくて消し去りたい過去だが、今更動画を消すのも格好悪いので放置している。初心忘るべからずっていうし、恥を背負って生きていく覚悟がないと、スパイダーなんてやってられない。


「どう思ってるんですか?」

「どうって?」

「幽霊とか、信じてるんですか?」

 ウインナーにケチャップをつけようとして、私は動きを止めた。朝子さんはポテトをひとつとると、口の中に放り込んでニヤリと笑った。


「もちろん。信じてるわよ」

「……俺には理解できません」

 俯いて黙り込んでしまった大神を、朝子さんはポテトを噛みながら観察していた。私は食べる手を完全に止め、ウインナーを皿に置いた。


「私ね、一年前、ここに逃げてきたの」

 朝子さんは語った。


「生まれたところはすっごい田舎でね、独特の風習があった。そこでは子どもは皆、神様だとされていたの。十年に一度、神様を祭る行事があったのよ」

 大神は顔を上げ、戸惑ったようにように視線を揺らした。


「行事が終わると、神様が、子どもがひとり消えた。消えた子どもの親からしたら、たまったものじゃないわよね。だから私の母は、私を連れて村から逃げたの。私が五歳のときだった」

 朝子さんの話を、私は母と一緒に聞いたことがある。そのとき見せた悔しそうな涙も、握りしめられた拳も、昨日のことのように思い出すことができた。


「母と二人、いろんな街に移り住んだわ。事情を知らなかったころは、何かに追われてる気がして怖かった」

「それで、ここに?」

「その前に母が心労で亡くなったわ。だから私は逃げるのをやめた。普通に就職して、恋をして、結婚もしようとした。けど、できなかった」

「どうしてですか?」


「夢の中に、母が出てくるの。ここにいちゃ駄目だって怖い顔をして言うのよ。逃げなさいって、逃げて逃げて逃げるのよ! って」

 同じ街に一年といられなかった。母親に言われるがまま、再び逃亡生活を送った。そうして朝子さんがたどり着いたのが、私たち家族が住む隣の部屋だった。


「引っ越しの挨拶をしにヒロちゃんの部屋を訪ねたら、阿耶子あやこさん、ヒロちゃんのお母さんが出てきたの。あのときのこと、今でもはっきり覚えてる。阿耶子さんってば、私を見ていきなりこう言うんだもの」


 あなた、取りかれてるわよ。


「ああ、本当だったんだって思った。母が言っていた村にいる"何か"が、私たち母娘を追いかけていたんだって」


 そのとき感じた気持ちは歓喜だったそうだ。母と娘の逃亡人生に、初めて他人が入り込んできた瞬間だった。

 朝子さんはグラスを手に取り、ジュースを一気に飲み干した。ふうと息をついて、また話し出した。


「阿耶子さんに、引っ越し祝いにはらってあげるって言われたの。ぜひにってお願いしたけど、本当は期待なんかしてなかった。今更何かが変わるなんて思ってなかったから」


 疲れ切った顔をした一年前の朝子さんは、年齢以上に老けていた。今は年相応の明るいお姉さんだけど、当時は母と同じ年代の人だと思ったくらいだ。

 突然、朝子さんが噴き出した。


「おはらいっていうからさぁ、もっとこう、ちゃんとしたやつを想像してたのね。漫画とかだと、お札とか、呪文とかあるじゃない」

 当時を思い出したのか、朝子さんはヒイヒイ笑い出した。


「なのに阿耶子さんったら、問答無用で塩ぶちまけたの。説明とか前フリとか一切ナシ! スーパーで売ってる普通の塩をね、こう、ブァサーッて!」

 しょっぱかった!

 朝子さんは後ろにひっくり返ってごろごろと転がった。大神は微妙な顔をして、ゲラゲラ笑う彼女を見下ろしていた。


「そしたらね、後ろで悲鳴が聞こえたの。母だったわ」

 にじんだ涙を指で拭いながら、朝子さんは言った。彼女は天井を見上げながら、感情の読めない顔で、ことの顛末てんまつを語った。


「追いかけてくる"何か"なんてなかった。全部、母の妄想だったのよ。村で子どもがいなくなるなんて、嘘だった。お祭りがあった翌日に、ちゃんと親のところに戻っていたのよ」


 けれど朝子さんの母親は、亡くなった後も娘に自分の妄想を押し付けた。ありもしない追っ手を作り出して、朝子さんの人生を台無しにしていた。


「ごめんねって言うのよ。消える間際に、泣きそうな顔して、ごめんねって」

「見えたんですか? お母さんの幽霊が?」

「見えた見えた。ばっちり見えたわよ。でも今更謝っても遅いっちゅーのよ。何年私を苦しめたと思ってんの? 私、今でも母を許してないわ」


 よっこらしょ、と言いながら朝子さんは起き上がった。私が食べようとしていたウインナーをつまんで口の中に放り込む。オレンジジュースを差し出すと、またしても一気に飲み干した。


