チャンネル21 悪意ー03

 不気味なほど静まり返った空間で、スマホの振動音がした。

 ポケットに入っている私のスマホだ。でも出られるはずがなく、目の前に立つヒカル君と、突然現れた着ぐるみに全神経を集中させた。


「これ、よくできてるだろ。ちゃんと触れるんだぜ」

 ヒカル君が自慢するように着ぐるみに触れた。ピンク色のウサギは、明るい街中で会えばさぞ可愛かっただろう。けれど人気ひとけのない暗がりで見ると、およそ二メートルの巨体は恐怖以外の何物でもなかった。

 あの中に人が入っている可能性を考えて、即座に否定した。ニオイが、私の勘が、これがただの着ぐるみなんかじゃないと訴えている。

 気付けば、スマホの振動は止んでいた。


「あいつら、こいつを見ただけで震えあがってた。普段は偉そうに振る舞ってるけど、結局は自分よりデカイのには逆らえないんだ」

「……それを使って、襲わせたの」

「そのつもりだったけど、できなかった。あいつら、びびって車道に飛び出したり、階段を落ちていったからさ」

 不満げに言うヒカル君の隣で、ウサギはじっと私を見つめていた。


 苛められていたのは、本当だったようだ。

 復讐のために作り出された"何か"。

 式神しきがみという単語が頭をよぎる。けれど陰陽系おんみょうけいにはあいにくとうとい。「あれはチマチマした作業が多いから教えるのめんどいのよ」という理由によって、母からは中途半端な知識しか授けられていないのだ。


 静かだったスマホがまた振動を始めた。誰だろう、私にかけてきているのは。

 振動音を聞きながら、慎重に距離を測った。逃げだすタイミングを常に探しながら、相手の注意を逸らすように話しかける。

「……どうして、うちに来たの」

「言っただろ? ロコのファンだって。あんたに会いに来たんだ」

 会いに来て、それで? サインくださいっていう空気じゃないことくらい、馬鹿な私でも分かる。


 自分で起こした事件をエサに、わざわざJEAまで乗り込んできた真意がつかめなかった。

 不安を悟られぬようゴクリとつばを飲み込んで、少しずつ間合いをとる。走って大通りに出るか、それとも事務所に逃げ込むか。どっちが近いだろう、焦る頭で必死になって考えた。


 じりじりと下がる私に向かって、ヒカル君が余裕の一歩を踏み出した。同時に長袖をまくって素肌をさらす。

 なにごとかと身構えた私の視界に映ったのは、前腕部ぜんわんぶに大きく書かれた『ばーか』という文字。

 見覚えのありすぎるそれに、自分の顔がひきつったのが分かった。


「やったの、お前だな」

「……なんのことだか」

「しらばっくれんな。俺が寝てる間に、犬居って女に自慢げに話してただろ。ふざけた呪いかけやがってこのブス! 消えねえんだぞコレ、どうしてくれんだ」

 間違いない、私がかけた呪いだった。

 さかのぼること数か月前。"運命の赤い糸"と銘打ったアプリを潰すため、制作者に送った呪いだ。しかも反省しないと消えないというオプション付きである。

 考え付いた当初は「私天才だな」と自画自賛だったが、やられた当人が目に前に現れることまでは想定していなかった。めっちゃ怒ってるじゃん!


 私が呪ったアプリ制作者とヒカル君が同一人物であったという事実に、それほど驚きはなかった。アプリを媒介にして呪いを実現できる人間なんて、そうそういるもんじゃない。

 JEAに自分を呪った犯人がいるとみて、復讐に訪れたというのなら頷ける。スポンサー契約が思わぬ副産物を生みだしたことに、今更気が付いても遅いけれど。


 直君の言ったとおりだった。スポンサー契約も、JEA入会のことも、もっとちゃんと考えればよかった。

 危険なことに巻き込まれると言われても、いまいちピンと来ていなかった。私のこの危機感のなさを、直君は誰よりもよく知っていたのだ。だからこそあんなにも反対してくれていたっていうのに。

