チャンネル06 “恋”の呪い

『今日は"恋のおまじない~好きなあの子を振り向かせたい~"をやめて、"呪い返し"に変更しまーす』

 その瞬間、とある女子小学生は不満の声をもらし、慌てて口を抑えて耳を澄ませた。中学受験を控え、勉強をしていると両親は思い込んでいるのだ。隠れて動画を見ていたなんて、バレたらスマホを取り上げかねられない。

 親からのリアクションがないことを確認すると、彼女はほっと息を吐き出した。


 最近クラスで話題の"スパイダー"、ロコ。幽霊動画をきっかけにチャンネル登録して以来、新しい動画が投稿されるたびにチェックしている。

 今日は簡単なおまじないを教えてくれると予告していたから楽しみにしていたのにガッカリだ。だいたい"呪い返し"なんて、使う機会なんてないじゃん。

『呪いなんて自分には関係ないじゃんとか思ったでしょ。甘いなー』

 女子小学生はギクリとして、スマホを凝視した。小さな画面の中のロコと目が合った気がして、今度はゾクリとした。


 ロコは不思議な少女だ。見た目はそんなに可愛くないし、格好はいつもジャージで髪も適当に二つにしばっただけ。はっきり言ってダサイ。でも"いかにも"な格好をしていないあたり、本物っぽい雰囲気がある。テレビに出ている自称陰陽師や自称オカルト少女なんて、衣装からして怪しいし。ロコの飾らない格好は、逆に信憑性があった。

『最近、ネットで調べりゃ呪いの方法なんていくらでも出てくるからね。効力なんてないだろうけど、万が一ってこともあるから身を守る方法を教えてあげる』

 ちょっと前にクラスで話題になった"呪いのアプリ"が頭に浮かんだ。友達が面白がってダウンロードしていたけど、全然効かなかったと言っていたのを思い出した。


『というわけで、今日はこれ! "百均グッズで呪い返し ~地獄に落ちるのはお前だ~"を伝授する!』


***


 大神を撃退した翌日、教室に入ると真っ先にヤツと目が合った。

 昨日の今日だ、さぞ気まずかろう。だが私は嫌味なほど微笑んでやった。

「おはよう、大神君」

 向こうは何か言いたげだったが、挨拶どころか一切喋らない。芙美と奈々香に声をかけて、自分の席につく。隣の席の宇野は、"スパイダー・シュウ"のゲーム実況の話題からなぜか元気がなかった。挨拶の声が小さいぞ。

「宇野君、テスト勉強やってる?」

「あ、あんまり」

「もう、そう言ってやってるタイプでしょ? 数学の宿題見せて」

 前後の脈絡みゃくらくがバラバラだったが、宇野は大人しく数学のノートを出して見せてくれた。宇野、私はお前が心配だよ。私以外にほいほい勉強を教えちゃ駄目だからな。

 一心不乱に書き写す私を、宇野は黙って見守っていた。ときどきどうしてこの答えになるのか訊いたら、分かりやすく教えてもくれた。

「できた! 宇野君、ありがとう」

「ど、どういたしまして」

「宇野君が隣でよかった」

 利己的な発言でさえ、宇野は嬉しそうだった。耳まで真っ赤にして、こいつ絶対私のこと好きだろと思った。昨日までは。


 大神の奇襲は、私に過信という心を捨てさせた。宇野のあからさまな態度でさえもう信じられなくなっている。好かれていると思っていた男子に罵られるという体験は、思った以上に私にトラウマを刻み付けていた。

