チャンネル16 JEA
大神君。
大神君、早く戻ってきて。
瞬きすらできずに固まっている私の視線と合わせるように、お兄さんはしゃがみこんだ。近くなった距離が恐怖心をあおる。
「駄目だよ、しらばっくれなきゃ。そんなんじゃ、認めてるのも同然だ」
大神君とそっくりの顔でいたぶるような表情を見せないでほしい。
どうして正体がバレたのか、思い当たるフシはあった。大神君だ。偶然、動画を見たお兄さんが、変装した弟の存在に気付いてもおかしくはない。
「弟が原因だと思ってる? 違うんだなあ」
一度、ちらりと階下に視線を向け、お兄さんは面白がるように語った。
「君のことは、かなり前から目をつけていたんだ。弟よりも、ずっと前にね。接触を図ろうしてた矢先にスパイダーデビューするもんだから、俺たちも驚いたよ」
「あの、俺たちって?」
お兄さんは待ってましたと言わんばかりに、ニンマリ笑った。
ジャケットの中に手を入れて、もったいぶったように何かを探る。やがて差し出された名刺には、こう書かれていた。
『
Japan Exorcist Association』
見るからに怪しい字面の
協会名も怪しいが、その隣の『レッツ成仏! まずは無料相談から』が最高にうさんくさい。
「じゃぱん、え、えくす、えくすおーじゃん?」
「それ、調味料。エクソシストね。これ英訳するとき、結構モメたみたいよ。でも世界に打って出ていくなら、エクソシストのほうが分かりやすいじゃん、みたいな感じでこれになったんだって。略してJEA。よろしくね!」
軽い……。今の説明でよろしくできる人がいるならお目にかかりたい。
エクソシストってたしか悪魔祓いでしょ? 目の前のこのチャラい人間に、悪魔をどうこうできるとは思えないんだけど。ていうか悪魔っているの? ジャンルが違うから、どこをどうツッコんでいいのか迷う。
「信じてない? 俺と君、同類よ?」
「すいません。うちは信心深くないとはいえ、一応は仏教徒でして」
「なんか勘違いしてない!?」
気付けば最初の恐怖も忘れ、目の前の不審人物をいかにして追い出そうか考え始めていた。
これ、新手の詐欺じゃないだろうか。大神君が知ったら、たぶん怒る。怒って泣く。身内に心霊現象を信じる人間がいたなんて事実が発覚したら、彼のアイデンティティは崩壊の危機である。
「あのさ、最初から説明させてくれない? 俺たち、うさんくさい団体じゃないから。君にも関係あることだから」
本格的な勧誘が始まってしまった。
大神君、へるぷ。
私はもしかしたら十字架とか水晶玉とか、売りつけられるかもしれない。そんなお金持ってないけど。
「俺が所属するJEAは、歴史は浅いけど、前身となる集団は古くからあったんだ。決して怪しくないからね」
そこから長々と説明されたことを要約すると、JEAとやらは、簡単に言えば全国各地の霊能力者を統括する団体であるという。
除霊師、祓い屋、イタコ等々。かつてはバラバラに活動していたという霊能力者たちだが、明治維新を機に、近代化に向けて邁進する政府から目を付けられるようになり、ついには規制の対象になったとか。
ほそぼそと活動を続けていくうちに、彼らは次第に協力し合い、近代化の波を乗り越えていった。
そして戦後。ようやく現在の『日本霊障探求協会』なる団体を設立したという。
目下の悩みは、会員数の伸び悩み。若い子が入ってこないんだそうだ。
スカウトしに行っても、怪しまれて通報されるらしい。頑張ってホームページを作ってはみたものの、見せてもらったらめちゃくちゃダサかった。スマホ対応じゃないとか、やる気あんの?
