第4話 呪いの指輪が外れません
「ひいじいさんが隠居するときに、うちのグループ内の勢力図が一変する可能性がある。
のし上がる奴も、追い落とされる奴も出てくるだろう。
世の中、実力だけで上手くいくとは限らないからな。
運とタイミングも大事だと最近気がついたんだ。
そんなことを考えていたら、幸運をもたらすと言うので、いつもなんとなく眺めていた総務のデスクのペペロミア・ジェイドを急成長させている娘が居るじゃないか」
いやそれ、たまたま、成長するタイミングだったんじゃないですかねー、と思う葉名に准は言う。
「何度か見かけたことはあるというだけの新入社員だが。
いつも笑顔で、ぼんやりしているだけだが、不思議と周りに人が寄ってきている。
なんとなく運気が良さそうだ。
この娘を側に置いておいたら、俺の運気も上がりそうだ。
そう思ったんだ」
なんですか、その三段論法みたいなの。
っていうか、なんとなくで、嫁を決めないでください、と思いながら、葉名は、
「私の当てにならない運気に頼るより、あの写真の中のお嬢さんたちから決めた方が、確実に地位が上がりそうな気がしますが」
と言ってみた。
たぶん、なにかしらのバックのついた娘さんたちだからだ。
だが、准は、
「俺は直感を信じることにしている。
どれにする? とひいじいさんに問われたとき、今の会社を選んだのも直感だった」
と言い出す。
なんだ。
会社が不利益を被りそうだという情報を得てのことではなかったのか、と葉名は思った。
「今日もそうだ。
あの写真群とお前を見比べて、お前の方がピンと来たんだ。
恋かもしれん」
……いや、少なくとも恋ではないような、と思う葉名の指輪のはまったままの手をつかむと、准は葉名を自分の膝の上に座らせる。
葉名は逃げようとしたが、准は葉名の肩に手を回し、逃げられないように固定すると、その黒い瞳で見つめて、言ってきた。
「俺は、お前の運気が欲しい」
お前が欲しいじゃないんだな、と葉名は苦笑いする。
この人、イケメンで御曹司かもしれないが。
この口が災いを呼んで、恋愛は上手くいかなさそうだ……。
そう思う葉名に准は言う。
「俺と結婚しろ、翡翠の女」
だから、名前覚えてーっ、と思ったのが通じたようで、准はチラ、と手に書き付けているなにかを見た。
よく見れば、手のひらに、緑のペンで、
『きりしま はな
308』
と書かれている。
覚えてっ。
「キリシマ ハナ」
明らかな棒読みで、准は言ってきた。
だが、その瞳は真剣で、思わず、どきりとしたとき、准の手が葉名の頬に触れてきた。
「この俺が結婚してやると言ってるんだ。
必ず、幸運をもたらせよ。
――誓いのキスだ」
そのまま唇を重ねてこようとしたので、身をよじって逃げた葉名はラグに落下し、腰を強打した挙句に、
「うっ」
とうめいた弾みで、ガラスのローテーブルの角で頭を打った。
頭を押さえながら、葉名は叫ぶ。
「ぜんっぜん、運気良さそうじゃないんですけど、私ーっ」
この人に運気を吸い取られているか。
この呪いのホープダイヤのせいに違いない、と思いながら。
「じゃあ、今日は帰るから」
珈琲を飲んだ准は、たいしたおいたをすることもなく、立ち上がる。
やっぱり、なんだかんだで紳士だな、とうっかり思ったあとで、いや、紳士はいきなり、家に訪ねてきたり、呪いの指輪をはめてきたりはしないか、と思い直した。
玄関まで見送ると、
「明日も時間が作れれば来るからな。
俺が上がれるよう、ちゃんと片付けとけよ」
と言って、准は葉名の肩に手を触れ、身を屈めると、そのこめかみ辺りにキスしてくる。
長身の准の耳がすぐ目の前にあって、ハーブ系のすっきりとした匂いがその髪から香ってきた。
「見送りは此処まででいいぞ」
じゃ、と言って、准はさっさと帰っていく。
オートロックのドアが勝手に閉まるのを見ながら、
……なんだったんだ、と葉名はひんやりとした玄関にひとり立ち尽くす。
全部夢だったのだろうか。
准の居なくなった今、そう思えなくもなかったが。
指は呪いの指輪のせいで重いし、こめかみには、まだ、准の唇が触れた感触が残っていた。
