【書籍発売中!】ジャマしないでよ、大神くん! 再生数100万回めざして、実況中!?

あずまの章/角川ビーンズ文庫

チャンネル01 "スパイダー”

 私の母は、ある一点を除けばごくごく普通の母だった。

 スーパーの特売品をチェックし、バラエティー番組にツッコミを入れまくる。ときどき理不尽で、口うるさい。そんなどこにでもいる普通の母は、倒れる前にこう言った。


「いい、ヒロちゃん。正面から向き合って、救ってあげようなんて思っちゃ駄目よ」


 果たしてそれは忠告か、それとも自分に対する戒めだったのか。

 鬼気迫る様子に圧倒されて、私はただただ頷いた。母の言う、救っては駄目な存在が何かも分からず、そうしなければいけないという思いだけで母の教えを胸に刻んだ。

 けれど母さん、私は今日、あなたに背きます。


『こんにちはぁ、ロコで~す。今日も節約レシピを紹介するよぉ』


 顔にソバカスの浮いた十代の少女が、画面に向かって愛想よく手を振った。伸ばした語尾に媚びた演技、それまで誰にも注目されなかった悲しい少女。

『と思ったら大間違いだ! 今日で料理動画は終わりにする!』

 果たしてどれだけの人間がこの動画を見ているだろう。しかし数など気にしていなかった。ひとりでもいい、私の決意を聞いてくれ。


『心霊動画のはじまりだ!』


***


 私、清見きよみヒロ子は人生というものに疲れていた。

 高校一年、十五歳。世間で言えば、青春まっただ中である。人生が楽しくてたまらない時期に、なぜにこうも疲れているのかというと、

「ヒロ、ほらもっと真ん中に寄って」

 急に引っ張られたかと思うと、互いの頬がくっつかんばかりに身を寄せ合って、スマホでパシャリ。

「可愛いく撮れたじゃん」

 見せられたスマホの画像には、教室をバックに自分とは思えない姿が映っていた。私、そんなに目はデカくないんだけど。あとなんで犬みたいな鼻がくっついてるんすかね。

 違和感の塊としか思えない画像を、友人の芙美ふみがほくほく顔で保存した。もうひとりの友人、奈々香ななかが私にも送ってと画面の割れたスマホを持ってくる。

「ヒロにも、ってあんたガラケーか。いい加減、スマホに変えなよ」

「うん、そうしたいんだけど親がまだ駄目って」

「マジかー。スマホなんて今時、小学生だって持ってるつーのにねえ」

 愛用のガラケーは、親からのお下がりとはいえ今も元気に動いている。買い換える必要なんてこれっぽっちも感じていなかったが、そうだよねえ、なんて同調する。


 疲労の原因は、これだ。

 ワケあって中学は地味な生活を己に課し、できるだけ目立たぬように過ごしてきた私は、中学卒業を機にこう思った。もういいんじゃない、と。華の高校生、ここらで一発咲かせたろうやないかと意気込んで、いわゆる高校デビューとやらを果たしたのだ。

 まずは野暮ったい眼鏡とヘアスタイルをやめ、コンタクトにして髪型を流行のものに変えた。アパートの隣に住むお姉さんに頼み込んで、お化粧もマスターした。

 そんな努力の甲斐あって、入学早々いわゆるリア充グループと呼ばれる集団に入り込むことに成功したのだ。そう、ここまではよかった、ここまでは。

 ここからが、苦難の始まりだった。


 休日のたびに遊びに誘われ、カラオケ、ショッピング、ファミレスで三時間駄弁るのフルコースは当たり前。女三人で遊園地のはずが、待ち合わせに知らない男子がいて合コンがスタートするし。はっきり言ってリア充というものをナメていた。マジでリアルが充実していた。一日二個以上の予定を入れるなんて元地味人間の私には考えられないスケジュールだし、会ったばかりの他人にいきなり「ヒロ子ちゃんさあ」と下の名前で呼ばれるのもムリだった。

 想像していた高校生活とはかけ離れた毎日に、そろそろ限界を感じる所存である。


 そりゃさ、最初はリア充グループに潜り込めたぜしめしめとほくそ笑んだよ。クラスのヒエラルキー上位に難なく入れた自分は運がいいと思った。しかし藤ノ宮高校に入学して早一ヶ月、失敗したかもしれないと思う自分がいる。


「てか芙美、あんたまつ毛取れかけてね?」

「ほんとだ。どおりでさっきから教室が暗いと思ったわ」

「気づけよ」

「奈々香だってリップ取れてっし」

 机の上に化粧道具をばらまき、芙美と奈々香は化粧を直し始めた。二人の様子をぼーっと見つめる視界の端っこで、地味な男子のグループが嫌そうに顔を歪めているのに気がついた。その中のひとりと目が合ったので、なんとなく困ったように笑った。私は参加していませんよアピールだ。しかし向こうはすぐに目を逸らして、ゲームの話を大声で始めた。話題はCMで宣伝されている、モンスターを狩るゲーム。私も気になってるんだよね。

