第3話 襲撃に遭いました

 

 あ~、今日こそ、片付けなきゃな~と思いながら、葉名はなはマンションでひとり転がっていた。


 入社して、このマンションに越してきた当初は、部屋も素敵な感じだったのだが。


 慣れない職場で緊張しっぱなしなので、帰ったら、寝るだけの生活が続き、気がついたら、部屋は荒れ放題。


 休みの日に片付ければいいのだが。


 一日はぐうたら寝ていて、もう一日は、何処かに遊びに行っている。


 リフレッシュも必要だよねーと言い訳しながら。


「葉名のマンション、会社の近くなんだよね?

 従姉のおねえさんので広いんでしょ?


 今度遊びに行かせてー」

と言う同期の子たちには、


「片付いたらねー」

と返しているが、このままでは、片付きそうにもない。


 ああ、なんとかしなければ……と思いながらも、お笑い番組を見つつ、クッションを抱いてソファに転がっていると、いきなり、ピンポン、とチャイムが鳴った。


 えっ? 誰っ? こんな時間にっ。


 まさか、ようちゃんが、彼氏と別れたから、部屋返せって言ってきたとかっ?

と思いながら、起き上がる。


 誰も居ませんよ~と心の中で既に居留守を使いながら、そうっとインターフォンを覗くと、そこには玄関ロビーに居る悪王子が映し出されていた。


「開けろ、翡翠ひすいの女。

 そこに居ることはわかってるんだ」


 ロビーに響く、低めのいい声でじゅんは言ってくる。


 刑事かっ。

 ていうか、翡翠の女ってなんだっ?


 ミステリー小説のタイトルかっ?


 そう呼ばれたら、なにか事件でも起こさねばならない感じがしてくるではないか、と思いながら、葉名は返答しないまま、息をひそめて、インターフォンの画面を見つめていた。


 すると、准は低い声を更に低くして言ってくる。


「宅配便だ。

 開けろ」


 そんな高圧的な宅配業者の人は居ません……と思いながら、黙っていると、今度は、


「ピザ屋です。

 開けろ」

と言い出した。


 いや、『です』の次が、『開けろ』はおかしいが……と思いながら、まだ黙っていると、


「……早く開けなければ、管理人を呼ぶぞ。


『私、308号室の住人の婚約者で東雲しののめと申しますが。


 先ほど、外から確認したら、部屋に明かりがついていて、人影もあったのに応答がありません。


 中で倒れているのかもしれないので、開けてください』

とか言って――」

と言いかけた准は、なにかに気づいたように横を向くと、


「あ、管理人さんですか?」

と声を張り上げ、話し始めた。


 ひーっ。


「あっ、開けますからっ。

 やめてくださいっ」

と叫び、葉名はうっかり解錠してしまった。





「お前は莫迦か。

 誰がお前のマンションの管理人か、俺が知るわけもないだろう。


 そのように見えても、ただ一階を徘徊しているラフな格好のジジイかもしれないのに」


 玄関まで入ってきておいて、准は葉名をそう罵る。


 ……そういえば、そうですよね~。


 此処は、制服姿の管理人が居るようなタワーマンションではない。


 マンションの持ち主のおじいさんが管理人を兼ねているようなところだ。


 初めて来た准に、誰が管理人かわかるはずもなかったのだ。


 この失態をなかったことにするには、此処でお帰りいただくしかないっ、と葉名は腕を組み、仁王立ちになった体勢で、准を迎え撃つ。


「それで、なにしにいらしたんですか、社長」


「遊びに来てやったのに決まってるだろう、新入社員」


 やはり、同じように腕を組み、斜に構えた准が言い出した。


 このマンションの真の持ち主で、今は彼氏と同棲していて居ない従姉の陽子ようこが見たら、


「なになに?

