第22話 ロミオとジュリエットは離婚しました
「ん? 葉名じゃないか」
とクリーム色の上質なスーツを着こなした男は
今か、と葉名は思った。
そこを退け、と言ったときに、葉名と名前を呼んだのは、意識してのことではなく、姿が見えたので、反射で呼んでしまっただけのことだったのだろう。
そのとき、
准は葉名の後ろの男を見、
「二階堂常務、どうかされました?」
と訊く。
「いやいや、ちょっと健康のために階段を上がってきたら。
何故か、うちの妹がこんなところに」
と兄、
「妹?
葉名は常務の妹なんですか?」
と准が眉をひそめると、
「えっ? 葉名っ?」
と涼子は准が葉名を呼び捨てたことの方に食いつき、こちらを見た。
「これは私の妹です。
二階堂葉名――」
と言おうとした練人に、葉名は、
「桐島」
と言い直す。
すると、練人は葉名を見下ろし、
「なんだ、お前。
まだ、桐島を名乗っていたのか」
と間抜けたことを言ってくる。
「私は桐島葉名。
この先も桐島葉名よ」
と父とともに桐島の家を出て行き、二階堂練人になった兄に言う。
「待て、葉名」
とそこで准が割って入ってきた。
「この先も桐島葉名ってことはない。
お前、
と余計な突っ込みを入れてくる。
そして、涼子を振り向き、
「三浦、お茶。
葉名の分も」
と准は命じる。
目を輝かせて、話を聞いていた涼子は、わかりましたっ、と言うなり、ピュッと消えた。
早く仕事を済ませて、聞き耳を立てようと思っているようだった。
うーむ。
有能だが、好奇心が旺盛すぎるという意味では、困った秘書のようだ……と思いながら、葉名は見送った。
社長室に入ると、葉名と准が並んで座り、その向かいに、練人が座った。
その配置を葉名はちょっと不思議に感じる。
少し前までは、兄と自分が家族で、こういうときは、横並びに座っていたはずなのに。
でも、大人になるというのは、こういうことはなんだろうな、とも思っていた。
生まれ育った家族の中から巣立ち、新しく出会った人々と関係性を作っていくと言うことは――。
そんなことを考えていると、練人が言った。
「それで、東雲社長。
貴方ほどの人が、なんでまた、うちの妹と」
おい、兄。
自分の中の兄の評価が低いのと同じに、この兄の自分への評価もかなり低いようだった。
「それが、二階堂さん。
実は、私と貴方の妹さんは、
幼い折、『社長』『モンキー』と呼び合い、親しんでいたのです。
そして、再会して、十年愛を実らせたんです」
あっ、また、適当な話を、と思ったのだが、そこで練人が、
「あっ、社長っ」
と叫んで、手を打った。
急にどうした、と思ったのだが、『社長』と呼んだのは役職名ではなかったようだった。
「そうだ、社長じゃないかっ。
そういえば、面影があるっ」
と敬語を崩し、懐かしげに笑い出した。
「常務、私をご存知でしたか?」
と訊く准に、
「俺は年が離れてたから、お前らとはあまり遊んでないが。
そういえば、居たな、社長。
可愛い顔して、悪い奴だった」
元気か? と言い、練人は准の肩を叩いている。
「覚えてないか?