 男子の会話に耳を傾けながら、私は真っ直ぐに切りそろえた前髪を、手持ち無沙汰に触った。そろそろ髪、切ろっかなあ。美容院のおばちゃんに勧められてやってもらった姫カットだが、男子のウケはいいものの"私"のウケはよくなかった。姫カットって、どこの姫だよ。

「そういやさー、ユータンの動画見た?」

「見た見た、髪形変えてたよね。前のほうがよくなかった?」

「私は今のが好きー。ねえヒロ、あんたはどっち?」

「へっ」

「だからユータン」

「……友だち?」


 二人の顔が驚愕の色に染まる。しまった、有名人だったか。テレビはよく観るほうだけど、ユータンなる人物は初耳である。

「ユータンだよユータン、知らないの?」

「ピータンなら知ってる」

「ユータン! "スパイダー"!」

「人間じゃないの?」

 二人は顔を見合わせる。女子高生ならば知っていて当然の単語であるのは間違いないらしい。しかも髪型を変えただけで話題に上るほどだ、もしかしたらデビューしたてのアイドルかもしれない。

植草うえくさ木和田きわだ、ちょっと聞いてよ」

 近くを通ったクラスメイトの男子を、芙美が呼び止めた。二人とも「なになにぃ」と軽いノリで近づいてくる。

「ヒロがユータン知らないって。信じられる?」


 植草と木和田を見上げ、弱った笑みを浮かべるしかなかった。芙美と奈々香同様、二人もちょっと驚いていた。

「まあでも清見さんだし、知らなくてもおかしくないかも」

「だよなあ、俗世のことには疎そうだし」

 私に対する勝手なイメージを口にしながら、彼らは近くの椅子に座った。私の隣に座った植草は、恥ずかしげもなく妙に近い距離まで顔を寄せてきた。その馴れ馴れしさに引きつりながら、そっと後ろに体を引いた。

「二人の言ってるユータンって、今一番人気の"スパイダー"だよ。まあ俺は好きじゃないけど」


 いや、まずその"スパイダー"が何かを知りたいんだけど。

「ユータン格好良いじゃん」

「俺はああいうスカしたやつって嫌い」

「あんたもスカしてるよ」

 話がまるで進まない。"スパイダー"ってなんだよ!

 内心イライラしていると、向かいに座っていた木和田がスマホを差し出しながら「ユータンってこいつ」と教えてくれた。木和田、お前はできるやつだと思ってたよ。


 ただ慣れないスマホをどうやって操作したらいいか分からず戸惑った。「画面タップして」と言われたが、タップとはなんぞや。分からないまま震える指先を画面に触れさせると、ただの画像だと思っていた写真が途端に動き出した。


『どもー! ユータンでぃーっす!』


 大学生ぐらいの男が、陽気な声を出しながら両手を大きく振ってぴょんぴょん飛び跳ねている。ひとりじゃないらしい、画面には映らないが、「ヒュー!」だの「ウェーイ!」だのいう第三者の盛り上げる声が聞こえてきた。

『今日のユータンは~なんと~』

 溜めに溜めて、ユータンは叫ぶ。

『電車と競争しちゃいまーす!』

 結論から言おう、こいつ嫌いだ。

 なんていうかこう、この空気。受け付けない感じ。動画開始五秒で私の魂が全身全霊で拒否ってる。芙美、奈々香、ごめん。二人の趣味が理解できない。


 ユータンはまず走って電車に勝負を挑む。もちろん負けた。当たり前だ、幼稚園児にだって勝敗は予想できる。

 そして手を替え品を替え、ユータンは電車にスピード勝負を挑み続けた。最終的には電車が信号にひっかかり、からくも勝利を収めていた。ぜえぜえとわざとらしく体を上下させながら、汗をぬぐうユータン。全身で喜びを表現しながら、「皆~またね~!」


 動画を見終わった私は思い悩んだ。はっきり言ってつまらん。キングオブつまらん。つまらんオブ・ザ・イヤーを授与したいレベルでつまらん。わずか八分間の動画だったが、こいつに私の人生の八分間を奪われたと思うと腹立たしくてならない。


 しかしこの気持ちをそのまま芙美と奈々香に伝えるわけにはいかない。本音を吐こうものなら私はグループからあっという間に追い出され、クラスの最下層に転落するであろう。

「か、カッコイイね」

「だよねー!」

 本音とは真逆の感想だったが、言って正解だった。友人二人の心は私から離れずに済んだようだ。ユータン、ヒヤっとさせやがってこの野郎が。

「えー清見さんまで? 俺のほうがカッコイイじゃん」

 肩にもたれかかってくる植草を苦笑いで押し返し、お前もユータンと同じ属性だろ、と内心では毒づいた。

 "スパイダー"が何たるかは、だいたい理解した。まず"スパイダーウェブ"という動画投稿サイトというのがあって、そこで素人ながらに撮った動画を全世界に公開している人間という認識で間違っていないだろう。聞けば一人や二人ではなく、全世界に数千人、いやもっといるらしい。皆、暇だな。