 私、ほんと馬鹿だ。


 後悔と直君に対する罪悪感から、唇を噛みしめる。その姿をどう勘違いしたのか、ヒカル君の目に愉悦ゆえつが浮かんだ。

「俺が怖いか?」

 まるでほしいオモチャが与えられた小さな子どものように、彼は笑った。場にそぐわない無邪気な笑みだった。


「安心しろよ。俺は別に、仕返しをしに来たわけじゃない。さっき言ったろ? あんたに会いに来たって」

 弾む声は、次第に熱を帯びる。これからとっておきの話をするぞと言わんばかりに、彼の笑みはますます深くなっていった。


「最初から、気付いてたよ。あんたと俺は、同じだって」

「同じ?」

「そう、同じだ。あんたが動画で本性を出す前から、俺には分かってた。俺だけが!」

 早口に叫ぶヒカル君を前に、私はあっけにとられていた。

 本性を出す前って、あの節約レシピ動画を上げていたときから?


「初めてだった。俺と同じニオイのする人間。凡人どもには理解できない、選ばれたヤツだけが発する独特のニオイだ。なあ、ロコ。あんたには分かるだろ?」

 きっと同意が得られると思ったのだろう。けれど私の顔を見た瞬間、ヒカル君は急に勢いを失った。


「なんだよ、その目は」

「……ごめん」

「俺の言ってること、信じてないのか」

「そうじゃない。君の気持ちには寄り添えないから、謝ったの」

 自分の言葉が、思った以上に彼を傷つけたのが分かった。与えられるはずものが与えられなかったことで、呆然としていた。


「ヒカル君は、自分が特別なことが嬉しいみたいに話すね」

 誰だってそうだ。他人にはない特別なものを持っていると、優越感から嬉しくなる。自慢したくなる。私だってきっと。

「でも私は、もっと他のものがよかったなあ。友だちができなくなるような力は、正直言うと欲しくなかったよ」


 いるかいないか分からない同類を必死になって探して見つけた喜びと、たまたま同じクラスになったり、たまたま通学路が同じだけの人間に出会って友だちになることは、きっと同じくらい価値のあることだと思う。