「で、大神君は?」

「俺?」

「そう。君はどうして幽霊を毛嫌いしてるの?」

「け、毛嫌いなんか。ただ信じてないだけで」

 大神は逃げるように顔を背け、そして私と目が合った。


「そういえば、犯罪者扱いしてくれたね」

「しっ、してない!」

 正体を暴いたときの大神の強い目は、思い出しても肝が冷える。

 あれだけ心霊現象を否定しておいて、今こうしてコンビを組んでいるのが不思議でならなかった。


「俺はただ、許せないだけです」

 膝の上で握った両手を見下ろしながら、大神は怒りを耐えるような表情を浮かべていた。


「死んだじいちゃんの声を届けたいとか言って、あいつら、俺のばあちゃんに近づいてきたんです。死者の声なんて、聞こえるはずがないのに。それでも聞きたい、会いたいっていうばあちゃんの気持ちにつけこんで、お金を奪っていった」

「自称霊能力者ってやつかあ」


 母が言うには、壺とか掛け軸を売りつけてくるタイプの連中の信じ込ませるテクニックなんて高が知れているという。

 重要なのは、すでに信じ込んでしまう土台が出来上がっていること。家族が亡くなったり、不幸にあったりした直後など。弱った人間ほど、荒唐無稽こうとうむけいな話に囚われやすい。


 伴侶を失って塞ぎこむ大神の祖母は、連中にとっては格好のカモだっただろう。

 人間、ぽっかり空いた穴の部分を埋めるためなら、なんだってやる。ありえない話だって信じるだろう。頭のどこかで間違っていると理性が叫んでいても、空いた穴を埋めたい気持ちは自分でさえ止められないのだ。


「一番許せないのは、ばあちゃんを傷つけたことです。ばあちゃん、俺たちに謝ってました。何も悪くないのに、床に頭をこすりつけて、ごめん、ごめんって言うんです。見てられなかった。こんなの、おかしいだろって」

 大神の目に涙が浮かんでいた。当時を思い出して、悔しさが顔に滲み出ていた。


「清見さんも、最初はあいつらと同じだと思ったんだ。あの女子大生のビデオを見た家族は、きっと傷ついてるはずだって」


 化学室で見た大神の怒りの訳を知って、私はやっとに落ちた。正義感を振りかざしているだけだと思っていたけれど、大神には大神なりの理由があったのだ。とても真っ当で、家族想いの理由が。


「でも、そうじゃなかった」

 急に目が合って、私は思わず居住まいを正した。ぴんと背筋を伸ばす私とは対照的に、大神は背中を丸めて、上目遣いに視線を向けてきた。


「清見さんは、俺が思ってる以上にぶっ飛んでて、優しくて、誰かのために一生懸命になれる人だったよ」

 あのとき、ひどいことを言って、ごめんね。


 大神の大きくて形のいい目から送られてくる真摯しんしな感情に、伸ばした背筋がムズムズとした。「別に、」とそっけない返事をして、自分では制御できない熱が顔を赤くしていくのが分かった。


「朝子さん、どこ行くの」

 向かい合ってモゾモゾし合う私と大神を置いて、なぜか朝子さんが部屋から出ていこうとしていた。


「あーいや、ジュース足りないかなーってコンビニに」

「ここにペットボトルが二本もありますけど」

 朝子さんはわざとらしく舌を出してとぼけていた。そういう気の回し方は不要なので、今後一切控えてほしい。


***


 祝賀会は午後八時に解散となった。朝子さんにお礼を言って、私と大神は彼女の部屋を出た。

 外はすっかり暗くなっていた。私は隣の部屋に入るだけだけど、大神はここから自宅まで歩いて、三十分かかるらしい。


「自転車、貸そうか?」

「いいの?」

「明日、学校に乗ってきてくれたらいいよ」

 自転車の鍵は、玄関の靴箱の上に置いてある。「ちょっと待ってて」大神を部屋の前に残し、私は部屋のドアを開けた。


「おかえり、ヒロちゃん」


 灯りの点いていない玄関に、母が立っていた。日課のように病院を抜け出しては家に戻ってくる母に、またかと呆れたため息が出る。


「その子が大神君?」


 自転車の鍵を取ろうと、靴箱の上に手を伸ばした私は固まった。開けっ放しにしていたドアの向こうで、大神はきょとんとした顔で立っていた。

 その鈍い反応にほっとした直後、


「あ、あのっ、はじめまして! 大神直といいます」


 血の気が引くというのは、このことだ。ひゅぅううと変に息を吸い込んだ状態で私は動けなくなった。すぐ目の前では、母と大神が会話をしている。そう、会話を!