「ぼ、僕も、清見さんが隣でよかった」

 赤く染まった耳が、私に勘違いをさせようとする。馬鹿だなあと思った。もちろん私が、だけど。

「よかったって、どこが? 私、宇野君のことめちゃくちゃ利用してるよ」

 ヤダうれし~と猫を被った反応をしてやろうと思ったが、やめた。宇野という男は騙すにはあまりにも純粋すぎる。なけなしの良心が疼いて、本音をちらり。

 でも宇野は、眩しそうに目を細めて言った。

「それでもいいよ」

 言葉が出なかった。むしろ、いや、なんだろう私、けっこう弱っているのかもしれない。大神のせいだ。ちょっとだけ、嬉しかったなんて。

 いつもの適当な返しができなくて困ってしまった。なんとかできたのは、自分でも分かるくらい下手くそな愛想笑い。

 そのとき、目が合った。隣に座る宇野のずっと後ろ、窓際に立つ大神と。

 怖い顔で、こっちを見ていた。


***


 ファミレスのバイトが終わったのは、午後九時のことだった。本当は八時に終わるはずが、別れる別れないと言い争うカップルのせいで無駄な業務が増え、終わるのが大幅に遅くなってしまったのだ。しかもあれだけ修羅場になっていたくせに、カップルは結局ヨリを戻していた。

「店長、お疲れ様です」

「お疲れ様。ごめんね清見さん、あの二人の対応疲れたでしょ」

「もう二度と来ないでほしいっすね」

 男のほうが浮気をしたらしいが、開き直って彼女に別れを切り出していた。逆上した彼女が水をぶっかけ、乱闘に発展。「おやめくださいお客様ー!」と叫びながら彼氏のほうをメニュー表でめった打ちにしてやったら、彼女がなぜか彼氏を庇い、結果ヨリを戻したわけである。砂糖のように甘くチュッチュしながら店を出るバカップルに、塩でも投げつけてやればよかった。


 店長に挨拶をして別れ、自転車に乗って駅に向かった。家とは反対方向だが、これから大事な用がある。

 駅中のショッピングセンターのトイレで着替えを済ませ、化粧を落としてすっぴんになった。

 キャップを目深に被り、再度自転車に乗って線路沿いを疾走した。ときどき止まってスマホで地図を確認する。やがて駅ふたつ分くらいの距離をこいで移動し、目的地の公園に到着した。


 自転車をこぐスピードを緩め、公園の周囲を回りながら敷地内の様子を窺う。街灯があるとはいえ、薄暗くて判然としない。ちょうど一周回ったとき、ようやく人影を見つけた。ひときわ明るい公衆電話の横で不安そうにきょろきょろしている男性。彼がきっとそうだ。

 自転車を降り、帽子をかぶり直す。近づいてくる私に気付いたのか、男性は警戒するように顎を引いた。

「田口さん、ですよね?」

 はっと顔を上げて、男性が息を呑むのが分かった。

「ロ、ロコちゃん?」

「こんばんは」

「ほ、本当に来てくれたんだ……」

 呆然と呟いたかと思うと、田口さんは顔をくしゃくしゃに歪ませながら座り込んでしまった。ありがとう、ありがとうと、まだ私は何もしていないというのに、彼は感謝の言葉を繰り返した。


 コメント欄で助けを求めてきたのが、今目の前にいる田口圭介さんだった。最初は無視しようと思っていたけど、私は彼のアカウントにメッセージを送った。今日は会って詳細を聞く予定だったのだ。

「大丈夫ですか」

「はいっ、すいません、取り乱してしまって」

 田口さんは顔を上げ、瞬時に凍りついた。私の背後に怯えた視線を向けている。

「あの、そちらは、どなたでしょう?」

「はい?」

 田口さんの指差すほうへと振り返り、私は絶句した。

 ここにいるはずのない大神直が、いたのである。私服、オシャレだな。なんて場違いな感想が浮かんだが、私の口から出たのは至極真っ当な叫びだった。

「何しに来とんじゃお前はー!」


***


「最初は変だな、と思っただけなんです。僕の勘違いだろうって、思い過ごしだろうって。でも最近は、違和感だけじゃ説明がつかなくて」

 田口さんに案内され、私は近くのファミレスで話を聞いていた。四人掛けのボックス席、そのうちの三つが埋まっているという異常事態にそろそろ無視も限界だった。

「すいません、田口さん。ちょっといいですか」

「はぁ、どうぞ」

「大神君、帰ってくれる?」

「やだね」

 ドリンクバーなんか頼みやがって、腹が立つ。

 田口さんがいる手前、あまり争ってはいられない。せめて違う席に移動させようとしたが、大神は頑として動かなかった。

「そもそもどうやってここを突き止めたの」

「田口さんのコメント、俺も見たんだ。二人が会うんじゃないかと思ってずっと見張ってた」

「ストーカーじゃん!」

 大神はまったく悪びれず、なぜか田口さんのほうが震え上がっていた。明るい店内で見ると、彼の顔色は随分とひどいのが分かる。早く吐き出したくて焦っているのに気がついて、続きをどうぞと促した。