 ヒカル君の言うところの凡人というやつも、悪くないんじゃないかなって思う。

 だって直君がそうだったから。


「もっと普通が、よかったよ。ヒカル君もそうじゃないの?」

「ちがう」

「本当に?」

「ちがう!」

「そうかあ、ちがうかあ。じゃあ、"ごめん"で合ってるよ」

 ロコ、と。ヒカル君がすがるような声を発した。けれど私は、容赦しなかった。


「やっぱり私たち、同じだけど、ちがうんだよ」


 ヒカル君は、微動だにしなかった。その体が徐々に震えだす。泣くか、怒るか。感情を爆発させることを予期して、私は受け止めるべく腹に力を入れた。

 けれど彼は笑った。は、と最初の息を吐き出すと、もう我慢できないと言わんばかりにお腹を抱え、声を上げた。


「勝手に期待して! 勝手に想像して! 笑えるよなあ!」

 自分の失敗を自分で笑い飛ばす。彼の行為は、今できる最大の防御のように見えた。

「俺とロコは、きっと同じだって! 会えば絶対に、俺のしたことを褒めてくれるって! なのになんでだよぉ!」

 絶叫する彼の傍らから、いつの間にか着ぐるみが消えていた。気付いた瞬間、私の体に影が差す。

「こんなの認めない」


 冷気が背筋を這いあがった直後、背後から拘束された。ピンク色の太い腕が前に回って締め上げる。咄嗟に掴んで離れようとしたがびくともしない。両足が宙を蹴った。

 スマホが振動している。もう何度目になるか分からない。切れては鳴って、何度も何度もかけてきている。

 誰かが私を気にかけている。その事実が、ほんの少しの勇気となって私をパニックにさせなかった。


「ロコ、なあロコ。俺は間違ったことはしていない。そうだろ?」

 声を出そうと口を開けて、げほっとせき込んだ。息ができない。苦しい、痛い。骨が、全身がミシミシといって、息を吐いた分、腕がどんどん食い込んでくる。

 待って、やばい、シャレにならない。


「言ってくれよ。俺は正しいって。俺は間違ってない。悪いのはあいつらだって。言ってくれたら、解放してやるよ。だから、だから」


 俺を認めろ。


 くらい眼差しが私を見上げる。涙でにじむ視界で見下ろしながら、私は思った。

 ああ、つらかったんだな。悔しかったんだな。寂しくて、恨めしかったんだな。

 その気持ちに覚えはある。負の感情を身にまとって、呪いの言葉を吐き出していたことは確かにあった。

 だから私に会いに来たんだ。すごいね、と褒めてもらいに。誰にも理解してもらえない自分を、私なら認めてくれると信じて。


「バカか!」


 がむしゃらに体を動かして、拘束する腕から身を乗り出す。伸ばした手がヒカル君の頭をぺしりと叩いた。

「ニオイとか! 認めろとか! 回りくどいこと言いやがって!」

 ぺしっ、ぺしっ、と威力のない情けない暴力がヒカル君を襲う。

 私は怒っていた。怒りのままに腕を振った。


 ヒカル君は、どうして私がいきなりキレ出したのか分かっていなかった。「え、あ、いたい、やめて」と自分の顔をかばいながら、完全に無力な少年と化していた。

 ふらりと彼が後ろによろける。すかっと空ぶった右手をがむしゃらに伸ばし、胸倉をつかんだ。


「友達がほしいんなら、最初っからそう言え!」


 あれだけ私を締め上げていた腕から、不意に力が抜けた。当然、体は地面に落下する。胸倉をつかまれていたヒカル君もろとも。

 ガツンと鈍い音がして、私はとっさに目をつぶった。額が痛い。目を開けると、両手で口を覆ったヒカル君が悶絶していた。ああ、歯が私の額に当たったのか。

 大丈夫、と手を伸ばしかけた瞬間だった。


「ヒロ子ちゃん!」


 暗闇の向こうから、聞こえるはずのない声がする。いるはずのない人が、走ってくる。

 伸ばした手をそのままに、私は呆然と彼を見上げた。

 直君。彼は目の前までやって来ると、立ち止まるなり大声を張り上げた。


「電話したのに、なんで出ないんだよ!」

 あのしつこい着信、直君からだったんだ。今更になってスマホを取り出すと、着信が二十件を超えていた。怖いな!

