チャンネル20 悪意ー02
「ヒロちゃん、ヒロちゃん。ちょっと大丈夫?」
ジャージに着替えて化粧を落とし、ロコモードになった私の顔を覗き込むのは犬居さんだ。そう、ここはJEA本部。
「お客さん、もうすぐ来るよ」
「あ、はい」
「緊張してるの? こういうの、初めてじゃないんでしょ?」
来客に備えてお茶菓子の用意をテキパキする犬居さんに気が付いて、すぐに手伝いを申し出る。しかし作業は終わったところだった。
「すいません」
自分ひとりじゃ気にもしなかったけど、JEAの会員になったからには、他者と協力するという必要性が出てきたことに思い当たる。
ちょっと面倒くさいな、と思ったのは内緒だ。
「いいのいいの。ヒロちゃん、フリーでやってたんでしょ。こういうのに慣れてないのは仕方ないって」
「そうですよ。というか、高校生で立派に依頼をこなしていたなんて、立派です」
青田さんにも褒められて、私は恥ずかしくて俯いた。そんな大したことはしていないですよと言いながら、嬉しさのあまり顔が熱くなった。
「ヒロちゃんに術や除霊の仕方を教えたのはお母さんなんでしょ? やっぱりそういう家の人なの?」
「違うみたいです。本人が言うには、モグリの霊能力者に手ほどきを受けたとかなんとか。色んな人から教わったから、だから術がごちゃ混ぜなんだって、笑って言ってました」
霊能力者がそうそう転がっているとは思えないのだが、母には私以上の
「ああ、どおりで。ヒロちゃんって使う術が
「言い方ヘタクソですか。オールマイティでいいと思いますよ」
二人の軽妙なやり取りを眺めていると、本部のインターホンが鳴った。すぐに応対したのは青田さんで、こちらに向かって「来た来た」と口を動かす。
私と犬居さんは応接スペースのソファに座り、依頼者を待ち構えた。
やがて姿を現したのは、学ランを着た男の子だった。
おどおどと室内を見渡し、青田さんに導かれてやってくる。私を見ると、はっとしたように目を見開き、やがて弱々しく笑った。
***
依頼人の
彼はロコの動画でJEAの存在を知り、今回相談に来たという。
「これ、見てください」
思いつめた表情で、ヒカル君はブルーのカバーがついたスマホを差し出した。私と犬居さんが画面をのぞき込むと、そこにはウサギや猫に犬のぬいぐるみ、いや着ぐるみがさかんに手を振っていた。
「これは?」
「"キグルミストーリー"といって、着ぐるみが応援してくれるっていうか、励ましてくれるアプリなんです」
「へえ~。あ、なんか出た」
画面の中にいたウサギの着ぐるみが文字の書かれたプラカードを掲げた。『今日も頑張ったね。偉い!』
「僕、友達いないから。だからこういうの、すごく癒されるっていうか、また明日も頑張ろうって思えるんです」
「ふうん。こんなのがあるんだね」
愛嬌たっぷりにポーズをとる着ぐるみのうさぎ。成長度合いによってリアクションが増えるらしい。
「それにほら、こんな機能もあって」
画面をスライドさせるとメニューボタンが出てくる。その中のひとつに『悩みを聞くよ』というボタンがあった。
「そこに愚痴とか、人に言えないこととか、吐き出すんです。そうしたら着ぐるみが聞いてくれて。といっても頷いたり相槌を打ったりとかなんですが」
不意に、ヒカル君の表情が曇る。体が小刻みに震えだしたので、私と犬居さんは視線を交わし合った。
「僕、このアプリで、……い、いじめられるのが辛いって言ったんです。それだけじゃない、いじめっ子たちの名前も言いました。あいつらが憎いって。毎日毎日言いました。着ぐるみはうんうんってうなずくだけだった。なのにあの日だけは違ってたんです」
ヒカル君は言葉に詰まると、座ったまま身を折るように体を丸めた。すかさず犬居さんが立ち上がり、隣に座って背中をさする。さすがプロだ。
「無理はしないで。また後で、日を改めても」
ヒカル君は首を横に振った。やがて言葉に詰まりながらも話し始めた。
「"ボクにまかせて"って言ったんです。いつもはうなずくだけの着ぐるみが、初めてメッセージを返してきたんです。最初はこういう機能なのかなと思って、気にしてなかった。でも翌日、学校に行ったら、いじめっ子たちはいなくなってて、」
両手で顔を覆って、ヒカル君は泣きだしてしまった。
「全員、事故に
偶然とは片付けられない一致した目撃情報に、私と犬居さんの顔は険しくなった。