「つまり、私に会員になれってことですか?」
「まあ簡単に言うとそうだね。君みたいな人間が、仲間がたくさんいるんだ。興味はあるだろ?」
彼の言い方は、まるで私が孤独な人生を送ってきたんだと決めつけているように聞こえた。
こう言えば喜んで飛びつくとでも思っているのだろうか。だとしたら私という人間を完全に見誤ったな。
「お断りします」
「ありゃ」
「だいたい、会員になったからって、私に一体なんのメリットがあるんですか?」
「気の合う仲間たちと一緒にワイワイ! 休日はバーベキューしたり登山したり、除霊したりもするよ! アットホームな団体でステップアップしてみないか?」
求人情報で一番手を出しちゃいけない誘い文句じゃん。
名刺を突き返す。受け取る気配がなかったので、テーブルの上に乱暴に置いた。
「うーん、一匹狼タイプか。厄介だなあ。どうしよっかなあ、この手だけは使いたくなかったんだけど、でもなあ、仕方ないよなあ」
ぶつぶつ呟くお兄さんを無視して、部屋を出て行くことにした。もっと早くにこうしていればよかったのだ。
ドアノブに触れた、そのときだった。
「君のお母さん、うちで預かってるって言ったらどうする?」
動きを止めて、背後に立つお兄さんに向けた。彼はうっすらとした笑みを浮かべ、さらに何かを言おうとしたその瞬間。
「ぐぉっ」
くぐもった声を上げた男は、驚愕で目を見開いたまま倒れこんだ。私は馬乗りになった状態で相手の胸倉をつかみ、床に押し付ける。離せ、と暴れられたが、こちらはびくともしない。見下ろした男の目に脅えが走るのが分かった。
「母さんに何をした」
「っちょ、ま、」
「の ろ う ぞ」
顔をぐっと近づけて、ありったけの憎悪をこめて言葉を吐きだした。ひくっと震える男の顔に片手を伸ばす。押さえつける手が半分になった瞬間を見逃さず、男は拘束から逃れようとした。が、動かない。動かせるわけがない。
涙目になって抵抗する男の両頬に指を食い込ませる。ぶんぶん首を振られたが、ちっ、と舌打ちをしてさらに力を入れた。
「口、開けて」
うーうー唸るだけで言うことを聞かない男に焦れて、もう片方の手も解放する。普通なら起き上がれるはずだが、男の体は首から上が床に張り付いたようになっていた。
観念して、ついに口を開く。
「ご、ごめん! 言い方間違えました!」
「うるさい」
「病院! うちの病院で入院してるって言いたかったんです!」
「あ?」
「藤ノ宮中央病院っ、うちの、大神グループの系列病院です!」
母が入院している病院の名前を出され、さっきまで頭に上っていた血がすっと下りてくる。どういうこと、と視線で問うと、男はべらべらと喋りだした。
「君を見つけたのも、君の母親が夜な夜な病院を抜け出したのを見たから! 俺、そこで医師として働いてるんだ、君に行きついたのは、そういうワケ、分かった!?」
「動いてる母さんを見たの?」
「見たよ!」
俺と君、同類よ?
軽い調子で言われた台詞を、まったく信じていなかった。霊能力者を名乗る詐欺師なんていくらでもいる。彼もそのひとりだと頭から決めてかかっていた。
しかし決定的とも言える証言を突きつけられ、認めざるをえなかった。
「……それで、病院から追い出されたくなかったら言うこと聞けって?」
「違う違う! 入院費! 免除されたくない!?」
パチンと音が鳴った。その直後、お兄さんの顔からどっと汗が噴き出した。何かから解放されたように大きく息をついていた。
「か、
涙目になってぐったりと体を投げ出す彼にまたがったまま、私は顔をぐっと近づけた。
「免除」
「ち、近いな」
「今、免除って言いました?」
ひきつった顔に鼻先が触れんばかりに詰め寄って、私はさっきの言葉が嘘ではないことを願った。
お兄さんは逃げるように顎を反らし、まずはどいてよと言った。
「免除してくれるんならどきます」
「……しなかったら?」
「呪う」
「する! 免除する!」
「嘘ついたら針千本、飲みますか?」
「……の、飲む。ああ、縛られたぞこれ」
情けない顔で声を震わせるお兄さんに満足して、私は彼の上からどこうとした。
同時に部屋のドアが開いた。
「清見さん、お待たせー……って、なにしてんの?」
大神君の笑顔が一瞬で冷える。
そりゃそうだろう。彼の目には、自分の兄を押し倒すクラスメイトの姿が映っていたんだから。
***
現在、私とお兄さんはかれこれ三十分ほど正座をさせられていた。テーブルをはさんだ向かい側には、腕を組んだまま目をつぶる大神君がいる。