「マンションのベランダに、ケーキが置いてあったんです。メッセージカードには、"誕生日おめでとう"と書かれていました」


 田口さんの話はこうだ。ひと月前に今のマンションに引っ越してきてから、スマホに無言電話がかかってきたという。不気味に思った田口さんは当然、着信拒否。そうしたら今度は会社に無言電話がかかってきた。職場がバレている。

 さらにはスマホに毎日メールが届くという。何回アドレスを拒否しても、違うアドレスからメールが来るのだ。『お昼はいつも外食で心配だ』とか、『喋っていた女は誰』などの監視を窺わせる内容だった。極めつけには、ケーキである。ベランダで発見したとき、ケーキに刺さったロウソクにはまだ火が点いていたという。

「ストーカーですね」

「大神君が言うと説得力があるんだけど」

 ただ、今日の自分の行動を振り返ってほしい。ストーカーは自分がストーカーであることに気付かないものなのだろうか。

「メールとか無言電話ならまだイタズラだろうって思えました。でも、ケーキは」

 思い過ごしじゃ済まされない。

「僕の部屋、八階なんです。ありえないでしょう?」

 配水管を伝って昇ってきた可能性も捨てきれないが、女のストーカーだと考えれば外からの侵入は難しいだろう。

「警察には通報したんですか」

「もちろん! でも盗られているものは何もなくて、ケーキのこともあまり真剣には受け止めてもらえませんでした。友人のイタズラだろうって」

 ホットコーヒーの入ったカップを握る田口さんの指は小刻みに震えていた。相当参っているようだ。

 話を聞く限り、ストーカー事件としか思えない。けれど違う、私の勘が言っていた。何よりあのとき、田口さんが助けを求めてコメントを残した瞬間に感じた怖気おぞけ。自分の勘を信じるならば、彼はよくないものに巻き込まれている。けれど会ってから今に至るまで、彼からは何の違和感も見受けられなかった。勘が外れた? でも一緒にコメントを見た母の反応からいって、勘違いということはないと思うんだけど。

「怖くなって、ホテルに移りました。でもそこで、映ったんです」

「なにがです」

「鏡に、知らない女の顔が」

「ありえねー」

 隣に座る大神の体に肘打ちした。お前は黙ってろ!

 なおも反論しようとする大神を視線で黙らせる。今度騒いだら叩き出すぞという脅しは、どうやら通じたようだった。

「はっきりと見えましたか」

「見た、と思います。一瞬でした、でも、覚えてます。あの顔、知らない女の顔だった。でも振り返ってみても、誰もいなかった。部屋の中、どこにも」

 見間違いだろ、としょうこりもなく大神が呟いた。テーブルの下で足を思い切り踏みつけてやった。

「あれから鏡が怖くなって、一度も見てません。でも部屋にひとりでいるとき、耳元で誰かの笑い声が聞こえるんです。抱きしめられたような締め付けを感じることもありました。友人や同僚に話しても、皆気のせいだって、疲れているんだって誰も信じてくれなくて、……僕、僕の頭が、おかしくなったのかなあ、」

 田口さんの震えがさらに大きくなったので、カップを奪い取りそっと遠ざけた。彼は自分の手を皺が寄るほどきつく握り締めて、静かに涙を零した。


「貴方はおかしくありませんよ」


 嗚咽を噛み殺す田口さんの肩に触れる。軽く二度叩いて、もう一度言った。おかしくなんて、ありません。

「ぅう――……っ」

 せきを切ったように泣き出した田口さんにびっくりしたのか、客と店員の視線が集中した。隣に座る大神は決まりが悪そうに顔を背けていた。


 誰にも信じてもらえないっていうのは、ある種の恐怖だ。心霊現象よりも現実の人間のほうが怖いなんて、まったくもって笑えない。彼が仮想の世界に助けを求めたのは、この笑えない現実が引き起こしたことなのだ。

