第5話 私、歌えます
上まで着いた
三浦さん、別に私をお呼びじゃないようだしな、と降りないでいると、先に降りた
「今、少し手が空いてるなら、社長室に来い」
何故ですかっ?
なにかわたくし、不手際でもっ?
社長室に来いと言われるのは、学校で言えば、校長室に来いみたいな感じだ、と葉名は思っていた。
叱られるの前提というか。
だが、社長様に逆らうわけにも行かず、ちょこまかと後ろをついて社長室とつながっている秘書室に行くと、涼子が、え? なに? という顔で見る。
なんかやったの?
と彼女の顔には書いてあった。
イヤ、ワカリマセン……、
と葉名も顔に書く。
「入れ」
と准が社長室のドアを開けてくれた。
「しっ、失礼しますっ」
と社長はまだ外に居るのに、社長室に向かい、礼をした。
これだと、社長室にへりくだってるみたいだな、と思いながら、中に入ると、後ろで、パタンと扉が閉まる。
「その辺に座れ」
と窓際の大きなデスクに向かいながら、准が言ってきた。
「はっ、はいっ」
とは言ったものの、立派な革のソファに座るのもなんだか気が引けて、片隅にあった木の丸椅子に葉名は座った。
すぐにノートパソコンを開いて、なにかしていた准が顔を上げて、
「おい」
と言う。
「なんで、そんなところに座ってるんだ」
「いえ、なんとなく……」
と言うと、まあいい、ちょっと来い、と言って、准は立ち上がった。
そして、
「座れ」
とまた命令される。
ソファを指差されたので、今度は仕方なしにそこに腰掛けると、横に准が座ってきた。
「石鹸はつけてみたんだな」
と言いながら、准は葉名の左手をつかむと、その包帯をほどき始める。
そして、親指と人差し指の骨のぶつかるところより、少し人差し指寄りの場所を親指で強めに押し始めた。
「此処は、
親指と人差し指が出会う場所という意味で、合谷と名付けられた万能のツボだそうだ。
肩こりやストレスにも効くから、パソコン仕事の人間にもいいらしいぞ。
血流をよくし、指のむくみをも解消してくれるそうだ」
と言いながら、何度も押しては離している。
「どうだ。
リラックスして、血流もよくなったか」
と准は訊いてくるが、葉名は、
いえ、リラックスどころか、酸素不足で死にそうです、と思っていた。
だだっ広い社長室でふたり向かい合って座っているので、葉名は緊張のあまり、息を止めていたのだ。
そして、血流がよくなったかどうかなんて、自分ではわからない。
「はめときゃいいのにな」
と言いながら、指輪を引っ張ってくる准に、
いやいや、社長様。
そんな水戸黄門の印籠くらいインパクトのあるものをやって、仕事ができるはずないでしょうが、と思いながら、葉名はされるがままになってた。
軽く現実逃避している葉名の頭の中では、子どもの頃、学芸会で演じた『大きなかぶ』という劇が上演されていた。
おじいさんもおばあさんも王子様も引っ張ってみましたが、やっぱり、かぶは抜けません。
そのとき、
「じゃあ、やっぱり、あれか」
と呟きながら、立ち上がった准は、デスクの上のノートパソコンを見に行った。
いきなりパソコンを立ち上げて、なにしてるのかと思ってたけど。
指輪の外し方を調べてくれてたのか……、と葉名が思っていると、准はデスクの引き出しから、携帯用の裁縫道具らしきものを持ち出してくる。
「スーツ買ったときにおまけでもらったんだ。
使うこともないと思っていたんだが」
と言いながら、指輪と指の隙間に苦労して糸を通してくれる。
それから、指先に向かって、糸を巻き付け始めた。
准は巻いた方の糸を指で固定したまま、指輪に通した糸を引っ張る。
指輪がすすすっと移動した。
准は糸をほどきながら、更に巻き付けようとしたが、指輪は太い部分を抜けたところで、するりと落ちた。
「あっ、取れましたっ」
「そうか、よかったな」
と言った准は、葉名の手にその、幾らするんだかもわからない、ごつい指輪を載せてくる。
「いや、ですから、いりませんってば」
と言ってみたのだが、立ち上がった准は、
「一度お前にやったものだ。
返してはいらない。
俺は仕事だ。
もう出て行け」
と言い放った。
いや、貴方が呼んだんですが……と思いながらも葉名は、さっさと仕事を始めた准に向かい、頭を下げる。