この間、一切会話なし。
「ちょっと、お宅の弟さんでしょ、どうにかしてくださいよ」
「って言われてもなあ。このモードになった直は、誰にも止められないよ」
「私、帰ってもいいですかね……ケーキ食べて帰りたい」
大神ママの用事って、ケーキのことだったみたい。テーブルに置かれたフルーツ盛りだくさんのケーキにさっきから視線が釘付けだ。
私とお兄さんの間にあったことは、三十分前に説明はした。もちろんJEAのこともだ。名刺は今、大神君のすぐ目の前に置かれている。
不気味なのは、身内に霊能力者がいたということに彼が一切騒がなかったことだ。予想では取り乱して、現実を受け入れないはずだ。だというのに、大神君は一瞬硬直した後、難しい表情を浮かべて今に至る。
「分かった」
顔を上げると、大神君と目が合った。
彼は私には笑いかけ、隣に座るお兄さんには絶対零度の視線を向けた。そしてまた私を見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
「清見さん、ごめんね」
「なにが?」
「お母さん、入院してたなんて知らなかった。大変だったね」
「あ、うん」
私がお金に執着する本当の理由を、彼は悟ったらしい。けれどその目には同情も哀れみもなかった。ただ
「この前会ったときは、一時退院だったの? 今度一緒にお見舞いに行ってもいい?」
「えっ。あー、いや、別にいいよ。お構いなく」
ぶんぶん首を横に振って断固拒否を貫いた。私のためじゃない、彼のためだ。会わないほうがいい、絶対に。
「でも」
「直。患者の家族が遠慮してほしいって言ってるんだ。聞くもんだぞ」
大神君の目に殺意が宿る。イケメンが怒ると迫力があるから怖い。
「怪しい団体に、清見さんを巻き込むのはやめてくれる?」
「怪しくない。それに所属するかどうかは彼女次第だ」
「清見さんはアットホームな団体とか
言い方はアレだがおおむね正解だ。でもごめんね、大神君。
「私、会員になる」
隣でお兄さんが拳を上に突き上げた。大神君は信じられないという顔で身を乗り出した。
「入院費が免除されるから? 兄貴にそんな権限ないよ?」
「なくてもやってもらう。"誓った"から、お兄さんはやってくれるよ」
針千本飲みたくないなら、それこそ死に物狂いでやってくれるだろう。あれはそういうものだから、絶対に約束を
「何も悪いことじゃないぞ。会員になるなら、うちは彼女を全面的にバックアップする。協会がロコのスポンサーになるんだ。スパイダー活動にかかった金はうちが全部出す」
「マジっすかお兄さん!」
「マジだよ。俺は君の味方だ。これからは名前で呼んでくれると嬉しいな」
「
ガン!!
ガラスのテーブルにヒビが入った。私と游さんは恐る恐る視線を向け、そして後悔した。そこには据わった目をした大神君が、おどろおどろしい空気を放っていた。
「兄貴、出てって」
***
背後でドアの閉まる音を聞いて、私は絶望的な気分になった。
二人きりになると同時に、大神君は目の前の名刺をぐしゃぐしゃに握りつぶしてしまった。かと思ったら今度は広げ、細かく破りだした。こえー。
「俺は今、猛烈に腹が立っている。なんでか分かる?」
細切れになった名刺をパラパラと床に落としながら、彼は言った。
答えを間違ったら、次はお前がこうなるという暗示だろうか。私はよろしくない頭を最大限に動かした。
「えっとぉ、相談もなく、JEA加入を決めた、から?」
スポンサーについてくれるんだから、私だけの話に留まらない。マオこと大神君にも関わってくる。だというのに、私は独断専行でスポンサーの話を受けてしまった。彼が怒るのも当然だ。
「違う」
まさかの不正解に、気分が悪くなってきた。ヒロ子、痛恨のミス。
視線をさまよわせて正解を導き出そうとするが答えは見つからず、テーブルのヒビが視界に入り、ぞっとした。
びくびく震える私の向かい側で、大神君が不満もあらわに言い放った。
「游さんって何? 俺の名前は呼ばないのに、兄貴は呼ぶんだ?」
大神君は唇を尖らせて顔を背けてしまった。虚を突かれた私はしばらく固まってしまったが、やがてあわあわと動き出した。
「あの! 私! 実は大神君に言いたいことがあって!」
そう、そうだよ、忘れてた。私はロコ&マオ解散の危機を回避するために家に来たんだよ。あっぶねー、游さん登場で当初の目的を見失うところだった。