 硬直する私とは裏腹に、大神は実にせわしなかった。乱れてもいない髪形を直し、制服のしわを伸ばす。一体何を張り切ってんだ。


「あらまあ、はじめまして。ヒロ子の母です」

「清見さんとは、あの、仲良くさせていただっ、いただだだだっ」

 落ち着け大神!

 テンパる大神を見て、私は驚愕から脱することができた。


「ヒロちゃんと、スパイダーっていうのをしてるのよね? いつも楽しく見させてもらってるわ」

「あ、ご存じなんですね」


「もちろんよ。幽霊を信じてない、マオ君」


「……あ、はは」

 プレッシャーが大神を容赦なく襲っている。

 その様はまさに蛇に睨まられた蛙。動けない大神の前に身を乗り出し、私は自転車の鍵を手に取った。


「下まで送ってくる」

「いってらっしゃい」

 棒立ちになる大神の制服の袖を引っ張り、部屋の前から動かした。数秒してから、大神はどっと汗をかいていた。


「さっきのは忘れたほうがいいよ」

 アパートの一階まで降りると、自転車の鍵を渡して言った。大神は自分でも何が怖いのか分かっていない顔で私を見た。その表情がまるで子犬のようだったから、ついつい普段は見せない優しさを出してしまった。


「大通りまで送るから、行こ」

 自転車の鍵を奪い、解錠する。いまだにプルプル震えている大神を後ろに乗せて、落ちないように腰に両手を回させる。


 あ、これちょっと恥ずかしいな。

 そう思った瞬間、お腹に回った手にぎゅっと力が入った。小さな子供が母親にしがみつくように、怖いものから身を守るように。

 肩が熱い。たぶん、大神の呼吸が当たっているんだろう。


「しゅっぱーつ」

 そして私は勇ましくペダルを漕ぎだした。

 男子高校生は、意外と軽かった。


***


 迎えたファンフェス当日は、朝から大粒の雨が降っていた。

 会場最寄りの駅に到着した私と大神は、待ち合わせをしているスパイダーウェブの担当者を探した。

 一番大きな改札を出てすぐのキオスクの前に立っているという。目印は、スパイダーウェブ社のロゴが入った紙袋。


「あ、あの人じゃないかな」

 先に見つけた大神の視線の先をたどると、若い女性が紙袋を持って立っていた。二人で恐る恐る近づくと、目が合い、しばし探り合う。


「ロコちゃんと、マオ君。ですよね?」

「はい。初めまして、今日はよろしくお願いします」

 担当の女性は、橘と名乗った。もらった名刺が珍しくて、大神と二人、まじまじと見つめてしまう。素人っぽい行動に、橘さんはどこか安堵した表情を見せた。


「タクシーを呼んでありますから、行きましょうか」

 おお、なんか、すごくプロっぽい。

 謎の感動に浸りながら、黒塗りのタクシーに三人で乗り込んだ。


「今日は私がお二人のそばにずっといますから、困ったことがあったら何でも言ってくださいね」

 橘さんは、いかにもできる女という雰囲気をしていた。助手席からこちらを振り向いて喋るのでさえ、もうすでに格好良い。


「会場に着いたら、まずは社長に挨拶に行きましょう。それから控室で着替えをして、出番まで待ちます」

「リハーサルとかないんですか?」


 大神の質問に、橘さんは一瞬詰まった。しかしすぐに笑顔を浮かべると、「私が付いて常に進行を指示するから大丈夫ですよ」と言った。

 何もかもが初めてな私は、そんなものかと思った。やることと言ったら、ファンとの交流がメインで、何か芸を披露しろということもないらしい。


 会場が見えてくる。すぐ隣は港になっていて、フェリーが停泊しているのが見えた。

 タクシーは会場の駐車場に入り、私たちはそこで降ろされた。スタッフ専用通路を抜け、これからスパイダーウェブの社長に会うという。


 テレビで何度か見たことがあるけれど、はっきり言ってあまり好きなタイプじゃない。気取ったところが画面越しにも伝わってきて、金持ちケッ! と悪態をついたこと数え切れず……今日は頑張って愛想よくしとこう。


柏崎かしわざき社長」

 とある部屋の前で、橘さんが名前を呼んだ。間を置かず、中から入室の許しが出る。

 三人で部屋に入ると、奥のソファに男が座っていた。彼はもったいぶったように立ち上がると、私たちを見て嘘くさい笑みを浮かべて言った。


「やあ、会えて光栄だ」

 香水の匂いに混じる、あのニオイ。

 私は愛想笑いを浮かべようとして、盛大に失敗した。

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