「ヒロ、ガラケーだから動画観られないんだよね。他にも面白い動画いっぱいあるよ」

「スマホにしたら連絡もしやすいしさ、親に言って買ってもらいなよ」

 あいまいに頷きながら、明確な答えはうやむやにした。スマホって高いし、うちは決して裕福じゃない。ガラケーで十分生きていける、そう思っていた。

 いつの間にかまつ毛を直した芙美が、ふと言った台詞を聞くまでは。


「ユータンの年収が一億ってほんとかな?」

 気づけばクラスは静まり返り、教室中の人間から私は注目されていた。

 そりゃそうだろう、椅子をひっくり返して勢いよく立ったんだから。

「ど、どしたのヒロ、」

「あ、うん、ごめん。神のお告げが、いやなんでもない」

 うふふと笑いながら吹っ飛ばした椅子を回収して座りなおす。周りのあぜんとした反応を華麗にスルーしつつも、頭の中ではいまだに動揺が続いていた。

「い、一億って、それ、何かの冗談だよね?」

 やべぇ声が震える。だって一億だよ。

「いや本当らしいぜ。前にテレビでやってたけど、トップ"スパイダー"になれば数億稼いでるってさ」

「私もそれ見た。アメリカかどっかの六歳児だっけ、オモチャで遊んでる動画がウケて、それで六億稼いだんだって。マジびびるよね」

 六億!? もっとすごい数字が出てきたんだけど。お、落ち着け、相手はアメリカ人だ、スケールのでかさは日本とは比較にならん。

「メイク動画のさ、マリーも出てたよね。あの人、動画で稼いだお金で一軒家買ったって。すごいよねー」

 おうちまで!?

 待って、待て、落ち着け。マリーもアメリカ人、え、違うの? 日本人? メイクの動画を投稿し始めたのが二年前で、彼女まだ二十歳なの? お、おお、しゅごいね。

 さっきまでバカにしていたユータンが急に大人物に思えてくる。絶対に友だちになりたくないタイプだけど、一億だよ、一億。

 考えてもみろ、私がバイトしているファミレスの時給が900円。午後六時から十時まで働いて3,600円。一週間に換算すると25,200円。一ヶ月だとおよそ100,800円で、一年では1,299,600円。

 い、一億円をこの一年の稼ぎで割ると、

「は、八十二年分……」

 ガラケーの電卓でポチポチと計算を始めた私に、友人含め、もはや声をかける人間はいなかった。鬼気迫る形相で計算を終えた私は、ガラケーが悲鳴を上げるほど握り締めた状態で動きもしないし、喋りもしない。

「清見さん、大丈夫?」


 ただの八十二年分じゃない。客相手に愛想笑い浮かべて、ときどき襲ってくるセクハラを必死にかわし、ホール内を駆けずり回ってなんとか手に入れた八十二年分の稼ぎが、ユータンと同列、いや劣っているというこの現実。


「え、あれ、無視? おーい清見さーん」

 目の前でひらひらと振られる手の存在に、ようやく我に返る。手の持ち主は、さっきまで教室にいなかったクラスメイトだった。

なお、呼び出しなんだったの?」

「あー、まあ告白」

「やっぱり。で、付き合うことになったと。大神おおがみ君はモテますねー」

「付き合わねえよ!」

 ムキになって言い返した大神は、木和田を押しのけて私の正面に座った。そして少しだけ眉を寄せた。

「さっきすごい顔してたけど、なんだったの?」

 ユータンに負けて絶望したとは言えない。首を傾げて視線を逸らす。聞いてくれるな、大神よ。

「清見さんはユータンが格好いいんだと」

「えっ、ウソっ、どこが?」


 強いて言うなら金を持っているところがと答えかけて、唇をひくつかせた。土下座したら十万円くらい恵んでくれるんじゃないかと想像した自分に、さらに敗北感が募る。


「ユータンは気にいらねえけど、年収一億はすげーよなあ」

「うちらもやってみる?」

「何の動画上げんだよ。化粧して別人になりましたとか?」

「からかわないでよ! これくらい普通だっての」

 芙美と植草がどつきあう。二人の会話に、私はびっくりして思わず声を上げていた。

「"スパイダー"って、高校生でもなれるの?」

 二人は一瞬目を丸くして、もちろん、と頷いた。そうか、そうだな、六歳児だってなれるんだもん。

 じゃあ、私も?

「なれるんじゃない? 動画撮って投稿すればいいんだし」

 そのとき、背筋が震えた。悪寒か興奮か、自分でも分からない。

 けれどこの感覚を、私は知っている。人生が一変する、感覚を。

 母が倒れ、失踪した父が残した『すまん』の文字を見たときと同じだ。意識がふわりと浮いて、着地をしたら。

 私の世界は、変わってしまう。

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