「私ね、私、ちがうの、大神君の勘違いじゃなくて、私が勘違いしてて、あの、ネガティブが、芙美と奈々香にも言われたんだけど、私は自分勝手で、」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「お、おう、うん、落ち着く」
気を鎮めるために、テーブルの上にあったケーキを食べることにした。飲み物じゃないんだ、というツッコミが聞こえたが、私はケーキが食べたいんだ。
いちご、キウイ、ブルーベリー、色とりどりのフルーツが乗ったショートケーキは手作りっぽい。大神ママが作ったのかな、すごいな、うちの母さんなんてクッキーさえ作ってくれたことがないのに。
無言であっという間に食べきると、氷が解けて薄くなったジュースを飲みほした。
「おいしかった?」
「おいしかった」
「俺のも食べていいよ」
差し出されたケーキに迷いもなくフォークを伸ばし、我に返った。
馬鹿か私は。また目的を見失っているじゃないか。
「清見さん?」
「……ごめんなさい」
「どうしたの?」
フォークを置いて、クッションから下りる。そして大神君に向かって頭を下げた。
「私、怖くなったの」
口の中に残った生クリームが甘い。ぺろりと舐め、勇気を振りしぼって顔を上げた。
「私と大神君、全然釣り合ってないって。なのに下の名前で呼ぶなんて、おこがましいって思っちゃったの」
なにそれ、と呆れた声がした。鼻の奥がツンとしたけれど、ぐっとこらえる。ここで泣くのはずるいと思った。
「卑屈だってことくらい、分かってるよ。でも生きてる男の子の友達なんて初めてだし、どうしたらいいのか分かんなくなって、それで」
「距離をとったの? 俺が嫌になったからじゃなくて?」
「ちがうよ。私が勝手にへこんで、突き放しちゃったの」
「そっかあ」
なんでそんなに嬉しそうなの?
私また勘違いしちゃうよ。スパイダーとかそういうの抜きにして、正真正銘の友達ができたって思っちゃうよ。
私がなりたいと思ってなった友達。特別な友達。
「だから、コンビ解消はしないでください。私と一緒に、いてください」
言った。ついに言ってしまった。
逃げそうになる視線を大神君に固定して、返事を待った。握った手が、気付けば汗でぐっしょりと濡れている。
大神君は少し驚いたように瞬きをした後、まるで当たり前のように"それ"を口にした。
「ヒロ子ちゃん」
ストン、と。自分でも説明できない何かが、胸に落ちてきたのが分かった。
やがてじわじわと、実感となって襲ってくる。
彼は「いいよ」とも、「許す」とも言っていない。ただ私の名前を呼んだだけ。
でもそれだけで分かってしまった。短い音節の中に込められた意味が。私の名前に宿った気持ちが。
大神君は。いや、直君はやっぱりイケメンだ。身も心も、格好良い男の子だった。
感動で動けない私の手に、そっと別の手が重ねられた。大神君の手だ。少しごつごつしたそれが、私の両手を掬い取った。
「な、直君」
「うん。俺たち、やっと昨日に戻れたね」
「……コンビも解消しない?」
「もちろん。ていうか、なんでそう思ったの?」
游さんと会う前の会話を思い出してほしい。あの会話の流れは、コンビ解消の流れだった。
直君は、ああそれ、と笑った。
「逆だよ。ちゃんと距離はとるから、コンビは解消にしないでって言いたかったのに」
つまりは私の早とちりだったということだ。安堵感と虚脱感に同時に襲われ、私は手を握られたまま横に倒れこんだ。スカートが、と言われたのでさっと直す。
目をつぶって、私は喜びの余韻に浸った。頬に触れる床が冷たくて、なんて心地いいのだろう。
ほっとして全身の力が抜けるような、反対にばたばたと暴れたくなるような、不思議な感覚の中にいた。
目を開けると、すぐそこに直君の顔があった。いたずらが見つかったみたいに、彼は慌てて言い訳をした。
「あの、寝てるのかと、思って」
すぐそこに大神君の綺麗な顔がある。薄い唇、通った鼻筋、長めのまつ毛。そして穏やかな目。じっと見つめていると、直君は目をつぶった。恥ずかしくてそうしたんじゃない、そんな気がした。
やがて、彼はゆっくりと近づいてきて、
「ケーキのおかわりいるかしら? ッキャ!」
「母さんノックして!!」
いや、直君もノックしてなかったよ。ついでに游さんも。大神家にはノックという概念がないのかもしれない。
大神ママの足元をすり抜け、ラッキーが室内に入ってきた。赤くなった頬を両手で押さえる私を見上げ、不思議そうにクンと鼻を鳴らした。
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