第20話 おばあちゃんになっても――
『
この間のお詫びにお寿司おごるから来てー』
と陽子はまた唐突なことを言い出す。
いや、お詫びって、あのマンション、もともと陽ちゃんのだし、と思っている間に、
「行く。
住所を言え」
と勝手に准が返事をしていた。
電話を切ったあとも、准はまだ、肩をつかんでいる。
「もう~、離してくださいよーっ」
と訴えてみたが、准は、
「嫌だ。
俺はまだ、こうしてお前と戦っていたいんだ」
と言う。
「何処のスポ根物のセリフですかっ」
「いや、正確には、俺はこうして、お前とじゃれあっていたいんだ」
真顔でそういうことを言わないでくださいっ、と赤くなりながら思ったとき、聞いていないかと思われたタクシーの運転手さんが吹き出した。
は、恥ずかしい……と思いながら、葉名はうつむく。
その寿司屋は葉名の住むマンションから割り合い近くにあった。
だから、喧嘩して雪崩込んできたんだな、と思いながら、まだいい木の香りがする白木の戸を准が開けるのを見ていた。
「おごってはいらないぞ、陽子。
寿司が食いたかったから来ただけだ」
と戸を開けるなり、准は言う。
本当に、なんでも短く明確に言う人だな。
仕事の癖が抜けないんだな、と思っていると、
「あ、いらっしゃーい」
と陽子がカウンターの中から手を振ってくる。
陽子にしてはおとなしめな翡翠色の着物を着ていた。
「
と陽子は横に居る若い板前さんを手で示す。
落ち着いた雰囲気で端正な顔をしているその男を見ながら葉名は思った。
あー、この人が肉まんとピザまんの玄ちゃんさん。
……お寿司屋さんだったのか。
「もう今日は閉店だったんだけど、葉名たちのために開けてもらったのよ」
と陽子は言う。
そういえば、入り口に休憩中のような札がかかっていたな、と思い出す。
いきなり、准がガラガラと白木の格子の戸を開けてしまったので、確認する間もなかったのだが。
そんなことを考えていると、無骨そうなその板前さんが頭を下げ、挨拶してきた。
「初めまして。
……何処にも玄の字がないんだが。
陽子はこちらの疑問には気づかず、ニコニコしている。
なので、誠一郎が、
「いや、最初の頃、陽子さんに、玄米茶をお出ししたら、これが、玄米茶って言うんだーとおっしゃいまして、それから、玄ちゃんに」
そう照れ笑いしながら、教えてくれた。
いや、玄米茶、飲んだことあるだろ、陽ちゃん……と思ったが、まあ、おそらく、飲んでるものがなんなのか、今まで知らずに飲んでたんだろうな、と思う。
葉名たちも挨拶をし、話しながらお寿司をいただいたが。
誠一郎はとても感じのいい男だった。
一口噛むと甘さの広がる、もっちりとしたイカなどいただきながら、葉名は言った。
「……おかしいです。
此処のところ、いい人にばかり出会うんですけど。
側に邪悪な人が居るから、そう感じるだけなのでしょうか」
「お前、思ってること全部しゃべっているが、酔っているのか」
と横で准が言ってくる。
酔っているという程ではないが、確かに、ちょっと気持ちが良くなっていた。
閉店したお店を貸し切り。
ちょっぴり邪悪な人も混ざっているが、気の置けない人々と、美味しいお寿司と美味しいお酒。
なんだかまったりしてしまう。
「おかしいといえば、私もおかしいのよ。
今回は騙されそうな気がしないわ」
と陽子が言ってくる。
いつも騙されそうとわかってて、騙されてたのか……。
「今まで、こういうタイプの人にはときめかなかったのに」
と誠一郎を見ながら言う陽子に、
「落ち着いてきたんじゃないの?」
と葉名は言う。
いや、ちっとも落ち着いているようには見えないのだが、そう言ってみた。
そうかしら、と笑う陽子の側で、誠一郎が照れ笑いする。
「いえ、私は、私の方が騙されているのではないかとずっと思っているんです。
こんな素敵な女性が私のことなんか」
そう謙虚に言う誠一郎に、和むな、今日は、いろんなところで、と葉名は思っていた。
いや、お母さんと室田先生の結婚話に関しては、ちょっぴり不安が残るが。
おのれの母の未来が不安とかいうのではなく。
准と一緒で、マイペースなうえに、変に前向きな母親に、人のいい先生が振り回されそうな気がして――。
そう思いながら、葉名は呟いた。
「准社長とうちのお母さんは似ている気がします。
まだ見ぬ社長のお母さんは、実はうちのお母さんだったんじゃないかと思うくらい」
「あら、じゃあ、准と葉名は兄妹じゃない」