「ありがとうございました」
うん、とこちらを見もせずに言った准だが、
「ああ、今日も家、片付けとけよ。
もしかしたら、行くかもしれないから」
と付け足し、言ってくる。
いや……もしかしたらのために片付けたくないんですけど、と思いながら、出て行こうとして、指輪を手のひらに載せたままだったのに気づき、慌ててスカートのポケットに突っ込んだ。
失礼しました、と社長室を出ると、
「桐島っ、なんだったの?」
とノートパソコンから顔を上げ、涼子がすぐに訊いてくる。
「いえその……」
と言いかけ、困った。
なんと説明したらいいのか、と迷った葉名は、
「し、新入社員にどの程度、社歌が広まっているかと訊かれまして」
とよくわからないことを言ってしまう。
社歌? と涼子は眉をひそめた。
「そんなの私だって知らないわ」
と言う彼女に、葉名は、
「私、知ってますよ。
歌ってみせましょうか?」
と言う。
実は、入社試験のときに訊かれるかと思い、ネットで調べて覚えておいたのだ。
その、結局、使う機会のなかった知識を今、披露してみた。
気のせいだろうか。
扉の向こうから、社歌が聞こえるような……。
准はパソコンを打つ手を止め、入り口の黒い扉を見つめる。
一応、あるにはあるが、式典のときにもかかったことのない社歌だ。
俺も初めて聞いたな。
こんな旋律だったのか、と思いながら、その社歌が消えたあとも、なんとなくそれを口ずさむ。
朝日さす、夕陽かがやく金の社屋に金の
……金の社屋じゃないんだが、誰が作ったんだ、この歌。
しかし、不思議に頭に残る旋律で、キーを叩くのにちょうどいい。
社歌を歌いながら、准は仕事に没頭した。
ああ、なんか今日は一段と疲れたな。
そう思いながら、葉名は商店街を歩いていた。
入社してからは、職場と呑み屋とマンションを往復するだけの日々だ。
早く帰って家片付けとかなきゃ、悪王子の襲撃を受けるかも、とは思ったのだが。
たまには気分転換に違う道を歩いてみるか、と思い直し、いつもの道をちょっと外れてみた。
せっかく、新しい街で暮らし始めたのに、今まで余裕がなく、何処も探検してみていなかったからだ。
大きなマンションの横の小道を曲がると、ふいに昔ながらの商店街が現れた。
フラワー商店街とかいう可愛い名前がついている。
へえ、いいなあ、と思いながら、葉名は魚屋と八百屋の前を通った。
野菜も魚もパックやビニールに入っておらず、カゴ盛りだ。
こういうところで買うと、なんだか美味しそうな気がするよね、と思いながらも、今日の晩ご飯は、コンビニかな、と自堕落なことを考えていると、やたら店の前が緑な店舗があった。
しきみや榊がたくさんある。
それに白と黄色の小菊。
昔ながらの商店街だから、そういうものが売れるのだろう。
お花屋さんかな? と思って覗くと、店の奥には普通の花や観葉植物も並んでいた。
運気が上がるとか上がらないとかさておき、緑を見ると、気持ちが安らぐよなー、と思いながら葉名はそれを眺める。
木製の丸テーブルには幾つもの観葉植物が置かれているのだが。
その中に、ちょっと攻撃的な葉の形をした植物があった。
葉の裏が赤く、ペペロミア・ロッソという札がささっている。
ええっ?
これもペペロミアなんだ?
私のペーちゃんとは、全然、違うな~と腰を屈めて見入っていると、
「いらっしゃいませ。
なにか観葉植物をお探しですか?」
という男の声がした。
振り返ると、店の名前の入った生成り色のエプロンをつけた背の高い男が立っていた。
すっきりと整った顔で、全体的に色素が薄い感じだ。
男は何処からか戻ってきたところのようだった。
「どうも、
ありがとうね」
と少し先にある、砂利の敷かれた商店街の駐車場からおばあちゃんが彼に向かい、頭を下げていた。
「いえいえ」
と誠二と呼ばれたその男は振り返り、微笑んでいる。
……爽やかなイケメンだ。
昨日から、邪悪そうな濃い顔の王子にとり憑かれているので、余計清々しく見えるな、と思いながら、彼を見上げていると、
「個性的でしょ、その色のペペロミア。
結構人気なんですよ」
と誠二は言ってくる。
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