第21話 もう寝ろっ



 考えさせてください、と言ってしまった。


 マンションに帰ったあと、葉名はなはひとり思いわずらう。


 そう言ってしまった以上、考えてみようと思うのだが、なんだか考えがまとまらない。


 こんなときこそ、お片づけだな、と思いながら、ソファから立ち上がった。


 既に十二時過ぎ。


「もう寝たら?」

と涼子などには突っ込まれそうな時間だ。


 洋服関係とか、キッチン関係が片付けやすいというから、やってみるか、と葉名は台所に行ってみた。


 洋服に関しては、こんなことになる前にも何度かやってみたことがあるのだが、片付けやすいというわりには、何度も失敗していたからだ。


 だが、引き出しを開けた葉名はうなだれる。


 山のようなコンビニの使い捨てスプーンとフォークを見つけたからだ。


 うう。

 これ、捨てられないんだよな~。


 外で食べるとき以外は、出来るだけもらわないようにしているのだが、人と話しながらお買い物をしてたりすると、つい、うっかりもらってしまう。


 捨てるのももったいないしな~。


 かと言って、普段はステンレスか木製のスプーンを使っているし。


 わざわざこれを使っては捨てるというのももったいない。


 うーむ。

 なにかに使えないだろうか。


 いや、この、いつかなにかに使えないだろうかが、物を溜め込む原因だとわかっているのだが、つい考えてしまう。


 もったいない文化の中で育ってきた日本人には、物を捨てることは容易ではない。


 なのに、日本の家屋は収納できるスペースが少ないので、常に物を捨て続けなければならないという、この矛盾っ。


 ああでも、そうだっ。

 日本には、蔵というものがあった!


 そうだ、蔵を建てようっ!


 ――いや、何処にっ!?


 まで暴走したところで、正気に戻った。


 よし、……冷静になろう。


 やはり、この使い捨てスプーンは、なにかに活用すべきだ。


 一度でも使えば、気持ちよく捨てられるはず。


 捨てるべきものをひとつずつ活用していては、何年経っても片付かないとわかっているのに、やはりそう思ってしまう。


 だが、そういえば、高校のとき、使い捨てスプーンにチョコを流し固めて、カラフルに飾ったり、絵を描いたりして、友チョコとして配ったら、みんな可愛いと言ってくれた。


 そうだ。

 バレンタインに友チョコを配ろうっ!


 ――って、今、五月っ!


 葉名はもう此処は見なかったことにして、引き出しを閉めた。


 パウダービーズのときと一緒だ、と思いながら。





 しばらくすると、キッチンカウンターの上に置いていたスマホが鳴り出した。


 取るとすぐに、

『葉名、帰ったぞ』

じゅんの声がする。


 遅い時間に帰って行ったので、無事に着いたら、連絡くださいと言っておいたのだ。


『まだ起きてたか?

 なにしてた?』

とまるで、おやすみ前の恋人同士のような会話を准はしてくる。


 だが、葉名が、シンクの上を見ながら、

「お片づけしてました」

と言うと、案の定、


『寝ろ』

と言ってくる。


 いえ、おうちを整理すると、心も整理できると言うので、してみているのですが、どちらも出来そうにありません、と思っていると、准が訊いてきた。


『で、片付けは進んだのか?』


 うーむ。

 すぐに結果を求める困った社長だ、と思いながら、葉名は答える。


「いえ、捨てようとすると、どれを手にしても、走馬灯のように思い出が蘇りまして――」


『……死ぬ気か?』


「いえいえ。

 それで、今、ふきんとの思い出にひたっているところです」


『ふきんとの思い出ってなんだ……』


 いや、いろいろあるんですよ、と葉名は思う。


 買ったばかりのコートにホットミルクを引っ繰り返して、ああ、学校で牛乳こぼして拭いた雑巾みたいな匂いがし出したらどうしようと思いながら、濡れぶきんで拭いたとか――。