俺はいつも龍王山公園のサイクリングコースを自転車で回ってた」
「あっ、上級生のっ。
葉名のお兄さんだったんですかっ」
といつの間にか二人は立ち上がり、お互いの腕を叩いて、再会を喜び合う。
なにかの健闘を称え合っているかのようだ。
男の友情、よくわからない、と思いながら、葉名は座ったまま、二人を見上げていた。
そういえば、なんだかわからないが、こう、前のめりになってハンドルを握る、競輪選手が乗るような自転車を華麗に(?)乗りこなす兄たちは、下級生男子たちの憧れの的だった。
そもそも、仕事で来たんだろうに、二人は仕事も葉名もほったらかして、昔話で盛り上がっている。
そこに、
「失礼します」
と涼子が入ってきた。
お茶を運ぶのを手伝おうと立ち上がりかけたら、いつもの鋭い目つきと手振りで、
『いいから、あんたは座ってなさいっ』
と命じられる。
……はい、と葉名は静かに腰を下ろした。
お茶を出す涼子に、練人は、
「ありがとう」
とすかさず、微笑みかけている。
涼子が赤くなった。
うむ。
こういうところは相変わらずだな。
相変わらずの、女たらしのろくでなしだ。
お父さんにそっくりだ、と思いながら、お茶をいただく。
美味しいな。
さすが、三浦さん、と思ったところで、ようやく葉名の素性の話になった。
「では、葉名の父親は二階堂社長なんですね?」
と練人に確認したあとで、准は、こちらを向いて、なんだ、と言う。
「お前と結婚するのなら、どんなろくでなしの父親でも引き受けようと思っていたのに、全然ろくでなしじゃないじゃないか。
立派な方だぞ、二階堂社長は」
いや、経営者としてはですよ、と思いながら、葉名はそっぽを向く。
視界に先にあるリースの観葉植物が、シマトネリコに変わっているのに気がついた。
南国風のシマトネリコを見ていると、心が癒される。
街路樹として植えられているトネリコは落葉樹なので、観葉植物として、よく用いられているのは、この半常緑樹のシマトネリコの方だ。
うむ。
トネリコだったら、バットの木だから、兄が余計なことを言いやがったら、これで、撲殺するんだが、と思いながら、葉名はシマトネリコを見つめていた。
「まあ、葉名たちからすれば、我々は、ろくでなしなんでしょう。
狭いながらも楽しい我が家を捨てていった人間なので」
敬語に戻り、練人はそう語り出す。
「桐島家と二階堂家は戦国時代の合戦のなんとやらが因縁の怨念で仲が悪いんですよ。
父と母はあるパーティで知り合い、恋に落ちました。
二人とも家を捨てて、一緒になったのですが。
私が大学生、葉名が高校生の頃、二階堂の祖父が倒れ、父は二階堂の家に帰る決心をしました。
実家とは縁を切る。
お前を選ぶと言ったはずの父のその行動に、母がキレて、別居から離婚に――」
「でもそれは、二階堂社長が親や会社を見捨てられなかったというだけで、悪人というわけではないのでは?」
と同じような立場にある准が父をかばう。
「そうなんですが。
母からすれば、あれだけ誓い合ったのに。
自分と親を天秤にかけて、結局、親を取ったように思えて、裏切られたと感じたんじゃないですかね?
母は、ああ見えて、頑固な人なんで」
と練人は苦笑いしていた。
「いいお兄さんじゃないか」
兄が帰ったあとで、准がそう言ってきた。
「練人さんが父親についていったのは、ひとりで一度捨てた家や会社に戻ってやっていくのはきついと思ったからじゃないのか」
葉名は溜息をつき、
「まあ、そうなのかもしれませんけどね。
なにかこう、チャラい人なので、楽したくて、父についていったように、見えてしまうんですよ」
そう言っている端から、社長室の外で涼子を口説いている声が聞こえてくる。
……兄め、恥をかかせおって。
やはり、トネリコの木で撲殺すべきだったか、と今は閉まっている黒い扉を見ながら思う。
「しかし、お前には、いろいろ秘密があるな」
と准が言ってくる。
「二階堂の娘なことも、モンキーなことも隠していたし」
いや、モンキーは隠してたわけじゃありません、と思う葉名の前で腕を組み、少し睨む風に、准が訊いてきた。
「他にもまだ、俺に隠していることはないか?」
「もうありませんよ」
と言うと、そうか? と言ったあとで、准はなにか思いついたように笑い、
「いや、あるな」
と言って、少し顔を近づけてくる。
赤くなって後退しながら、いや、なにがっ? と思う葉名に准は言った。
「例えば――
実は俺を好きなこととか」
ぎくりとしてしまったのだが、准は気づかず、ははは、と笑う。
「しかし、笑えない話だな」
と眉をひそめて言ってくる。
「ロミオとジュリエットは離婚しました、か」
まあ、お芝居みたいに、めでたし、めでたしで終わらないですからね、人生は、と昨日、見たばかりの准の父の人情芝居を思い出しながら、葉名は思っていた。
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