 ラップ対決ー?」

とか言って、笑い出しそうな様相だ。


「いえ、結構です。

 遊びに来てくださらなくても」


 職場ではないので、葉名は社長様にも、ちょっと強気に言い返してみた。


 社員にもプライベートはあっていいはずだからだ。


「そもそも、社長。

 何故、私の家をご存知なんですか?」


「いや、社長と言えども、勝手に社員の住所を盗み見ては悪いかと思っていたところ。


 お前が同期の連中と食事したあと、フラフラ帰っているのを見かけたので、後をつけてみたのだ。


 それで外から見ていたら、お前が入ったあと、308号室の明かりがついたので、あの部屋だな、と当たりをつけた」


 いや、盗み見るより、後つける方が悪くないですかっ? と思っていると、准は、


「で、これを取ってきたんだ」

と言いながら、勝手に葉名の左手を取ると、薬指に指輪をはめ出した。


「なっ、なんですかっ、これっ。

 やめてくださいっ」

と葉名は准の手からおのれの手を引き抜こうとするが、そのがっしりとした大きな手からは逃れられない。


 濃いブルーの石がついた、年代物の指輪のようだった。


 大きくもあるので、まるで、呪いのホープダイヤモンドのように葉名には見えた。


 スミソニアン博物館にあるホープダイヤモンドは、持ち主に不幸をもたらすという世界最大のブルーダイヤモンドだ。


 だが、これは、サファイヤのようだった。


「蔵の金庫にあったんだ」

と准は言う。


「なんか今すぐ、呪いにかかりそうなんですけど……」

と指にはまった重すぎるそれを見ながら、葉名は呟く。


 サファイヤに込められた意味は、『誠実』。


 ……誠実とは、正反対の人が持ってきたようだが、と思いながら、玄関のオレンジの光に輝くその美しい石を眺めていると、


「こうして、手土産も持ってきたんだ。

 ちょっとくらい上がらせろ」

と一体、幾らするのかわからない手土産を持ってきた男は勝手に部屋に上がろうとする。


「やっ、やめてくださいーっ」

と葉名は、慌てて准の腕をつかんだ。


「いやいや、自分の嫁になる女の部屋くらい見ておきたいだろ」

と葉名の体重など、コアラくらいにしか感じていないらしい准は、そのまま、廊下を歩いていく。


「あれ、その場限りの言い逃れじゃなかったんですかっ。

 っていうか、今は見ないでくださいっ。


 散らかってるんでっ。

 散らかってるんでっ」

とその腕にぶら下がりながら、葉名は叫んだが、准は笑って言ってくる。


「いずれ一緒に暮らすのに、格好つけてもしょうがないだろうが。

 大体、男と違って、女の散らかってるって言うのは――」


 がちゃりとリビングのドアを開けた准は笑顔のままフリーズした。


 散乱した部屋を見たまま、そこから一歩も入らずに、准が言ってくる。


「今すぐ、業者を呼ぼうか」


「……そこまでじゃないですよ」


 ちょっと服とか本とか、椅子やソファに重ねたりしてるだけじゃないですか、ええ……と思いながら、慌てて葉名はそれらをたたみ直し、片付けた。





「この珈琲は飲めるのか」


 ソファに座った准にマグカップを渡すと、准は葉名を見上げ、そう訊いてきた。


「いやあのですね。

 ちょっと物が散乱してただだけで、別に汚くはないですから、この部屋」


 フローリングワイパーもちゃんとかけてますよーっ、と葉名が反論すると、准は小さなクマ柄の白いカップを手に部屋を見回しながら、


「そうだな。

 一瞬で片付いたな。


 じゃあ、何故、帰って一瞬でやらないんだ?」

ともっともなことを言ってくる。


「だって、帰ったら、疲れてるんですよ」


 貴方の会社で馬車馬のように働いてーと思ったが。


 どちらかと言えば、まだ緊張しているので、疲れているだけのような気もしていた。


「部屋が散らかってると運気が下がるぞ」


「偉く運を気になさるんですね。

 そういうの、あまり当てにしない方のように見えたんですが」


 自信満々で、と思いながら言うと、


「そうだな。

 そんなに気にはしてなかったんだが。


 此処へ来て、いろいろとな」

と思慮深げな顔で、准は言い出す。


 いつもそういう顔をしてくれればいいのにな、と思いながら、葉名は彼の前に立ち、見下ろしていた。


 それに気づき、准が見上げて言ってくる。


「座らないのか?

 横に座ったからって、いきなり襲ったりはしないぞ。

 その辺りはちゃんと心得ている」

と言うのだが、ちゃんと心得ている人間が、人の後をつけて押しかけてきたりするだろうか、とも思っていた。


「お前、うちのひいじいさんが、そろそろ家督を譲ろうとしているのを知っているか」


 そう問われ、

「一般庶民の私なんぞが、そんなこと知ってるはずないじゃないですか」

と言うと、准は黙って、こちらを見たあとで、まあ、座れ、ともう一回言ってきた。






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