「まあ、そんなこんなで全然進まないので、間では、心を落ち着けようと植物の方を眺めてみたり」

と言いながら、観葉植物とクマが飾ってある窓辺を見た葉名は、幹が編み込みのようになっているパキラを見ながらぼんやり呟く。


「……社長、パキラは、編まれたいのでしょうかね?」


『寝ろ』





 准に言われた通り、寝ることにした葉名は、ベッドに入り、目を閉じた。


 准の父に、植物園のような庭を持つ准の祖母に似ていると言われたことを思い出しながら、


 ああ、いいな、植物園。


 安らぎそうだ、と思う。


 葉名の脳裏に、見たこともない准の祖母の姿が浮かんだ。


 光降り注ぐ温室の中。


 アンティークなブリキの如雨露じょうろを手にした彼女は美しい白髪を後ろで束ね、むせ返るような緑と土と水の匂いの中で微笑んでいた。


 うーん……。


 でも、今どきのおばあちゃんって、もっと若々しいよね、とおのれの妄想に駄目出ししたあとで、


 でも、今は、植物園より蔵が欲しいかな、と思う。


 そうだ。

 蔵が欲しいな。


 なにもかも、思い出とともに詰め込んで、取っておける蔵が。


 お母さんと一緒にお父さんに作ったチョコの空き袋。


 社長と遊んでいた頃持っていたクマのぬいぐるみ。


 そして、あの呪いの交換日記――。


 たたたたたられてもいいから、本当はいつまでも持っていたい。


 緑したたる温室で、葉名は何故か真っ白なウェディングドレスを着ていた。


 黒のタキシードを着た准が、そっと葉名の手を取り、指に不毛を呼んでくる青い指輪をはめてくれる。


 サムシングブルーだ、と葉名は思った。


 サムシングブルーは、結婚式当日に身につけると良いと言われる、サムシングフォーのうちのひとつだ。


 「なにか古いもの」


 「なにか新しいもの」


 「なにか借りたもの」


 「なにか青いもの」


 うん、でも、あの指輪ひとつで、既に、古いもの、借りたもの、青いものは、クリアしてるよな、と思う。


 あとひとつは、なにか新しいもの。


「四つそろったら、幸せの扉が開くであろう――」


 何故だかわからないが、突然、長いおひげの預言者が杖を持って現れ、そう告げる。


 ああ、夢って、ほんとにとりとめがない。


 そう思ったところで、葉名は目を覚ました。





「あら、あんた、サムシングブルーっていうのは、人目につかないところに身につけるものよ」


 給湯室で、久田敦子ひさだ あつこに言われ、ええっ? と葉名は声を上げる。


 ひとつの指輪で、サムシングフォーのうち三つをまかなってもいいものだろうか、という話をしたときのことだ。


「これは友だちの友だちの話なんですけどね」

と前振りしたら、


「そう言うときは、大抵、本人の話よね。

 それか、怪談」

と敦子は冷ややかにこちらを見ながら言ってくる。


「恋愛話なら、自分の話だけど、言うのに抵抗があるとき。

 そうでないなら、存在しない友だちの友だちから聞いたという都市伝説の始まりよ」


 そう断言され、まあ、そうかもな、と葉名は苦笑いする。


「外国では、ガーターベルトを青にしたりするらしいけど、日本人はあんまりしないかなあ。


 ところで、相手は誰よ」

と敦子が突っ込んで訊いてきた。


「誠二さんが言ってた、誠二さんの従兄弟?


 式やるの?


 二次会やってよ。

 そして、私と誠二さんをくっつけなさいよ」

と命令される。


 ええーっ?

と苦笑いしていると、


「葉名ー、三浦っちが呼んでるー。

 上、手伝ってってー」

と給湯室を覗いた吉川美沙よしかわ みさが言ってきた。


 あ、はーい、と慌てて行こうとすると、

「こらっ、逃げるなっ。

 お昼にじっくり聞かせなさいよっ」

と敦子の声が追いかけてくる。





 逃げた勢いのまま、社長室と秘書室のあるフロアまで階段を駆け上がった葉名は、

「三浦」

と涼子を呼び止める准の声を聞いた。


 なんだ? となんとなく、階段のところから、二人の居る廊下を覗く。


 准は涼子を手招きし、言っていた。


「三浦、お前、俺は好みじゃないだろ」


 は? と涼子が准を見上げて、返事をする。


「俺もお前は好みじゃない。

 ちょっと、いちゃいちゃしてみてくれないか」


「……嫌です」


 なにやってんだ、この人、と思いながら、葉名は覗いていた。


『誰といちゃいちゃしたら妬いてくれるんだ?

 三浦か? 他の総務の女どもか?』


 そう言っていた准の言葉を思い出す。


 いやいやいや。

 やめてくださいっ。


 そこから、恋に発展しちゃったら、どうしてくれるんですかっ。


 三浦さんが社長のこと、好みじゃないとしても、わからないじゃないですか、と思う。


 だって、私だって、貴方のこと、好みじゃなかったけど――。


 ……ん?


 なかったけど?

と自分で自分の感情に問いかけていると、


「なにやってんだ、そこを退け、葉名」

と声がした。


 振り向くと、スーツを着た若い男が真後ろに立っていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る