でも、夢なことにしたい……と思いながら、葉名はきゃしゃな指にはまった巨大なサファイヤを眺める。
「おはようございます」
翌朝、葉名が職場に行くと、三つ年上の先輩、
「なに、葉名。
どうしたの?」
と訊いてきた。
葉名の左手が包帯でぐるぐる巻きになっていたからだ。
「いやー、ちょっと突き指しちゃいましてー」
突き指? と敦子は胡散臭げに訊き返してきたあとで、
「どんな下手くそな医者よ。
手がグローブみたいになってるじゃない」
と言ってくる。
「いやいや、突き指っぽいなー、と思って自分で巻いたんですよー」
と誤魔化すように笑って言うと、
「ちゃんと病院行きなさいよ」
と呆れたようにだが、言ってくれた。
このロングヘアで美人な先輩は、口調はきついが、そんなにやさしくないこともないこともない――。
実は、あれから、どうにも指輪が外れなかったのだ。
それで、とりあえず、包帯で手全体を巻いてみたのだが、かなり不自然だったようだ、と葉名が思ったとき、
「あ、悪王子っ」
といきなり、敦子が抑えた声を上げた。
彼女の視線の先、ガラス張りの総務の入り口の向こうに、監査役と話しながら歩く准の姿が見えた。
「今日も格好いいわね、悪王子。
あーあ、なにかお近づきになれる方法はないものかしら」
「……悪なのに、お近づきになりたいんですか?」
と訊くと、
「いいわよ、悪でも。
社長と結婚して寿退社とか最高じゃない。
それに、女って、ちょっと悪い男に惹かれるものでしょ?」
と敦子は言う。
「私は堅実で誠実な人が好きですけど」
と言うと、敦子は上から下まで葉名を見て、
「ああ、それっぽい」
と言う。
どれっぽいんですか……と思いながら、
「あのー、社長とお近づきになりたいのなら、観葉植物でも育ててみられてはどうですか?」
と教えてみた。
なんでよ? と言う敦子に、
「いえ、社長は、緑がお好きだと風の便りに――」
と曖昧なことを言うと、敦子は、
「何処の便りよ」
と言ったあとで、
「めんどくさいわよ、観葉植物なんてー」
と言ってきた。
「私、片っ端から枯らすのよ。
誕生祝いにもらったサボテンも干からびたわ」
「……そのサボテン、私があげたやつ?」
ふいに背後からした声に、ひっ、と敦子は身をすくめる。
敦子の背後に隣の部署の
「やだなあ、吉川さん~。
違いますよ~」
と誤魔化すように笑う敦子は、美沙と揉めながら、何処かに行ってしまった。
まあ、サボテンも意外と枯れるっていうもんなーと思っていると、ガラスの向こうに准が立っているのに気づいた。
こちらを見ている。
ひっ、と思っていると、准は総務の中に顔を覗け、
「桐島、三浦が呼んでるぞ」
と言ってきた。
ようやく名前を覚えてくれたようだ、と思いながら、
「はいっ。わかりましたっ」
と慌てて返事をし、上に上がってくると上司に言って、急いでエレベーターホールへと向かった。
すると、先に准が乗っていた。
社長と一緒というのもな、と思い、乗らずに立ち止まっていると、開のボタンを押してくれているらしい准が、社長らしい口調で、
「どうした。
早く乗りなさい」
と言ってきた。
「はっ、はいっ。
すみませんっ」
と言って、葉名は慌ててエレベーターに飛び乗る。
だが、扉が閉まった瞬間、准は昨夜と同じ口調で言ってきた。
「おい、そのぐるぐる巻きはなんだ」
「……指輪が外れなかったんですよ。
石鹸つけても。
それより、三浦さんの用事ってなんなんですかね?」
と言うと、准は素っ気なく、
「三浦は忙しいのに、お前に用などあるか。
お前と話をするための口実だ」
と言ってくる。
では、三浦さんは忙しいけど、貴方はお暇と言うことですかね……と思いながら、
「社長、そういう嘘、やめてくださいよ~。
私、秘書の人に呼ばれると緊張するんですからー」
と言うと、准は呆れたように、
「……俺に呼ばれるのは緊張しないのか」
と葉名を見下ろし、言ってきた。
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