 今までずっと我慢していたのだろう、田口さんは中々泣き止まなかった。私は一度も飲んでいなかったメロンソーダに口をつけて、好きなだけ泣かせることにした。

 氷がほとんど解けて薄くなったそれをちびちびと飲んでいると、大神がじりじりと近づいてきて、そっとささやいた。

「俺思うんだけど、この人の勤めてる会社ってブラック企業ってやつじゃない? 幻覚とか幻聴とか、働きすぎのせいだと思うんだけど」

「大神君の言うとおりだったとして、泣くほど苦しんでる人間に、勘違いですよと教えあげて喜ぶと思う?」

「本当のことを知るのも必要だろ」

「正論うざっ。優しい顔して他人を傷つけるタイプが一番タチ悪いんだよ。悪魔かあんたは」

「……清見さんこそ悪魔だ。俺のこと、もてあそんだんだから」

「はぁ? なんのこと?」

 大神は恨みがましそうな表情をするだけで意味は教えてくれなかった。私のどこが悪魔だ。相手の領域を荒らすような悪魔の所業こそ、私が最も忌むべき行為だというのに。


 お互い無言でメンチを切りあっていると、通路を歩いてきた女性がテーブルの真横で立ち止まった。

「もしかして田口さん? えっ、大丈夫ですか!?」

 ベージュのコートに、グレーのスカートスーツ。いかにも仕事帰りという服装をした女性は、泣いている田口さんを見て驚いていた。

「瀬名さん」

 泣きじゃくっていた田口さんは顔を上げ、しかし泣いていたのを思い出したのか、すぐに俯くと袖で顔を乱暴に拭った。

「あの、これ」

 瀬名と呼ばれた女性が、おずおずとハンカチを差し出した。田口さんは一度は遠慮したが、瀬名さんが引かないと分かると恥ずかしそうに受け取った。

「マンションの隣の部屋に住んでいる、瀬名さんです」

 同じテーブルにいる私たちと田口さんを交互に見やって、瀬名さんは何か言いたげだった。まあかなり怪しいよな。こっちは明らかに十代だし、もうすぐ十一時だ。

「すいません、変なところを見せてしまって」

「いえ、そんな。あのう、三人はどういうご関係で?」

 その質問、しちゃうか。

 田口さんは強張った顔をハンカチで隠し、逃げをうった。強制的にパスが回ってきたため、私は必死に言い訳を考えた。


「相談を聞いてもらってたんです」

 なんだって?

 大神の発言に、私と田口さんが驚いて顔を見合わせた。困惑する私たちをよそに、大神はすらすらとありもしないエピソードを並べだした。

「俺たち、ワケありで家に帰れなくて。駅前でうろついてたら、田口さんが心配して声をかけてくれたんです。親とか家のこととか話してたんですけど、この人、同情して泣き始めるからびっくりしました」

 あまりにも淀みのない嘘だった。瀬名さんはすっかり信じ込み、田口さんの優しさに感銘を受けていた。

「時間も時間だし、俺たち帰ります。田口さん、話を聞いてくれてありがとうございました」

 大神は立ち上がると同時に私の腕を引っ張った。強引にボックス席から出され、ぐいぐい引っ張られる。抵抗しようとしたが、考えてやめた。

 今日は話を聞くだけのつもりだったし、頃合いっちゃ頃合いか。

「田口さん、あの、また連絡します」

 ポケットから取り出したものを田口さんに押し付けた。百均ショップで買った、ちゃちなぬいぐるみのキーホルダーだ。

「これ持っといてください。肌身離さず」

 男が持つには違和感ありまくりだが、田口さんは手に収めたそれを大事そうに包み込んだ。

 ファミレスを出る間際に振り返ると、田口さんは深くお辞儀をしていた。

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