「……何しに来たの」

 目指していた駅は、来たときに使った駅とは路線がちがう。直君とは出会わないはずなのに、どうして。


 本来、ここに彼がいるわけがないのだ。私が最初に突き放して、直君は離れていった。そうされて当たり前のことをした。

 薄暗い路地で、直君が気まずそうに視線を下げた。けれどすぐに見つめられ、私は状況も忘れてドキリとした。


「ごめん! ……って、言いに来た」

「な」

 なんで。

「なんで先に謝るの……」

 いや、謝る必要すらない。私が全面的に悪いのに、なにをはるばる来てるんだよ。


「だって、学校だと明日になるだろ。俺、すぐに伝えたくて。すぐに、会いたくて。だから今、来たよ」

 絶句する私の顔を見て、直君は少し眉を寄せた。地面に落ちた拍子にぶつけた額に手を当てると、わずかに血がにじんでいた。

 彼はごく自然にハンカチを取り出すと、血のついた額にそっと押し付けた。

「寂しかったんだ」


 ハンカチ越しに、直君のぬくもりを感じた。いつからだろう、こうして触れられることが、近くにいることが当たり前になったのは。

「あそこにいても、俺だけ違うから。それは仕方のないことなんだけど、いちゃいけないって言われてるみたいで辛かった」

「そんなこと、誰も思ってないよ」

「分かってるよ。でも理屈じゃないんだ。幽霊なんて信じてないのに、あのときどうして俺だけ何もできないんだろうって恥ずかしくなった。兄貴のことが、うらやましかった」


 事務所にいたときの直君の顔がよく思い出せない。あのときの私は、自分のことしか考えていなかった。

「だからあれは、八つ当たり。傷つけて、ごめん」

「ひどいこと言ったの私じゃん。直君、悪くないじゃん。なに私を差し置いて謝ってんの」

 私、ぐちゃぐちゃ言って格好悪いな。早く謝ればいいのに、文句ばかりつけて肝心の言葉が出てこない。

 素直になれない私をやさしい表情で見下ろし、直君はニッと唇を釣り上げた。

「俺が先に謝ったから、俺の勝ちだね」

 情けない顔で、負けた私は笑った。直後に、唸り声がした。


「直君!」

 獣じみた声とともに、直君の体が宙を舞った。数メートル飛ばされて、コンクリートの地面に叩きつけられる。体を打ち付けられる鈍い音が、やけに耳に残った。

 嘘だ。嘘だ! 悲鳴を上げて、転がるように彼のもとへと走った。


「ふざっけんな!!」


 ウサギが振りかぶった腕をゆっくりと元の位置に戻していた。その傍らには、怒りの形相を浮かべたヒカル君が立っていた。興奮した息遣いのまま、私を睨みつける。

「なに普通の友達なんて作ってんだよ!」

 直君が薄目を開けてわずかに顔を振った。何が起きたのかまだ分かっていない。


「俺たちは、こいつとは違う! こんな、何もできないヤツなんかとは! 友達になってどうすんだよ、なんのメリットがあるんだよ。なあロコ、そんなやついらないって言えよ!」

 いってえ、と弱々しい声を出しながら、直君が体を起こそうとした。それを支えながら、私は言った。


「いる」

「ロコ!」

「直君がいないと、困る。直君じゃないと、嫌だよ」

 ヒカル君の目がショックを受けたように大きく見開かれた。けれどすぐに、そんなものは受け入れられないと鋭くとがる。

「だったら俺はどうなる! やっと見つけたんだぞ! 俺が、俺のほうが、ロコ、お前を先に見つけたのに!」

 叫びながら、ヒカル君の目から涙がほとばしった。嫌だ嫌だと駄々をこねる小さな子どもみたいな顔で、彼は泣き叫ぶ。


「俺のほうが先だよ」

 壁に手をつきながら直君が立ち上がった。ふらふらとよろけた体を慌てて支えると、直君は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「俺は、中学三年のときに、ヒロ子ちゃんを見つけた。ロコになる前よりも。お前なんかより、ずーっと早い」

「黙れ!」

「黙るか。後から出てきてなんだお前。俺のヒロ子ちゃんに、近づくな」


 ヒカル君が唸り声を上げた瞬間、ウサギが突進を始めた。何の感情もない大きな目と体が、こっちめがけてやってくる。

 考えるよりも先に体が動いていた。まともに立てない直君を押し倒し、地面に折り重なる。すれすれを巨体が通り過ぎ、正面から壁にぶつかった。

 普通なら起き上がれないほどの強い衝撃だ。けれどそれは、着ぐるみの中に人が入っていた場合。

 案の定、ウサギは無言で立ち上がった。そして次の指示を待つかのように、ヒカル君がいる方向へと首をグルリと回した。


「ヒカル君っ、待って!」

「うるせえ! そいつら二人、ぶちのめせ!」

 ウサギがぴょんと跳ねた。今度は反動をつけて、さっきよりもスピードを上げて向かってくる。

 私が直君から離れたら、こっちに向かってくる? それとも動けない直君から先に仕留めようとする? 今度は動くよりも先に考えてしまった。どうしたら直君を助けられるか、考えて考えて動けなかった。


 あと数メートルというところで私がとった行動は、直君の上に覆いかぶさることだった。彼の頭を抱えて目をつぶる。体の下で直君が必死にもがいていた。逃げろって言われても、そんなの無理だよ。

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