「僕のせいです。だって怪我をしたと知ったとき、ざまあみろって思いました。僕の気持ちを、着ぐるみたちは知ってたんです。痛い目に遭えばいいって。だから代わりにやったんです!」
叫んだ直後、彼の呼吸が荒くなった。前のめりに倒れた拍子に、テーブルの上にあったカップが落ちる。割れた音を聞いて、青田さんが応接スペースに駆け込んできた。
犬居さんに背中をさすられながら苦し気にあえぐヒカル君を見て、私はただただ驚くばかりで何もできなかった。
***
「たまにあるのよ」
珍しいことじゃないと犬居さんは言って、あの後、眠ってしまったヒカル君の体にブランケットをかけた。
過呼吸で倒れた彼の顔色は真っ白で、よく見ると目の下には隈がうっすらとあった。私よりも年下なのに、疲れのにじんだ顔をしていた。
「目が覚めたら駅まで私が送っていくわ。ヒロちゃんはもう帰っていいよ」
「いえ。あの、家までは私が送ります。もう少し話をしたいし」
「そっか。うん、それがいいかも。年も近いし、ヒロちゃんのほうが話やすいかもね」
一時間ほどで目を覚ましたヒカル君は、しばらく
けれど私が送っていくと言うと、ほっとしたように笑った。ファンなんです、と告白されて、内心嬉しく思ったのは秘密だ。
二人で連れ立って本部を出る。外はすっかり暗くなっていて、帰りは九時を過ぎそうだ。親御さんが心配してるねと言うと、彼は寂しげに俯いて、首を横に振った。
「今日言ったこと、きっと親は信じてくれません。そもそも僕に興味がないんです」
「……そっか」
「そんなことないよって言わないんですね」
彼は少し弾んだ声で言った。その横顔を見ると、私が見せた反応は間違っていないことを示していた。
「ロコさんは、いつから幽霊とか、こう、普通は見えたりしないものを、感じるようになっていたんですか?」
駅までの道のりを歩く間に、ヒカル君は随分と元気になっていた。興味津々の目は、街灯の光を反射してキラキラ光っていた。友達がいないのが不思議なくらい。私には、彼がとても魅力的な男の子として映った。もちろん恋愛的な意味じゃない。
「いつから、かあ。変だなって気づいたのは、小学二年生のときだったな。クラスにね、幽霊の男の子がいたの。私、皆にも見えてるもんだと思っててね、出席の時間に言っちゃたんだ。この子がまだ呼ばれてませーんって」
その後いじめられて、自分の力は隠すようになった。普通のフリをしながら、波風の立たない人生を送ってきた。高校生になるまでは。
「恨みませんでしたか?」
「え?」
「自分をいじめた連中を、恨まなかったんですか? 集団でよってたかってロコさんをいじめたんでしょう? 憎いって、普通は思いますよね?」
ヒカル君の顔からは表情というものが一切消えていた。代わりに目が、事務所では罪悪感と安堵の狭間で揺れていた彼の目が、怒りを
ヒカル君の目を見つめ返し、私は言った。
「恨むよ、そりゃ」
上履きは隠されたし、給食はひっくり返された。無視が一番つらかった。
なんで私が、と相手を恨んだし、呪いたいと思った。
「でも、もういいんだ」
意地悪をしてくる子ばかりじゃなかった。中にはあっけらかんと接してくる子もいた。申し訳なさそうに見てくる子や、クラス替えの日に手紙をくれた子もいた。中には『ごめんね』と書いてあった。
だから許した。辛くて悲しかったのは事実だし、これからも思い出しては胸が痛むだろう。でももう恨んでなんかいない。
私を傷つけた人間よりも、そうしなかった子や、そうしたことを後悔した子たちのほうが、私にとっては大きな存在だったから。
「バッカじゃねえの?」
低い怨念のこもった声が、私の過去への感傷をぶった切った。
数メートル離れて立つヒカル君は、顔を伏せていた。今の怒りに煮えたぎった声は、彼が発したものだ。
「ヒカル君?」
「バカだろお前。許しただァ? 許せるワケねえだろうが!!」
持っていた小さな鞄を地面に叩きつけ、彼は長い髪をかきむしった。
そこにはもう、優しげな雰囲気の少年は存在していなかった。
「ずっと探してたヤツが、こんな
ダンダンと地面を踏みしめ、彼はしばらく辺りに怒りをまき散らしていた。
周囲は灯りの消えた雑居ビルが立ち並び、誰もこの異変に気が付いていない。私は急に不安になって、一歩、また一歩と後ずさっていく。
「逃げんな、ブス」
ヒカル君の背後に、スマホで見た着ぐるみが立っていた。
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