と陽子が笑うと、准が、
「俺は兄妹でも別にかまわん。
もう他の女では無理だしな。
俺の心はすべて葉名のものだ」
と言い出した。
……お前も酔っているのか、と思っていると、
「あら、熱烈」
と笑う陽子の前で、准が言う。
「最初から熱烈だったわけじゃない。
葉名にも言ったが、初めはなんとなく気になる、という程度だった。
だが、観察しているうちに、こいつと居ると落ち着くな、と気がついたんだ。
容姿も、綺麗だが、そんなに好みじゃないと思ってた。
でも、今では葉名の顔が一番好きだ。
最初から好みの女ではなかったのに、此処まで惹かれてるんだから、この気持ちは本物だ、と俺は思う」
准は自分で言っておいて、自分で納得したように頷いている。
まあ、言ってるうちに、頭の中が整理されてくることってあるもんな、と思いながら、複雑な気持ちでもあった。
嬉しいような。
ちょっと考えてしまうような……。
「すみません、社長。
私は、まだそこまで到達していません」
と言うと、准は驚いたような顔をする。
「そこまで到達していないということは、少しは俺を好きだと言うことか」
泊まっていけとも言わないから、嫌われているのかと思っていた、と言う准に、
「ちょっといいと思ったくらいで、泊まっていけとか言い出す人、居ないでしょ」
と言うと、男二人が陽子を見る。
准が、
「俺は言われたことはないが、何人か大学の奴が被害にあったのを知っている……」
と呟いていた。
その呟きに、
今まで陽ちゃん側の話しか聞いてなかったけど。
騙されていたのは、本当に陽ちゃんの方だったんだろうか、という疑問が頭をもたげてくる。
物事も視点を変えてみると、全然違って見えてくるものだな、と思いながら、
「その方が早く話が進むのかもしれませんが。
私はそういうタイプの人間ではないので、少し考えさせてください」
と言うと、陽子が笑って、
「准、駄目よ。
葉名はきっと、ずっと考えてるわよ。
おばあさんになっても」
と言ってくる。
准は、酢飯から大きくはみ出している、いい焼き色の穴子を見ながら、
「おばあさんになったお前も可愛いとは思うが。
おばあさんになるまで待つのは嫌だな」
と呟いていた。
そのとき、なんとなく――
この人なら、自分が歳をとっても、ずっとこうして、変わることなく、側に居てくれそうだな、と思った。
此処までの言葉の積み重ねのせいもあるだろう。
准は常に
「……考えさせてください」
ともう一度、葉名は言った。
自分でも思ってもみなかったことだが、その言葉には、二人の未来に対して肯定的な意味合いが含まれていた。
だが、ざっくりすっきりさっぱりな准と陽子に、その微妙な感じが通じるばすもなく――
「えーっ、まだ考えるのー?」
と陽子がわめき、准は、
「とりあえず、指輪でもはめさせときたいんだが、こいつ、俺がやった、家宝っぽい指輪もはめやがらない」
と文句を言ってくる。
いやだから、家宝っぽいで、家宝じゃないんですよね? それ……と思っていると、二人からその指輪の話を聞いた陽子が、
「あら、青い指輪なの?
いいじゃない。
サムシングブルーね」
と言ってきた。
「結婚指輪の内側に、青い石をそっとはめこむと幸せになれるって言うわよね」
いや、そっと内側にじゃなくて、思いっきり前面に、夫を殴ったら、殺せそうな感じで出てるんですが。
「でも、大事な指輪に対して、こんなことを言っては失礼なんですけど。
あれ、呪いのホープダイヤモンドみたいじゃないですか」
怖いですよ、と准に言うと、陽子が言う。
「呪いのホープダイヤってあれ?
持っている人に、不毛を呼んでくるとかいう……」
不毛も嫌だな……と思いながら、
「不幸だよ、陽ちゃん」
と言うと、誠一郎が笑った。
こういう陽子の、賢いわりに、とぼけたところも彼は好きなのだろう。
お幸せに、と思いながら、店の隅を見ると、シュロチクが飾ってあるのが見えた。
アジアンテイストなシュロチクはこの店に似合っている。
確か、花言葉は、「思慮深い」。
玄ちゃんさんにぴったりだな、と思い、葉名は笑った。
人は自分にないものを補填しようとして、誰かと一緒になるのだと聞くが、と思いながら、陽子たちを見る。
そう考えるといい組み合わせのような。
まあ、陽子を選んだ誠一郎が、本当に思慮深いかは謎なのだが……。
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